第2話 剛鬼

弾丸は確実に目の前にいる青年を捉え、その勢いのまま虚空へ飛び出したはずだった。

だが、青年は立っている。

確かに一度は拳銃によって倒れた。それはこの目で見ている。

倒れこんだ瞬間に立ち上がるモーション無しに今立っている。

まるでその時間が無かったことになっているようだった。

「どうなってる?」

青年は自分でも起こったことが理解できていない様子だ。

「眼魔、どうなってる」

眼魔の目によって捉えた青年は確かに弾丸により、地に伏した。

私は手に持った拳銃のマガジンを確認する。

もし仮に今の瞬間を巻き戻されたのならば、弾丸が減っていないはずだ。

しかし、弾丸の数は確かに一発減っている。

「それがお兄さんの怪異の正体かい?」

「さっきから言ってることがわかんねえよ。それに本当に撃ってんじゃねえよ!」

そう言って、青年は私に背を向け逃げ出した。

「眼魔、目を離すなよ」

眼魔の『追従する目』を発動させる。

追従する目は眼魔の視界に入ったものを遠隔で居場所を把握できる能力だ。

しかし、追従は眼魔から半径200メートル範囲に限られる。

私は逃げ行く背中にもう一度拳銃を向け、弾丸を放つ。

先ほどと同様に弾丸は確実に青年を捉える。

背中から血が噴き出す。走っている勢いで前傾姿勢のまま倒れこむ。

この時だ。さっきおかしなことが起きたのは。

私は瞬きをしないよう目を見開く。

青年は倒れこむ。

倒れたと認識した時には青年はまた走り出していた。

まただ。

同じ現象が起こった。

撃たれたことが無かったことになっている。

今まで聞いたことも見たこともない怪異だ。

私は久々に興味と同時に恐怖を覚えた。


撃たれた。確実にその感覚は消えない。

撃たれて倒れる瞬間がスローモーションになり、自分の人生を後悔していたら撃たれる前に戻っていた。

今も確実に背中を撃たれた。はずだ。

なのに気が付いた時には撃たれる瞬間に戻っていた。

一体自分の身に何が起こっているのか、理解は全く追い付かない。

とにかく僕は露天商から逃げるため、出鱈目に右や左に曲がる。

しばらく運動らしい運動をしていなかったことが影響し、長くは走り続けることが出来なった。ふと目に留まった細い路地に体をねじ込み、身を隠す。

走ることを止めた瞬間に急激に心拍数が上がり、体中から汗が噴き出す。

息を潜めながら、必死に呼吸を整える。

目の前の通りに人が近寄ってくる足音が聞こえる。

口を手で押さえ、息を殺す。

「頼むから、気づかないでくれ・・・」

願いは空しく打ち破られる。

通りから伸びてきた腕に胸倉を掴まれると、強引に路地から引っ張り出された。

倒れこんだ僕の目の前に居たのは先ほどの露天商ではなかった。

小柄で細身の女性。さっき僕はこの子に投げ飛ばされたのか?

「君さあ、呪われてるよ」

「え?の、呪い?」

「うん、何だろう。監視されてるみたいな」

「さっきのやつか」

「さっきの?」

「あぁ、何と言うか、、、信じて貰えないだろうけど。さっき不審な露天商がいて、そいつの後ろに目がたくさんある化け物がいて」

そこまで話すと女性はあぁと勝手に納得したような声を出した。

「君、さては怪異だね?」

絶望的だった。この女性は露天商と同じタイプの人間だ。

僕は反射的に少し距離をとる。

「ふふ、逃げなくても大丈夫だよ」

女性の笑みに今は恐怖しか感じない。

その時、更に絶望は加速する。

僕の視界の女性の奥に露天商が現れた。

事態が加速度的に悪化していくのを感じ取る。

「何なら私が君のことを助けてあげようか?」

女性の一言に驚き、返事の声が出ない。

「お兄さん、鬼ごっこじゃ勝ち目無いよ。それと、すまないけどそこのお姉さんは席を外してくれないかな?」

「うーん、席を外すのはいいけど、この人次第かな」

女性が僕のことを指差す。

「もう一回だけ聞くけど、助けてほしい?」

これが本当に危機的状況に舞い降りた希望なのかどうなのか、正確な判断は下せない。しかし、今の僕は目の前の女性の言葉に頼る以外の選択肢を持っていない。

「助けてください!」

「いい返事だね。りょーかい」

女性は露天商の方を振り返る。

「と、言うわけでこの人を助けることになりました」

露天商はため息を吐く。

「面倒事は嫌いだよ」

「あら奇遇。私も面倒なことって大嫌い。だからさっさと終わらせましょう」

女性の背後に黒く大きな影が立ち上がる。

先ほどの露天商と同じだ。

だが、露天商の時よりもより人型で、より図体が大きい。

「剛鬼、行くよ」

人型を形成した影を纏った女性が地面を蹴ると、二十メートル近くあった露天商との距離をたった一歩で縮めた。そのまま右の拳掬い上げるように下から上に振り上げる。露天商はそれを自らの腕で防ぐが、女性、というよりもその後ろの影の力が強いためか体が持ち上がり、弾かれたように後方へ飛んだ。

「俺の怪異は戦闘には不向きなんだよ。ちょっとは加減してくれ」

「ごめん、加減とか無理かも」

そう言うとまたも一歩で間合いを詰める。

次は正面からのストレートパンチ。

露天商は再び防御姿勢を取る。

だが、次の瞬間に女性は露天商の背後に回り込んでいた。

しかももう殴る態勢に入っている。

「これでおしまい!」

勝負が決しようとしたその時

「眼魔!」

露天商のその言葉が耳に届いたとき、時間が止まったかのように二人はピタリと止まり動かない。

「危ない危ない。ギリギリ間に合ったよ」

「あんた何したの?」

「眼魔に見てもらっただけだよ」

「眼魔?・・・あぁあんたのその気色悪い怪異ね」

「初対面にしちゃあ随分と遠慮なく言うね」

静寂と緊張の中で静止していた時間が動き出す。

露天商はゆっくりと女性から離れる。

「眼魔に見られている間は悪いけどそのままだ」

「本当に陰気な能力」

「指一本動かせないってのにそこまで強気なのは恐れ入るよ。でも今君を倒そうにも後ろの子が完全に被っちゃってるからどうしようもないね。それにあのお兄さんを退治しようにもそうすると君から目を離すことになる。うーん、これは参った」

露天商はぶつぶつ独り言を言い続けた。

そうして、

「よし、今日は君たちには何もしない。だから見逃してくれ。一応ギリギリまで眼魔で見とくからくれぐれも追ってこないでね」

そう言うと女性の方を向きながら、後ろ歩きで離れていく。

そして手を振りながら角を曲がって姿を消した。

その瞬間に女性の止まっていた体が動き、パンチは空振りとなり、その勢いで転びそうになっていた。

ひとまず難は逃れたのだろうか。

露天商は去り際に今日は何もしないと言っていた。

また明日、襲われるのだろうか。

とにかく昨日までの生活と今日の生活は驚くほどに違っていて、何か別世界に紛れ込んでしまったような感覚だった。

緊張の糸が切れてしまったのか、僕は地面に仰向けで倒れこみゆっくりと霞ゆく視界の中でどうか夢であるように願った。




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怪異ダイバーシティ 鮎屋駄雁 @nagamura-yukiya

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