剣士「もうこれ以上、黒歴史を増したくはない!」

 誘うような清楚な香り。制服越しになだれ込んでくる体温。見た目はこんなにほっそりしているのに、触れてみると想像以上に柔らかくて丸みのある身体が、女の子から女性に成長したのだと問答無用で告げてくる。


 エッ……………………?


 いやいやいや。全く、イミが、分からんぞ! あまりの状況の飲み込めなさに本気で心臓吐き出すかと思った、ていうか、現在進行形で割と吐き出しそう……!!


 Q:突然、かつての知り合い(美少女)から抱きつかれたんだが無理、ドウシヨウ、ワカンナイ、助けて……!

 A:死ね。クソリア充は全員滅べばいい。

 Q:僕のことだよ大馬鹿野郎!!!! 


 突然の緊急事態に、脳みそが全く使い物にならなくなってしまった。僕の完全フリーズを抱擁の肯定と受け取ったのか、ユキナはもっと甘えるように僕の胸辺りに顔を寄せてきた。あああ、やめろ! びっくりするあまり、変な声が出そうになったじゃないか!!


 恐る恐る、僕に引っ付いて離れない生き物へと視線を向ける。


 僕の視線を感じたらしく、彼女は「ん?」と首を傾げて、頭一つ分ぐらい下のあたりから見つめ返してきた。熱に浮かされたような瞳でぼうっと見つめてきたかと思えば、ふにゃりと無防備に笑われて、さらに心臓を追い詰められる。


 イヤイヤ。君と僕って、全くもってそういう関係じゃなかったよな? いくらすげー美少女に成長したからって、危うくナガサレタリハシナイヨ?

 

「ユキナさんや。ナニヲ、シテ、イルノカナ??」

「…………? ルドに、抱き着いているよ?」

「見れば分かるわ!! なんで至極ナチュラルに抱き着いてんの!?」

「なにも問題はないよ?」

「問題しかねえよ!!」


 先程から、僕らの脇を通りがかっていく冒険者見習いたちの視線が刺さるようで痛い。今、通りがかったひよっこ剣士から、『ダンジョンでいちゃいちゃすんじゃねえ、魔物に襲われて死ね』という殺気だった怨念を明確に感じ取った。アイツの気持ちは痛い程に分かる。あれは、過去の僕だったのかもしれん。


 いや、待ってくれ、こう見えて僕はまだ女の子と手すら繋いだことすらない清い身だぞ!? つい数刻前まで君と同じく呪う側にいた人間だ! それがどうしてこんなことになっているのか、僕もサッパリワカラナインダヨ!!


「えっ……? どうして、問題なの?」

「いくら久しぶりの再会だからって、知人程度に過ぎない男にいきなり抱きつくのはマズイだろ!?」


 出会った五年前、ユキナはまだ年端もいかない少女だった。たしか十一歳だったっけ? 言ってしまえばガキだった。でも、そうなると今は十六歳になったということでこれってもう完全にれっきとした女の子だ、しかも、ぴちぴちの現役女学生! 対する僕は二年前に学生卒業済の駆け出し社会人。ダメだ、絵面的にも大問題すぎる……!


「ただの知人じゃないよ? ルドは私の大事な人だもん」

「誤解を招くような言い方はやめろ!!」

「誤解じゃない」

「あああうるさいうるさい今すぐ離れろ離れろ頼むこの通りお願いだから!!」

「むーーっ」

「ふくれてもダメなものはダメだ!!」


 悲鳴をあげながら、とんでもマイペース少女をどうにか引き剥がして、ふうと一息つく。僕が心の底から安堵した表情をし、ユキナが恨めしそうに僕を見上げて頰をふくらませている中、どこからともなく熱烈な視線を感じた。


「あのお……」

「へ?」


 気がつけば、少し離れたところから、腰に剣を下げたいかにも冒険者見習いっぽい男の子がおずおずと僕たちを見つめていた。


「もしかして、なんですけど。剣聖のルドヴィークさん……ですよね?」


 !?


 瞬時に、最悪の未来予想図が脳裏に展開される。


 もし、彼が、剣聖ルドヴィークがラミアの洞窟の入り口付近で女学生と抱き合っていたと誰彼構わず口外し、それがギルド関係者の耳にまで伝わったら……!


 冒険者といえど所詮はただの人間、みんなそういう噂話には喜んで飛びついていく。そうなったら、無駄に交友関係の広いアリスがどっかの知り合いからいち早くこのことを聞きつける。アリスのことだ、そんな情報を聞きつけようものなら大人しく黙っているはずがない。ニコニコしながら『聞いてよマノちゃん、ルドがダンジョンでとびきり綺麗な女の子といちゃいちゃしてたらしいよ! しかも、相手は学生!! いやあ、うちのリーダーも隅に置けないねえ』と空気の欠片も読まずに爆弾を投下し、あああその後はもう考えたくもない……!!


 何故こんなに焦っているかって!? そんなの決まっているだろう! 


 もしそんなことになったら、僕のことを好きで仕方ないあの女は確実に泣きそうな顔をするに決まっている! そうなると、ものすごく困ったことになるんだよ……!


 最近学んだことなんだが、僕はあの女の泣きそうな顔が死ぬほど苦手だ。あの顔を見るとどうしようもなく弱ってしまって、普段の僕では絶対的にありえない失態をしでかしそうになる。というか、もう既にやらかしている気がしないでもない。しないでもないどころか、仮にも女の子に向かってアンナコトを囁きかけてしまっただなんて失態以外の何物でもないような……うわあああ思い出したらまた死にたくなってきた!!


 そういえば、あの直後、彼女から返答されたような気がしないでもないが、その前に完全に気を失ってしまったから真相は謎のままである。今更蒸し返したくはないし、憤死を覚悟の上で確かめたところでどうせ酷い罵倒の類だろう。ウン、永久に謎のままにしておくのが賢明だな。


「あ、あの……?」

「ルド?」


 少年少女から不審な視線を送られて、顔がカーッと熱くなる。

 嫌だ!

 もうこれ以上、黒歴史を増したくはない!!


「ひ、人違いデス!!!」


 僕は、強敵を前にした雑魚のごとく全力で逃亡することに決めた。



 結局、ラミアの洞窟を抜け出し、ナギ平原を突き抜けて、王都にまで戻ってきた。このまま、とんでもない噂の火種になりかねないユキナを撒いてしまうことも不可能ではなかったが、僕を逃すまいと追いかけてくる彼女の必死さについつい根負けしてしまった。まぁ、かなりビックリさせられたとはいえ、一応、五年ぶりの再会ではあるしな……。


 人目を忍ぶように、メインストリートからはずれた裏通りに位置する明らかに繁盛していない雰囲気の古びた喫茶店に入ることにしたのは大正解だったといえよう。その店には、僕らの他、誰一人として客はいなかった。


 目の前のユキナは、ウエイトレスに差し出されたチョコレートケーキに頬を紅潮させ、ぽーっと見入っている。ややもして、ちいさな口で頬張り、幸せそうに瞳を細めた。なんだか、小動物みたいだ。


 かと思えば、僕のことをじいっと見つめて、こてりと首を傾げた。


「ねえ、ルド」

「ん?」

「さっき、どうしてあの男の子に嘘を吐いたの?」  

「元はと言えば、君が、突然抱きついてきたのが全ての元凶だよ? 反省して?」

「ひどい……。ルドは、私に久しぶりに会えて嬉しくないの?」

「弱ったような顔をして罪悪感を刺激するのはやめろ! 君はあれか? 感動の再会だったら、誰彼かまわず抱き着く習性でもあるのか? それが男であってもか!? だとしたら、君の貞操観念がかなり心配なんだが……!」

「心配してくれたの? うれしい」

「僕じゃなくても心配する状況だろ……!」

「でも、心配しなくていいよ?」

「はあ!?」

「ルドにしかしない」


 何の躊躇いもなく言い切った彼女に、返す言葉も失う。


 またもや固まってしまったら、ユキナは黙って無表情でいると精巧な人形のように整った相貌で毅然と言い放った。


「ルドは、私の恩人だから」

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