第七話 母
自宅の扉を開けると、室内はひっそりと静まりかえっていた。
我が家は両親と私の三人家族。父は『槍術』スキルを活かして、交易隊商の護衛をしている。今はちょうど交易期間のため、いない。
母は私より先に広場に行ったはずだけど、今はまだ教会へ避難しているのだろう。
旅立つには、ちょうどよかった。
「ノエ、こっちだよ。」
ノエと一緒に私の部屋へ入る。
壁や飾り棚には、父から貰ったお土産が所狭しと並んでいる。細やかな細工の木彫のペンダント。とある集落の祭りで使うという仮面。迷宮で採取された暗闇で淡く光る鉱石の欠片。魚を捕る瞬間のブレードベアを象った木彫の置物。交易で様々な土地へ行く父からのお土産と、冒険譚や物語のような父の話は、いつも私の胸をときめかせた。
ノエは興味深そうに、部屋の中をふわふわと浮かんでいる。色々な所に顔、と言うより、体ごと突っ込んでいるのを見ると、探索しているようだ。あ、天井から吊るしていた夢取網に引っかかった。自力で網から抜け出すと、ベッドへふわふわと向かい、枕の上でふわりふわりと弾み始めた。うん、楽しんでるみたいだね。
広場の惨状を思うと、ユウトとエルネストの門出を祝うなんてどころではないだろう。町の人も、母も、そう遅くないうちに戻ってくるはずだ。手早く支度を済ませよう。
着ていた服を脱ぎ捨て、吊るしていた冒険用の服に袖を通す。ブーツを履いて、バックパックを担ぐ。準備は完璧だ。
机の引き出しから両親への置き手紙を取り出した。反対されるのは分かりきっていたし、直接別れは言いたくない。手紙を読んだ両親の反応は想像に容易い。母の怒りの雷、父は号泣の大雨。我が家は荒れ模様となるでしょう。
それでも、私は行く。
「ノエ、準備できたよ。」
ブレードベアの置物とにらめっこしていたノエに声をかけると、ノエはふわふわと私の頭の上に着地した。
居間の食卓に手紙を置き、深呼吸を一つ。
「よし、行こっか!」
「ヒカル。ちょっと待ちなさい。」
「ふにゃっ!?」
まだ、戻ってくるはずがない、母の声。
ぎぎぎ、軋むように振り返ると、腕組みをしてこちらを見つめる母の姿。何故、母がもう帰ってきているんだろう。
「お、お母さん…あのね、えーと、ね。私、ちょーっと散歩に行こうかなあって思ってさ…。少し、ほんの少し遠くまで散歩してみようかなあって…。」
言ってしまって思う、酷い言い訳だ。言い訳にすらなっていない。ああ、私の冒険が始まる前に終わってしまう。母の雷に備え、固く目を閉じる。
「あなたが旅立つ前に、渡す物があるの。」
はい?
言葉が碌に出てこない。頭ごなしに怒られ、反対されるものだと思っていたのに、母は淡々としていて冷静だった。
「え、お母さん、反対してたじゃない。許してくれるの?」
私の問いかけに、母は軽く息を吐く。
「反対に決まってるでしょう。私はあなたの母親だもの。一人娘が危険な目に遭うかもしれない、もう二度会えないかもしれない。想像するだけで、ぞっとするわ。」
「それなら…」
「それでも、ヒカルは行くのでしょう?」
母の黒い瞳は、潤んでいた。今にも零れそうなほどに。思わず、目を伏せる。
ノエが私から離れ、ふわふわと母の方へ向かう。母と私を交互に見て、疑問符を浮かべている。
ヒカル。ふたり。
不思議そうに傾きながら浮かぶノエを見て、母の頬が緩んだ。
「かわいいお連れ様ね。」
「ノエって言うの。私の初めての仲間。ノエ、この人は私のお母さんで、名前はヒカル。私と同じ名前だよ。」
ノエが私を見る。
ヒカル。
そして母を見る。
ヒカル。
「私のことはお母さんでいいわよ。ノエちゃん。」
おかあさん。
ノエはわかった、と縦に揺れた。
「ノエはこう見えて、エルネストをやっつけられるくらい強いんだよ。」
「あの、エル君を?それは凄いわねえ。」
ノエが膨らみ、ドヤ顔をしている。
「ヒカルの事よろしくね。ノエちゃん。」
わかった。おかあさん。
母がノエへと手を差し出し、ノエはその手に体を擦り寄せた。
「さあ、これがあなたに渡す物よ。」
母が取り出したのは、手の平より少し大きな黒い箱。こちらに中が見えるように蓋を開けると、中身は銀の腕輪だった。
「受け取りなさい、ヒカル。」
母に促され、恐る恐る腕輪を手に取る。
曇りの無い、早朝の湖面のように輝く銀色。その表面に広がるのは、この世界のものではない、恐らく異世界の文字。異世界の文字は蔦のように全体へ広がり、幾何学的な紋様を描いている。継ぎ目は無く、見た目に反して重さをさほど感じない。魅入られる、美しさ。
もふ、と頬にノエの体が触れる。私の肩の辺りから、一緒に腕輪を眺めていた。ほんわか暖かい。
「この腕輪は先祖代々受け継がれてきたものよ。私達の名前と共に、ヒカルから、ヒカルへとね。」
「初めてみたよ。こんな綺麗なものが家にあったんだね。」
「そう、綺麗すぎて怖いくらい。今日もね、あなたに渡す前に磨いておこうと思って久々に蓋を開けたけれど、磨く必要なんて無かったわ。この通り、見事な輝きでしょう?」
妙な話だ。箱に入れておこうが放置していたのなら、変色したり錆びが出るのが銀なのでは?
「もしかして、銀じゃないの?」
「銀に近い何か、と言ったところかしらね。少なくとも、私が父から譲り受けた時から、この輝きは少しも曇っていないわ。」
再度、腕輪へと目を向ける。明かりに照らされて輝いているようで、腕輪自らが輝いているようだ。
「さあ、手を出して。腕輪をつけてあげるわ。」
「ええ?いいよ、子供じゃあるまいし。自分でつけれるって。」
「いいから、ほら。」
母が私の手から腕輪をひったくり、早く手を出すように急かしてくる。渋々、右腕を差し出す。
母が着けてくれた腕輪は、私の手首には大きかった。しかし、母が表面を撫でると、腕輪がスルスルと縮み、私の腕にぴたりとはまった。
「マジックアイテムなんだね。」
「そうよ。効果はよく分からないけれどね。『鑑定』して貰っても、わからなかったわ。」
『鑑定』しても効果がわからない、マジックアイテムの腕輪。なんとなく、ノエの方をチラと見る。ノエは、まだ腕輪を眺めていた。
「お母さん、前に言ってたよね。うちの家系は、第一子に必ずヒカルって名前をつけるって。この腕輪も、なにか関係あるの?」
こくり、と頷く母。
「お母さんね、ヒカルと同じくらいの歳の頃は、ヒカルって名前を継ぐなんて馬鹿らしいものだって思ってたのよ。そして、この腕輪もね。先祖代々伝わる、なんて古くさい因習は、私が終わらせてやる!なんて、思ってたわ。」
「でも、ここに十二代目と十三代目のヒカルがいて、腕輪も受け継がれた。」
「あなたがお腹にいた時、腕輪が教えてくれたの、この子はヒカルだって。名前は、もうそれ以外に考えられなかった。」
不思議でしょう?と母は明るく笑うが、私としては不思議ではなく不気味に思える。
「腕輪に呪いでもかかってるのかな?」
「『鑑定』した人は、呪われたものでは無いとは言っていたけど。腕輪の効果がわからなかったからねえ。」
試しに、腕輪がはまった右手をノエに近づけてみる。ノエが嫌がる様子はない。左右に手を揺らすと、手の動きに合わせてふわふわと揺れる。
「腕輪の効果はわからない。でも、お母さんはわかるのよ。これはあなたが持たなければならないわ。」
「それは、お母さんの『直感』によるもの?」
母のスキル『直感』は、発動することで隠されたものや、嘘を見破ることが出来る。母のスキルレベルはそう高くないため、念入りに隠匿されたものを見破ることはできないが。
「『直感』だけではないわね。強いて言うなら母親のカンってものかしら?」
「母親のカン、ねえ。」
「この腕輪は、必ずあなたを守ってくれるわ。」
母は随分と確信しているようだ。まあ、今は母親のカンというものを素直に信じてみよう。
「有り難く、頂戴致します。」
恭しく頭を下げると、母が私の頭を優しく撫でた。
「そうそう、ちゃんと食事も取らないと駄目よ?あなたなら、しっかり計画をたててるとは思うけど。」
「大丈夫、準備はちゃんとしてあるから。私だって野ウサギくらいなら狩りもできると思うし、ノエも一緒だしね。それにね、私、スキルだって覚えたんだから。」
胸を張ってみせると、母は驚いた表情のあと、微笑んでみせた。
「あなたがスキルを覚える日がくるなんてね。スキル名はなに?」
う、言っていいのかな。でも誤魔化してもしょうがないか。
「『まものつかい』だよ。」
母がぎょっと目を見開く。ちらり、とノエを見たが、気にしない事にするように首を緩く振った。
「言ってもしょうがないことだろうし、ぐだぐだは言わないわ。でもね、異端審問官には、注意するのよ。」
「[まもの]を操る『まものつかい』。異端認定待ったなしね。」
ぐえーっ、と舌を出して首を吊られるマネをしてみせる。母が酷く顔を顰め、泣きそうになったのですぐやめた。……ちょっとふざけただけだよ。
「あとは……ああ、ヒカル。このお金も持って行きなさい。」
母が小さな革袋を取り出す。音からして、少なくはない硬貨が入っているようだ。
「もう、大丈夫だってば。今まで貯めてたお小遣いもあるし。冒険者なら、自分の事は自分でやらなきゃ。」
「これはあなたが独り立ちする時のために貯めていたものなの。旅立つ者への餞よ。持って行きなさい。」
餞、か。そう言われてしまうと断るのも忍びない。
「ありがとう、お母さん。」
受け取った革袋は、暖かかった。
突然、母に抱きしめられる。パンと、ハーブの匂い。
「いつか必ず、帰ってきなさい。お母さんは、いつでもあなたの帰りを待ってるわ。」
耳元で聞こえる母の声は、かすかに震えていた。
「いつか、帰る。約束するよ。」
私の声も、震えていたかもしれない。大丈夫、と落ち着かせるように母の背をさすると、母はゆっくりと離れていった。顔を上げた母は、とても穏やかな顔をしていた。
「お母さん、お父さんにもよろしく伝えてね。」
「あの人のことだから、ヒカルの後を追いかけるなんて言い出すかもね。」
「え、嫌だ。絶対止めて。」
母は笑っているけど、冗談抜きで追いかけてきそうで嫌だ。え、本当に止めてよ?これは私の冒険なんだから。
「ヒカル、いってらっしゃい。」
「……いってきます!」
母に背を向け、扉を開ける。日の光が、眩しかった。
無能少女は『まものつかい』 ブラス @blasphemia
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