こちら、日本国冒険者ギルド併設酒場~昼行灯国家公務員冒険者は今日も眠い~

港瀬つかさ

こちら、日本国冒険者ギルド併設酒場~昼行灯国家公務員冒険者は今日も眠い~

 ごろごろぐでーん。

 そんなふざけた効果音がぴったりと言いたくなるような状態で机に右頬をくっつけているのは、見た目だけなら妙齢の、二十代半ば頃の女性だった。見目は決して悪くない。きちんと化粧をして、髪型や服装に気を遣ったならばそこそこ見れるだろうと思える程度には整った顔立ちをしている。

 しかし、今はソレも台無しだった。

 右手はビールの大ジョッキを掴んだままで、左手はだらしなくぶらんぶらんと身体の横で揺れている。平日の真っ昼間から遠慮無くビールを呑み、ぐでぐでーっとしているふざけた人物だった。周りは真面目に仕事をする人ばかりだというのに、1人物凄く場違いだった。


「みっちゃーん、ビール飽きたから、梅酒ロックでー」

「私今受付の方で忙しいんで」

「みっちゃーん、ついでにおつまみの枝豆も追加でー」

「話聞いてください!私は今、受付業務が忙しいんです!」

「えー……」


 みっちゃんと呼ばれた女性が、眉間に皺を寄せて叫ぶ。よっぽどお怒りだったのか、頭から角がぴょこんと生えていた。比喩ではない。左右に対になるようにぴょこんと生えた角は、彼女の自前だ。ただし、普段は邪魔になるので出していないため、角が出るほど怒っているのは事実だろう。

 ぐでーっとしている女性は、みっちゃんと呼んだ女性の怒りを右から左に聞き流していた。まぁ良いかー、みたいな感じで机に身体を預けている。ぐでぐでだった。どこかのたれたマスコットみたいになっている。なお、これは彼女の基本スタイルだったりする。世も末だ。

 受付嬢みっちゃん改め、鬼と人間の混血である女子大生・花柳未知留はなやぎみちるは、いつも通りすぎる相手のぐだぐだを既に無視していた。彼女は実際、受付業務が忙しいのだ。目の前の客、冒険者に対してすみませんと謝罪してからクエスト達成の報酬処理をしている。カタカタとパソコンを操作する音が軽快に響いていた。


「平日の真っ昼間から、皆さん頑張るなぁ……」


 のほほんとした口調で呟く女性の発言は、誰の耳にも届かなかった。多分、届いていても無視されただろう。平日の昼間だからこそ働くのだ。確かに冒険者稼業は就業時間がバラバラだが、それでもやはり誰だって週休二日で快適に、とか思うに違いない。夜に動くよりも平日の方が動きやすいし、そもそも色々な企業と連携するなら平日の方が断然お得だ。ギルドでの処理もスムーズに終わる。

 それらを踏まえて、専業の冒険者達はだいたい平日に稼ぐ。休日に稼ぐのは学生や会社員などの兼業冒険者達と、特殊な事情で招集される高ランク冒険者達だろう。

 とはいえ、ここは常日頃はいたって平和な街である。日本国の西の覇者、かつての(というと彼の地の人々に凄い目で睨まれるが)都、京都府のお隣、滋賀県だ。ほどよく田舎で、ほどよく栄えているこの県は、中央に琵琶湖という最強のダンジョンを抱える冒険者のメッカの一つでもあった。

 具体的に言えばこの県、規模の割にダンジョンが多いのだ。霊峰がことごとくダンジョンであるこの世界において、四方全部を山に囲まれた側面がある滋賀県は、地味にダンジョン天国だった。霊峰だけではない。名のある寺社仏閣は、大体ダンジョンの霊的地場に建設されている。寺社仏閣の中にダンジョンの入り口があるのはお約束だ。

 なお、寺社仏閣や霊峰に存在するダンジョンに関しては、魔物が出てくる心配は皆無だった。寺社仏閣やら霊峰やらは、ダンジョンがあると同時に神域や霊域であり、その入り口は不可視の力によって封じられて魔物を阻んでいるのだから。だからこそ人々は安心してその地を訪れ、神や仏の恩恵を感じるのだ。

 勿論、山やら林やら路地裏やらに魔物は存在するが、そんなものは学生アルバイトでも軽く倒せる程度の雑魚魔物。スライム退治は学生の良いお小遣い稼ぎだ。具体例を挙げるならば、財布を忘れた高校生が、道中でスライムを退治して学校にあるギルドの出張所でその核と引き替えに現金を得てお弁当を買う感じには、日常である。

 そんなわけで、ダンジョンの数は多くともその大多数が霊峰所属であるゆえに危険度が低い立地から、修行中の冒険者がやってきたりするのだ。霊峰系ダンジョンは緊急脱出も簡単なので、初心者向けなのである。

 彼女もそんな冒険者の一人なのだが、定位置はギルド併設のこの酒場の隅の席。基本姿勢は机に突っ伏して半分寝てるようなぐでぐで具合。とても冒険者には見えない。


「お前はまた、朝から飲んだくれてるのか」

「飲んだくれてへんもーん。うちにとってはこの程度のアルコールは水と等しい!」

「威張るな、昼行灯」

「アイタ」


 ごつん、と大きな音がした。拳骨で頭を殴られた女性は面倒そうに身体を起こし、自分を殴った相手を見上げる。ぴしっとスーツを身につけているが、無駄に逞しい筋肉質な体型のためにシャツもスラックスも上着もぱんぱんだった。ボタン外れるでーと彼女がツッコミを入れてしまう程度には、ムキムキである。

 昼行灯、と彼女は呼ばれた。昼行灯とは、役に立たない人を指す言葉だ。普通ならばそんなことを言われたら気分を害するだろうが、彼女はのほほんと笑っている。「いやー、えぇなぁ、昼行灯」などと言い出す始末だ。タチが悪い。


陽菜ひな

「ういっす」

「平日の真っ昼間からお前がそんな風に酔っ払いやらかしてたら、うちのギルドの質が疑われる。せめて座ってろ」

「えー……。せやかて、今日暑いやん……。机のひんやりが気持ちえぇんやで?」

「今すぐ普通に座るか、俺の一撃を食らうか、どっちが良い?」

「普通に座らせて頂きます!」


 しゅばっという効果音でもしそうな速度で起き上がり、陽菜と呼ばれた女性は敬礼付きで返答した。掌を返したような態度だが、先ほどまでの態度のせいで奇妙にコミカルだった。有り体に言えば、締まらない。安定の、というのかもしれないが。

 はぁ、とため息をついた男は、この冒険者ギルドのギルドマスターを務めている。日本国冒険者ギルド、滋賀県大津市中央支部のギルドマスターだ。大津市は合併を繰り返して面積が広がったので、北部支部、中央支部、東部支部の三つに分割されているのである。


「……お前な」

「はいな」

「一応国家公務員だって自覚はあるか?」

「あんまないっす」

「正直だな!」

「正直は美徳!」

「お前の場合は悪徳だ、阿呆!」


 すっぱーんという小気味良い音が響いた。受付の未知留嬢含め、ギルド側にいた面々が驚いたようにこちらを見る。しかし、音の発生源が使い込まれたハリセンを所持したギルマスで、被害者が先ほどまでぐだぐだぐでぐでしていた陽菜だと解ると、全員揃って何も無かったかのように作業に戻った。……その程度にはいつものことと認識されているのだった。

 そう、このぐでぐでごろーんが標準装備のダメ人間代表みたいな女性は、国家公務員だった。冒険者にもランクがあり、それは単純にギルドで与えられるランクだけではない。ギルドに登録するだけでなれる通常の冒険者、それぞれの試験を突破して資格を与えられる、地方公務員、国家公務員冒険者。また、それとは別に各種企業専属の企業冒険者も存在する。

 冒険者と一口に言っても、その所属や資格の取得方法によってバックアップや受けられるクエスト内容が変化したりするのだ。なお、公務員および企業の冒険者に関しては、それぞれの母体により保険の類いが完備されているので大変心強かったりする。普通の冒険者は自分で入らなければならないので。


「いやほら、そもそもうち、望んで国家公務員になったわけやないし。騙し討ちされたんやし。ひどない?狙ってたのは企業冒険者やったのに!」


 あっちの方が給料以外の面がそれぞれの企業でお得感あったし!などと宣う相手に、ギルマスはがっくりと肩を落とした。彼女の名前は、芦原あしはら陽菜。結構な人々の憧れである国家公務員冒険者でありながら、その立場を面倒くさいと言い切ってしまうアウトローだった。

 いや、アウトローなどと表現したら、アウトロー達に失礼だろう。彼らは覚悟や気概を持ってアウトローを貫いているのだ。彼女のソレは単なるものぐさである。何しろ、日がな一日布団で寝ていたいとか言う程度には、彼女はやる気が無いのだから。

 ちなみに、企業冒険者になると、その企業のサンプルがもらえたり、該当店舗で割引サービスが受けられたり、社員旅行に混ぜてもらえたりする。年金も厚生年金になるし、企業の施設を自由に使えるという利点もあった。

 勿論、公務員も国や県、市町村などの公的な施設を使うことは可能だ。しかし、それらは一般の冒険者にも開放されている。公務員専用施設の数はそこまで多くはないし、むしろ彼らを優遇する施設を作ろうものなら税金の無駄使いと怒られることもある。世知辛い世の中だ。


「人が企業にエントリーシート提出する前に、国家公務員試験に申し込みするとか、うちのオカンマジで鬼やと思わへん?なぁ、おっちゃん!」

「おっちゃん言うな!」

「えぇやん、大垣治おおがきおさむやねんし」

「どう考えても近所のおっさんに対するそれだろうが!」

「ちゃうで!近所のおっちゃんに対するときは、イントネーションが『おっちゃん』って感じに下がるんや!」

「解るかぁああああ!」

「えぇ加減関西弁に慣れてぇや、面倒いなぁ……」


 すっぱーんと再びハリセンで叩かれつつ、陽菜がぼやく。ギルマス、筋肉ムキムキのスーツ男子の名前は、大垣治。冒険者として下積みをした後、ギルド運営の道へと進んで若くしてギルマスになったこの青年は、ムキムキマッチョで若干老けて見える外見のせいで誤解されがちだが、実は陽菜と年齢が変わらない二十代の若者だった。それが解っていておっちゃんと呼びかける陽菜も大概な性格をしていた。

 二人の間で意思の疎通が微妙に図れていないのには、理由がある。治の出身地は関東地方なのだ。おかげで、関西人特有のノリや、関西弁のイントネーションの違いなどが把握できないらしく、常に陽菜とこんな問答を繰り広げている。……まぁ、ギルマス相手に関西弁全開で敬意の欠片も存在しない口調で話すのは彼女ぐらいとも言えた。

 そんな風に能天気なやりとりを繰り広げていると、机の上に無造作に置かれていた陽菜のスマホが通知音を立てた。リリリリリというけたたましい通知音を、陽菜は面倒そうに受け止めている。早く確認しろと言いたげな治の視線を、右から左に受け流している。

 しばらく鳴り続けていたスマホは諦めたように静かになった。ただ、次の瞬間ポン、ポン、という軽快な通知音が二つほど続いた。先ほどのは電話の着信音で、今のはSNSの通知音だった。


「陽菜」

「えー……」

「緊急依頼だったらどうする」

「うげぇ」


 ぼやきながらも陽菜はスマホを手に取った。彼女の手はあまり大きくなく、その手で使いやすいようにと選ばれたスマホはやや小振りだった。メタリックシルバーの本体を、まるで異物か何かのように扱いながら、彼女はすいっと指で画面をスライドさせる。慣れた手つきでロックを解除すれば、案の定予想通りのSNSから通知だった。

 彼女が使っているSNSには何種類かあるが、いずれも用途によって使い分けている。

 冒険者仲間との交流に使うもの。こちらは情報の共有や考察などに使える掲示板やブログがセットになっているものだ。

 ごく普通の友人や家族と使っているもの。こちらはメッセージ機能主体で、グループで情報を共有したりも出来る。

 さらに、趣味の友人達とオンライン上で繋がるのが目的のもので、これはそれぞれが独り言を好きに呟いて、そこに会話をしにいくようなもの。

 そして最後が、仕事用だ。ただし、仕事用もまた、二種類あった。

 普通の冒険者達と同じく、各ギルドのクエストが受注できたり業務連絡が行えるものと、それとほぼ同じテンプレートを使っているが別回線を使っている、国家公務員専用のもの。今通知が届いたのはその、国家公務員冒険者専用の、早い話が陽菜に仕事を振ってくる『御上』からの連絡が届くSNSだった。

 がっくりと陽菜はその場で肩を落とした。もう嫌やーとぼやいている。彼女は日々ごろごろぐだぐだしたいのだ。お仕事は必要最低限にしておきたいらしい。一応、生活出来る程度の稼ぎは公務員として国から頂いているし、クエストを達成すればその報酬は個人資産だ。そういう意味では生活は潤っているのだが、お給料を頂いている身としては、『御上』の仰せには逆らえなかった。


「仕事しろ」

「くっそぉおおおおお……!今月はもうノルマ達成したから働かなくても給料分は仕事したのにぃいいい!」


 地を這うような声で呪いながら陽菜はスマホの文面を確認していく。腐っても国家公務員。当人がだらけていたくとも、命令には逆らえない。逆らったら処罰や資格剥奪などがあるが、彼女はそんなものは恐れない。恐れてなどいない。資格を失ったら普通の冒険者になれば良いやと思っている。

 だがしかし、それは向こうも把握している。ゆえに、陽菜が命令違反や緊急依頼を拒否した場合にはペナルティとしてポイントが溜まっていく。そのポイントが溜まってしまったら、どうなるのか。それは、彼女にとっては何より恐ろしい状況を生み出すことになる。




 ペナルティポイントが溜まりきってしまった場合、彼女は国家公務員冒険者として最高峰の所属先、皇居ギルド所属へと回されることが確定しているのだ。




 皇居ギルド。

 あっさり言ってしまえば皇族やその関係者から出された依頼をクエストとして受注する、唯一の機関である。普通ならば憧れるその場所は、彼女にとってはまさに鬼門だった。ぐーたらしたいのに、そんな場所に放り込まれたら真面目に仕事をするしかなくなる。尊き皇の血筋の皆様相手の仕事で手を抜くなど許されない。不信心ものでもそれぐらいは認識していた。

 なので、陽菜は嫌々でも『御上』の命令には逆らわないのだ。物凄くぼやくけれど。担当者に文句も言うけれど。それでも最後の最後ではちゃんと命令を聞いてしまう辺りは、多分小市民なのだろう。慣れ親しんだ故郷でのんびりしたいという意味で。



「……えー、何々?『逢坂山ダンジョンにおいて……』……」


 そのSNSには、こう記されていた。余計な情報も感情も挟まず、淡々と、事実だけを記した文面は実に公務員らしかった。




――逢坂山ダンジョンにおいて、最奥部に生息している筈の鵺が浅い階層に出没。

  流れ着いていたらしいヒュドラの子供を保護していた模様。

  ヒュドラの子を狙った冒険者に激怒し、ダンジョン外まで追跡。

  冒険者は逃げ延びたが、逢坂山を徘徊しているため、これをダンジョンに誘導するか討伐されたし。




「……死ねや、バカ冒険者ぁああああああ!」


 だんっ!と勢いよく机を叩く陽菜。彼女は関西人なので、バカと罵るときは本当に相手を疎んでいるときである。愛のある弄りに関しては阿呆と口にするのが関西人の嗜みだ。とにかく、今、陽菜は、憤っていた。おバカな冒険者のせいでせっかくのごろごろタイムを邪魔されたと理解したので。

 その隣で治も遠い目をしていた。時々いるのだ。技量を把握できずにバカをやらかす冒険者が。特に、逢坂山ダンジョンは霊峰ダンジョンには数えられない。一応神社は存在するのだが、逢坂山ダンジョンは聖域としてよりはダンジョンとしての特性を強く持っていた。理由は学者にもわかっていないが、とにかく重要なのは、ここが霊峰ダンジョンではないということだ。

 霊峰ダンジョンではないということは、ダンジョンの入り口から魔物が出てくるということになる。封印が存在しないのだから仕方ない。それも踏まえて、入り口近くの魔物は常に掃討されているし、ダンジョンの付近には詰め所も存在する。

 だがしかし、その詰め所の人々だって、まさか予定外の場所にいた鵺と遭遇し、かつ怒らせて追い回されて冒険者が出てくるとは思わなかったのだろう。目標を見失った鵺は現在、怒りのままに逢坂山を暴れ回っているらしい。自然破壊が心配されるが、その辺は後ほど精霊や土地神に頑張ってもらう案件だ。


「陽菜」

「行くよ!行けばえぇんやろ!こんちくしょぉおおおお!全部終わったら元凶の冒険者共、ぶん殴ってやるからなぁあああ!」

「気持ちは解るし、そいつらをここに呼び出しておいてやるから、とりあえず叫ぶな」

「うちのごろごろタイムぅうううう!」

「それは知らん」


 くそったれ、と毒づきながら陽菜は何も無い空中に腕を突っ込んだ・・・・・・・。空間魔法の一つで、収納空間を位相をズラした場所に作成するものだ。名称はストレージ。初期魔法でもあるので誰でも簡単に使えるが、使い手の魔力や技量によって大きさや内部構造が変化する個人差の大きい魔法でもある。

 陽菜のストレージの容量は、ほぼ無限。ほぼとつけているのは、実際に無限かどうかは解らないからだ。だがしかし、今までの仕事で手に入れた道具類や、時に討伐した魔物を放り込んでも満タンにならなかったので、相当大きいのだろうと当人は思っている。

 オマケに、使い手のぐーたら具合を反映してか、ソート機能だのフォルダ機能だのまで付いている。たとえば、バラバラに手に入れた素材でも放り込めば同じ種類でまとめてくれるし、常に最適な状態で維持してくれる。自分で確認するときに解りやすいように分類までされているのだ。全てオートで。実に素晴らしい魔改造された魔法だった。

 ……普通のストレージにはそんな機能はついていない。辛うじて分類機能ぐらいはあるだろうが、状態保護だのソート機能だのは滅多にお目にかかれない。もっとも、陽菜のストレージがそういう仕様だと知ってからは、高ランクの使い手達は調整を加えているらしいが。

 陽菜のストレージの恐ろしいところは、それらの魔改造が勝手に行われたことだった。魔法が勝手に成長したのだ。所有者の意図を汲み取って自己進化を遂げる魔法など、そうそう存在しない。そういう意味では陽菜のストレージは、ユニーク魔法とも言えた。



 閑話休題。



 そんなわけで、ほぼ無尽蔵の収納を誇るストレージの中から、陽菜は装備品を引っ張り出した。今の彼女の恰好は酒場でぐだぐだするのに便利という理由で、お気に入りの量販店のジャージの上下なのである。ジャージでありながらスウェットのように肌触りが良いので、彼女のお気に入りでもあった。

 とはいえ、そんな恰好で鵺の討伐には赴けない。下手をしたらヒュドラの子供もいるかもしれないのだ。きちんと戦える恰好で出向くのは最低限の心得である。冒険者の心得その1、装備は常に万全で出向くべし、である。


「鵺、鵺、……鵺に効果的っつーと、どれや……?」

「お前の能力なら鵺対策よりも使い慣れた方で良いだろ」

「使い慣れたっつーと、……これ?」

「止めろ」


 がっしょんと陽菜が取り出したのは、全身で背負う感じの重火器だった。どこぞのロボットアニメの武装のようなそれは、トリガーを引いて使うのではなく、コンソールで操作するタイプだった。肘置きのようなパーツがあり、その先端にコンソールがあるのを両手で操作するのだ。ちなみに目標の設定は顔上部を覆うバイザーに表示される。

 見た目の通りに火力重視のトンデモ武器なのだが、止めろと治が制止したところから察してもらえるように、壊れ性能である。つまり、威力が高すぎる・・・・・・・のだ。自動修復効果のあるダンジョン内部ならともかく、今回の戦場は逢坂山一体である。自然破壊が加速してしまうのは却下である。

 ついでに、バイザーに現れる情報が多すぎて処理が追いつかず、使いこなせないという難点もあった。何しろ、360度全てが索敵範囲になるのだ。一般人の情報処理能力を超えているし、下手をしたら味方を攻撃してしまう。

 陽菜がそれを使えているのは、保持したスキルに並列処理と呼ばれるものがあるからだ。陽菜のものぐさを助長するように、そのスキルは戦闘における微調整を一手に引き受けていた。普通は難易度の高い魔法の発動を補佐したり、リアルタイムの状況分析に使われたりする。陽菜のような「色々考えるのが面倒だから、全部スキルに任せる」などという使い方は邪道である。

 ……まぁ、邪道でも何でも、それできちんと強いのだから彼女は国家公務員冒険者なのだが。


「何で?集中放火したら一発で終わるけど」

「周りの被害を考えろ、このバカ」

「ちぇー。じゃあ、接近戦武器かなぁ……。それとも魔法特化にするために杖系統にするか……」


 ごそごそとストレージを漁る姿は間抜けだが、物騒な全身重火器を背負ったままなので非常にアンバランスだった。かもしだす雰囲気がコントなのに、装備品その他が圧倒的強者というとても面倒くさい人物なのである。

 そう、陽菜は、強かった。幼い頃から、とてもとても強かった。魔力適性が高く、身体能力も決して悪くはなく。センスがあったのか、戦闘に向いたスキルを次々獲得していった。そういう意味では彼女は、麒麟児と呼ばれてもおかしくはなかったのだ。

 ……その才能全てを使って、「いかにして快適なぐーたら生活を送るか!」に全力で邁進するのでなければ、きっと今頃大多数に賞賛されていただろう。彼女は色々と残念な人種だった。悲しい過去など背負っていない。ただ単純に、ものぐさなのだ。

 結局陽菜が選んだのは、無難な片手剣だった。たいていの冒険者が持っている武器だが、勿論真っ当な性能の武器ではない。色々とカスタマイズを繰り返した結果、「かすり傷でも負わせたら致命傷」になるレベルのトンデモ兵器になっている。取り回しが楽な上に猛毒その他が付与された恐ろしい武器である。


「武器はこれでー、防具は動きやすさ重視でこっちの羽衣セットにしよう」

「とりあえずその重火器を片付けろ。邪魔だ」

「うい」


 ぽいっとフルアーマー重火器をストレージに片付けると、今度は防具を取り出していく。ただし、ジャージを着替えるつもりはなかったのか、その上に身につけていくのだから色々とちぐはぐだった。少しは見た目に気を遣ってくれ、とぼやいた治の言葉は聞こえていなかった。

 両手両足には薄布を加工して作ったグローブとロングブーツ。身体は薄衣で作られた着流しのような丈の長い羽織。そして、ひょいっと腕に絡めるようにして背負ったのは、セットの由来名である細長い布、羽衣だった。キラキラと七色に輝く羽衣は、羽衣伝説に出てくる羽衣になぞらえて作られている。浮遊魔法を付与されており、装備者の速さや回避能力をあげてくれるオマケ付きだ。

 さらに、この状態で浮遊魔法を使うと、羽衣の効果と合わさって少ない魔力で高度や速度を維持できる。空中戦闘を行う際には大変重宝する装備品だ。……なお、当たり前のように陽菜はストレージから引っ張り出しているが、かなりのお値段がするレア装備である。手に入れた報酬で、快適な戦闘のための装備品を整えることに労力を惜しまない陽菜だった。

 だがしかし、本来なら煌びやかな羽衣セットも、その下に身につけているのがジャージとあっては色々残念すぎた。しかし装備している当人は何も気にしておらず、腰に片手剣を吊すベルトを装着して満足そうだった。何でそうなるのか。


「それじゃおっちゃん、ちょっくら逢坂山まで行ってくるわ」

「鵺の現在地は現地の詰め所で確認しろよ」

「ういうい。それじゃ、テレポート」


 のほほんとした会話を繰り広げた後に、陽菜は当たり前のようにその魔法を唱えた。いわゆる瞬間移動。訪れたことのある場所へ移動するための魔法だが、使うにはセンスと修練と膨大な魔力が必要になる。その使い手は国家公務員でもそう多くはない。それを使える程度には凄腕なのだが、そうは見えないのが陽菜クオリティと言えた。

 次の瞬間陽菜は、逢坂山ダンジョン最寄りの詰め所に顔を出していた。ちなみにこの詰め所は自衛隊の管轄だ。主な役目はダンジョンの監視であるので、基本的には暇なお仕事なのだが、たまに今回のようなトラブルに巻き込まれる不憫な部署でもあった。彼らは暇ならば暇なのが一番良いというのに。

 突然詰め所の入り口前に現れた陽菜に驚いたのか、カメラタイプのインターホンに内部の映像が映った。双方向に顔を見ながら会話できるタイプのインターホンである。


『君はいったいどなたかな?』

「えーっと、さっちゃんいます?」

『は……?』

「さっちゃん、えーっと、えーっと、……笹島ささじまのさっちゃん!」

『誰がさっちゃんだ、小娘!』

『笹島隊長!?』

「やっほー、さっちゃん」


 若い青年が応対するも、陽菜はいつものノリを崩さなかった。彼女は基本的に誰が相手でもマイペースである。そんな彼女が呼ぶ『さっちゃん』が誰かわからずに困惑していた青年は、次の瞬間身を乗り出して怒鳴り散らす上司の姿に身をすくませた。なお、陽菜は何も気にせずにのほほんと笑って手を振っている。

 さっちゃんなどと気楽に呼んでいるが、鬼軍曹で知られる笹島はこの詰め所の責任者である。五十がらみの厳ついおっさんで、眼光鋭くその威圧だけでひよっこは恐怖するレベルの猛者だ。しかし陽菜は何も気にしていなかった。陽菜なので。

 というか、彼女にしてみれば笹島を恐れる理由はないのだ。声は大きいし口は荒っぽいが、笹島が仕事熱心なおっちゃんであることを知っている彼女にとって、怖いことはない。あと、戦闘能力という意味なら圧勝しているし。


『何してんだ、お前』

「いや、上から鵺の対応頼まれて。現在地は?あと、ヒュドラの子供は?」

『鵺の位置はレーダーで捕捉してるが、ヒュドラは知らん』

「じゃあ、鵺の位置だけでもスマホに頂戴。あとは空から探すから」

『情報を送ってやれ。コードは01だ』

『了解です』


 ばたばたと後ろで作業をする音が聞こえるが、陽菜は気にしない。愛用のスマホを見ながら、魔物の捕捉用のレーダーマップアプリを起動させる。該当する魔物の情報を入力すると、レーダーが地図にその位置を示してくれるのだ。科学技術の進歩は大変ありがたい。

 勿論、魔法にも同じようなことが出来るものがある。しかし、魔法を使うと魔力を消耗するし、そちらに意識を割かれることになる。複数で行動しているならともかく、単独で動くならば便利な方を使うのは当たり前だった。


『小娘』

「うい?」

『可能なら、鵺はダンジョンに戻してくれ』

「……さっちゃん?」

『さっちゃん言うな』


 陽菜は首を傾げた。鵺は、そこそこ強力な魔物だ。昔は妖怪として分類されていたが、ダンジョンに住み着いているので魔物へと分類が変更されている。猿の顔、狸もしくは虎の胴体に虎の手足を持ち、尾は蛇。そういった、合成生物めいた生き物である。その鳴き声は災いを呼ぶとされ、肉食でもあり人を襲う。紛れもない魔物だった。

 だというのに、笹島は討伐するなと言う。とはいえ、そもそも陽菜に下された命令は、鵺をダンジョンに誘導するか討伐するかの二択だった。つまり、笹島の言うように鵺を殺さなくとも命令違反にはならない。陽菜にはどちらも可能で、そしてどちらでも特に思うところはなかった。ただ、何故笹島がそんなことを言ったのかが気になるだけだ。

 陽菜の視線を受けて、笹島は画面の向こうで顔を少し歪めながら言葉を続けた。何かを苦々しく思っている顔だなと思う陽菜だった。


『あの鵺は、意味なく人を襲うものではなかった』

「うん?」

『例のバカ共を追い回してはいたが、ここも、他の冒険者達も素通りだ。おそらくは長い年月を生きた個体だろう』

「なるほど。無差別に人を襲って危険を冒すようなものじゃなく、境界を弁えて生きてきた個体、と」

『そうだ』

「了解。そういうのなら、ダンジョンに戻って貰おう。……鵺って言葉通じたっけなぁ……?」


 能天気な口調で陽菜が呟いた一言に、笹島は小さくため息をついた。緊張感の欠片もないが、彼女の実力を笹島は知っている。討伐よりも誘導の方が難易度が高いと解っていても、頼むと言える程度には彼は彼女を知っている。そのぐーたらした性格も含めてなので、どうしても言動が小言めいてしまうのだが。

 そうこうしているうちに鵺の現在地のデータが陽菜のスマホに送られた。受け取った情報を元にレーダーマップアプリを調整している陽菜の顔は、物凄く気楽そうだった。「どこにいるのかなー?」などと鼻歌交じりで呟く姿は、とてもではないが凄腕冒険者には見えない。その実力が、上から数えた方が早いとか、むしろ国内で五指に入るとかいう事実は、知らない方が幸せだろうなと思う笹島だった。威厳もへったくれもないので。


「よし、発見。それじゃさっちゃん、ちょっと一仕事してくるわ!」

『だからさっちゃんと呼ぶな』

「あと、バカの冒険者達の身元とか行方知ってたら、うちのギルマスに連絡しておいて。あとでぶん殴るから」

『最優先で探してやる』

「ありがとー!」


 おバカな冒険者の行動には思うところがあったのか、笹島は二つ返事で請け負ってくれた。その返事に満足そうに笑うと、陽菜は口の中で小さく「フロート」と呟いて飛翔した。フロートは浮遊魔法だ。使い手の魔力によって高度や速度が変化する。使い手によっては飛行機より高く飛べるし、新幹線より速く飛べる。……まぁ、その場合は肉体に防御魔法をかけておかないと負荷が大変なことになるが。

 そして、陽菜はと言えば。浮遊魔法にボーナスがつく羽衣セットを装備しているので、通常よりも少ない魔力で魔法を発動させている。フロートの魔法は一定時間ごとに効果が切れるが、魔力が続く限りオートで継続することも可能だ。面倒くさがりの陽菜は、解除しない限りオートで継続されるように魔法をカスタマイズしている。

 逢坂山の木々の合間を縫うように飛びながら、陽菜は左手に持ったスマホで鵺の位置を確認している。心配事があるとすればヒュドラの子供がどこにいるかだが、鵺が一匹で暴れ回っているのなら、安全な(?)ダンジョンにいる可能性が高いので、ひとまず保留にしようと思うのだった。考えてもわからないことは考えない。それが陽菜であった。

 しばらく飛んでいると、レーダー上の自分と鵺の距離が随分と近付いた。徐々に徐々に殺気のようなものも感じる。殺気に混じる威圧オーラから、相手は鵺だろうなと確信する陽菜だった。高ランクの冒険者である陽菜に威圧を感じさせる存在など、そうそういないので。


「お、発見ー!そこの鵺さんやー!」


 暢気に呼びかけた陽菜に返ってきたのは、物凄く不機嫌な獣の咆吼だった。鵺の鳴き声はヒョーヒョーという感じなのだが、それが濁って罵声みたいになっている。大変ご機嫌が悪かった。そりゃ悪いだろうとは思う陽菜。何しろこの鵺は、保護していたヒュドラの子供を傷つけられてご立腹なのだから。

 とはいえ、陽菜の目的はこの鵺をダンジョンに誘導することだ。とりあえず、鬼さんこちらと言わんばかりに挑発的に目の前をくるくると飛んでから、ダンジョンの入り口へ向けて移動する。よほど腹が立ったのか、鵺は攻撃をしながら追いかけてくる。長い蛇の尾がびゅんびゅん迫ってくるのを、陽菜は浮遊魔法を駆使してかわしながら移動する。

 鵺が追いつける程度の速度で、けれど決して攻撃を受けない程度には距離を取る。そんな難しい調整を、陽菜は並列意志に任せて浮遊魔法を制御させることで成り立たせていた。時々目の前に現れる枝は、サブ武器として用意していた切れ味の良いだけの短剣でざっくざっくと斬り捨てている。


「この辺は別に材木違うやんな?怒られへんよな?」


 ……そんな、物凄くどうでも良いことを考えながら。

 いや、陽菜にとっては重要だった。森林組合怖い、と彼女は思っている。田舎育ちなので、そういう組合のおっちゃん達を怒らせたら大変なことになるのは知っているのだ。それに、誰かのお仕事の邪魔をするのは陽菜の本意では無い。彼女の目標は誰の迷惑にもならずぐーたらすることなのだから。

 とにかく、そうこうしている間に陽菜と鵺は逢坂山ダンジョンの入り口付近へとたどり着いた。自分が住処に誘導されたことに気づいたのだろう。鵺は怪訝そうな鳴き声をあげた。そんな鵺を振り返り、陽菜はサブ武器の短剣だけを構えて口を開く。

 ……なお、カスタマイズの結果、ある意味壊れ性能へと変化していた片手剣は、笹島に鵺を討伐するなと言われたので腰に差してあるだけだ。うっかり傷つけて殺してしまうと後味が悪すぎるので。


「鵺さんや、このまま大人しくダンジョンに戻ってくれないかな?」


 にこやかに陽菜が言葉をかけるが、鵺は低く唸るだけだ。まぁ、それはそうだろう。鵺に言葉が通じているのかどうかは解らないが、仮に通じていたとしたら、可愛がっているヒュドラに害をなした冒険者達に逃亡されたままで腸が煮えくりかえっている状態で、大人しく戻れと言われているのだから。普通に考えてご立腹案件である。何の落とし前も付けられていない。

 それは陽菜も解っている。だがしかし、とりあえずダンジョンの入り口付近まで誘導したので、大人しく戻ってくれたらそれで仕事が終わるのになぁと思ったのである。ものぐさ万歳。


「いや、気持ちはわかる。アンタの気持ちはよーくわかる。うちも、あのバカ冒険者には腹立ってるしな。つーわけで、うちが代わりにボコるんでどうやろ?」


 ぐっと親指を立てて申し出る陽菜だが、やはり鵺は唸っているだけだった。むしろ何故その提案が受け容れられると思ったのか。彼女は相変わらず暢気すぎた。

 鵺の方も、彼女が一筋縄でいかないことは理解しているのだろう。今までかすり傷一つ負わせられなかったのだ。オマケに、自分の動きを先読みするように誘導されたという事実もある。……つまり鵺は、目の前の能天気な、ジャージの上に羽衣セットを身につけたちぐはぐな恰好の能天気な女が、それなりに厄介だと認識はしているというわけだ。

 くるり、くるり、と短剣を回して遊びながら困った顔をする陽菜。ぶっちゃけ、さくっと倒してしまって終わるのならば、それが一番手っ取り早い。けれど、別に恨みがあるわけでもなし、この鵺も被害者だと思えば、大人しく住処に戻って貰うのが最良だと陽菜も思っているのだ。それだけに、どう動けば良いのかと思うのだった。

 そんな風にある意味膠着状態に陥っていた両者の耳に、雄叫びが聞こえた。面倒そうに陽菜が振り返れば、そこには、ダンジョンから出てきたらしい魔物が数体いた。いずれもそれなりに強そうな個体だ。巨大なアリのキメラアント、6本腕の熊のワイルドグリズリー、鷲の上体とライオンの下半身を持つグリフォン。

 前問の鵺、後門の魔物複数。普通ならば進退窮まるその状況は、陽菜にとっては別に何でも無かった。とりあえず、ご挨拶のように襲いかかってくる新参者達に向き直り、ため息を一つ。


「もー、うちは今この鵺さんの相手に忙しいんやから、ダンジョンから出てくんな!」


 腰に差していた片手剣を抜き放ち、飛びかかってきた魔物達へ向けて振るう。軽やかな動き。力を入れてもいないような動きだった。けれど、かすり傷さえ負わせれば致命傷になるような魔改造が施された武器である。微々たる傷を付けられた魔物達が、軒並みその場に倒れ伏した。

 1歩足を踏み出しかけた鵺が、止まる。何だこいつとでも言いたげな雰囲気で、鵺は陽菜の背中を見ていた。陽菜は、既に泡をぶくぶく吹いたりしながら絶命している魔物達相手に、懇々とお説教をしていた。


「あんなぁ、アンタらダンジョンの中やったら素材に自動変換されんのに、外やったら解体せなアカンねんで?解体くっそ面倒やねんから、大人しくダンジョンに引っ込んでてぇや!」


 お前怒るところがそこなのか、と突っ込んでくれる相手はいなかった。そして陽菜は大真面目だった。ダンジョンの中ならば自動で亡骸が消えてドロップアイテムに変化するのだが、外に出てきた場合はその現象が適応されないのだ。なお、陽菜は解体作業は面倒くさくて嫌いだった。どれくらい面倒くさがるかと言うと、レア素材がはぎ取れる魔物であろうと、火魔法で燃やし尽くそうとする程度には、だ。

 ぶつぶつと文句を言いながら、陽菜はスマホに軽やかにメッセージを打ち込んでいる。背後に鵺がいるのだが、まったく気にしていなかった。鵺は鵺で動けないので、ある意味安全ではあった。陽菜がメッセージを送った相手は笹島で、後で解体を手伝って欲しいというお願いだった。……手伝って貰うというか、素材をプレゼントしても構わないので引き取って貰うつもり満々であるが。


「うし、後はさっちゃんに任せよう。とりあえずストレージに放り込んどこーっと」


 自分が瞬殺した魔物を、暢気にストレージに放り込む陽菜。やっぱりその姿には緊張感はなかったし、色々とアレだった。だがしかし、どう見ても強く見えないバカな行動を取っているような彼女を前にして、鵺は動けなかった。何故なら、鵺の目で陽菜の動きが追えなかった・・・・・・のだから。

 鵺は理解した。このふざけた人間は、自分よりも上位であることを。力ある魔物になれば、相手との力量を測ることも容易い。ましてこの鵺は長い年月を生き延びている。相手と自分の力量を測り、勝てるか勝てないかを判断することも可能だった。




 なので、鵺は決断した。




 すたすたと、ストレージに魔物を片付けている陽菜の横を素通りする。へ?と陽菜が間抜けな声を上げるが、鵺は返事をしなかった。むしろ、彼女と関わるつもりがないのかも知れない。関わりたくないのだろう、きっと。


「鵺さん、ダンジョンに戻ってくれるん?」


 陽菜の問い掛けに鵺は答えない。ただ、ダンジョンの入り口へと足を進めるだけだ。だがしかし、その行動で陽菜は勝手に解釈した。きっと話が通じて、この鵺は大人しく戻ってくれたのだ、と。……事実は微妙に違うのだが、まぁ、この際気にしてはいけない。


「鵺さん、ありがとう!安心してや。バカの冒険者共は、うちがきっちりシメとくさかい!」


 拳を握って力説する陽菜に返事は無かった。ただ、面倒そうに鵺の尻尾、蛇の部分がくるりくるりと動くだけだった。それを陽菜は勝手に都合良く解釈して、ありがとうとまた笑うのだった。マイペース万歳。

 そこでふと、陽菜は思い出したように鵺に問い掛けた。これは重要だと彼女なりに思っているのだ。


「ところで鵺さん、ヒュドラの子供は大丈夫?怪我してたら回復魔法かけるよ?」


 ぴたり、と鵺が動きを止めた。陽菜の言葉が通じたのか、そうではないのか。鵺はくるりと振り返り、その猿の顔の中で爛々と輝く赤い瞳で陽菜を見る。陽菜は恐れもせずにそれを見返し、不思議そうに首を傾げている。

 本来、人間が魔物を治療することはあり得ない。使役された魔物でもない限り、そんなことは起こりえないのだ。だがしかし、陽菜は今、そんな常識は明後日の方向に放り投げていた。彼女なりに、これはきちんと落とし前を付けるべきだと思ったのだ。


「そのヒュドラの子供が怪我してたら、詫びも兼ねて治療しようかなって思うんやけど。……鵺さんが、詰め所や他の冒険者を襲わへんかったお礼に」


 そう、陽菜の理由はそこにあった。養い子を傷つけられた鵺。本来ならば、その獰猛な本性で周囲の人間全てを食い散らかしてもおかしくはなかった。だが、鵺はそれをしなかった。ただ目当ての相手にのみ殺意を向けた。その律儀さに、陽菜は礼をしたかったのだ。

 唐突に鵺に襲われたら、詰め所の自衛隊員達もただではすまなかっただろう。陽菜がさっちゃんと慕う笹島も、大けがをしていたかもしれない。笹島の能力は決して低くはないが、配下を庇う性質のあるあの男ならば、余計な傷を背負う可能性があったことを彼女は理解している。

 鵺はしばらく陽菜を見て、くるりときびすを返した。帰れ、と言いたげに蛇の尾がぱたんぱたんと地面を叩く。どうやらヒュドラの子は、治療を必要とするほど大きな怪我を負ってはいないらしい。陽菜はそう解釈した。


「ほな、鵺さんさよならー!もし今度ダンジョンの中でうたら、その時はガチバトルしようなー!」


 果たしてその暢気なお誘いは、鵺の耳に届いたのだろうか。何の反応も残さず、鵺はダンジョンの中へと消えていった。……仮に聞こえていたとして、鵺にしてもお断りだったと思うが。規格外の相手をしようとは思わないだろう。ましてあの鵺は拾い子を養っている最中なのだから。

 とはいえ、ひとまず目的を果たした陽菜は、周囲の状況を確認し、満足そうに笑うとテレポートを唱えて詰め所まで瞬間移動するのだった。ストレージにしまいこんだ獲物を押し付けるために。

 ひゅぱっという感じで再び正面入り口前に現れた陽菜。今度はインターホンではなく、即座に扉が開いた。面倒そうな顔をした笹島の背後には、隊員達が数名いた。そんな彼らに向けてにかっと笑うと、陽菜はVサインを作ってみせる。


「さっちゃん、鵺さんちゃんとダンジョンに戻ってくれたで!」

「そうか。ご苦労さん」

「うん。そんで、途中で出てきた魔物、ダンジョンの外やったからそのまんまやねん。これ、あげるし解体処理とか全部よろしく!」

「は!?」

「ほな、うちギルドに戻るわ!」


 キラッとイイ笑顔を浮かべながら、陽菜はストレージからごろごろと獲物を取り出して転がす。隊員達がそれを詰め所の中へ運んでいくのを見届けて、早口で自分の要望を伝えた。相手が反論を挟む隙を一切与えずに。


「ちょっと待て、小娘!お前これどうし」

「詰め所の維持費の足しにしといて。差し入れってことで!じゃ!」

「待て、小娘!」

「待たない!まったねー!」

「小娘てめぇええええええ!!」


 笹島の罵声を聞き流しながら、陽菜はテレポートと小声で呪文を唱えた。即座にかき消える陽菜の姿に、笹島の怒声がぶつかるのだが、当然ながら瞬間移動をした彼女には、八割聞こえていなかった。残された隊員達は、滅多に見られない鬼軍曹の振り回されっぷりに、ちょっと同情するのだった。

 そして、唐突にひょっこり陽菜が戻ってきた冒険者ギルド併設酒場では。……そう、陽菜は転移魔法の目的地を、ギルド部分ではなくて自分の定位置である酒場部分に設定して魔法を使ったのだ。達成報告をギルドの受付で行うのではなく、スマホ経由で直接行えば良い個人依頼だったので、さっさとくつろぎたかったのである。


「たっだいまー。みっちゃん、梅酒ロックで!あと枝豆とフライドポテトも!」

「私は今受付の方が忙しいんです!っていうか、帰ってきてすぐに酒飲もうとしないでください!」

「一仕事終えたんだから、駆けつけ一杯は基本じゃないの?」

「そんな基本があってたまるか……。……で、仕事は終わらせたのか?」


 相変わらず真面目に受付業務に勤しんでいた未知留は、戻ってきてそうそういつも通りな陽菜に怒りながら仕事を続けている。首を傾げる陽菜の目の前には、治が手にした冷水のグラスがごとんと置かれた。


「おっちゃん、水じゃなくて梅酒のロックを」

「上に報告終わらせたら酒もつまみも出してやる」

「え?本当?すぐやる!」


 ぱあっと顔を輝かせる陽菜。あまりにも現金すぎる態度だったが、一応理由はある。治の本業はギルドマスターだが、皆と情報交換をするのに酒場スペースにいることも多く、その流れで彼はおつまみを作るのが上手になっているのだ。普通の料理や菓子類は苦手らしいが、妙に酒飲み心をくすぐるおつまみを作るのが上手いのだ。

 そして陽菜は、治のおつまみで酒を飲むのが好きだった。ぐだぐだぐでぐでしている陽菜への仕置きのように、滅多に作ってくれないのでなおさらだ。時々、こういう風に仕事を頑張ったときにだけ、治お手製のおつまみに巡り会える陽菜だった。そういう意味では、突発依頼も悪くないなと思う程度には彼女は単純だった。


「えーっと、『鵺は無事に逢坂山ダンジョンに戻ってくれました。多分ヒュドラの子供もそこまで怪我はひどくないと思います。山のあちこちに被害があるので、精霊と土地神に協力要請してどうにかしてください。以上。』っと」

「……お前、そんなんで良いのか、報告……」

「え?うちはいつもこんな感じやけど」

「……そうか」


 緊急依頼を終えての報告であり、さらに言えば相手は国家公務員冒険者の陽菜の上司なので、国家公務員だ。偉い人だ。その人を相手にごく普通のメールみたいな内容で報告を終わらせる陽菜の図太さに、治は嘆息するのだった。彼は真面目人間なので、陽菜のゆるゆる具合が理解できないのだ。

 しばらくして通知音が鳴り、陽菜の報告に返事が寄越される。内容を要約するならば、「お疲れ様でした。被害状況の確認と修復はこちらで手配します」という感じだ。向こうも陽菜の言動には慣れているのか、普通の返答だった。お叱りはない。

 ただし、追記で記された文面が、ある意味陽菜を物凄く理解していた。




――元凶の冒険者に手を出すのは結構ですが、再起不能にはしないように。

  国家公務員冒険者が一般冒険者に不当な暴力を振るったと言われるのは困ります。

  そのようなことになれば、ペナルティを加算します。

  ……くれぐれも、短慮を起こさないように。




「……おっちゃん」

「おっちゃん言うな」

「うちの上司、ひどない?」

「ひどくない。物凄くお前をわかってる」

「ひどいわ!いくらうちかて、再起不能にはせぇへんもん!」

「再起不能には・・?」

「うん」


 こっくりと大きく頷く陽菜に、治は再び盛大にため息をついた。言葉のままに受け取ることはできなかった。「には・・」って何だ、と彼は思ったのだ。まるで、それ以外のことはやらかすと言っているようなものだ。いや、実際声音や表情で言っている。陽菜はノリは軽いが物騒だった。

 何故こいつはこんなにも危険極まりないんだろう、と治は思った。能力値と性格が全然釣り合っていなかった。だがしかし、だからこそ陽菜なので仕方ない。普段はぐーたらしてるだけで害はないのだが。


「で、おっちゃん、バカ共は?」

「今、東部支部のギルマスが説教してるらしい。終わったらこっちに回すように言ってある」

「え?何で東部支部まで出向いてんの?逢坂山ダンジョンから逃げてたら、最寄りはこっちやろ」

「逃げるときに使った転移アイテムが暴走したらしい」

「阿呆やん」


 陽菜は冒険者達を一刀両断した。転移魔法を使えるものは数が少ないが、その魔法を封じ込めた簡易の転移アイテムは存在する。ただし、行き先は固定だ。なので、大概の者達は自分達の拠点や最寄りのギルドなどを転移先に設定している。その転移アイテムであるが、精密機器みたいなものなので、ちょっとでも乱暴に扱うと暴走して予定外の場所にすっ飛ばされるのだ。

 転移魔法が使える陽菜には無縁の品物だが、周囲が使っているので彼女も使い方は知っている。うっかり魔力切れを起こした時のために、ストレージにも入っている。まぁ、陽菜が魔力切れを起こすような状況になっていたら、きっと日本が三分の一ぐらい大災害に陥ってそうだが。……それぐらいでないと本気を出さない感じが陽菜にはあった。


「そんなわけだ。奴らが来るまでは休憩してろ。あと、奴らが来てもほどほどにしておけよ」

「え?嫌や。うちの憩いの時間を邪魔したんやし、ぶん殴ってサンドバッグになってもらう」

「陽菜」

「心配せんでもちゃんと回復魔法かけるって」

「そういう問題じゃない」


 会話が通じていなかった。陽菜は本気だ。本気で言っているのでタチが悪い。治はこめかみを押さえながら、頼むから大人しくしててくれとぼやきながらカウンターへと去って行った。お酒とおつまみがやってくるとわかったので、陽菜は大人しく、お行儀良く椅子に座ることにした。


「やけど、自分らのポカで周りにどんな影響与えたんかは、理解するべきやろ?」

「それは東部ギルドのギルマスがやってる」

「尻ぬぐいさせられたうちが鬱憤晴らすのは権利やと思う」

「そんな物騒な権利があってたまるか」

「ちぇー」


 おつまみに用意されたのは乾煎りされたナッツだった。梅酒のロックと一緒に用意されたそれをありがたく受け取りながら、陽菜はぶーたれていた。迷惑千万な実力の認識が出来ていない冒険者にお説教という名の八つ当たりがしたいのだ。お仕事したくなかったので。


「おっちゃん」

「何だ」

「うち、今日頑張ったし、もう家帰って寝てもえぇと思わへん?そいつら来たら連絡して!」

「ふざけるな。平日の昼間は勤務時間だ。せめてそこに座ってろ」

「うー……」

「陽菜」


 ふざけたことを言う陽菜の名前を、治は今までより幾ばくか低く落とした声で呼んだ。真面目な気配を漂わせるギルドマスターの姿に、陽菜はちびちびと梅酒ロックを飲みながらこてんと首を傾げた。緊張感の欠片もなかった。


「ここにいるのもお前の仕事だ。……何のための国家公務員冒険者だ」

「……はいはい。各ギルドに最低一人は常駐させる、でしょ。知ってますよーだ。でもさぁ、うち転移魔法使えるんやし、家におっても良くない?」

「良くない。見える場所にいることに意味があるんだ」

「えー……」


 面倒いなー、とぼやく陽菜だった。それが仕事とわかっていても、彼女が呼び出されたり飛び出していかなければならないような案件は、そうそう起こらない。滅多にないのだ。それがわかっているので、常日頃は酒場でぐでぐでしているだけなのだけれど。

 陽菜の本音は、布団の中でごろごろしていたい、だ。ストレージに食料を入れておけば、1歩も動かないで生活が出来る。実に快適だった。ものぐさの陽菜は、許されるなら365日布団の中でも生きていける。

 そんな陽菜を知っているからこそ、治はため息をつくのだった。何でここに配属されたのがこいつだけなんだろう、と思っているのだろう。実力は確かだが、勤務態度は非常にアレだ。むしろ、新入りなど彼女が国家公務員冒険者だと知らずに、物凄く侮ったりする。

 そして、侮られても彼女は気にしていないのだ。皆頑張れーと暢気に応援するだけである。他人と張り合うような疲れることを、彼女は好まない。自分良ければ全て良しなのだ。そして彼女にとっての最良は、ぐーたらごろごろ出来る日常なのだった。


「あぁ、うち、さっさと公務員止めたい……」

「無理だろ」

「止めたい……。日がな一日寝ていたい……」

「起きてろ」

「寝たい……。……眠い。……もう良いや。寝る」

「ヲイコラ」


 今日は頑張ったからお昼寝するー、などとふざけたことを嘯いて、陽菜は机に頬をぺったりとくっつけて目を閉じた。机と椅子の高さが彼女にジャストフィットなのだ。自分が昼寝するために作られたに違いないと陽菜は思っている。それぐらい、ぴったりなのだ。

 そのまま当然のようにお昼寝モードに入った陽菜に、治も、未知留も、ギルドにやってきていた冒険者達も、やれやれと肩をすくめるのだった。その程度にはこれは、彼らにとって見慣れたいつもの光景だったので。




 能天気な凄腕国家公務員冒険者は、今日も快適なぐーたら生活を愛しています。




FIN

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こちら、日本国冒険者ギルド併設酒場~昼行灯国家公務員冒険者は今日も眠い~ 港瀬つかさ @minatose

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