剣士「断じてモテないわけではなかったということを強調しておきたい」

「恩人、ねえ……」


 ユキナは何を考えているのか分からないような無表情をたたえてこくりと頷く。それから静かに僕を見つめて、ぽつりと言った。


「ルドが助けてくれなかったら、私、たぶん死んでた」


 じわりと、嫌な汗が背筋をつたる。


 それは大袈裟じゃないか? と、返すことはできなかった。口を噤んだ僕を見つめながら、彼女は臆面することなく淡々と言う。


「私にとってのルドは、英雄ヒーローなの」


 ……実際に面と向かって言われてみると心がむず痒くして仕方のない台詞だな?


 でも、ユキナの立場からすれば、もしかすると本当にそんな風に見えているのかもしれないと思えるだけに、安易に悪態をつく気にもなれない。


 狭い店内に、静寂が満ちる。


 僕ら以外に客がいないどころか、先程ケーキを運んできたウエイトレスの姿すら見えない。そういえば、さっきの無表情な女店員、どこかで見かけたことがある気がするのだが気のせいだろうか?


 辺りを見回しても、誰一人としていない。ここの店員は客に呼びだされない限り、店の裏に引っ込んでいるスタイルらしい。にしても、一人として待機していないだなんて職務怠慢にも程があるんじゃないか? 急に客が来たらどう対応するんだよ……!


 そう広くない喫茶店に、女の子と二人きり。


 自ら望んで人目につかない場所を選んだはずなのに、今更になって、なんだか酷くイケナイことをしているような罪悪感がこみあげてくる。人目は忍びたかったけど、なにも本当に二人きりになることまでは全く望んでいなかった。明らかに趣味経営としか思えないこの店のやる気のなさが、今となっては死ぬほど恨めしい。


 いや、だって冷静に、女の子と二人きりって……言葉の響きからしてヤバスギルダロ。


 まず、どこに視線を向ければいいのか分からん。顔? 腕? 首? それとも、胸? ダメだ、どの部位を見ていても変態と罵られる気しかしてこない……無難にテーブルに視線を落としておこう。

 

 ああ……五年前までただのガキに過ぎなかったユキナに対してすら、こんなに緊張するだなんて。もし、あの女と二人きりになろうものなら――いや、そんなことは一生ありえないのだから、仮定しても意味のないことなんだがな……。

 

 この、HPをガリガリと削り取ってくるような異様な状況はなんだろうか。無理だ、早く帰りたい。このまま彼女を放り出して逃走したくなってきたところで、視界の端のユキナが首を傾げた。


「緊張してるの?」

「……べつに」

「目、あわせてくれない。意識してくれてるんだ」

「違うったら!」

「ふふ。嬉しいな」

「……君なぁ。あんまり、大人をからかうものじゃないぞ」

「本気だよ? 五年前のあの時から、ずっと」



 今から、五年前。

 あれは、僕がまだ十七歳で、現役の学生だった頃のことだ。


 その日は休日だったから、例のごとく、僕は学生寮を抜け出していた。冒険者育成学校は全寮制だったのだ。


 何故、休日のたびに学生寮を抜け出していたのかといえば他でもない。休日は、魔物との実戦経験を積むべく、ありとあらゆる魔物出没地帯に足を踏み入れていたからだ。あの頃から本格的に剣聖を目指していた僕には、女の子とのデートにうつつを抜かしている暇なんぞ一刻たりとてなかった。断じてモテないわけではなかったということを強調しておきたい。


 そういうわけで、その日の僕は、ナギ平原を西に抜けた先のユピの森を散歩していた。この森に出てくる魔物の危険度は、ラミアの洞窟と似たり寄ったりだ。五年前の僕にとっても、雑魚敵しか出てこない安全地帯という認識だった。あくまでも、もっとレベルの高い魔物の蔓延る危険地帯に向かう前の準備体操をしようと思って行ったのだ。


 だからこそ。


 まさか、あの平和な森の半ばで、ホワイトウルフに出くわすとは思ってもみなかった。


 背の高い樹々の隙間からこぼれる日差しが、奴の白い毛並みを目に眩しいほどに艶やかに照らしていた。見るからに堅そうな筋肉の盛り出た肢体が目に飛び込んできた瞬間、心臓が嫌な風に高鳴ったのを今でも覚えている。


 その威圧感のある後ろ姿を認めた瞬間、僕は咄嗟に樹々の間に身を隠した。


 ホワイトウルフは、僕の存在に気づくことはなく、自分の目の前でへたりこんでいるか弱い獲物を、獰猛な金の瞳で見つめていた。


『ひっ……』


 奴に追い詰められていた女の子こそが、当時、まだ幼かったユキナだった。彼女は絶望に染め上げられた真っ青な顔をして、子兎のように震えながら尻もちをついていた。

 

 ホワイトウルフは、そこそこ腕の立つ冒険者からすれば、決して強いわけではない中級の魔物だ。


 でも、剣も魔法も持たない少女からすれば、危険でしかない獰猛な生物だった。


『ガルルルルルルル!!!!!!!!』


 奴が耳をつんざくような雄叫びをあげて、彼女に襲い掛かろうとした瞬間、考えるよりも先に身体が動いていた。

 

 助けなきゃ。

 助けなきゃ。

 助けなきゃ。

 僕が助けなきゃ、あの子が、死んでしまう……!


 筋肉が壊れるんじゃないかってぐらいの全速力で走って、本能の命じるままに、ありったけの力を腕にこめて剣を振り下ろした。ホワイトウルフは、すんでのところで背後から迫ってきた僕の存在に気がつき身をよじったが、時既に遅し。


『ッッ!? ギギャアアアアアアアアアアアアアアアア』


 僕の振り下ろした剣は、奴の肢体を綺麗に真っ二つに引き裂いた。


 溢れ出る鮮血、鼻のひん曲がりそうな臭気。憎しみの限りを濃縮させたような血走った瞳。剣を握りこんだ掌には、びっしりと汗がまとわりついていた。心臓を打つ鐘がいつになく速くなっていて、頭は割れそうなぐらいに痛かった。


 ユキナは尻餅をつきながら、血の気のない顔で僕を見上げていた。


 彼女からすれば、これでもかというぐらいに魔物の返り血を浴びて、ホワイトウルフの死骸を見下ろし呆然と立っていた僕の方こそ恐怖そのものだったかもしれない。


 しばらくの間、舌がまともに動かせなかった。

 言葉を発することすらもできなかった。


 魔物と対峙していて、五年前のあの時程の恐怖を感じたことはない。目の前で命の灯が消えかかろうとしていたという事実が、本当に恐ろしかった。


 ややもして、ユキナはその紅の瞳にじわりと涙をにじませた。僕は慌てて彼女と目線を合わせるようにしてしゃがみ込んだ。


『…………だい、じょうぶ?』


 そう問いかけておきながら、すぐ後悔する羽目になった。


 だって、大丈夫なわけがないじゃないか。


 こんなか細くて年端もいかない女の子が、あんな獰猛な魔物に、喰われそうになっていたのだ。僕がたまたま通りかからなかったら、命を落としていたのは彼女の方だったかもしれない。大丈夫であるはずがない。


 彼女は身を震わせながら、大粒の涙をぽろぽろと白磁の肌にこぼして静かに泣き始めた。


『っっ……』

『ゴメン……大丈夫な、わけがないよな』


 ユキナは僕の膝にその小さな頭をあずけると、しばらくの間、ずっと泣いていた。 

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