Ⅲ-120 斯く綻びは広がりて
「…えい、この、このッ!」
捕まえたセルリアンを雪の上に組み伏せて、わざと威力を押さえた拳で殴りに殴りまくる。
やがてゴスッと鈍い音が響いて、セルリアンは砕け散る。
そんな根性なしのセルリアンを私は名残惜しい目で見つめる。出来ることなら、もっと痛めつけてから殺したかったのに。
飛び散ったサンドスターの結晶を握ると、抑えきれない感情で潰してしまった。
「イヅナちゃん、そろそろ、これからのことを考えましょ?」
「考えるも何もないよっ! すぐにノリくんの所まで行くんだから!」
「そう…そうよね」
改めて納得するように頷いたギンちゃん。
私がギンちゃんの様子に違和感を覚えたのと、私が縛られたのはほぼ同時のことだった。
「な、何するのキタちゃん!?」
「あっちには、行かせないよ…!」
「キタちゃん、自分が何してるか分かってるの? 今もノリくんが危険な目に遭ってるかもしれないのに…!?」
「じゃあ…ボクたちも連れてって?」
キタちゃんの要求に私は息を呑んだ。
なるほど、こうやって自由を奪ったのも全部その為なのね。
…だったら尚更、言いなりになるなんて癪だな。
「無理だよ、そういう約束でしょ?」
「そっか…じゃあ、仕方ないね」
返事を聞いたキタちゃんはそう言って、私を縄で厳重に縛り上げる。
束縛は力強く、縄の食い込んだ肌が悲鳴を上げている。
「い、痛いってばぁ…!」
「えへへ…イヅナちゃんが悪いんだよ?」
顔を歪める私を眺めて、キタちゃんもまた歪んだ笑みを浮かべていた。
恨み言を静かに唱え、先に入ったギンちゃんのことを思う。
キタちゃんが丁度縄を持ってるなんて、偶然にしては出来すぎだ。
キタちゃんのことだし本当に運良く…運悪く? …まあ、そんな可能性もある。
でもそうじゃなかったら、これって、本当にただの事故なの?
…考えすぎかな、今はいいや。
「ほら、早く立ってよイヅナちゃん」
「はいはい、縛られてなきゃ早く動けるのにな~」
背中を押されながら、光を失った魔法陣を振り返る。
ま、私とノリくん以外には起動できないようにしておいたから大丈夫かな。
もしもの為の備えって、やっぱり大事なのです。
だからちゃんと使ってね、ノリくん。
もしもの為の道具なら、リュックに一杯詰めておいたから。
…とっても重くなっちゃったのは、ごめんね?
―――――――――
「ハァ…ハァ…何でこんなに重いんだよコレ!?」
「あはは…イヅナに聞いて…?」
「あれか、転ばぬ先の杖ってか? コレのせいで転びそうだぞ…」
彼の軽口を聞きながら、僕は木の陰に隠れてセルリアンの様子を伺っている。
テレポートの直後に僕らを襲ったあの怪物は未だに健在だ。
それどころか、連絡するために手に持っていたジャパリフォンを奪われてしまった。テレパシーは遠すぎる距離が悪いのか繋ごうとした途端に頭痛に襲われる。
…僕らに唯一残された通信手段は、セルリアンに握られていた。
「あの様子じゃ、魔法陣もダメそうだね…」
僕らが最初に立ったのは脆い雪の上。
そこに出来た魔法陣も、暴れるセルリアンによって既に壊されてしまったことだろう。イヅナに貰った『魔法陣の説明書♡』によると、起動する前の魔法陣は簡単に壊れてしまうらしい。
兎にも角にも、状況を打開するにはセルリアンを倒さねばならない。
「動けるかな、神依君」
「あぁ…厳しいかもしれねぇ」
「そっか…やっぱり、戦いは慣れない?」
「セルリアンなら何度もあの博士たちに倒させられたから、精神的には大丈夫だぞ」
「…オッケー」
なら、多分だけど問題はない。
初めて見るセルリアンなのはどちらも一緒だし、対策を立てさえすれば対応は難しくない。
ともすれば、今重要なのは立てる対策かな。
「ええと、神依君って飛べたっけ?」
「…おいおい、変なこと聞くんじゃねぇよ」
「そうだよね、神依君に掛かればそれくらい簡単だよね!」
「…え?」
なら、もう作戦は決まったようなもの。
僕は物陰から身を乗り出して、悠々と空を舞うセルリアンを指差して言った。
「僕がこっちにセルリアンを追い込むから、神依君が空から撃墜しちゃって!」
「いや待て待て!? 俺は飛べないぞ…!?」
「…そうなの?」
そしたら……この作戦は没だね。
ちぇっ、期待して損しちゃった。
「もう、最初からそう言えばよかったのに…」
「そう言ったつもり…いや、言ってなかったか…?」
悩む神依君を尻目に、僕は別の作戦を考え始めた。
ともあれ、僕一人だけなら飛べるわけだし空飛ぶセルリアン相手に活用しない手はない。
やっぱり、僕が空から地上に向けて追い立てて、神依君がそこを仕留めるのが効率的で簡単な気がする。
よし、それで行こう。
刀を一本帯刀し、僕は大回りして背後からセルリアンへと飛び上がった。
―――――――――
「はっ、せいっ!」
素早く、しかし当ててしまわないよう慎重に刀を振るう。
調整された殺意にセルリアンは気づかず、怖気づいて目論見通り僕から一目散に逃げていく。
追う途中にも刀を振れば、面白いほど簡単にセルリアンは誘導されてくれる。
「神依君、そっちに行ったよー!」
「よし…任せろ!」
どうしてこんなに回りくどく討伐するのかというと、それはジャパリフォンが心配だから。
セルリアンはあろうことか、僕から奪ったジャパリフォンを核の近くに取り込んでいた。
ジャパリフォンはサンドスターを電波代わりにしている。大方、飛んで来るサンドスターを吸収して栄養にしようと目論んでいるのだろう。
フレンズが持っている輝きに比べれば電波代わりの明るさなんて微々たるものだけど、常にそれが飛んで来るというのは何とも魅力的だったようだ。
…後生大事に仕舞っちゃってさ。
気にせず核ごとぶった切ってしまおうかも考えた。だけど、今の状況では通信ができる装置をそうそう手放すことは出来ない。
そんな訳で、神依君の持つセルリアンとしての力も借りて、ジャパリフォン奪還作戦は順調に展開している状況であるのです。
「ハァ…ッ!」
神依君はそれっぽいポーズでセルリアンの力らしき何かを使った。
それは潮のように白く渦巻き、セルリアンを巻き込んでいく。
「本当に何なんだろ、アレ」
神依君にこんな技があったなんて。ほぼ間違いなく、彼を蘇らせる時にイヅナが何か細工をしたのだろう。
わざわざ手を加える必要なんてあったのかなとは思うけど、現に役に立っているから文句は言わない。
「ぜぇ…ぜぇ…!」
「燃費が悪すぎるのが玉に瑕…というか、瑕だらけだね」
「いいから…とどめ…!」
「オッケー、すぐやるよ」
僕は高度を落とし、目を回したまま地に墜ちたセルリアンの傍に立つ。
「よいしょ…っと」
翼を適当に踏みつけてやれば、パッカーンと音を立てて消えていく。
核と同化しかけていたジャパリフォンも、特に壊れてはいない様子。
「…よかった、無事みたいだね」
一先ずは安心して、すぐに気を引き締める。
セルリアンの危機は去ったけど、ホッカイから帰る方法が無い。
魔法陣も壊れちゃったし、迎えに来てもらう他ないだろう。
まあ、キョウシュウまで物理的に飛ぶって言う手も………ない。嫌だ、疲れる。そもそも体力が持たない。
「さて、早く無事を伝えないと」
僕もあの三人が心配だけど、向こうはもっと心配に違いない。早く声を聞かせて安心させてあげよう、
電話機能を呼び出し、イヅナのジャパリフォンに掛ける。
『~♪』
「ふぅ…」
『~♪』
「ん…?」
呼び出し音が、妙な方向から聞こえる気がする。
「おい、祝明…!」
「どうしたの、神依…君…」
彼の手に握られるそれは、紛れもなくイヅナのジャパリフォン。爽やかな音楽で、僕からの着信をココに居ない彼女に告げている。
「嘘……じゃないか」
僕の視線の先で、リュックの口がだらしなく開けられていた。
―――――――――
「…ねぇ、そろそろ諦めても良い頃じゃない?」
「その言葉、そっくりそのまま返してあげるよ。何と言われようと、二人をホッカイに飛ばしてなんてあげないからね。 …まあ、今は」
「…はぁ」
ため息が電灯を揺らす。
この変わり映えしない問い掛けも、数えてみれば二桁に乗っていることだろう。
何をしても意見を翻さない私にギンちゃんも呆れて、本当に辟易とした様子だった。
しかしそれよりも、私には聞きたいことがある。
今だったら、何かしら反応が貰えそう。
「あのさ、さっきのセルリアンってギンちゃんの差し金?」
問いを聞いて、ギンちゃんの呆れが深まったように見えた。
何なの、人…じゃなくて狐が頑張って尋ねたのに!
「…そう思った理由は何かしら」
…あ、でも理由は聞いてくれるんだ。ギンちゃん優しい! 容赦無く問い詰めてあげる!
「だって色々と出来すぎだもん、キタちゃんがあのロープを持ってるなんて!」
実はこのロープ、あんなことやこんなことをするときに使った『妖力を封じるロープ』なのです。道理で抜け出せないと思った。
「私のロープをキタちゃんが都合よく持ってたこと。それが何よりの証拠だよ!」
「…はぁ」
「何なのそのため息!?」
ギンちゃんはこれ見よがしにと呆れている。真相が暴かれたのはその後のやり取り。
その言葉は、私を本当に驚かせた。
「イヅナちゃん、貴方、どれくらいの間あのセルリアンを叩いてたか覚えてる?」
「…三分?」
「十倍よ」
「三十分っ!?」
実はすごく根性のあったセルリアン。
上手く調教してあげれば使い物になったのかなと、私はほんの少し後悔した。
ええっと、それは良いとして…
「三十分もあれば、これくらいの道具はいくらでも用意できるでしょ?」
「そうだね、私ならこの十倍の数は用意できるよっ!」
「…張り合われても困るのだけど」
「…うん」
今の私は拘束されている。
いくら沢山の道具を用意できたって、使えないんじゃ意味がない。
せめてこのロープから抜け出すことが出来れば。
もう、こんなことになるならもう少し適当に術式を組むんだった。
いやでも、それじゃ……その、臨場感が出ないもん。
惜しむらくは、さっさとロープを始末するなりこの呪いを解く為の妖術を作らなかったこと。
…だって、もっとこれで楽しみたかったんだしさ。
私が先にも立たぬ後悔をしていると、ドタドタと足音が向こうから響く。
その音の主は至って明瞭で、彼女が発した言葉は極めて予想外。
「ギンギツネ、ノリアキから電話がっ!」
「…っ!」
「え、ノリくんから!?」
実はリュックに自分のジャパリフォンを入れたままの私。
テレパシーも遠すぎる距離では消費するサンドスターが尋常ではなく、意思疎通の手段はキタちゃんのジャパリフォンしか無かった。
…早く、テレパシーの効率化をしないと!
「えっと…うん…そ、そっか、分かった」
キタちゃんは愛しのノリくんと話しながらも、段々と表情を曇らせていく。
その様子を見て、理由はすぐに分かった。
きっとノリくんは私と話したがっているんだ。
それもそのはず。テレポートに一番詳しいのは私だもの。
キタちゃんは渋々、私の耳にジャパリフォンを当てる。
あはは、ノリくんに求められてる。私は必要とされている。
それ見たことか、こんなロープで縛ったって何の意味もないんだよ。
浮かび上がりそうな心持ちで、私は彼に声を聞かせる。
「もしもしノリくん、大丈夫、怪我はない? セルリアンとかに襲われてない? リュックに入ってる物は無事? 安心して、私は万全の備えをしたから、困ったことがあればその中のものが役になってくれるはずだよ、それに――」
『ま、待って待って!? 早口すぎて聞こえないよ!』
「あ…ごめん…」
しょんぼり。
ノリくんを困らせちゃった。
すぐに謝らなきゃだけど、焦ってまた迷惑掛けちゃダメだよね。
そう思った私は黙って、じっとノリくんの言葉を待つことにした。
「……」
『……あぁ、そっか』
しばしの沈黙の後、ノリくんは私の意図を察して、今向こうで起きている問題を教えてくれた。
『テレポートなんだけど、雪の上に飛んでさ、運悪く居合わせたセルリアンに魔法陣が壊されちゃったんだ』
「…なるほどね」
その程度のハプニングなら私の予想の内ね。
リュックに入れた予備の『魔法陣の粉』で十分に対応できる…はず。
そう伝えても、機械の向こうから帰ってきた声は浮かない調子だった。
そして不思議なことに、私はノリくんの反応に納得していた。その理由には、まだ思い至っていないけれど。
『魔法陣の描き方も、リュックの中に有る?』
「当然! 私は準備を怠らないよ!」
『…そう』
腑に落ちたように頷く声はどこか上の空。テレパシーが繋がらなくても、考え事に気を取られているのはよく分かる。
「…ノリくん?」
そしてこれも勘だけど、その考え事が私にとっても大事な気がする。
『ねぇイヅナ、一ついい?』
「うん、何かな?」
『…魔法陣の起動って、僕の妖力でもできる?』
「……あ」
それはあの事故さえ無ければ、考えなくてよかったはずの条件。
セルリアンが生み出した綻びは、確実に広がり始めていた――
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