Ⅲ-126 相談料はいなりずしっ!

「わぁ、綺麗だなぁ…!」

「…これは、すごいな」


 オイナリサマに案内されること数時間。

 

 幾万もの雪を踏み越え、不思議な霧の中を抜け、俺たちは神社を目の前にして石畳を踏みしめていた。


 久しぶりに立つしっかりした地面の感覚は、自分たちが場所にやって来たことを否応なしに想起させる。


 そして白いはずの雲さえ薄っすらと極彩色に染まった空は、忘れられぬ神々しさを地上に降り落としていた。


「改めまして…ようこそ、稲荷神社へ」


 俺たちの方を振り返って歓迎の言葉を述べるオイナリサマは、この世の存在とは思えない程に美しかった。


 …と、そんな陳腐な言葉しか思い浮かばなかった自分を恥じたくなる程に。


「奥へ案内します。詳しいお話は、お茶でも飲みながらしましょう」

「……」

「…ふふ」


 言葉を失った俺を見て、オイナリサマは俄かに微笑んだ。


「ほら、早く行かないと置いてかれちゃうよ」

「わ、悪い…すぐ行く」


 動き出した足取りも枷を繋げられたかのように重く、しかしその枷は暗い感情ではなかった。

 

 むしろ明るく楽しい思いで、そしてベタリと纏わりつくように俺をその場へと留めようとするのだ。


「あぁ…! 景色なら後でも見られるだろ…!」


 自分に無理やり言い聞かせ、枷をそのまま引き摺って行くように、俺は建物の中へとオイナリサマの後に続いて入っていった。



―――――――――



「では、すぐにお茶を持ってきますね」

「あ、でも…!」

「大丈夫ですよ、あなた達はお客さんですから」


 つい立ち上がろうとする俺を手で止め、オイナリサマはお茶汲みに行く。


 どうやら俺は、フレンズとも違う『神様』として彼女のことを見ているようだ。


 それが『オイナリサマ』との正しい付き合い方なのかはまだ分からないが、礼儀がなっていないよりはマシであろう。


「…そうだぞ、祝明」


 横で狐のように転がっている祝明を窘める。


「…え?」

「いや、流石にその体勢はくつろぎすぎじゃないのか?」

「オイナリサマは”楽にしていい”って言ってたよ」


 いやしかし、初めて上がる建物の敷地内でその姿勢はマズいと俺は思う。


「だが、限度というものが…」

「神依君こそ、そんなガッチガチに正座しなくてもいいんじゃないの?」

「俺はその、神社生まれなものでな…!」


 正直ものすごく緊張している。


 …え、神様? しかもお稲荷様? 本物?

 

 例え偽物だとしてもこんなにオーラを放っている存在に出会うことなんて普通一生に一度だってないぞ。


「もしかして、全部夢なのか…?」


 ジャパリパークもサンドスターも全部想像の産物で、俺がここに来ているのも全部夢の中の出来事。


 そして、ここに来ただって…


「…ッ!?」


 …違う、それは、ダメだ。それを夢にしてはいけない。


「神依君、どうしたの?」

「大丈夫、つねれば痛い、夢じゃない…!」


 問題ない、この空間の神々しさに当てられて少しおかしくなっただけだ。それに歩き疲れてもいたしな。


 もう少し時間が経てば、完全に本調子に戻ることだろう。



「…お待たせしました、美味しい抹茶ですよ」

「あ、ありがとうございます…!」

「もう、楽にしていいんですよ。そこの彼くらいになると…ふふ」

「おい、やっぱりくつろぎすぎだとさ」


 軽くわき腹をつついてやれば、祝明もやっと起き上がる。


 しかしオイナリサマを目の前に緊張する訳でもなく、平気そうな顔で抹茶を飲み干してしまった。


「おかわり、貰える?」

「ええ、少し待っててくださいね」


 まるで前からの知り合いのように振舞う二人の様子に俺は度肝を抜かれてしまった。

 

 万一にもオイナリサマに聞こえないようコッソリと小声で話しかけてみる。


「おい、緊張しないのか? 相手はオイナリサマだぞ…?」

「別に、白い毛ならイヅナの方が綺麗だし。それにただの神様でしょ?」

「そ、そうか…」


 何と言うか、最近は祝明もだ。俺と会った頃はもう少し初心で、常識に溢れていた気がするんだけどな。


「でも、抹茶はすごく美味しいね」

「…確かに、美味いな」


 今俺の前で赤い瞳で笑う祝明も、昔は黒い瞳をしていたそうな。

 

 ”朱に交われば赤くなる”、そういうことか。


「あーあ、茶柱立たないかな」

「…いや、抹茶でそれは無理だろ」




―――――――――




「…そろそろ、よろしいですか?」

「神依君、敬語似合わないね」

「と、時と場合ってやつがあるんだよ…!」


 祝明にからかわれる俺を、オイナリサマは微笑ましそうに眺めている…ように見える。


「本当に堅くならなくていいんですよ」

「では…じゃあ、努力してみる」


 今更ながら、この中で感覚が違うのは俺だけなのだと思い知らされる。


「うふふ、頑張ってくださいね」

「あ、ああ…」


 髪の毛を整えるふりをして、そっと目を逸らした。やっぱり、オイナリサマは美しすぎて却って目に悪い。


 …バレてないよな、この目線。


「さて、何処から話せばよいでしょうか」

「僕はオイナリサマとこの場所のお話が聞きたいな」

「あら、良いのですか? 私に用があるということですけど…」

「そうなんだけど、この不思議な場所のことが気になっちゃって」


 するとオイナリサマから尋ねるような目線が向けられたので、俺は小さく頷いた。


「…分かりました。では私の紹介からしましょう」


 テーブルを揺らし、勢いよく音を立ててオイナリサマは立ち上がった。


 …ビックリした。


「改めまして、私はオイナリサマです。ジャパリパークの守護けものとして、長きにわたって見守ってきました」

「じゃあ、キョウシュウのことも知ってるの?」

「はい、ですが最近はあまり時間が取れなくて…お二人はキョウシュウから来たそうですね」

「うん、テレポートで飛んできたんだ」


 あっさりテレポートの事実を告げる祝明に、オイナリサマも軽く苦笑いを浮かべた。


「テレポートですか…またとんでもないものを…」


 その後祝明がイヅナの存在を伝えると、オイナリサマはいくらか腑に落ちたように首を縦に振った。


「なるほど。外からの妖狐がいるのであれば、それほどおかしな話でもないですね」


 曰く、サンドスターの力とも違う妖力を大量に持つ外の妖狐なら、テレポート以上の妖術を扱うことも出来るという。ヤバすぎだろイヅナアイツ


 なあ爺さん、神社にいる間にとんでもない妖術を教えてたとかそんな話は無しだぜ…?



「じゃあさ、次はここのこと教えてよ」

「結界のお話ですね、分かりました」


 神様はおもむろに立ち上がり、襖を全開にする。

 爽やかな風と共に、視界に鮮やかな空が再び舞い込んできた。


「ここは私の神社、そして私が作り上げた結界の内側です。あの空の虹色は、結界を張るのに使ったサンドスターの色なんですよ」


 彼女が空を指差し降ろすと、雲の中から虹色に光るキューブが落ちてきた。


「ほら、これがあの雲の色を作っているんです」

「そっか、そうだったんだ…」

「じゃあこの神社は元々、この山にあったものなのか?」

「それは…少し違います」


 襖を閉めて、再び座布団に腰を下ろしたオイナリサマ。今度はどこか懐かしむように、建物の中から空を仰いだ。


「この神社も、元々はもっと北にありました。この結界は建物を隠すだけではなく、移動させる為にも張ったものです」

「やっぱり、隠す力もあるんだな」

「そうでなければ今頃、ここはフレンズのみなさんで溢れているでしょうね」


 ”賑やかな光景も嫌いではないけど、私は守護けものですから”


 そう言って笑うオイナリサマに、俺は神様の抱える複雑な事情を垣間見た気がした。


 それにしてもなるほど…結界か。


 覆い隠す力のみならず移動も出来ると聞いてしまえば、やはり神様。イヅナにも一切劣らない能力を持っていると思わざるを得ない。


 というか、真正面から戦えばオイナリサマが勝つんじゃないか?


「この神社、場所を変えられるの?」

「かなり疲れますが、結界ごと動かしてしまえば結構簡単なんですよ」

「…すごい」


 ただ、祝明にそれを言っても良い思いはしないだろうな。

 俺はぬるくなった抹茶と一緒に、この客観的な考えも飲み込んだ。




―――――――――




「では今度は、お二人の話をお聞きしたいですね」

「そうだね、もう気になることも大体分かったし。いいよね、神依君」

「ああ、俺も賛成だ」


 というか、ようやくだな。

 ついにキョウシュウに帰れる。勿論、オイナリサマが願いを聞き入れてくれればの話だが。


 しかしそれも、まず頼んでみなければ分からない話だろう。


 ここまで話を祝明に任せきりにしていたこともあるし、ここは俺が事情の説明を買って出ることにした。


「俺たちのお願いっていうのは、さっき言ったテレポートに関わる話なんだ」

「ふむ…となると」


 オイナリサマもうんうんと頷く。これなら大体伝わったようだな。


「察してくれた通り、俺たちは帰れなくなった。テレポートの魔法陣を起動する妖力ってやつがどうしても足りなくてな」

「やはりそうですか…」

「…もしかして、難しい?」

「いえ…まあ、少しだけ面倒にはなりそうですね」


 そう呟く通り、オイナリサマの表情はイマイチ浮かばない。

 その原因もついさっきの会話を振り返れば、少し思い当たるところがある。


 例えばサンドスターの力と妖力が全くの別物だったなら、オイナリサマにも対処が厳しいかもしれない。


 イヅナはサンドスターも妖力もどうにか操れるが、それはアイツ特有の『記憶を操る力』を悪用した裏技みたいな使い方だ。

 なんだ、やっぱりアイツも滅茶苦茶じゃないか。


 まあ兎に角、神様にも出来ないことの一つや二つはあるだろう。


「いえそんな、暗い顔をしなくて大丈夫です! 何て言ったって私は神様ですから、必ず何とかしてみせますよ!」

「ほ、本当か…?」

「勿論です、信じる者は救われます!」

「神依君、本当に出来るか怪しくない…?」

「いや、信じよう…信じるしかない」


 こんなに美しい神様が、しかもあのお稲荷様”必ず”と言ってまで俺たちの手助けをしてくれるのだ、その言葉を信じなくてどうする。


「神依君も、そういう顔するんだね…あ、ううん、何でもない」

「お、おい、ってどういう顔だ?」

「…何でもないから」


 ありゃ、黙っちゃった。ま、気にする程でもないか。


「あ、あの…一ついいでしょうか?」

「…ん?」


 声のする方に顔を向ければ、先程とは打って変わってもじもじとした態度のオイナリサマ。…どうしたんだ?


「そのですね、やっぱり私も神様なんです。お供え物が欲しいんです。そう、作りたての稲荷寿司が!」

「それなら任せてくれ、料理は得意なんだ」

「えへへ、ありがとうございます」


 少女のように可憐に笑う神様に一瞬視界がクラッと歪んだ。


「それで、お寿司の数なんですけど」

「ああ、幾つだ?」


 オイナリサマは一瞬ためらうように口元を覆い、やがて意を決したように静かに注文を口にした。


「…百個、作っていただけますか?」


「…百?」

「はい」

「一、十、百?」

「…はい」

「九十九の一つ上?」

「……はい」

「百鬼夜行の百…なのか?」

「はい、その通りです…!」


 稲荷寿司一つをおよそ50g、作るのにかかる時間を適当に一分としよう。

 

 …5kgの寿司を、一時間四十分掛けて作り続けるのか。いや注文オーダーキツすぎるだろ。


「一応聞いておくが、そんなに食べきれるのか?」

「それは安心してください。こう見えて私、神話級の胃袋を持っていますので!」


 そりゃ、本物の神様だもんな。


 だがそうか。稲荷神社は全国展開で、大量のお供え物が毎日のようにお稲荷様の元へと届けられる。


 生半可な胃袋では処理しきることなど到底不可能であろう、まあ納得だな。


「それともう一つ、冷める前に食べてくれよ?」

「私を誰と心得ますか、早食いだって強い神様、オイナリサマですよ」


 初耳だな、お稲荷様は早食いも得意だなんて。

 そんなこと、爺さんは一度だって教えてくれなかったよ。


「よし、頑張って作ろうね、神依君!」

「そして、なんで祝明はそんなに乗り気なんだ…?」



―――――――――



 そんなこんなで話はまとまり、俺たちは稲荷寿司を作ることとなった。


 途中、オイナリサマが油揚げを摘まみ食いしたり、祝明が普段の癖でサンドスターを入れようとしたりするなどトラブルは少々あったが、結果として何事もなく百個の寿司を作り終えることが出来た。


 …ああ、精神は擦り減ったがな!

 

 ともあれ、これで大仕事も終わりだ。キョウシュウに帰るまでゆっくりできる。


 大きく伸びて深呼吸をしているところに、ご機嫌な様子のオイナリサマがやって来た。


「神依さん、あの稲荷寿司とっても美味しかったです」

「ああ、それはよかった」


 神様の口にも合ったようで何よりだ。


 俺が危機感もなくそんなことを考えていると、オイナリサマはお寿司を飲み込んだその喉で、とんでもない爆弾発言を吐き出した。


「あんなお寿司をこれから毎日食べられるかと思うと、私本当に幸せです!」

「…え?」


 毎日、俺の稲荷寿司を食べる? 何を、言ってるんだ…?


「きょ、今日で終わりじゃないのか…?」

「もう、何を言ってるんですか。あの百個はただの料です、神様である私が直々に助けてあげるのですから、生半可なお供え物で足りると思わないで下さいね!」


 そう言って、オイナリサマは意気揚々とその場を去っていく。

 俺はその後姿を、まるで時が止まったかのように固まって眺めることしかできなかった。

 

 ああ、神様。

 俺は今日からしばらく、稲荷寿司製造マシーンとしてオイナリサマにこき使われるらしいです。


 でも、それも悪くないかもしれない。

 お寿司を頬張って笑顔を浮かべる美しい神様を見たら、そんな事さえ思ってしまう。


「けど流石に、毎日百個って訳じゃないよな…ハハハ…」


 うわ言のように呟いた言葉が願望まみれの希望的観測だったと気付かされる時は、そう遠くはなかった。

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