42頁:誰も彼もが一緒なんだ
「なん、で……どうしてここが!」
静まり返った世界の中で、八王子の困惑した声だけがただひたすらに響く。
「どうしてって、お前が一番気づいてるだろ?」
対するハツカネズミ研究会は、代表と言わんばかりに冷たい声音で海里が口を開く。どうしよう、言いたい事がまったくわからない。
うずくまったままの視界から八王子の顔を盗み見ると、八王子は明らかに額に汗をかきながらもまさか、と小さく呟いていた。
「ここまで……長日部が?」
「なめんな、お前の同級生は成だけじゃないんだぞ」
どうやらご明察のようだ。俺ですら忘れていたのに、こいつはよく覚えていたよな。あんなに反対していたのに、どんな記憶力をしているのか。
「しかし、だからと言って学校からは距離だってあるし、第一ここは僕の〈トラウマ〉で」
「隠していた……とでも言いたげだな?」
残念だったな、と笑う会長はどこか得意げで。
「そうだな……では二年八組八王子、答え合わせといこうじゃないか」
悠然と、開会を宣言するように会長が言葉を紡ぐとそうですね、と次は真紅の声が聞こえてくる。
「まずは大元としてあなたの動向ですが……これは我々、新聞部とハツカネズミ研究会の力で監視済みです。まさかバレてないと思っていたのでしょうか?」
馬鹿にするように鼻で笑いながらですよね王様、なんて言葉をかけると会長はただ静かに頷いていた。
「あぁ、あとここにどうやってきたかは……おれだよ」
そんな横で手をひらひらと動かす美国先生は目を細めると、小さく確実に言葉を放つ。
『醜いのだから、飛べやしない』
瞬間、何もなかった空間に突如として山のような羽が現れる。それらは美国先生が指を動かすと同時に揺れ、ふわりと妖精のように宙を舞っている。まるで、雪のようだ。
「こいつで、おれの〈トラウマ〉に乗って飛んできたってわけだ……簡単な話だろ?」
簡単なのかどうかは、ノーコメントでいかせてくれ。
「そしてここに入った方法は、僕のスナップで部屋を囲っていた〈トラウマ〉を飛ばさせてもらっただけ。まぁここを見つけた決定的な理由は他にもあるが……タネ明かしはここら辺にして、灰村を返してもらおうか」
そっと三人を睨む会長はいつもの笑顔を貼り付けて……うんん、いつも以上に鋭い言葉と共に、目の奥で何かが燃えているようだった。
「会長……怒っている?」
「あぁ、お前にな」
「理不尽」
どうしてそこで、俺になるんだよ。
「狙われているとわかっていて自分勝手な行動を取りすぎだ……お前はもうなくてはならない存在なんだ、あまり僕達を困らせないでくれ」
「……ごめん」
そんな事を言われては、謝る以外にできないだろ。なんだか、気が狂う。
「なん、で……」
口の中で言葉を転がしながら謝っていると、横から突然震えた声が聞こえる。
「なんで、そこまでしてお前らは灰村がほしいんだ……!」
「好きだからだよ、二年くん」
いつもよりひどく単調な月乃の声が聞こえると、あのね、とその言葉は続いていく。
「みんな、なるるんが好きだから。大好きだから助けたいの……なるるんを傷つける人は、月乃が許さないよ」
「お前……」
なんて、お人好しな発想なのだろうと思った。
怒りに満ちたその瞳は静かに八王子を睨むと、小さく言葉を紡ぐ。
「月乃、本気だよ」
その言葉は、どの殺意よりも重い。
「この、生徒会のバズーカが」
「俺も、月乃の意見には賛成だな」
どこか暴力的な言葉を文字通りかき消すように放たれたのは、他でもない俺の幼馴染みのもの。いつも通り紺色のマフラーをまとったそいつは溜息をつくと、そりゃさ、と笑っていた。
「俺だって信じたくねぇよ、一応同じクラスだし出身中学も同じで……けどよ、八王子」
その声はまるで、猛獣のようで。
「俺だって……一応主人を傷つけられたんだ、楽に死ねると思うなよ」
そして猛獣なんかでは表現しきれない、獰猛な唸り声で威嚇をしていた。
「なんだよ、なんだよ全員して……やれ、ハーメルン!」
「はいよ、『嘘つきは絶望の始まり!』」
「うわ!?」
民族的な笛の音と共に俺の身体が浮くと、そのままハーメルンに吸い寄せられるように勝手に身体が動く。鎖が切れるかと思うくらいのそこは会長達からはじゅうぶん距離があって、逃げるには少しきついものがあった。
「はい、いっちょ上がり」
「ぐっ……!」
首を締めつけられるように後ろから掴まれ、視界が歪む。
「このまま〈アクター〉が、灰村がいる以上は俺達の勝ちだ、灰村は俺たちのものだ!」
勝ち誇ったように叫ぶ八王子をよそに、会長はどこかめんどうな顔をしながらそうだな、と笑う。
「そう簡単に、いくかな?」
「は……?」
簡単にって、なんの話だ。
「少し待ってろ灰村……いいぞ、やれ」
「まってました!」
「行きますよ!」
「教師に指図すんなって」
「あぁ……成は物じゃない!」
会長のその言葉が合図だったかのように、ハツカネズミ研究会はコンクリートの床を蹴り上げ叫ぶ。悲痛なくらいに、心が揺れるくらいに。
『お腹の中は、大嫌い!』
真紅の叫びは、地に穴を開ける。
『我が主人は鬼城と共に!』
海里の嘆きは、風を切り。
『私は月に、還らない!』
月乃の訴えは、心を動かす。
「みんなの、〈トラウマ〉……」
俺だけじゃない。誰にだってある〈トラウマ〉が、世界を支配していく。
「へぇ……『俺はトルコの、神様だ!』」
言葉と共に、炎で湧き上がる。
これも、〈トラウマ〉。どんな形であれ、どんな奴にだって〈トラウマ〉はあるんだ。それをどう使うかは、人それぞれで。
「お前ら、新人には傷一つつけるなよ!」
「うるせぇ、羽しか量産できないおっさんが!」
人数的なものはもちろんあるけど、この状況は確かに研究会が有利だ。俺がこんな状態じゃなけりゃ、きっと圧勝だろう。
「あちゃー……ねぇイーア、これじゃやばいよ」
「そうだね、灰村もこっちにいるし退散した方が」
「そうはさせねぇよ……『我が主人は鬼城と共に!』」
「っ!?」
八王子達の背後をぐるりと囲むように作られた半透明の城壁は、本来は守るためのものだけど今回ばかりは警察の包囲網のようだった。これで、こいつらは逃げられない。
「まだだ、『我が主人は、鬼城と共に!』」
流れるように続いたのは、鋭い何かが風を切る音。
それは明らかに俺の鼻を掠め、ハーメルンの服を切り裂いた……って、ちょっと待て。
「おまっ、俺に当たったらどうするつもりで」
「大丈夫、そこら辺タフなのは俺が一番知ってるから」
「さすがに刃物には無理かな」
普段よりも機嫌がいい海里は鼻歌交じりに笑うと、動くなよ、と静かにナイフの形を模した〈トラウマ〉を向けてきた。
「ちょっと待て、待て待て」
この従者、いつか絶対主人を殺しにかかる!
行き場のない謎の恐怖心を抱きながら様子を見ていると、最初こそ余裕だった海里の表情は苦戦しているようで、徐々に険しくなっていた。
「なんだ長日部、大口叩いたくせに大した事ないじゃないか。一体何をやりたいんだ?」
「言ってろ……!」
確かに八王子の言う通り、俺に近づいているにしては狙っている場所が俺どころか三人よりも手前だ。本当に、何をやりたいんだこいつ。
「なんだ猫のあんちゃん、それが本気!?」
「あぁ、本気さ……『我が主人は鬼城と共に!』」
放たれた言葉と共に形状が鋭くなったナイフは、八王子達に向けて殺意を巻き込みながら向けられていた。
けど、どれもこれも当たるには程遠くて。
「だめだよ長日部、ちゃんと狙わなきゃね!」
「何言ってんだよ、八王子」
「え……?」
含んだ言い方に俺も八王子も首を傾げると、海里は不気味なくらいに口を吊り上げナイフを握り直す。
「最初から狙いは……こっちだ!」
瞬間、俺の事を繋いでいた鎖に海里がナイフを突き立てた。
「なっ……!」
海里の〈トラウマ〉製ナイフはかなり頑丈なもので、貫いたナイフは乾いた音をたてて鎖を呆気なく断ち切ってしまう。
「そんな、〈トラウマ〉で鎖なんて切れるわけが」
「よそ見してんじゃ、ねぇよ!」
「ぐはっ!」
間髪入れずに、右アッパー。
位置的に下にいた俺からのはかなり入ったらしく、ハーメルンは何が起こったかわからないと言わんばかりの顔でこちらを見ていた。
「悪いな、これでも俺……腕には自信があるんだ」
倒れ込んだハーメルンが本当に気を失ったか確認して、その場に座り込む。怖かったのもあるけど、それ以上に気が抜けたんだ。だってさっきまでの俺、どう見ても絶体絶命だったから。
「にしても……痛てぇ」
少し乱暴に外された鎖を払いながらまた立ち上がると、俺の後ろに心なしかほっとした表情の会長が立っている。
「本当に、世話の焼ける奴だ」
「どうも、悪かったな」
申し訳ない気持ちなのには変わりなくて、目線を逸らす。
けど会長はそんなのお構いなしに、灰村、と俺の名前を呼んだ。
「ほら、行け」
「いや、行けってどこに……」
「お前も〈キャスト〉なら、けじめをつけろ」
「っ……」
まるで本当に背中を押されているようなその言葉に、肩を落とす。
俺が誰で、俺がナニか。
そうだな、不本意だがこいつはそれを教えてくれたんだ。なら、俺なりのけじめはつけてやるよ。
「…………八王子」
ゆっくりと、足を向け前を見据える。
もう、俺に迷いはないから。
「決着ってやつ……つけようぜ」
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