Ⅲ-125 小さな別れと大きな出会い

「なるほど、この分じゃ今回のセルリアンはデカそうだな…」


 咆哮の揺れは耳を塞いでも足りないほどに激しく、その衝撃で穴の入り口が少し崩れてしまった。


 崩れた雪を固めて気休め程度に入り口を補強しながら、俺は今の状況を考える。


「…まぁ、久しぶりの早起きって奴だな。こんな風に起こされたくはなかったが」


 まだ暗い外の景色をじっと睨みつけるも、セルリアンの姿は見えない。

 

 代わりに、真っ白な雪がアイツの毛並みのように見えてしまった。寝惚けてるな、俺。


「どうしてるかな…無事だと良いけど」

 

 祝明はそれなりに強いし…呑気に眠りこけていない限りは、不意を打たれたりもしていないはずだ。


 …そうだ、ジャパリフォンで連絡してみようか。元々その為に持ってきた訳だし。


 思いつくまま電源をポチっと押して携帯を点けてみると、俺はごく当たり前の問題に直面した。


「ぱ、パスワード…!? あのキツネ、しっかり設定してたのか…」


 まあ、よく考えたら当然…だな。


 妖の類とはいえ、セキュリティの基礎ぐらいは心得ていてもその存在ほど不思議じゃない。


「…四桁でも、時間は相当掛かるよな」

 

 やれやれ、やっちまったな。出ていく前に確認しておけばよかった。


 …というか、祝明も把握してなかったのか。だったら恐ろしいくらい知られてそうなもんだが。


「ま、使えないものは仕方ないか」


 金属の塊、もといガラクタと化したジャパリフォンは、せめて無くならないよう丁寧に仕舞っておいた。



―――――――――



 ジャパリフォンがガラクタへと無事に回帰したお陰で、他にやることも無くなってしまった。

 だから、これからのことについてホッキョクギツネと話すことにしよう。


 …もちろん、行動計画という意味で。


「んで、何してんだ…?」


 ”話がしたい”とホッキョクギツネを呼ぶんだら、一体どこで学んだのか、彼女はガッチガチの正座をして俺をじっと見上げてきた。


 妙に純粋な目で見つめてくるものだから、とても話を切り出しづらい。


「べ、別に…今更硬くならなくてもいいだろ」

「『雪は踏んだら硬くなる』、オイナリサマのお言葉です!」


 つまり、この正座もオイナリサマ直伝って訳か。

 というか…そのは一体なんだ、まるで意味がわからんぞ?


「そもそも、俺にお前を踏んだ記憶はないんだがな…」

「じゃあ、今から踏んでみますか…?」

「へ、変なことを言うなっ!?」


 全くコイツは…今の状況を理解してるのか? セルリアンだぞセルリアン。


 しかも咆哮の威力からして――どっかのガキ大将を再現していない限りは――相当強い奴だ。そんな強敵の前で俺たちが呑気しててどうする。


 しかし、現に彼女の振る舞いは余裕の一言。


 なら変に緊張させても悪いか…俺も、肩の力を抜いて話すとしよう。


「ええと、このまま隠れてて大丈夫なのか? その…入口はしっかり崩れてたが」


 最初に確認するべきはコレ。

 隠れるか逃げるか戦うか…どれを選ぶにせよ、初めに方針を固めておくのが最善だ。


「そうですね…隠れていても、見つかるのは時間の問題かもしれません」

「セルリアンが輝きを追って来るなら尚更…か」


 正直、奴らがどれほどの範囲のサンドスターを察知できるのかは俺にも分からない。


 だが輝きに引き寄せられること自体は分かっている以上、奴らがやって来るのを指を咥えて見ている訳にも行くまい。


「なら戦うか…? いや、余計な体力を使いたくはないな」

「セルリアンは無視して、オイナリサマのところまで突っ切ってしまうのが一番だと思います」

「…それが、一番だろうな」


 昨夜散々歩き回ったから、雪山は非常に広いことが分かっている。

 

 気配を探りながら上手く避ければ、一度も鉢合わせずに乗り切ることだって無理難題じゃないだろう。



「そうと決まれば、祝明を呼びに行かないとな」


 俺が付けた足跡を辿っていけば、ある程度の時間こそ掛かれど『見つからない』なんて事態にはならないはずだ。


「ホッキョクギツネも一緒に行こう、もうここに戻ってくる必要も無いしな」

「はい、忘れ物もありません、バッチリですっ!」

「忘れ物…? 別に持ち物なんて…あぁ、昨日のアレか」

「はい、まだ3つ残ってますけど、食べます?」


 白い上着のポケットから紙袋入りのジャパリまんをが出てきて、口元に押し付けられた。ここまでされたら、押し返すのも悪いな。


「なら貰うか。今朝は何も食べてなかったから、腹が空いた」


 上着の中で温められたジャパリまんは、胃の中に入ってもホカホカと熱を放っている。


 ああ、久しぶりの食事は体に染み渡るな。ついでに飲み物も欲しいが、全部祝明が持ってるんだった。


 ハハ、さっさと迎えに行くべき理由がまた一つ増えちまったな。


「よし、そろそろ出発するか」

「わかりました、行きましょう!」


 固めた入口に足を掛け、体を外へと乗り出そうとしたその瞬間。


「――うわあぁぁ!?」


 盤石にしたはずの足元は崩れ、俺は雪の中へ勢いよく埋まることとなった。


「だ、大丈夫ですか…!?」

「問題ない。それより、今のは…」


 祝明の声じゃない、だけどフレンズの声に違いない。


 そして今この状況、叫び声を上げるに至る原因なんて、ただ一つ以外には考えられない。


「ホッキョクギツネ。もしもの時は、誰かを抱えて逃げられるか?」

「心配いりません、任せてくださいっ!」

「助かるぜ…じゃあ、予定変更だな」


 まずはセルリアンに襲われているであろう、見知らぬ誰かを助ける。悪いが祝明はその後だ。ま、運が良ければ途中で会うだろ。


 それまで、変な怪我とかしてくれるなよ?




―――――――――




「わわわ、こんなに大きいの珍しいですね…!?」

「怯むな。…少し厳しいかもしれないな、私が引き付けるから隙を見て逃げろ」

「でも、ホッキョクオオカミさんは…?」

「私も必ず逃げ切るさ。だからまずは、お前が…っ、来るぞ!」


 …まさか、セルリアンと出くわしたのがあの二人だったとはな。


「うぅ、二人とも私のせいで…」

「運が悪かっただけだ…アイツらも、俺たちも。そして、まだ何も起きてない、未然に防ぐ絶好の機会じゃないか」

「あっ…そ、そうですね!」


 戦いに関して、このセルリアンの体が持つ力は未知数。

 

 だからここで試してみることにしよう。果たして俺に、誰かを守る力が備わっているのかどうか。


 あの時の無力な自分から、変わることが出来たのかどうかを。



「よし、い――っ!?」



 飛び出そうとした体は引き戻され、強く尻もちをついて冷たさが腰を襲う。


 後ろを向くと、俺をこんな目に合わせた張本人が、他ならぬホッキョクギツネが涼しい顔で立っていた。


「やっぱりカムイさんは、ここにいてください」

「なっ、どうしてだ? 俺も――」


 身を乗り出して抗議する俺の肩は抑えられ、優しい微笑みと共に座らせられた。


「姿を見られたらいけないんでしょう? 大丈夫です、全部私が何とかしますから」

「そんな、でも…あ…!」


 立ち上がろうとして、ホッキョクギツネの目を見て、気が付いた。

 この戦いを通して…もう一度だけ、向き合おってみようとしていることに。


「…無茶はするなよ」

「はい、安心してください!」


 彼女はその余裕そうな笑みを顔に貼り付けたまま、一歩一歩と前へ進んでいく。俺はその様子を、ただ座って眺めていた。


「…ハハ、俺もこの程度か」


 やっぱり、戦うのは怖い。全て彼女がやってくれるという安心感で、俺の足は硬く凍り付いている。

 …無力なのは、戦うための体だけじゃなかったんだな。




―――――――――




 ようやく足が動かせるようになったら、俺はホッキョクギツネの思いを汲んで戦いには行かず、物陰に隠れて彼女たちの様子を見守ることにした。


 今更こんな決意に意味が在るのかは分からないが…もしもの時は必ず飛び出していくと、堅く心に誓った。


「今のところ、問題は無さそうだな…」


 前に出て戦うのはキツネとオオカミで、ウサギは邪魔しないよう立ち回りながら時折を入れる。


 その連携が淀みないのも、やはり昔からの知り合いだからだろうか。


「ホッキョクギツネさん、右から来ますっ」

「ふっ…ありがとね! オオカミさん、回り込んでください!」

「分かった…!」


 共にセルリアンへと立ち向かう表情からは、昨日見せたような影は微塵も感じられない。

 

 俺のいる場所は日陰で、彼女たちが戦う地は日向。

 ホッキョクギツネは丁度よく、重苦しい影をここに忘れて行ってしまったようだ。


「俺の出番は無さそうか…?」


 しかしセルリアンもタダでは転ばない。


 ゴォォォォ…!


 吸っているのか吐いているのか分からない雄叫びを上げて空気を揺らし、三人の足元をグラつかせた。


「くっ…二人とも、大丈夫ですか?」

「私は問題ありません!」

「気にするな、この程度は何でもないさ」


 …尤も、その抵抗も無意味に終わったようだ。


「ホッキョクギツネが来てくれて助かった、私たちだけだったら危なったかもしれない」

「そういうお話は、終わってからお願いします!」

「…ふふ、そうだな」

「よいしょっ! …って、二人だけで盛り上がらないでくださいよ~!?」


 弱っているとはいえ、大きなセルリアンの目の前で日常のごとき無防備な言葉を交わす三人。

 

 きっとそれ程までに抱えている喜びは強く、そして、そう振舞えるだけのがある。

 

 俺とは…違って。


「これで…トドメだッ!」


 あっという間にセルリアンは倒れ臥し、雪山に轟いた鳴き声ももう二度と聞くことはない。


 最後まで俺の出番も無いまま、戦いはその幕を引いた。

 


―――――――――



 壊れた虹が完全に霧消した頃、ウサギがキツネの方へゆっくりと歩み寄っていく。


「ホッキョクギツネさん、手伝ってくれてありがとうございます。ええと…こうして話すのも、久しぶりですね!」


「そうですね。ウサギさんもオオカミさんも…お久しぶりです。今まで沢山、迷惑掛けちゃいましたね」


「確かに、ジャパリまんを盗んだのは考え物だが…まあ、そんな話は後にしよう。今は喜んでいたい」


 幸せそうに話す三人の姿をしっかりと見届けて…俺は耳を塞いだ。


「わた……ウサ……あ……」


 背を向けて空を仰ぐ。俺の背後で今、彼女たちは本当の再会を喜び合っている。


 伝えられなかった言葉を紡ぎ、切れた絆の糸を結び直して、かつて失った形へと戻っていくのだろう。


「ハハ、俺には聞いてられないな」


 俺は逃げた、耳を塞いだ。

 ホッキョクギツネの心に向き合うことを恐れ、こうして距離を置いてしまった。


 資格ではなく心情が、あの三人の姿をこれ以上直視することを拒んだのだ。


 だが、これで良かった。


 俺にも、きっと祝明にも、あれ以上踏み込むことは不可能だったはずだ。そもそも、俺たちは帰ってしまうんだ。


「ふぅ…長くなりそうだし、祝明でも迎えに行くか」


 心の底から”これでよかった”と、俺は思う。これが俺みたいな余所者に出来る、精一杯の橋渡しだったんだ。



―――――――――



「だめ…しっぽさわっちゃ…ぁ…キタキツネぇ…んぇ…?」

「…行くぞ、祝明」


 咆哮の中で呑気に眠りこけていた幸せ者を叩き起こして、眠そうにするのも気にせず引っ張っていく。


「あれ、ホッキョクギツネは?」

「さっき言ったろ、向こうで楽しくおしゃべりしてるはずだ」

「んん…? 聞いたっけ…?」


 轟音の中で眠り続けていたこともあって、流石の寝惚けようだ。


「楽しくかぁ…良かったね…」

「ああ、そうだな」


 だからこそ、今から彼女たちを引き離してしまうことが申し訳ない。


 …申し訳ないが、オイナリサマの神社に辿り着く道を知っているのはホッキョクギツネだけだ。


「残りのジャパリまんも…お礼にするか」


 リュックの中には丁度五つのジャパリまん。

 ホッキョクギツネに三つ渡して、俺たちの手に二つ残ればピッタリ。


 せめて最後の餞別に、これくらいは贈っても悪くない。


「ねぇ、神依君?」

「あぁ、どうした?」

「顔、ちょっとだけ悲しそうだよ…」

「…短いとはいえ、一緒に旅した仲間だ。もうすぐお別れってなったら寂しくも感じるだろ」

「…そっかぁ」


 本当のことを言えば、戦うことも出来ずに隠れていた自分を不甲斐無く思ったりもしている。


「ほら、もうすぐ着くぞ」


 だがそれは、彼女たちとは関係ないだろ?

 小さな旅の別れくらい、晴れやかな笑顔で迎えてやるさ。



―――――――――



「もう、どこ行ってたんですか?」

「祝明を連れてきたんだが…心配掛けたか?」

「沢山しました、せめて一言…あ、言えなかったですね…!」

「ん…僕のせい…?」

「誰も悪くないです! ちょっとだけ…心配だっただけで…」

「沢山したって言ってたが?」

「ハッ!? そうでした…!」


 気の抜けた会話を楽しむ俺たち。

 こうして他愛のない会話を交わす機会も、あと何回残されているのだろう。


「そういえば、あの二人は?」

「…先に帰ってもらいました。やることがあるって言ったら、理由も聞かずに待ってるって言ってくれました」


 本当にいいお友達です、という彼女の表情は喜び六割悲しみ四割。


 その悲しみが何処に向けられたのか、間もなく俺たちは思い知る。そして、さっきのの答えも同時に知るのだ。


「でも、もうわたしは必要ありませんね」

「え、それってどういう…」

「……」


 無言で手を俺の背後に向ける。その方を振り返れば…



「セルリアンの気配を感じて来ましたが、どうやら杞憂に終わったようですね」



 赤い毛が特徴的な白い狐耳、輪っかをはめた美しい純白の尻尾。

 稲穂のように鮮やかな黄金色の瞳を見て、今更その正体を問うのは滑稽に他ならない。


「お、オイナリサマ…?」


 彼女は黄色い瞳を細めて、静かに頷いた。


 そして滑稽な俺でも、ホッキョクギツネの悲しみの理由が分かった。


 もう、彼女の案内は必要ない。目の前にいる神様に頼めばそれで十分だから。


「ホッキョクギツネ…」


 他愛のないおしゃべりも、きっと二度とない。


「これで…安心ですね。じゃあわたし、待たせてる子がいますから…でも」


 そこまで言って、緊張した声色で続きを紡ぐ。


「…わたし達、また会えますか?」

「あぁ…きっとな」

「よかった…! 約束ですよ!」


 今度こそ十割の笑顔で、彼女は走り去っていく。

 俺の心に引っ掛かった重しも、スッと取れたようだった。


「ホッキョクギツネさんも、寂しくなくなったんですね」

「…そっか、知ってるんだったね」

「ええ…あなた達は、私に用事があるんですよね」


 俺が頷くと、オイナリサマはニコリと笑って手招きをする。


「では、私の神社まで行きましょう。このオイナリサマが案内しますよ!」

「…自分で『サマ』って付けるんだ」

「お、おい、祝明!」

「うふふ、やっぱり変ですか?」


 寝惚けた祝明を小突いたら、オイナリサマがクスリと笑う。俺の顔も綻んで、朗らかな風が雪山に吹く。


「さぁ、すぐに行きましょう!」


 だけどオイナリサマって…案外天真爛漫なんだな。


 大空に腕を伸ばしてピョンピョンと跳ねる神様を見て俺は、信仰とは違う親しみが心に芽生えてくるのを感じた。

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