Ⅲ-127 イヅナとイナリ

「はぁ……」


 チクタクと針の進む音が静かな部屋に響く。気持ちが悪いほど規則的に、無感情な音を撒き散らす。


 最初は退屈しのぎになったその音も、今となっては退の範疇に取り込まれてしまった。


「イヅナちゃん、今日のジャパリまんよ」

「今日のって言ったって、ずっと同じじゃん」

「ええ、そのセリフもずっと同じままね」


 ギンちゃんは昨日と同じように笑いながら同じようにジャパリまんを千切って、また昨日と同じように私の口に押し付ける。


 まるで同じ一日を繰り返しているようで、退屈を通り越して不愉快だ。


「……」


 今まではここで、ギンちゃんに『私を揶揄ってるの?』って尋ねてたんだっけ。


 そして『イヅナちゃんがそう思うならね』とまた、変わり映えのしない答えが返ってきていた。


「…どうかした?」

「ううん…ただ、楽しそうだなって」


 これまでと違う問いかけにギンちゃんは驚いたように目を細めて、平静を装ってまず一言、こう返した。


「あら、そう?」

「うん、本当に楽しそうだよ。私もしてみたいな」

「うふふ、残念だけどそれは無理ね」


 細い目から向けられたのは見下すような、それでいて無関心であるような視線。


 野生動物に例えるなら獲物を見る目で、私に当てはめるならノリくん以外の有象無象を見つめる目。


 それ以上は会話もせず、ギンちゃんは今朝の給仕を終わらせた。



 一人暗い部屋に残された私は、今日もまた実らない思考に水をやる。


「このロープさえ解ければ…って、散々試したんだよね」


 私を縛るこのロープは、皮肉にも私が掛けた”妖力封じの術”で私を盤石に縛り付けている。


 フレンズになっても妖狐は妖狐。

 妖力に制限を掛けられればイマイチ体の力も出ないし、狐火もロープを燃やす前に掻き消えてしまう。

 

 まあそもそも、ロープには耐火加工をしてあるんだけどね。


「でも、こんな風に使うためにやったんじゃないよ~!」


 蝋燭から引火しないようにって思って付けたんだけど、こんな形で裏目に出るなんて思いもしなかった。


「ノリくん、元気にしてるかな…?」


 ああ、心配だな。

 本当ならホッカイにも私と一緒に行く予定だったのに…あのセルリアンのせいで!

 

 不幸中の幸いと言えるのは、一緒に神依くんが飛ばされてくれたことかな。

 

 神依くんなら万が一にもノリくんに手を出す心配はないし、ノリくんも――彼なんかが拠り所になるなんて癪だけど――独りきりよりは心強いはず。


 それに神依くん、出来ることだってあるんだしね。



『――神依君、こっちの食べ物は準備できたよ』


「ふふ、ノリくんの声だぁ…!」



 そう、それはセルリアンである彼の感覚を経由したテレパシー。


 ノリくんと直接繋がるのとは違って機械的な、むしろとも言うべきテレパシーの応用術。

 しかも妖力じゃなくてごく少量のサンドスターを使うから縄対策も万全。


 …なんで私、この縄にサンドスター耐性まであげちゃったんだろ。


 まあとにかく…あの二人に捕らえられて暇な時間が生まれたからこそ、私はこれを開発できたのだ。


「うふふ、あの時に仕込んでおいてよかったなぁ」


 ”あの時”とは勿論、神依くんをセルリアンとして無理やり生き返らせたときのこと。


 当時の私に先見の明があったからこそ、離れていてもノリくんの声や姿を手に入れることが出来る。


 ありがとう、私。

 

「ふふふ、何がジャパリフォンよ。ノリくんとの愛と私の力があれば不可能なんてないもんね!」


 もしノリくんの声がずっと聞けないままだったら、私はおかしくなっていたかもしれない。

 ギンちゃんたちのあの行動だって、それが目的かもしれない。


 …もちろん、絶対にそうはならないよ!


「この感じなら、帰って来るまであと四日くらいかなぁ」


 窓の向こうの空を眺めて、雲のように流れる時間を無為に過ごす。


 今日もそうしようと思っていたんだけど何故だろう。何か一つが変わると、波が押し寄せるように普段と違う出来事が沢山やって来るのだ。


 そして今回のは、私が夢見てやまない海の向こうから訪れた。



「…うん、分かった。ボク、待ってるからね?」


 誰かと話すキタちゃんの声が、足音と一緒にこちらへと近づいてくる。


 あれはきっと電話だ、ノリくんと話しているんだ。

 そして声が近づいてくるってことは、きっと私とも話してくれるってことなんだ!

 

 心臓が激しく脈を打ち始めた。


 テレパシーとは違う、ノリくんが私だけに向けてくれる言葉。


 好き好んで見たいとも思わないキタちゃんのことも、今は待ち遠しくて仕方が無かった。


「早く、早く来てよ…あ!」


 一秒を一分に引き延ばしたような待ち時間の末、ようやくキタちゃんは私の前に姿を見せた。


 気だるげに私を見つめる彼女の手には、赤色のジャパリフォンが力なく握られている。


「ほらキタちゃん、早くそれを渡して!」

「あぁ…うん…」


 釈然としない様子のキタちゃんは携帯を投げて渡した。


 私がノリくんと話すのがそんなに気に食わないのかしら。ふふん、ご愁傷様。


「もしもしノリくん、待ってたよ! あのね――」

『あの、私は”ノリくん”ではないのですが…』

「え…?」


 意外にも電話から聞こえてきたのは女の声。私が唖然として固まっていると、その女はこちらの気も知らずに名乗り始める。


『初めまして。私、オイナリサマです』

「………は?」


 謀ったか…おのれ、キタちゃんめ。




―――――――――




『それで、一応そちらにも連絡を入れておこうと思って…』

「ああ、そうなの…」


 なんでノリくんじゃないの、死んじゃえばいいのに。

 

 というか何その理由、保護者か何か? 死んじゃえばいいのに。


 そうだ、コイツ今ノリくんと一緒の建物で寝泊まりしてるんだった。…死ね。

 

『はい、お元気なので安心してくださいね! 必ず無事にそちらへお帰ししますので!』

「うん、ありがとうね」


 ま、ノリくんさえ返してもらえば後はどうでもいいんだけど。


「でも、用件はそれだけ?」

『…イヅナさんは鋭いですね』

「まあね…ってあれ、私名乗った?」

『いえ、コカムイさんからあなたの話を聞いたんです。キタキツネからも、あなたに代わると聞きましたし』


 ふーん…って、ノリくんが私の話を? すごく気になる、一体どんな風に話したんだろう。


 電話の向こうのオイナリサマとやらは、そんな私の疑問を察したように言葉を続けた。


『コカムイさんからは、可愛くて毛並みが綺麗で頭が良くて…とにかくべた褒めでしたね』

「あぁ…っ!?」


 べた褒め。ノリくんが。私を。…どうしよう、とっても嬉しい。


 もうオイナリサマの用件なんてどうでもいい、この気持ちだけで百年は生きて行けるような心地がする。


『あのー、イヅナさんー?』

「……あ」


 あ、危ない。もう少しで魂が完全にこの世との繋がりを絶ってしまうところだった。


 もうすぐノリくんも帰って来るんだから、まだ満足しきっちゃダメだよね。


 今度は口から直接その言葉を聞かないと! うふふ、ノリくんの恥ずかしがる姿が想像できる…かわいいなぁ…!


『…あの、イヅナさん?』

「…………はっ!」


 またまた危ない。あとちょっとで私の心が妄想に完全に浸って現実を拒絶してしまうところだった。


 ノリくんは現実にいるの。今も『セルリアン神依くんテレパシー』を通じて私にその声と姿を見せてくれているの。

 

『ねぇ、そこのお醤油取ってくれる?』


 ああ、出来ることなら私が取ってあげたい。

 そしてさりげなく指と指を絡ませて、そのまま…


「うふふ、うふふふふ…!」

『…あの、イヅナさんッ!』

「えっ!? な、何かあった?」

『”何かあった?”じゃないですよぉ…』


 どことなく弱った声のオイナリサマ。

 よく分かんないけど、困ってるならいいや。私を騙した罰だ疫病神。


『妖狐であるあなたに頼みたいことがあるんです、聞いていただけますか?』

「まぁ、内容によるけど」


 どんな形であれ、彼女は今ノリくんの身柄を預かっている。

 ノリくんを余計なことに巻き込ませないように、神様の機嫌には気を遣わないと。


 間違っても、「死ね」とか思っちゃダメなんだよ?


『お二人の帰還に、深く関わる話です』

「…聞かせて」

『はい、実は――』


 …そして私は、神様のお悩みを解決してあげた。正確には、アドバイスをしただけなんだけどね。


 ノリくんが帰ってこれるかどうかに関わるなら、手を貸さない選択肢は初めから用意なんてされてない。


 でも、そのの顛末はここでは省くね。

 だって…あんなの話したってつまんないし。


 まあ機会があったら、後で分かることなんじゃないかな。


『イヅナさん、ありがとうございました』

「…ノリくんのこと、絶対無事に帰してよね」

『ええ、約束いたします。それでは…』

「あ、ちょっと待って」


 見るからに電話を切られそうな雰囲気だったから、やや食い気味に言葉を止めた。

 そう、私にはこんな疫病神との会話よりやるべきことがあるんだ。


「ねぇ、ノリくんと話させてよ」


 だからキタちゃん、まだこのジャパリフォンは返せないよ。



―――――――――



「ノリくーん! ずっと話したかったよー!」

『あはは…ごめんね? 忙しくってさ』

「ううん、良いんだよ」


 ノリくんじゃなくても知らない土地に飛ばされたら、落ち着いている暇なんて無いのはよく分かってる。

 だからむしろ、今日こうして電話を掛けてくれたことがすごく嬉しい。


 それにお話できなくても私には…うふふ。


 …ああ、ダメ! 私の妄想なんかより、ノリくんの声の方が大事だよ。


『イヅナはその、まだ…縛られてるの?』

「そうなの、二人とも冷たくって…およよ」

『こればっかりは、僕がお願いしても聞いてくれなくてね…』

「え、そうだったの?」


 やっぱりノリくんは優しいな、自分が厳しい状況の中にいるのに私のことまで気遣ってくれるなんて。

 

『でも、説得には失敗しちゃったから…』

「それでも嬉しいよ!」


 だって大好きなノリくんが優しくしてくれるだけで、他のことなんてもうどうでも良くなるんだもの。


「えへへ、オイナリサマから聞いたよ。私のこと…沢山褒めてくれたんだよね」

『あっ、それは…あはは』


 困ったように笑うノリくん。きっと、電話の向こうではほっぺたを掻いているに違いない。ああ、かわいい。


「今度は私の隣で、私に直接聞かせてね」

『う…わかったよ。だからイヅナも…僕に聞かせて?』

「もちろん、約束だよ!」


 はにかむノリくんの表情も、想像してみるとたまらなくかわいかった。



―――――――――




 帰ってきた後の約束をノリくんと取り付けた私は、電話を切ったジャパリフォンをキタちゃんと同じように投げて返した。


「ズルいよ…イヅナちゃんばっかり」

「私の縄を解いてくれたら、ノリくんも説得以外の言葉を聞かせてくれるかもだよ?」

「…やだ」

「あーらら、頑固だね」

「だって、ギンギツネとの約束もあるもん」


 へぇ、ギンちゃん約束ね。


 ”ノリくん以外と交わした言葉なんてゴミ同然に扱う女の子”の一人であるキタちゃんがわざわざ大事にする約束なんて、きっと碌でもないモノだろうね。


 うふふ、もしかして脅されてる?


 昔に、キタちゃん自身がギンちゃんを脅してノリくんを監禁したみたいに――


「別に、抜け駆けされないようにしっかり縛っておくってだけの約束だよ」

「もう、私ったら信用されてないんだね?」

「……」

「…あれま、行っちゃった」


 用済みとばかりに私を無視して消えたキタちゃん。

 というか用済みって言いたいのは私の方だけど、この際それはいいや。



 何はともあれ、ハプニングまみれのホッカイ旅行も何事もなく終わってくれそうでよかった。


 神依くんを通して最初にホッキョクギツネちゃんを見た時は、危うく呪い殺そうとするところだったよ。


 だけどノリくんとも疎遠になってくれて、程よいタイミングで別れてくれて助かったな。


 次に現れたオイナリサマもどちらかと言えば神依くんの方を気にしている様子だし、今回のMVPは神依君に決まりだね。


 意識外のところで大活躍してくれる頼もしいセルリアンくんだなぁ。


 きっとこの先も、彼は変わらぬ活躍を見せてくれることでしょう。


「だーけど、まだ少し懸念も残ってるんだよね…」


 その不安の発生源は他でもないオイナリサマ。


 名前を聞いた時はこれ以上ないほど頼もしい協力者だと思ったけど、彼女の悩み事を知ってしまえばその信頼にもハテナマークが付く。


 まあ、だからこそのアドバイスだし、リュックに入れた魔法陣の見本だ。


「お願いだからちゃんとしてよね…神様?」


 どうか、私の『カミサマ』を無事に帰してくれますように。


 それだけが、私がかつて信じていたお稲荷様への願い事だよ。

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