剣士「君は、今のこの状況を、僕の口から説明させる気か?」

 人混みをすり抜けて、心臓をバクバクと高鳴らせながら彼女の消えていった方向へと全力で駆け抜ける。ああ、もう! あいつ、聖女ヒーラーのくせに逃げ足早すぎだろ……! 


 入園ゲートから大分遠くに離れて、人通りが少なくなってきた辺りで前方に馬車乗り場が見えてきた。馬車から降りてくる人々は、あの遊園地に期待を馳せているのか、皆どこか浮ついたような顔をしている。


 降りてくる人々が楽しそうにしている傍ら、一人ぼっちで心もとなさそうにどんよりと俯いているあの女は、周囲から相当浮いていた。


 全速力で彼女に駆け寄りながら、大きく息を吸って、腹から声を絞り出す。


「帰ろうとしてんじゃねえよ、馬鹿野郎!!」


 びくりと肩を震わせて、聖女がぎこちなく振り向く。ハッと見開かれた大きな瞳が泣き腫らしたように赤くなっていて、頬を強く引っ叩かれたようだった。


「い、や。嫌です、来ないでください……!」

「はあ!?」


 この期に及んで何を抜かしているんだ、この馬鹿女は!

 僕が、どんな思いで、ここまで君を追いかけてきたと思って――


「やっ、ぱり……あなたのことなんて、だいっきらいですっ」

「っっ。ああ、そうか。君の気持ちは、よく分かったよ……!」

「もう、もう、嫌なんです。お願い、ですから……もう、これ以上、私を、あなたばっかりに、させないでください……っ」


 ――エッ!?


 心臓が、大きな音を立てて跳ね上がる。


「あ、なたが……私を、おかしく、したのに……っ。些細なことでイライラしてしまうのも、悲しくて泣きそうになってしまうのも、ぜんぶぜんぶ、あなたの、せいなのに……。あなたの方は、綺麗な女の子に言い寄られて嬉しそうで……私のことなんて、本当はどうでも良かったんですね」


 かなり錯乱しているせいか、いつも可愛くないことばかりいう彼女が、やけに素直に感情を吐き出してくる。それが効果覿面で、なんて言い返せば良いのか全く分からないのに、顔だけがやたらと熱くなっていくのを止められない。


 僕が動揺して黙り込んでいる間にも、聖女は大きな瞳にどんどん涙をため込んでいき、ついにはその白い頬に一筋の涙を伝らせて――


「どう、して、ヘンに優しくしようとするの……? 同情なんて、要りませんっ。

とっととあの子の下に戻って、結婚でもなんでもしてしまえばいいじゃないで」


 ――想いの丈をまくしたて終える前に、ぴたりと大人しく固まった。


 いや。

 固まったというよりかは、固まらせたという表現の方が正しいかもしれない。


「ああ、もう、うるさい! とりあえず、落ち着け!!!」


 何をしたか端的に言うのならば、抱きしめた。


 再びぽろぽろと涙を零し始めた彼女の腕を、人の邪魔にならないところまで引っ張って、僕の腕の中に閉じ込めてしまった。


 どうして、そんな大胆なことをしでかしてしまったのだろう。冷静に考えるまでもなく、歴代の黒歴史を遥かに凌ぐ大事件だ。周囲の人々が、面白がっているような目で僕らをニヤニヤと見つめている。顔が茹りそうなぐらい熱い。正気の沙汰とは思えない。


 というか、実際に、正気ではいられなかったのだ。


 やっぱり僕は、この女の涙に自分でもびっくりするほど弱いらしい。彼女の泣いている顔を見ていると、胸がざわめいて、頭が真っ白になり、言葉がなんにも出てこなくなる。それなのに、ただ泣きやんでほしくて仕方がなくなり、こんな、どうかしているとしか思えないようなことまでしでかしてしまう。前回のささやか事件も然りだけど、後からセクハラだと訴えられようものなら、マジで何も言えない。


 それでも……君が泣いているよりかは、全然マシだろ。

 それでこんな行動にまで及んでしまった僕は、そろそろ本当に末期かもしれない。


 細い背中に手を添えてあやすようにさすろうとした時、彼女の身体の震えが伝わってきて、胸がぎゅっと締め付けられたようになった。女の子らしい柔らかい身体に、甘い香り、彼女の熱。先程までとは比にならないぐらいに血流が速くなっていって、息苦しいぐらいで、鼓動の音がうるさくて仕方ない。


 視線を、恐る恐る、下に向ける。


 大人しく僕の腕の中におさまっている彼女は、未だにぴたりと固まったようになりながら、耳の先まで朱色に染め上げていた。


「ア、アノ…………ナニヲ、シテイルノデス?」

 

 …………。

 君は、今のこの状況を、僕の口から説明させる気か? どんな拷問だよ、ソレハ。


「…………君は、何を言っているんだ? 見れば分かるだろ」

「っっ~~! は、離してくだしゃいっっ」

「やだ」

「なっっ!?」


 絶句したかと思えば首筋まで真っ赤に染めあげて、「にゃ、にゃにを、するのですっ!」とぽかぽか僕の胸を叩いてきた。その仕草にどうにも和んでしまって「まぁまぁ」と頭を撫でてみたら、華奢な肩が面白いぐらいに跳ね上がってまた大人しくなった。内心では超絶サラサラで女の子そのものでしかない髪の感触に死ぬほどドギマギさせられているし、彼女の動揺を面白いだなんて思いながら冷静に眺められる余裕なんて微塵もないのだけれど。


 もう、どうにでもなればいい。


 後先なんて考えずにホントに勢いだけで抱きしめてしまったから、もうとっくに弁解の余地なんて残されていないんだ。どうせ訴えられるのなら、もうちょっとぐらいこの甘くて蕩けてしまいそうな感触を拝んでいても良いんじゃないかとすら思えてきた。


「……こうしていれば、君の泣いてる顔を見ないですむだろう」

「!? ……け、剣士様は、そういうところが、ホントにホントにずるいですっ」

「はあ?」


 ごもごもとなにやら言っているので、首を傾げた次の瞬間。


 聖女は、僕の一瞬の隙をついて、背伸びをした。


 何をするのかと身構えて目を瞑った瞬間――彼女の柔らかい唇が、僕の頬に触れる感触がした。


 …………………………。

 はああああああああああああああ!?!?

 

 やけに艶めかしい感触に、一気に身体が燃え上がるように熱くなる。全身が心臓になってしまったかのようにドキドキして苦しい。僕がこんなにも消耗させられているというのに、攻撃を仕掛けてきた当の本人は僕の胸に顔をうずめて知らん顔をきめている。オイ。ふてくされながら、ちゃっかりこれ以上クッツクンジャナイヨ。


「…………ナニヲスルンダヨ」

「…………何を言っているのですか。見ていたのだから、分かるでしょう」


 …………先程のこの女の気持ちが、痛い程に分かった。


 しかし、こんな返しは予想の範疇内。ここで、大人しく引き下がる僕ではない。


「…………気のせいでなければ、君に、口づけをされたように感じたのだが」

「そ、そうですけど、なにか? 悪いというのですか? も、もとはといえば、突然、抱きしめてきた剣士様のせいですよっ」


 完全に、開き直られた。


「こ、これは、仕返しなんですっ。私ばかりドキドキしているのは、理不尽、ですから……」

「そ、そっか……?」


 いや、その前から既に、ドキドキしすぎていつ死んでもおかしくないぐらいだったけどな。絶対に言わねーけど。


 聖女はおずおずと僕を見上げながら、消え入りそうな声で言った。


「私は、初めて、だったんですよ……? ……剣士様は、初めてではないみたいですけど」

「何、言ってんだよ。僕も、初めてだよ」

「白々しい。寝てる間に、あの綺麗な子にちゅーされてたじゃないですか。ほんとは狸寝入りだったんじゃないですか」

「えええ!? マジかよ!! いや、でも、それは完全に不可抗力だろ……!」

「言い訳なんて、聞きたくないです……! ど、どれだけ、私があの子のことを羨ましいと思ったか、知りもしないくせに……っ」


 っっ。

 どうしてこの女は、普段いけ好かないことばかり言うくせに、たまに不意打ちで、信じられないぐらい可愛いことを言うのだろう。 


「……ユキナに嫉妬する必要はないよ」

「私の心が狭いと仰りたいのですかっ!?」

「そうじゃなくてっっ」


 正気を失ってわめきたてている彼女を、強く抱きすくめる。

 

「…………あまり、可愛いことばかり言わないでくれ。理性が、もたなくなる」


 互いに、見つめあうこと数秒間。

 羞恥心に引き裂かれるようにして、とびのくようにぱっと身体を引き離した。

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