Ⅱ-116 布団の残り香、白い夢。

 今日という一日は、赤ボスの踏みつけによってその始まりが告げられた。


「ノリアキ、少シイイカナ?」

「んぅ…なに…?」


 赤ボスに叩き起こされるのもこれで何回目になるのかな。

 最初にそれをされた時から、赤ボスの起こし方はほんの少しも変わっていない。

 

 色んなものが変わり果てた生活の中でそれを想うと、寂しい気持ちにもなる。

 

 ただそれでも、何も知らなかったあの頃に戻りたいとは微塵も思わないのだ。


「付近デセルリアンノ出没ガ確認サレタヨ」

「倒しに行けってこと…?」

「…”イヅナ”ハモウ向カッタヨ」

「分かった、行ってくるよ」


 立ち上がって大きく伸びて、パチンと頬を叩いて目を覚ます。

 

 だけど目を覚ますのは後でもよかった。下手に意識が冴えたせいで、余計な所に気が回ってしまったからだ。


「あ、布団…」


 急いでいても、畳むくらいはしなきゃ。

 

 …セルリアンとどっちの優先順位が高いのかは知らないけど、とにかくそう思った。

 中途半端に起きた賜物かもしれない。


 そうして布団へ伸ばした腕が、横からガッチリと掴まれる。


「話は聞かせてもらったわ! 布団は私が片づけるから行ってらっしゃい、ノリアキさん」

「え? ああ…ありがとね」


 彼女に急かされて部屋を出た後、色々思考が脳裏をよぎる。

 

 ギンギツネ、随分と素早く出てきたなぁ。

 『話は聞いた』って…一体いつから聞いていたんだろう?


「ま、いっか」


 雑多な思考は雑多なままで、無意識の海に消えていく。

 

 それが大事な考えかどうか、忘れて判断も下せない。

 しかし忘れたということは、それほど大事じゃ無かったんだろう。


 少なくとも僕は、知らないものを大切にはできない。



―――――――――



「ふぅ、見掛け倒しだったね」

「大きいのが見た目と態度だけなんて、何処かの森の誰かさんみたい」


 ”何処かの森”といえば、僕は真っ先に図書館を思い浮かべる。


 そこにいるのは博士たちだけど、そんなに大きい見た目はしていない。


 むむ、僕の知らない誰かの話をしてるのかな。


「…ノリくん? ボーっとしてどうしたの?」

「え…? …ああ、赤ボスに朝早く起こされたせいでまだ眠くて」


 僕がそう誤魔化すと、イヅナは明らかに不機嫌な顔をした。


 怒らせちゃったかなと一瞬肝が冷えたけど、イヅナの怒りの矛先は赤ボスに向いているようだった。


「私一人で十分なのに、ノリくんの手を煩わせて…! 今度見掛けたら電源を止めてあげようかなぁ…?」

「赤ボスも、イヅナを心配してたんじゃない?」

「別にいいよ、ノリくんさえ…私を想ってくれたら」


 その後もしばらく話をしていたけど、やっぱりだんだん眠くなってきた。

 

 イヅナには先に食べててと伝え、僕は寝室に足を運ぶ。


 その途中で、ギンギツネが布団を片づけてしまったことを思いだした。


「畳でも、眠れなくはないかなぁ…」


 しかしそんなは眠気という本能に凡そ勝てるはずもなく。

 

 僕は近頃減っていたお昼までの二度寝を決行しようと心に誓って、寝室の襖を横に引いた。


「……あれ?」


 だけど、床にはまだ布団が敷いてある。

 しっかり手入れはされているようで、皴もなく綺麗だ。


 …もしかして、二度寝することを察してくれたのかな?


 真実は分からないけど、そんなことはどうでもいい。


 居場所も知らないギンギツネへと心の中で感謝を伝え、僕の意識はふかふかの海の底へそっとその身を下ろした。




―――――――――




「あ…寝てる…」


 私の視線の向こうには、襖と戸の枠の隙間から見える彼の姿。


 普段から散々直視しているはずなのに、こうして見るとまた特別なように感じられてしまう。


「寝顔も素敵ね…ふふ…!」


 無意識のうちに零れる呟きを垂れ流し、私は袋に詰めた白いを頬張る。

 

 美味しい。幸せの味が口いっぱいに広がる。

 そして私は朝から何というものを食べているのだろう。背徳の味が頭を白く染め上げる。


「…ギンギツネ?」

「ひゃっ!? …ど、どうしたのキタキツネ…?」


 咄嗟に袋を体で隠す。

 幸運にも、キタキツネはお菓子の存在に気づかなかったみたい。


「ギンギツネが、ノリアキの部屋覗いてたから」

「別に、キタキツネもよくやることでしょ?」

「…そうだけど」


 少し目を向けると、訝しげに首を傾げている。…怪しまれたかしら、それなら言葉は慎重に選ばなきゃ。


 考えている間に、お菓子は服の中へと隠した。


「キタキツネこそどうしたの? 朝ご飯ならもう作ってあるわよ」

「別に、何でもない」

「あら、そう」


 何でもないと言いつつも、キタキツネの視線は襖にチラチラ向いている。

 

 向こう側の様子を想像しているのかしら。

 まあ、精々想像してるといいわ。私は直接見てるから。


「…お腹すいた」


 しばらくするとキタキツネは行ってしまい、一人になった私は晴れて堂々とお菓子を食べられるようになった。


「ん…ノリアキさん…」


 そのまま私は、彼が目を覚ますまでずっとその寝姿を眺めていた。




―――――――――




「ふわぁ~…お昼かぁ…」


 二度寝の後の目覚めとは、得てしてパッとしないものだ。

 

 僕は朦朧とする頭を振って、なんとか目の前の景色を認識した。


 ゆっくり起き上がって、今度は布団のことなんてすっかり忘れて、空っぽになったお腹を満たしに部屋を出る。


 そこで、ギンギツネと出くわした。


「……あ」

「あれ…何してるの…?」


 ギンギツネは僕を見ると固まって、横歩きで僕の後ろまで移動する。


「ええと…お布団、片づけるわね…!」

「…う、うん?」


 大きな音を立てて襖が閉じられる。


 ギンギツネの様子を訝しみつつも空腹には逆らえず、僕の心はご飯を夢見た。

 

 そのとき、床に落ちている白い髪の毛に気づいて拾い上げる。

 それほど長くないから、多分イヅナではなく僕の髪の毛だ。


「…まぁ、落ちてるよね」


 さほど気にせず髪の毛は適当に放り捨てて、僕は遅い朝ご飯を食べに行った。




―――――――――




「気づかれて、ないよね…?」


 ざわめく胸を押さえ、平静を保って私は彼の様子を確かめた。

 

 しばし眺めて、私は強く安堵する。

 ノリアキさんの様子が普段と何ら変わりなかったから。


「これなら大丈夫そうね」


 私が穏やかなため息を漏らせば、それを聞きつける狐がいる。


「何が大丈夫なの、ギンちゃん?」

「あっ…こほん、イヅナちゃんには関係ないわ」

「…ノリくんには?」

「……さあ、どうかしら」


 本当は大アリなんだけど、彼女相手にそれを素直に認めるのも癪で。

 十中八九誤魔化しきれやしないことを知っていながら、私はお茶を濁す。


「あはは、惚けちゃって。嘘ついたって良いことないよ~?」

「イヅナちゃんに話したところで、『良いこと』があるようには思えないわ」

「つれないこと言わないでよ、考えてたんでしょ?」


 素っ気なく突っぱねても、今日の彼女はまだ食い下がる。


 普段からこんなにしつこかったかしら。ノリアキさんへのアプローチは執着の二文字に尽きるけど、それは私も同じだから言うことはなし。

 

 それでも飽くまでノリアキさんに向いていて、私に矛先が向くのはコレが初めてな気もする。

 やっぱり、あの時派手にやったが効いているのかしらね。


 だったら、もっと煽り立てるのも悪くない。


「そうね、折角だから教えてあげるわ」

「おおー、太っ腹」


 …張り倒してやろうかしら。まあいい、それなら煽り返してやるわ。


「私はね、あなた達が持ってないものを持ってるの、あなた達が知らない、ノリアキさんのことを知ってるの」

「…へぇ」

「教えてあげるのはコレだけ、気になるなら自分で考えてみたら? ノリアキさんに聞いても答えは出ないと思うから」


 イヅナちゃんの顔が狐面のように強張った。


 いい気味ね。

 普段は飄々としている分、怒った顔を見るのは格別の気分だわ。


 一瞬、私はを見せつけて目の前で堪能して見せようかとも思った。


 だけど、隠して、見つけられない様を眺める方がずっと気持ちいいはず。

 そう言い聞かせて、衝動をもっと強い欲望で塗りつぶす。


「じゃあ、私はやることがあるから」


 代わりにくるんと背を向けて、悠々と歩く姿を見せつける。


 怒ってるかしら、歯ぎしりでもしてるのかしら。

 想像するだけでも、それは格別な愉悦だった。




―――――――――




「ノリアキさん~♡」


 布団に彼を押し倒す。

 幾度となく繰り返されたことなのに、彼の初々しさは全く変わらない。


 緊張を示すようにピクピクと震える耳が可愛らしくて、ついつい噛みついてしまった。


「あっ…!」


 震える体を抱き締める。

 

「怖がらないで、私に任せて…?」


 今この瞬間、ノリアキさんが私の腕の中にいる。

 他の誰でもない、私だけのものになってくれる。


 ――今度は髪の毛に噛みつく。


 出来ることならこのまま彼を連れ去って、誰もいない場所で一緒に暮らしたい。


 ――優しく、痛まないように噛みちぎる。


 どうして、この時間が永遠にならないのかしら。


 ――口の中で髪の毛が解けて、サンドスターの味がする。


 どうして、一緒に消えてしまえないのかしら。


 ――虹は綿あめのように解けて消え、



「…楽しそうだね、ギンギツネ」

「ええ。だって、あなたがいるもの」


 私たちが雪ならば、解けて混ざって一緒になれる。

 でも、本当に私たちが雪だったら、冷たくて解かせないのかな。


 …なーんて、変なことを考えるのね。


 全部解けるに決まってる。

 この胸に迸る熱が、全て熱しつくしてしまうもの。


 夜闇が私たちを覆い、白い夢が私たちを蕩かす。

 『夜は長い』というけれど、本当かしら。


 どんなに長くても、私の時間は一瞬で過ぎてしまう。永遠に続いて欲しいと願うほど、時間は短くなっていく。


 …カミサマは、とっても意地悪ね。



 どうすれば、この時間を永遠に出来るのかしら。こっそり首に回した腕を、気取られぬよう背中へ回す。


 には、きっとまだ早いわ。




―――――――――




「よいしょ…ふぅ…」


 早朝、草木も雪も、ノリアキさんも眠っている。

 起きないうちに、はやっておかなきゃ。


「ごめんね、少しだけ我慢して…?」

「ぇ…んぅ…」


 彼の上半身を優しく起こして、そっと枕を引き抜いた。


 代わりの枕は私の枕、何でもないのに嬉しい気持ち。

 私も簡単な存在になっちゃったものね。勿論、全然悪いことじゃないけど。


 彼の枕を取った後は、ポケットから袋を取り出す。

 真っ白な髪の毛がたくさん入った、の袋の口を広げる。


「あはは、今日も沢山ね…!」


 丁寧に指先でつまみ取って袋に放り入れる。


 集中して、意識の全てを注いで髪の毛を回収する。そうしなければ、髪の毛は無意識のうちに口へと運ばれてしまう。


「これで全部ね…美味しそう」

 

 いつから隠れて髪の毛を集め始めたのか、もう覚えていない。

 

 これがずっと、私の毎日の楽しみだった。

 でも今は、もっと楽しいことがある。


 ノリアキさんの髪の毛を、そっとたくし上げる。


「……♡」


 起こしてしまわないように、痛がらせてしまわないように、私は恐る恐るそれに噛み付く。


 歯で挟んで、潰すように切り取って、舌でじっくり味わった。


 ずっと食べてきた、変わらない味。それなのに、全然違う。


 もう、私はこの想いを隠さなくてもいい。なのに私は、彼に隠れてを食べている。

 そんな取るに足らない矛盾が、スパイスのように甘い虹色を際立たせる。


「…ごちそうさま」


 どろどろに溶けた白色を飲み込んで、私は彼の隣で目を閉じる。

 今日のお昼ご飯は、イヅナちゃんが作ってくれた。

 

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