Ⅲ-119 青空を見上げたら、蒼がありました

 雪原の中で対峙する一人と二人。

 真っ白な狐を挟み込むように、二人の狐が立っている。


「ほら、一気に掛かってきていいんだよ?」

「…うふふ、私も舐められたものね」

「特訓の成果、見せてあげるんだから…!」

「…ねぇ、怪我させないでねー! …ダメだ、どっちも聞いてないよ…」


 事の発端は、言わずと知れたホッカイ旅行。


 僕が行くのは既に決まったこと。

 しかし誰が一緒について行くのかで揉めた結果…今ここで戦いの火蓋が切られようとしている。


 …あ、切られた。


 雪山の戦いの第一幕。

 その始まりを告げたのは、イヅナが仕掛けた目くらましだった。


 有り余る雪を強く蹴り上げ、白い体を霧に隠した。


「先手必勝! 悪く思わないでねっ!」 


 声を出したせいで居場所は大体分かる、だけど有効な戦法だと思う。


 数的には不利だし、各個撃破にはちょうどいい状況だ。

 …まあ、戦いのセオリーなんて殆ど知らないけどね。


「キタキツネ、相手をしっかり見て!」

「わ、分かった…!」


 対する二人は役割分担。

 大まかに言えば、ギンギツネが囮になり、キタキツネが機会を見て攻撃をする算段に見える。


 ええと、数では勝ってるから…ね。


「ギンちゃんが相手かぁ…」


 イヅナが露骨に残念がる。


 それもそのはず、一対一の肉弾戦なら比較的にキタキツネの方が往なし易く思えるからだ。


 度々その片鱗を目にしたように、ギンギツネはそれなりに強い。

 そう考えれば、この割り振りも理に適っているかもしれない。


「…キタちゃんは様子見なんだ?」

「キタキツネ、強いから」

「そうだね…二回もノリくんを傷つけた爪を持ってるもんね」

「うぅ…」


 心に突き刺さる皮肉を聞いてキタキツネの足取りが揺らぐ。

 余裕綽々な妖狐あやかしきつねは、盤外戦術も得意なようだ。



「…それで、来ないの?」

「まあ、譲ってくれるのね」


 声色に反して、ギンギツネの表情は険しかった。


 息継ぎごとに発されるイヅナの皮肉ではなく、そんな余裕を与えてしまう力量差に憔悴している。


 そして、自分が渦中にいるなら十中八九分からなかったと思うけど、ギンギツネはずっと攻めあぐねている。

 時折飛んで来る攻撃は防げているが…それだけだった。


「そろそろ、動いちゃおっかなぁ~?」


 攻めようとしても、思い通りに動けない。

 動きを阻むのは深い雪じゃなくて、全てイヅナののせい。


 やり手のギンギツネをそこまで躊躇させるほど……刀という武器は強力だ。


「もう…厄介なもの持って来てくれたわね…!」

「えへへ、ノリくんに借りたんだー!」


 そう言いながら刀を抜いて、煌めく刃をブンブン振り回す。

 無邪気な姿が危なっかしくて、咄嗟に声を掛けてしまう。


「イヅナ、鞘に入れたままだよ!」

「あっ…はーい…」


 渋々イヅナは刀を収める。

 僕が見ていないと、何かの拍子に斬り捨ててしまいそうで恐ろしいな。


 だから「貸して」と言われても、『鞘に入れたまま戦う』という条件を付けて貸し出した。


 多分、鞘ごと当てても威力は出るはず。


 …やっぱり、貸さない方が良かったのかな?


「正に”恋の鞘当て”ね…まさか、一方的に当てられる羽目になるとは思っても見なかったけど」

「大丈夫、二本あるから当て合いも出来るよ。…勿論、私から奪えたらの話だけど」


 ふふんと鼻を鳴らして挑発する。

 

 ギンギツネは反応しなかった。

 イヅナの後ろで…爪を尖らせ飛び掛からんとしているキタキツネを見ていたから。

 

「あははっ、分かりやすいね」


 だけどイヅナは後ろも見ずに、お腹に鞘を突き当てた。


「うぇっ!?」

「えーい、飛んでけっ!」


 無防備になったキタキツネの体を投げ飛ばした後、ご機嫌にギンギツネへ語り掛ける。


「…緊張しちゃダメだよ? 結果の気になる大事な場面でも、息を呑んでいいのは観客だけなんだから」


 …遠回しにイヅナは言っている。彼女にキタキツネの襲撃を感づかせたのはギンギツネの様子だと。


 尤もあのイヅナが、キタキツネの気配を全く感じていなかったとは思えない。

 だから、三割くらいの事実を混ぜた煽り立てといったところだと思う。



「イヅナちゃんって、本当に強いのね」

「……まあね」


 褒められたけど、イヅナはどこか釈然としないようすだった。

 皮肉を受け流される形になったのが気に食わなかったのかもしれない。


 だけどそんな表情もすぐに隠れ、イヅナは次の一撃を加えるべく鞘に入ったままの刀を構えた。

 彼女の殺気に当てられれば、ギンギツネも身を引き締める。


 投げ飛ばされたキタキツネは事前に決めたの外。つまりは場外失格。イヅナとギンギツネの一騎打ちが、この戦いの幕切れを飾る。


「あの感じなら、怪我はない…よね…?」


 こんな戦いで同行者を決めるなんて僕としては反対だ。

 折角だからみんなで行こうと言ったんだけど、イヅナが強く反対した。


 「宿の手入れが必要」とか、「危険だから人数は多すぎない方が良い」か言っていたけけど、その本心は知っている。


 …知ってしまっているからこそ、僕は愚かにもイヅナを止め切ることが出来なかった。


「キタキツネ、本当に大丈夫かな…」


 戦いの行く末を横目で見守りながら、雪に埋まったキタキツネの所まで歩いていく。


 実を言うと、『場外』というルールを作ったのも僕だ。出来ることなら『降参』の決まりも作りたかった。

 それが為されなかった理由は、察してくれれば分かるはず。


「よい、しょっと…!」


 それほど深くは埋まっていなかったから、楽に起こすことが出来た。

 

 キタキツネは気を失ってはいなかった。ただ、失格になって意気消沈して、動く気力が湧かなかっただけみたい。


「えへへ…ノリアキ…!」


 …まさか、僕が起こしに来ると予想していたわけじゃない筈。



 キタキツネは一頻り僕の体に頬を擦りつけた後、思い出したかのように勝負の行方を尋ねてきた。


「ギンギツネはもう負けちゃった…?」

「ううん、まだ戦ってるよ」


 向こうへと目を向ければ、鞘と爪の激しい競り合いが繰り広げられている。

 

 かなり長い間戦っているだろうか。しかし、息を乱しているのはギンギツネのみ。イヅナは未だ狂わぬ動きでギンギツネの猛攻を往なしている。



 ――まだ、ギンギツネは野生開放を使っていない。

 

 力を呼び起こすには一呼吸必要だから、発動するまでが肝。

 攻撃の手を緩めればその分イヅナが攻め立てるから、むしろ『使』と表現する方が正しいのかも知れない。


「イヅナが先に決めちゃうか、ギンギツネが起死回生の一手を打つか…」


 立場上僕はどちらも応援できないけど、キタキツネはギンギツネに勝ってほしいに違いない。

 

 そんなキタキツネは…戦いの行方には目もくれず、僕に色々と悪戯をしてくる。

 耳に尻尾に、衣服に口に、腕やら手やら舌やらを容赦なく入れて這わせてくるのだ。


「ん…キタキツネ、あっ、あっちは見なくていいの…?」

「…負けちゃうよ、どうせ」


 あらら、本当に興味無さそうだ。

 こう言うのもアレだけど、今度は僕が関わってるから反応も違うだろうと思っていただけに意外だ。


 …もしかして、この悪戯も負けを察してのだったりするのかな。


「でも、本当に負けるとは…あ」


 僕が可能性を語ろうとした瞬間、勝負は決した。

 幕切れは、ずっと前から予想された通りのあっけない終わりだった。



「…ノリアキ!」


 その結果を見て、僕の体は本気の力で押し倒された。


「ね、いいでしょ、行っちゃう前に!」


 言葉は同意を求めているけど、体は既に動いている。

 もう僕に選択肢はなくて、許されたのは首を縦に振ることだけ。


 倒れたギンギツネが心配にもなったけど…イヅナを信じることにした。


「もう…仕方ないなぁ」


 そう言い始める前に、肌は寒空に晒される。

 

 少しでも”許してあげた”という雰囲気を出そうとしたのは、どんなプライドを抱えた顔だろう?

 我ながら一度、鏡を見てみたくなった。




―――――――――




 ――決闘の結果を受けて、最初のホッカイ旅行のメンバーが決まった。メンバーと呼ぶには少なく二人で、僕とイヅナがテレポートで赴く計画。


 意外にも、後から不満の声が上がることは無かった。

 キッチリとした勝負で決めたからか、或いはイヅナの力を改めて目の当たりにしたせいか。


 どちらにせよ、さっきの戦いが影響していることは確か。


「よし、荷物の準備は万端だね」


 半ばひったくるように持ってきた荷物の中身を確認する。


 イヅナったら、『重いしノリくんが持つ必要ないよ』なんて言って渡そうとしなかったけど、僕からしたら自分で何も持たない方がむしろ不安だ。

 

 取り返そうとしたイヅナだけど、説得の末に渋々従ってくれた。


「むぅ…」


 そんなこんなで、決闘に勝った方が不服そうに振舞うという不思議な状況になっている。

 

「…ふふ」


 実を言えば、頬を膨らませて不満を訴えるイヅナの姿もかなり好きだ。


 まずその見た目が可愛いし、どうにか機嫌を戻してもらおうと画策するのも楽しい。むしろ大したことなくコロッと手の平を返してくれたりしたら、それはもう物凄く愉悦的だ。


 こんなに可愛い生き物が僕の僅かな一挙一動で心を動かされて、剰え手玉に取られることさえ良しとしてくれていると考えたら。


「…ノリくん?」

「あぁ、何でもないよ…」


 少し反応が遅れたら、ジトーっとした視線が向けられる。じっと見つめてみると、今度は顔を赤らめて逸らしてしまった。

 しっかりと指を絡めて手を握ったまま。


 普段は愛を囁くことに一切躊躇しないのに、照れ隠しを見せるというこのギャップが堪らない。

 


「ところで、俺は何を見せられてるんだ?」

「折角だから、テレポートっていう凄いのを神依君にも見て欲しいなって」

「…これは、テレポートじゃないだろ」


 …ごもっともだね。


 そろそろ、本当に出発しようかな。向こうからの視線も結構痛いことだし。


「わ、分かった!」


 僕が目配せをすると、イヅナはすぐに意図を察して最後の準備に入った。彼女が離れたら、僕は一度深呼吸をして気分を


「…ふぅー」


 何だろう、最近こういう風に気分を入れ替えるのが上手になった気がする。

 

「お前……雰囲気変わったか?」

「あはは、そうかもね」


 『必要は発明の母』とはまさにこのことか。驚くくらい、自分自身の感情のベクトルを操れている。


 あーあ、僕も変わっちゃったな。

 



―――――――――




「これで…よし」


 イヅナが呟いた。

 きっと、準備が終わったんだ。


「あとは念じてサンドスターを込めれば、次に立つのはホッカイの地面だよ」

「じゃあ出発だね」


 イヅナが言い終わるのに合わせて、間髪入れずに言葉を繋げる。 

 でもせめて、出発の挨拶くらいはするべきかな。


「二人とも、行ってくるね」

「…うん」

「気を付けてね、ノリアキさん」


 ギンギツネは顔だけを笑わせて朗らかに見送り、キタキツネは寂しそうな目で小さく手を振った。


 僕もそっと手を振り返して、魔法陣の上で待つイヅナの横に立った。


「…ノリくん」


 微笑んで、頷く。

 虹色のキラキラが魔法陣を彩って、虹の向こうに別の景色が見えた気がした。



 ――その時だった。



「あ、危ないッ!」


 ギンギツネが声を上げる。

 指さす方向には神依君、そして背後には、セルリアン。


「神依君…!」


 大きなセルリアンだ、魔法陣に注がれた大量の輝きに引き寄せられてやってきたのだろうか。

 触手の不意打ちが無防備な神依君を襲って、勢いよく吹き飛ばした。


「ちっ…!?」

「僕が受け止め……う」


 軌道上に立とうとした僕を阻んだのは、皮肉にも僕が望んで手にした重い荷物だった。

 リュックに邪魔され動きの鈍った僕は、飛んでいく神依君の体を受け止められない。


 ――代わりに。


「きゃっ…!?」


 神依君は、まるでカーリングのストーンのようにイヅナに当たって魔法陣の上から押し退けた。


「くっ、セルリアンめ…!」


 荷物は足元に置いて、いつでも奴を叩きのめせるように戦いの姿勢を取る。でも何かが変だ。

 普段より、視界が妙にような気が…


「まさか、もう…!?」


 テレポートが始まってる?

 咄嗟に地面を蹴るも、広がる光からは逃れられない。


 広く形作られた魔法陣から出るには、あまりにも時間が足りなさすぎた。


 そのまま青空は虹色に染まり、僕達はホッカイへ飛ぶ。


 僕と……が。




―――――――――




「早くあっちに戻らなきゃ…!」


 テレポートが終わる前にも、僕の口は叫ぶ。

 三人があのセルリアンに手を焼くだろうか、そうは思えない。だとしても、心配でならない。


 それにこんなアクシデントがあったんだ、一度準備も仕切り直して…


「…嘘でしょ?」

「ハハ…マジかよ」


 転移が終わって、ゆっくりと開けていく視界。


 最初に僕らの目に映ったのは鮮やかに晴れ渡る青空ではなく、何処までも昏い蒼を湛えたセルリアンの姿だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る