剣士「全てはやっぱりあの聖女の所為だと思う」
ユキナが泣きやむまで、しばらくの間、そうして寄り添っていた。彼女がやっとのことで自力で立ち上がれるようにまで落ち着いた頃には、日は真上にまで昇っていた。
『…………王都にね、行こうとしていたの』
ぽつりぽつりと話す彼女の言葉に耳を傾けたところ、ユキナはユピの森から一番近くに存する人の居住区であるラピスの街の出身とのことだった。病に倒れた母から王都にお使いを頼まれて向かおうとしていたところで、この森に彷徨いこんでしまったのだそうだ。
『……いつも、魔除けの聖水を身体に振りかけてれば、大丈夫なのに。さっきの魔物には、ぜんぜん効かなくて』
『……そっか』
魔除けの聖水がその効果を発揮するのは、せいぜい初級の魔物までだ。そうはいっても、ラピスの街から王都に向かう道すがらには凶暴な魔物はまず出現しない。ユキナの母親も、安心して彼女を送り出したのだろう。
僕だって、あのユピの森で、まさかホワイトウルフに出くわすとは思ってもみなかった。突然変異によって誕生したのだろうか、原因は定かではない。
ただ、森で迷子になってしまってただでさえ不安に苛まれていたところで、今まで目にしたこともない凶暴な魔物と出くわしてしまったユキナの絶望は計り知れないものだっただろう。
結局、ユキナと一緒に森を抜けて王都にまで付き添い、彼女が目的の品を購入している間に返り血のついてしまった服を着替え終えて、ラピスの街まで送り届けることにした。その日も特にこれといってやることはなかったし、何よりもあんなことがあった直後で極限まで心細くなっている彼女をまたすぐに一人ぼっちにすることなど到底できなかった。
寡黙なユキナがたまに発する言葉に耳を傾けるようにして、一緒に歩いた。あんまり気の利いたことを言えた記憶はないけれど、極限の緊張状態に追いやられている彼女が少しでも安らげれば良いと心から願っていたことはたしかだ。
『ここで、大丈夫?』
『……うん。ありがとう』
『ううん。君が無事で、本当に良かったよ』
ラピスの街の入り口付近に到着し、数時間前よりもずっと血色の良くなっている彼女の顔を見られて一安心できたところで、『じゃあね』と立ち去ろうとしたら。
ユキナは、焦ったように僕の服の端を掴んできた。
『待って』
当時は肩下あたりで銀の髪がさらさらと揺れていた。白い木綿のワンピースがよく似合っていて、なんだか兎みたいな子だと思った記憶がある。
『うん?』
『私は、ユキナ。あなたの、お名前は?』
『僕はルドヴィーク。ルドで良いよ』
再会することは、多分ないと思うけれど。
内心ではそんなことを考えながら、流石に口にはできなかった。
『ルド』
ユキナは、宝物でももらったように瞳を輝かせて、噛みしめるように反芻し、
『ありがとう。あなたのこと、一生、忘れないから』
道端に咲いている花のようにひっそりと、恥じらうように微笑んだ。日の光を照り返しているかのように白い頬には、気のせいか、ほんのりと朱色が差しているように感じられた。
*
「ってか……あんな目に遭ったのに、どうして、冒険者になろうだなんて思ったんだよ」
もう、魔物を見ることすら嫌になったかと思っていた。というか、そうならない方がおかしいだろう。
ユキナはじいっと僕を見つめたかと思えば、毅然とした態度できっぱりと言った。
「冒険者を目指していれば、また、ルドに会えるかもしれないと思ったの」
落ち着いた声に載せられた確かな意志に、身体が射抜かれたようになり――
「それに、守られてばかりの弱い女の子のままじゃ、ルドの隣に立つのはふさわしくないと思ったから」
――身じろぎすら、できなくなる。
なんだろう。話の雲行きが、怪しい気がするんだが……。
焦る僕とは対照的に、ユキナは明日の天気でも聞くかのように落ち着いた様子で、何の気なしに尋ねてきた。
「ねえ、ルド。ルドはいま独り身ですか?」
「ごほっごほっ」
……幻聴だろうか?
今、五個も歳下の少女から、独り身であるかどうかを問われたような気がしてならない。僕としてはできれば幻聴だったことにしてしまいたいのだが……、
「ずっと、独り身なの? 望んで、そうしているの?」
残念ながら、全くもって幻聴じゃなかったわ! なにこれ、すげー煽られてるようにしか感じねえ! 女の子じゃなかったらたぶん殴ってたよ!
「ユキナ、こんな話をしていても誰も幸せにならんぞ。可及的速やかにやめよう」
「やめない」
「なんでだよ……!」
「私は、ルドが独り身でいてくれたことが、嬉しいの」
思考が、ぴたりと停止した。
僕が独り身でいてくれたことが嬉しい……だと?
僕が非リア充であると判明したことが、この子にとってはそんなにも面白く感じられるのだろうか。僕が、良い大人であるにも関わらず未だに童貞であることを確信して愉悦に浸っているのだとしたら、相当性格が悪いぞ。
目の前の少女の意図の読めなさに、得体のしれない不気味さすら感じ始めてきたところで、ユキナは淡々と爆弾を投下してきた。
「ルド。私をお嫁さんにしてくれませんか?」
……………………。
「なに言ってんの!??!!?!!?」
「今すぐには無理かもだけど、四年後には学校を卒業する。そうしたら、何の問題もない」
「何の問題もないどころか、大問題だよ!!」
「……? どうして? なにもおかしいところは、ないと思うのだけど」
「常識人ぶった顔をして、諭そうとするのはやめろ……!」
おかしいのはどう考えても君の方なのに、まるで僕の方が狂っているみたいな錯覚に陥りそうになるじゃないか!
「だめなの?」
「ダメだろ……!」
「どうして? ルドは独り身なんでしょ?」
「それは、そうだけど……」
瞬間的に、どこかの聖女の今にも泣きそうな顔が頭をよぎって、喉が急速に締め付けられたようになる。
……そもそも、僕が今こんな状況に陥っているのは、元を正せばあの女のせいではないか? 僕は再三あいつに『君が付き合ってほしいと言うのならば考えないこともない』と言ってきた。それにも関わらずあの女はクソつまらない意地を張り続けて、一向に自分の気持ちを認めようとしたがらない。そのせいで僕は未だに独り身と言わざるをえないことになっていて、それが原因でこんなことにまでなってしまったのだから、全てはやっぱりあの聖女の所為だと思う。
「好きな人が、いるの?」
「ちがっっ! そういうわけじゃないけどっ」
「なるほど……。ふうん、すこし残念かも」
「……なに勝手に納得してるんだよ」
「でも、大丈夫だよ」
「なにが!?」
ユキナは緋色の瞳で狼狽し続ける僕を捉えるようにじっと見つめながら、小さな口をほころばせた。
「最後にルドを振り向かせるのは、私の方だから」
【その④まさかの再会 完】
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