Chapter Ⅲ ユキヤマトリップ、オイナリトラップ。
Ⅲ-118 何処かの雪に思いを馳せて
最近、イヅナが読書に勤しんでいる。
何処からともなく持ってきた小説を読み漁っては、これまた出所の分からないノートにメモを纏めていた。
初めは僕も横目で見ているだけだったけど、何度も見れば興味が湧く。
いよいよ好奇心に突き動かされて尋ねた丁度その時、イヅナは僕にとある提案をした。
「ノリくん…別荘を作ろうよ!」
「…別荘?」
なんとなしに訊き返すとイヅナは頷いた。
「そう、私たちの新しい家を作るの!」
「でも、平原にはお屋敷もあるよ…?」
今は手入れもしていないから荒れているだろうけど、別荘として使うには申し分のない土地だ。
それなのにわざわざ新しく作るとは、イヅナには別の思惑があるのだろうか。
僕の考えを肯定するかのように、イヅナは更に言葉を紡ぐ。
そしてその提案に、僕はひどく驚かされた。
「この島の外に別荘を作るんだよ。キョウシュウをいつ捨てても良いように!」
「ああ、いつでも捨てられるように……え?」
固まった僕と、柔らかく微笑むイヅナ。
これは、新しいタイプの無茶ぶりだった。
―――――――――
「す、捨てるって、どういうこと…?」
「今すぐ捨てるんじゃないよ、あくまでいつでも捨てられるようにするための準備だもん」
「…どうして、捨てなきゃいけないの?」
「それはまあ、色々あると思うけど…」
そう言って、何食わぬ顔でイヅナは在り得る可能性を次々と列挙していく。
セルリアンの大量発生に度を越えた異常気象や災害。この島のフレンズとの折り合いが悪くなる。ここでの暮らしに飽きる。
そんな比較的在り得る可能性を挙げたと思えば、ラッキービーストの反逆とか博士の反逆(?)とか、些か信じられないような予想も口から飛び出した。
「とにかく、『何が起こるか』じゃなくて、『何か起こった』時にすぐ対応するための準備なんだよ…っ!」
「…そういうもの?」
気迫に押されてそう尋ねれば、耳を揺らして頷いた。
「この小説だとね、主人公は相次ぐ不幸のせいで住居を転々としていたの! 私たちにだって、それが起こらないとも限らないでしょ?」
「ああ、小説で…」
突拍子もないイヅナの決意に一応の納得が出来て、そして僕は、今度は何処に着地するのかと、柄にもなく楽しみになった。
…いや、柄にもない訳ではない。
むしろつい最近まで、こんな好奇心を押し殺して過ごしてきたんだ。
漸く、素直になれる。
「別荘かぁ…楽しみだね、イヅナ」
「あ…! でしょでしょ、ノリくん!」
だから、この新しい非日常を存分に楽しんでいたい。
―――――――――
「じゃあまずは、何処に建てるか決めなきゃね」
「そうね、この島の外と言っても、私たちは全く知らないから」
「…そんなことよりゲームしようよ」
別荘計画の話を聞いて、キタキツネとギンギツネが話し合いに加わった。
片方はあまり乗り気じゃない気もするが、興味があるからこそ来てくれたんだろう。
「ノリアキの手、あったかい…」
…何に対して乗り気なのかは、よく分からないけど。
「じゃあ、私の考えを説明するね!」
イヅナが話し出すと、僕達の目は揃って彼女に向けられる。
僕達四人の中で、外の世界をまともに知っているのはイヅナだけだ。
だから身も蓋もないことを言ってしまえば、この別荘計画の立案は殆ど彼女に託されている。
「まずは大前提だけど、別荘も”ジャパリパーク”の中に建てるつもりだよ」
「まあ、そうだね」
基本的に、フレンズはサンドスターが無いと活動できない。
ジャパリパークの外にどれくらいサンドスターがあるのかは知らないけど、神依君の記憶ではパークの外にフレンズもセルリアンもいなかった。
わざわざギリギリを攻める理由もないし、建築予定地はパークの中で決定になる。
「そして、雪山ほどじゃないけど涼しい気候の場所が良いと思う」
「もちろん、景色も雪山と違う場所がいいわね」
「まあ、それは実際に見てみないとかな」
理想は飽くまで理想のままで、この話し合いでは置いておいた。
そして次に議題に上がったのは、ある意味最大の問題となるもの。
きっかけとなる発言をしたのはキタキツネで、これもある意味彼女らしいゲーマーとしての疑問だった。
「ねぇ、移動はどうするの…? いくら本番が楽しくても、移動が遅かったらダレちゃうよ」
「やっぱりゲームみたいな言い方ね…?」
「だって、ゲームだもん…」
そう言いながらキタキツネが遊ぶゲームは、心なしか移動がもっさりとしていた。
これは、彼女が現在進行形で抱えている問題だったらしい。
「それについては問題ないよ。転移、つまりテレポートをするから」
「そっか、それなら安心だね。…って、なると思う?」
「えへへ、ちゃんと説明するよ?」
「それは分かってるけど…あんまりサラっと言われちゃったら、驚くに驚けないな」
テレパシーに続いてテレポート。
まあ、気を抜いたら四六時中思考を抜き取られるテレパシーよりは人道的と言えるだろう。
狐に人道を求めるのも変だし、僕は日夜を問わずさとられるというのも嫌いじゃな……まあ、それはいいや。
それにしても、最近のイヅナは歯止めが効かないな。
サンドスターに糸目を付けずに戦えば、きっと一番強いのはイヅナになる。
「今度はテレポートって、いよいよ何でもありね。前から思ってたけど」
「すごいでしょギンちゃん。褒めてもいいんだよ?」
「素敵な提案だけど、今回は遠慮させてもらうわね」
ギンギツネは皮肉交じりにイヅナをあしらう。
「ちぇっ、愛想が無いよね」
イヅナも然程気に留めず、机の下から大きな画用紙を取って上に広げた。
そこには、魔法陣のような面妖な図形が描かれている。
恐らくはテレポートと深い関わりがあるのだろうけれど、無知故にハッキリ理解はできない。
「これを、テレポートに使うの…?」
「そう、特殊な物質でこの紋様を作って、妖力を込めれば出来上がり」
「ほ、本当にそれだけ…?」
「まあ一応、『どこに飛びたいのか』は詳しく想像しておく必要があるよ」
「そっか…あはは、当然だね?」
話だけ聞けばとても便利で、だから僕は疑問に思った。どうしてイヅナは、今の今までこれを使わなかったんだろう?
そんな僕の視線に気づいたイヅナは、あっさりと答えてくれた。
「今まではほら…そんなに長い距離を動く必要なかったから」
そういえば…そうだった。
―――――――――
一通り計画を立て終わったら、玄関先に出て魔法陣を組み始める。
と言っても組むのはイヅナ一人で、僕達は傍で見ているだけ。魔法陣のことは何も知らないから、仕方ないことかな。
「…よし、形はバッチリだね」
でも僕だってただ見ているだけじゃない。
せめて何かの役に立てるように、ついさっき教えてもらったテレポートの妖術の性質を、頭の中で何度も繰り返して覚えようとした。
一つ。テレポートの魔法陣は妖力を込めて起動し、通行するためにも妖力を必要とする。
二つ。使用するごとに起動が必要で、起動した人が自由に制限を加えることもできる。
三つ。一度行き先を決めたら魔法陣が変質するので、行き先を変えたいときは特殊な加工を施すかもしくは作り直し。
四つ。初めてテレポートをするとき、テレポート先の地面に起動済みの魔法陣が作られる。
五つ。テレポートしたい地点の近くに起動済みの魔法陣がある時、その魔法陣へ繋ぐことが出来る。
六つ。魔法陣同士の繋がりは一対一に限らない。
七つ。魔法陣はイヅナの愛で出来ている。
…さて、教えてもらったなな…六つの性質はしっかり覚えて、いざという時に備えておこう。
「じゃあ次は起動かな…?」
「その前に、ジャパリパークの何処に飛ぶか具体的に決めておこうよ」
「…じゃあ、地図があればいいのかな」
僕達が利用しやすい地図と言えば、すぐに思いつくものは一つしかない。
ついて来たいという二人をそれぞれ抱えて、僕達は研究所へと向かった。
―――――――――
「ずるい、ずるいよギンギツネー!」
「それは私も同じ気持ちだから、騒がないでよキタちゃん…」
僕が誰を抱えて飛ぶのか。
キタキツネとギンギツネがじゃんけんをして、お察しの通りギンギツネが勝った。
勝負が決した時のキタキツネの顔は絶望一色だった。
しかし、端から蚊帳の外に追いやられたイヅナの悲しげな眼も、僕はしばらく忘れられそうにない。
「はぁ…」
「まあまあ、そんなに落ち込まないで?」
「ギンちゃんには言われたくない!」
だけど、何の錯覚か。
イヅナの溜め息に、これとは別の憂いが混じっているように思えてならなかった。
もしかして、何か隠してるのかな…?
「…っと、着いちゃったね」
言葉の応酬も佳境を迎えず、生焼けのまま森へと降りる。
中へ入ろうと扉の前に立ち、僕はそこで手が自由に使えないことに気が付いた。
「ギンギツネ、そろそろ…」
「あぁ、ノリアキさん、私高いところが苦手なの」
「……う、うん」
突然、どうしたんだろう…?
「さっきまで空にいたから私怖くて怖くて、今でも腰が引けて動けそうにないわ。お願い、もう少しこのままにして…?」
「あはは、そう言われてもな…」
視線は自然と後ろに向いた。
「…ギンちゃん、もう着いたよ」
イヅナが冷たい声でギンギツネに降りるよう促した。
キタキツネは静かだったけど、彼女の視線もまた厳しく僕の腕周りに突き刺さっている。
「…仕方ないわね」
ギンギツネはヒョイと僕の腕から飛び降り、腰が引けているとは思えないほどしっかりとした足取りで研究所へと入っていく。
「…あはは」
嘘だと分かってはいたけれど、一切の躊躇なくその嘘を投げ捨てる様はいっそ清々しかった。
「さ、入ろ」
「ノリくん、どうしたの…?」
「あ、ううん。何でもないよ」
―――――――――
研究所は相変わらず綺麗に手入れがされていた。
用件を伝えると、担当のラッキービーストがすぐに対応してくれる。
まるで、本当にパークの施設を利用しているみたいだ。
「これが、パーク全体の地図だね」
久しぶりに見る全体図。記憶に残る『ジャパリパーク全図』のに載っていたのと多分同じものだ。
「それで、涼しいエリアは何処?」
『基本的に全てのエリアに一通りの気候が揃って存在していますが、寒冷な地域の分布が比較的に大きいのは”ホートク”と”ホッカイ”です』
「じゃあ、その二つのエリアの地図を見せて」
『かしこまりました』
即座に表示が切り替わり、二つのエリアの地図が現れる。
似ている気候のエリアたちは、しかし大きく違う特徴を持っていた。
「ホートクは他のエリアと地続きで、ホッカイはキョウシュウと同じく島だね」
キョウシュウと比べれば随分と広大だけど、島は島だ。
「だったら、私はホッカイの方がいいと思う」
「そうね、何となくだけどイヅナちゃんに賛成よ」
「…キタキツネは?」
「ボクは、どっちでもいい…!」
ぐっと手を握って誇らしげに宣言する。
まあ、そもそも興味なさげだったし別にいいかな。
斯くいう僕も、どっちでもいいと思ってたわけだし。
「じゃあ、ホッカイにしよっか」
続けて、モニターにホッカイの中での寒冷な地域を示してもらう。
ホッカイエリアにはここと同じ雪山だけでなく、広い雪原やタイガ、ツンドラと呼ばれる地域があるようだった。
僕達はその中から雪原とツンドラの境界辺りを目途にして、適当な場所にマークを付けた。
「ここにテレポートするんだね」
「そう、誤差は大体1kmくらいの範囲に収まると思うよ」
そんなこんなで、かなりあっさりと別荘地偵察計画がほぼ半分完成した。
―――――――――
そうしたら、次に取り掛かるのは荷物の準備。
ギンギツネは生活用品を集め、キタキツネはゲームで遊び、イヅナはいざという時のための備えを用意する。
何が起こるのか分からないのはごく当然のこととして、何か起こった時により危険であることは間違いない。
危険対策と言って持ち物リストを書き上げるイヅナはいつになく真剣だった。
…『僕が関わるから』という理由だけでは、些か違和感を覚えるくらいに。
「よし…よし! 大丈夫、だよね…」
「イヅナ、気を詰めすぎじゃないかな」
「そんなことないよ! だって、十分気を付けなきゃ危ないし…」
彼女の手に握られるメモを見れば、投げて使う毒薬や”サンドスター爆弾”なるものまでリストに書き加えられている。
…言うまでもなく不自然だ。
「大丈夫だよ、とっても強いイヅナが一緒にいてくれるんだから」
「…ダメ、なの」
「ダメって…何が?」
コロコロと鉛筆が転がる。
それはイヅナの手を離れていき、やがて落ちれば拾えなくなる。
「だって…ほら、怖いじゃん…!?」
「…じゃあこの準備も、全部怖いから?」
「…う、うん」
そう言って、怯えるようにコクコクとうなずく。
これは流石に予想外だった。
彼女がこんなにも強く、未知に対して恐怖しているなんて。
でも僕は、イヅナの言葉を聞いて少しだけ緊張が緩んだような…そんな感じがしていた。
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