Ⅲ-122 洞穴の一匹狐
「…ってことがあって、ここで寒さを凌いでたんだ」
ここに来るまでの事の顛末を、重要な――というか説明に困る――部分は上手く隠して説明した。
海の向こうからの旅人…そんなのが本当にいるかは分からないけど、ひとまず目の前の彼女には納得して貰えたようだ。
「それは、とっても大変でしたね…!」
驚くような言葉を口にしながら、ホッキョクギツネと名乗った白いフレンズは僕らにジャパリまんの袋を差し出した。
「気にしなくていいよ、さっき食べたから」
「そうですか…じゃあ、こっちに入れておきますね!」
「あ…本当にいいのに」
僕が止めるのも聞かず、彼女はジャパリまんをリュックに入れてしまう。
流石に今更その好意を無碍にする訳にもいかず、僕は彼女の様子を黙って眺めていた。
聞いての通り、彼女の名前はホッキョクギツネ。少し前からこの洞穴を巣にして生活しているらしい。
その更に前には雪山の周辺を転々としながら過ごしてきたらしく、地形やフレンズの大体の居場所も分かるという。
「誰か探しているなら、わたしが力になりますよ!」
「ありがとう、すごく助かるよ」
ふふんと鼻を鳴らして胸を張るホッキョクギツネの姿を見て、僕たちは洞穴の暗闇の中に差す一筋の白い光を目にしたのだった。
―――――――――
「ですが、わたしからもお願いがあります」
早速何か聞こうとしたら、ビシッと伸びる彼女の手が僕の言葉を止めた。
「…お願いって?」
「……うぅ…ぐすん、およよよよ…!」
オウム返しに聞き返すと、彼女は突然泣き出した。
まさか、対応を間違えた…?
「えっ、ど、どうしたの…!?」
「あーあ、祝明が泣かせたー」
「神依君ッ!?」
「おっと…悪い悪い」
安全圏から囃し立てる神依君を睨んで、僕はホッキョクギツネに視線を戻す。
号泣というほどではないが、結構本気で泣いている様子。
それでいて理由が全く分からないのだから、僕には宥めようがない。
キタキツネだったら、ぎゅっとしてあげれば泣き止むんだけど…
…まあ、ココに居ない彼女のことを考えても仕方ないし、この方法は多分キタキツネにしか通用しない。
でも、イヅナとギンギツネなら…ううん、やめよう。
ただでさえハグ目当ての嘘泣き三昧なのだから、これ以上徒に涙を流させる必要なんてない。
多分、効くとは、思うけど。
…って、そうじゃない。
「ホッキョクギツネ…ええと、僕のせいで泣いてるなら…」
「いえ、違うんです。ただ、久しぶりのお客さんで…およよ…」
そう言いながら…彼女は僕に抱き付いてきた。
「え、ちょっと…!?」
「久しぶりの暖かみです、感激で……ハッ!」
瞬間、何かに気づいたように彼女は僕から飛び退いた。
そして抱きつかれて呆然とする僕と、僕を抱き締めた腕を交互に眺める。しばしの間逡巡して……泣いた。
「うわーん、ごめんなさーい!」
「ええっ!? ど、どうしようこ…」
『~~♪』
「で、電話っ!?」
慌てふためく僕と、今度こそ号泣するホッキョクギツネと、けたたましく鳴り響く着信音。
静かなはずの洞穴は、騒音が支配する地獄のような空間と化してしまった。
「…電話出とけ、アイツは俺が何とかする」
「あ、ありがとう…」
正直少し出てくるのが遅いとも思ったけど、文句を言っている時間もない。
流石にここはうるさすぎるから、洞穴の外に出てから僕はキョウシュウからの着信に応答した。
「…もしもし?」
『あ…ノリアキ、元気?』
聞こえてきたのはキタキツネの声。
まあ、キタキツネのジャパリフォンだからね。
「元気だけど…何かあった?」
『ううん、何もないよ。だけど、ちょっと不安で』
「…不安?」
『うん…ノリアキが、誰かに取られちゃうんじゃないかって』
何故だろう、心当たりがあるのは。
ついさっき、そんな感じの出来事に襲われた気がするのは、どうしてかな。
「僕はそんなことしないよ、安心して」
だけど、わざわざ正直に話して不安がらせる必要も無い。僕とホッキョクギツネはそんな関係にはならないから。
『…本当?』
「ホントだよ」
『…分かった、信じる』
その後、一言二言近況を伝え合って、キタキツネとの通話は何事もなく終わった。
ジャパリフォンの画面を真っ黒に戻すと、口から思わずため息が漏れてきた。
「…あはは、すごい勘だね」
それはよく聞く、磁場を感じるというやつなのかな。
流石に遠く離れたフレンズのハグを感知して妬かれるとは思わなかった。
「”信じる”…か」
万が一にも裏切ってしまったら…考えるだけでも恐ろしい。
でも、何処からが裏切りにカウントされるんだろう、もう三人になってしまったのだけれど。
…まあ、勝手に女の子を引き入れたら間違いなく刺されるのに間違いはない。
「早く帰って安心させてあげないとね」
洞穴の様子に耳を立てる。
うーん、まだ泣き止んでいないみたいだ。
任せろとは言われたけど、こっちの用事も終わったし全て任せきりにするのも忍びない。
必要以上に音を拾う狐耳をペタリと座らせて、僕は洞穴の中へ戻ることにした。
―――――――――
奥へと歩みを進めると、段々耳が痛くなる。
その理由は言わずもがな、神依君の説得はまだ実を結んでいないらしい。
彼女に抱きつかれてしまった張本人である僕が何とか言えば、どうにか収まってくれるかな。むしろ、そうであって欲しい。
「…なんで、緊張してるんだろ」
海を跨いだキタキツネの不安が、後引くように後ろ髪を引く。
頭を振って、髪の毛は払った。
「神依君、調子は…良くなさそうだね」
「まあ、見ての通りだ」
未だにグスンと涙を流すホッキョクギツネ。
さっきよりは落ち着いているみたいだけど、「時間が経っただけ」と神依君は言った。
「ねぇ、その…僕は気にしてないよ」
「…本当ですか?」
「うん、大丈夫だから、泣かないで?」
…本心では、結構気にしている。主にあのゲーマーちゃんのおかげで。
「ありがとうございます、わたし、本当に誰かと話すのが久しぶりで取り乱してしまいました」
そんなこんなで泣き止んでこそくれたけど、僕の言葉のおかげとは言い難い。
神依君が感じた通り、この件の一番の功労者は過ぎた時間なのだ。
…それに、久しぶりね。
一瞬で吹いて止んだ風のように、一抹の不安が脳裏を過る。
この肌寒さが、春の雪のように解けて消えてしまいますように。
―――――――――
「つまり、しばらくの間話し相手になって欲しいってことだね」
「はい! わたし、お二人のことを沢山知りたいです!」
彼女が頼みたがっていた『お願い』とは、どうやらこのことだったようだ。
でも、簡単そうに聞こえてその実結構難しい。
いやまあ、話をすること自体もそれなりに難しいけど、問題は他にある。
「でも僕達、なるべく早く出発したいんだよね。…ああ、勿論出来る限りは頑張るけど」
「大丈夫です、どこかに行くならついて行きます! むしろ、最後まで案内しますから!」
「あはは…助かるよ」
溢れんばかりのやる気がホッキョクギツネの手に表れている。
ホッカイの案内人と、話し相手になるこちら側の住人。
中々に頼りがいのある第一村人だと僕は心強く感じたけど、神依君は他に思うところがあるらしい。
袖を引っ張り、苦々しい顔で耳打ちをしてきた。
「いいのか、連れてって」
「別に、魔法陣を起動できる誰かが見つかるまでだよ」
「だけどな…」
「問題ないよ。それに、ホッキョクギツネがいればボスに見つかることなくジャパリまんを回収できる」
「…ああ、そうかよ」
よし、説得に成功した。
神依君は理解してくれた、呆れてなどはいないはず。
決してそんなことは…ない。
「じゃあ、これで決まりだね」
喉元に引っ掛かった思いは無理やり飲み込んで、ホッキョクギツネに”案内”を促す。
彼女は少しの間考え込んで、とある場所の名を挙げた。
「あ、神社なんてどうでしょう?」
「え、神社があるの!?」
「はい、少し遠い場所ですけど」
だから最初に行くにはアレですかね、と彼女は笑う。
しかし僕はそこに行くのだと、彼女の口から次の句が継がれる前に心に決めてしまった。
神社…うん、まさにお誂え向きではないか。
霊的なものに近い場所ならいい協力者も見つかるかもしれないし、運が良ければ神様そのものが手助けをしてくれるかもしれない。
「神社には誰がいるか…分かるかな」
彼女は難しい顔でうなずき、左上に目をやりながら記憶の中の神社について教えてくれた。
「厳しい場所にある神社ですからね、私が偶然辿り着いた時にはオイナリサマしかいませんでした」
「待て、お稲荷様がいるのか?」
「はい、オイナリサマがいます」
言い直された言葉を聞いて、神依君は固まった。
その目は「マジかよ」とでも言うように見開かれている。
…ああ、そういえば神依君は稲荷神社の神主さんの孫だったっけ。
だとすればお稲荷様についてもよく知っているはずだから成程、この驚きようにも納得だ。
まさか、祀っていた神様と直接である機会が巡って来るなんて、人生で一度だってある筈のない出来事だもの。
「そうか…稲荷神社か…」
嬉しくないのかな、苦々しい表情だ。ううん、分かるはず。
彼にとって稲荷神社が、ただ家族のこと思い起こさせるだけの存在じゃないことを。
あらゆる悲劇を思い出した後に、全てを忘れてしまおうと逃げ込んだ場所。
…悲しいかな、掛けるべき言葉はこの手に無い。
「オイナリサマはこのパークの…ええと、『守護けもの』? …らしいです。必ず力になってくれるはずですよ!」
「頼もしいね。それで、ここから真っ直ぐ行くと何日くらいかかる?」
「な、何日…?」
あれ、反応が芳しくない。
もしかすると、
…訊き方を変えてみようかな。
「ねぇ、この穴には神社から寄り道せずに来たのかな」
「多分…そうだと思います」
「そっか…その間、何回夜になったか覚えてる?」
「夜、ですか? うーん、三回ぐらい…だったかなぁ…」
なるほど、長めに見積もって四日くらいか。
実際に行くと考えれば、もう少し掛かると考えて損はないだろう。
「ありがとう、お陰で見通しが立ったよ」
「ふふ、どういたしまして!」
入口から外の空を見れば、もうお日様は傾いて鮮やかに赤らんでいる。
出発するのは明日かな。
そうホッキョクギツネに伝えると、「じゃあ今日はいっぱいお話しできますね!」と大層喜んでくれた。
――西日が眩しくて、その笑顔に影が見えてしまった。
―――――――――
すっかり日も沈み、凍えるような寒さに眠れない闇の中。
僕の隣で、暗闇の中でもよく見える真っ白な尻尾が躍った。
「…えーと、何て呼べばいいんでしょう?」
思い出してみれば、ハッキリと自己紹介した記憶がない。
僕としたことが、一番大事なはずのことを忘れてしまっていた。
「コカムイでもノリアキでも、呼びやすい方でいいよ」
「名前が二つあるんですか?」
「まあ…そんな感じかな」
わざわざ苗字について話しても意味は無いだろう。その辺は彼女の解釈に任せるとした。
「…眠れませんか?」
「あはは、とっても寒くて」
「…そうですか? あ、でもそれなら一緒に…!」
「ううん、それはしなくて良いよ」
「…そうですか」
昼間のように抱き付こうとする彼女を止めたら、随分と寂しそうな顔をされた。
…割と危険な兆候かもしれない。
一先ず僕が取った手は、話を逸らすことだった。
「そうだ、神依君のことは”カムイくん”って呼んでいいと思うよ」
「あぁ、はい」
は、反応が悪い…!?
話題間違えちゃったかな、僕への呼び方も訊かれたから安牌だと思ったんだけど。
仕方ない、更に話題転換。
「…ホッキョクギツネは、今までどんなことしてたの?」
「えへへ…実は、何にもしてませんでした」
「な、何も?」
「はい、何も」
遠い目で星空を見つめて、懐かしむように言葉を紡ぐ。
懐かしく且つ、興味なさげに。
その姿に、僕は別の誰かを重ねてしまう。
「恥ずかしながら、食べて寝て起きての、その繰り返しで」
…寒い。原因は分かりきっているのに、どうしようもなく寒い。
「でも今日、それは終わりました。やっと新しい友達と出会えて、寂しくなくなりました」
友達…そう、友達だ。
久しぶりにできた友達だから少し距離感を掴みかねているだけなんだ。
そう言い聞かせて、自分の体を掴もうとする手を抑えた。
その手を、ホッキョクギツネが握った。
「ありがとうございます、コカムイさん。あなたに会えて、本当に良かった」
「…あはは 、こちらこそ」
ニッコリと、首を傾げて微笑むホッキョクギツネ。
「明日からも、よろしくお願いしますね」
「…うん、よろしくね」
震えて在り来たりな返事しか出来ない自分に、呆れることなど不可能だ。
だから、僕は彼女に縋ってしまう。
「あーあ、イヅナが一緒に来てくれてたらな…」
だけど、その『もしも』は在り得ない。
イヅナがいれば、既に僕たちはキョウシュウへと帰っていたから。
だから…だけど…!
「さ、寒い…!」
君は良いよね、寒さを凌ぐ手段を持っているんだから。
絶対に凍えたりしない…
「神依君ばっかりズルいよ…!?」
今日ほど、イヅナのもふもふを恋しく思った日は無かった。
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