Ⅲ-123 泥棒は全力疾走の始まり
「…っくしゅん! うぅ…神依君めぇ…」
「悪かったって、今日もお前に使わせてやるからな…?」
雪の少ない獣道を僕らは歩いていく。
一番後ろを歩く僕は、一昨日強い寒さに晒されたせいか体調があまり優れない。
神依君のように寝袋で眠れたら良かったんだけど、生憎リュックに入っていたのは大きめの寝袋一つだけだった。
「イヅナ…流石にこれはひどいよ…」
理由はおおよそ察しがつく。
その寝袋は、二人一緒に寝られるくらいの容量があったのだ。
そして当初、ホッカイには僕とイヅナの二人だけで来る予定だった。
…つまりそういうことである。
「やっぱり、わたしと一緒に暖まっていれば…」
「ううん、それは、本当に、要らないから」
「そう、ですか…」
若干強めに断っておく。
ホッキョクギツネは悲しそうな顔をするけど、僕は毅然とした態度で断る。
少しでも流されて抱きつかれてみよう。
そうなった日には着信音が鳴り止まなくなるから。
「…ごめんね、どうしてもって言うなら、神依君にしてあげて」
「お、おいっ!?」
僕の言葉を聞いたホッキョクギツネは目を輝かせた。
うん、やっぱり彼女は寂しいだけだ。そうと分かれば、これからは上手く神依君に擦り付けるとしよう。
「分かりました! カムイさん、ぎゅーですよ!」
「要らねぇよ!」
「あっ……そ、そうですか…」
ふと、空が暗くなったように感じる。
ミルクレープのように重なり合った雲は厚く、日光を通すまいと僕らの影を淡くする。
何とも、丁度いいお天道様だ。友達なのかな? …あ、いないんだったね。
「…分かった、ぎゅっとしていいぞ」
失言を察してフォローに入る神依君。
しかし、少しだけ遅すぎたようだ。
「…ふん!」
頬をこれでもかと膨らませる白い狐。僕じゃないよ。
彼女は細い目で神依君を睨み、これ見よがしに言い放つ。
「そうですね、カムイさんが、どうしても…ぎゅっとして欲しいって言うのなら、してあげてもいいですよ?」
「え、えぇ…!?」
助けを求めるような視線、僕を見ないでよ。
けしかけたのは僕だけど、傷つけたのは神依君だもん。
視線の意味に気づいたのか否か、次に神依君が発した声の調子は諦めに近かった。
「じゃあ、要らないぞ」
「…え?」
「さ、時間を掛けすぎても良くない、早いとこ――」
「うわーん、捨てないでくださーい!?」
「え、マジかよ!?」
マジだよ。
そこは嘘でも「どうしてもお願いします」とか言っとかなきゃ。
素っ気なく「要らない」なんて追い討ち掛けたらこうなるに決まってるって。
あれ、もしかして神依君って…?
「そんな目で見るな、首を傾げるな!? と、とにかく、助けてくれ…!」
「わたしの、わたしの何が悪いんですか? 教えてください、何だって直しますからー!」
「そう言われても…って待て祝明、見捨てないでくれー!」
―――――――――
「…ふぅ、大変だな」
まあ、こんな調子じゃあ、しばらく先には進めないだろう。
僕は近くの木陰に腰を下ろして、落ち着くまで彼らの様子を見守ることに決めた。
「賑やかだね、羨ましい」
心なき棒読み。自分でも驚いた。
でも本当に騒がしいのは嫌いだ、この雪原のような、物静かな世界が僕にとっては心地よい。
紙を一枚、広げる。
ペラ…と耳をくすぐって、ここによく合う和音を奏でる。
素敵な音だ。
例えその紙が、途轍もなく下手な地図だったとしても。
「やっぱり、普段からペンを握ってなきゃこんなものだよね」
その地図は、僕が頼んでホッキョクギツネに描いてもらったもの。
発つ前に少しでも土地勘を掴んでおきたくて頼んだのだけれど、むしろ混乱してしまいそうだ。
「これが『ヒトの施設』、『雪山』を登って少し進んで…神社かな?」
とはいえ、この地図を見るのも二回目。
しっかりと観れば、彼女が伝えたかったことの半分は受け取れる。
「今のところは順調だね。難関はまだ通り過ぎてないけど」
これから訪れると予想できる困難は大きく二つ。
地図に強調して描かれた『ヒトの施設』と『雪山』だ。
前者は勿論、ステルスミッション。
後者はまあ、自然との闘いになることだろう。
ヒトに見つかりたくないことを彼女には既に話してある。不思議そうな顔をされたけど、一応納得してくれた。
なればこそヒトの施設は避けて通りたいけど、それを出来ない事情がある。
地図を見れば分かる通り、神社に行くには険しい道を通らねばならない。そして、その道にも通れる場所とそうでない場所とがある。
うん、話は簡単。
ヒトの施設の近くを通らなければ、『通れるルート』に入れない。
「あーあ、なんで律儀に麓近くに建てちゃうのかな。もう少し適当になってもいいのに」
幸い、交通規制の類は敷かれていない。
白い体をした僕とホッキョクギツネは難なく通り抜けられるだろう。頑張れ神依君。
分離する前みたいに一つになれれば楽だけど、今となってはもう不可能だからさ。
「――じゃあ、ジャパリまん十個です!」
「よし、それで手を打とう」
遠くから和解の声が聞こえる。なんて約束結んでるんだ。
「そろそろ戻り時かな」
お昼ご飯のジャパリまん、僕の分まで取られないよね?
リュックの中の在庫を見て、軽く絶望した。
「あぁ…五個しかない」
でも、まあいいか。
ジャパリまんのことは、その時が訪れてからちゃんと考えよう。
―――――――――
しばらく歩き、太陽が沈むころに辿り着いた山の麓。
「アレです、あそこにヒトが沢山います」
ホッキョクギツネが指さす先には、ああ納得、ヒト以外に建てられなどしないであろう近代的な建築物が並び立っている。
しかしその建物たちは雪山の景観を崩すことなく、まるでその生態系の中に溶け込んでいるかのようだ。
少し目を凝らして見れば、看板が見える。
きっと研究所なのだろう、建物の名を示すであろう文字列は吹き付けた雪に隠され『ホ』の先が見えない。
まあ、言うまでもなく『ホッカイ』だろうね。
景色との調和具合とか彼らの暮らしとか、他にも気になることは沢山ある。
だけどそんな場合じゃないから仕方なく諦めた。
…好奇心は狐も殺す? 試してみる気にはなれないかな。
「よし、見つからないうちに早く行こうか」
「いえ、少しだけ待ってください」
「…何かするの?」
「ジャパリまんを盗ってきます」
シュッと消えゆく白い残影。
彼女は用件だけを言って、僕の返事を待つことなく盗みを働きに行ってしまった。
「行っちゃった…神依君は聞いてたの?」
「まあな…ジャパリまん、足りないだろ?」
苦笑いをする神依君。
『足りない』と言うのは、さっき彼が結んだ可笑しな約束の代金だ。
「貰う側が取りに行くって…何のための約束?」
「知るかよ、ただまあ…楽になったな」
「あはは、そうだね」
彼女の顔を見た限り、気にしているようには思えない。
つい先程のいざこざも、久々に友達が出来て舞い上がったせいで起きた些細なトラブルなのだろう。
そう、些細なことだ。だからこそ、僕はそれに足を掬われないように気を付けなきゃ。
「でもそれなら、ボスから盗んだ方が早いんじゃない?」
「おいおい、冗談だろ…?」
「…冗談じゃないんだけど」
―――――――――
「そういや…悪かったな、祝明」
「え、どうして?」
「いや、俺がボーっとしてたせいで、セルリアンにやられて、イヅナを飛ばしちまっただろ?」
ホッキョクギツネがジャパリまんを盗みに行って約数分。
何もしない寒さが身に凍みたのか、神依君は感傷的な面持ちでそう口にした。
「別に、ただの不運だよ、お互いにね」
「…なんだ、俺と一緒じゃ不満なのか?」
「うん、イヅナと一緒が良かった」
「へっ、堂々と惚気やがって」
…あれ、話が終わっちゃった。
もう少しこう…深刻に掘り下げられると思ってたんだけど、言うほど気にしてなかったみたい。
じゃあ、もういいや。
僕の気になることを訊いてみよう。
「そういえばさ…セルリアンの体って、寒さとか感じる?」
「ん…? あぁ、俺は感じるぞ。
所謂普通のセルリアンがどう感じるかは分からないらしい。
まあ、直接尋ねる訳にもいかないしね。
「本当に不思議だね、なんで、ヒトの自我のままセルリアンになったの?」
「こればっかりは俺に聞かれてもな…アイツは何か言ってなかったか?」
聞いたことあったっけ?
むぐぐ、記憶の海を辿ってみよう…あ、そうだった。
「確か前に一度尋ねたんだけど、『やったら、出来た』…って言ってたと思う」
「…はは、そうか」
乾いた笑いを浮かべて、気の抜けたようにへたり、神依君は雪の上に座り込んだ。
「今更ながら、俺は自分の体が心配になってきた」
「大丈夫だって、突然崩れたりとかはしない筈だからさ」
「そうなったら…いや、心配するだけ無駄だな」
雪を握って玉にして、ふわりと上に放り投げる。絶妙なコントロールで投げ上げられた雪玉はそのまま下に落ちてきて…バシャッ。
神依君の顔が、キツネ顔負けの純白に染め上げられた。
「あはは、何やってるの…!?」
「知るか、突然やってみたくなったんだよ」
飛び抜けに明るい声が返ってきた。
「ねぇ、神依君」
だから、僕も明るくしてあげよう。
「今更だけどさ、神依君とここに来たこと、悪くないかもって思ってるんだ」
「…はは、ありがとな……へぶっ!?」
―雪を掛けて、沢山掛けて。
彼の視界さえも、どんな青空よりも明るい
―――――――――
「全く、油断も隙もありゃしない奴だ…!」
「…ごめんなさい」
僕は白い。
…うん、イヅナから貰ったお耳とか白い髪とか尻尾とかあるもんね。
そうじゃなくて、もっと白い。
想像するならそう、夏の砂浜で砂に埋まるような感じ。
それを僕は今雪山で、途轍もなく冷たい雪の中でやって…やらされている。
「ホッキョクギツネが帰って来るまでこのままな…!」
「…ひゃい」
だから僕は白い。
雪で白い、体温が下がって白い。ああ、面白い、尾も白い。
「ぐすん、自由になったら電話してやる…!」
「あ、いや…それは本気で、シャレにならんぞ…!?」
「…冗談」
「は、ハハハ…げ、元気そうで何よりだ…」
引き攣った笑みを浮かべる神依君。
こうしてみると、どちらがお仕置きされているのか分からないなと…僕は呑気にそう感じた。
…それから、果たしてどれだけの時間が経ったのだろうか。
いつしか、僕の時間は雪の中で凍り付いた。一瞬の冷たさも永遠の氷漬けのように感じられ、ひと時の拘束はまるでコキュートスの氷獄のようだ。
僕はそれ程までに、罪深いことをしてしまったのかな…?
助けてイヅナ。
この悪逆非道の地獄の門番を打ち倒して、僕を暖かい温泉の中へと、どうか…!
「どうして、どうして僕は…!?」
「分かったから、出してやるから、その恐ろしいモノローグを止めろ…!?」
「…えへへ」
キタキツネの名前で牽制して、イヅナで望み通りの行動を取ってもらう。
それだけだけど、何だか本当に飛んで助けに来てくれそう。
例え傍に居なくたって強い味方だし、出来ることなら何かお土産を持って帰りたいな。
…折角だし、僕も盗んでこようかな?
「おい、それはマズいだろ」
「わ、分かってるってば…!」
変装道具が残っていれば忍び込めたんだけど、重いからと言って神依君があの洞穴の中に置いてきてしまった。
まあ普通なら、妖術だのなんだので化かしてしまえば済む話だもの。用意するだけ無駄というもの。
「変装できなくても入る、なんて言わないでくれよ」
「そんなことしないから安心して、それにほら…もう帰ってきたよ」
「…らしいな」
遠くから走り寄って来るホッキョクギツネの姿が見える。
僕達と目が合うと、彼女は大きく手を振ってくれた。僕も手を振り返すけど、何かが妙だ。
彼女の姿が近づいてくるほど、その直感は強くなる。
「なぁ…ホッキョクギツネって、一人だよな?」
「あはは、奇遇だね神依君。丁度僕も、同じ疑問を抱いてたとこ」
そう、ホッキョクギツネの後ろに誰かがいる。
一人じゃなくて、そして、フレンズのようで。
そうしてもっと近づいて、彼女の声が耳に届く。
彼女は大きくその手を振って、その一言を叫んでいる。
「…逃げてくださいッ!」
「なんか…”逃げて”って言ってるみたいだよ」
「なら、言う通りにしてやるか」
そして、この距離まで来れば良く見える。
ホッキョクギツネを追う者たちのその姿と、声が。
「待て、泥棒ギツネ!」
「食べたいなら分けてあげるから、待ってよー!」
「早く、早く逃げてくださーい!」
「もしかしなくても…ステルスミッション、大失敗?」
確かめている時間は無くて、もう立ち止まってなどいられない。
雪を蹴って、木々を縫って、僕らは脇目も振らずに雪山へと駆けていく。
ああ…残念だ。何がいけなかったのかな。
ううん、分かってるはず。
「やっぱり僕、思うんだ」
「…なんだ?」
そう、全て方法が悪かった。
『誰かが居る』と分かりきっている場所から盗むから、こんなことになったんだ。
「…ジャパリまんって、ボスから盗った方が絶対に早いよ」
「まだ言うかっ!?」
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