43頁:灰でもかぶってろ
「終わりにしよう、八王子」
「……想像以上だよ、ハツカネズミ研究会も、灰村も」
そんな、二つの声はコンクリートの世界に反射する。
目の前のこいつは目も当てられないくらいに狂っていて、俺の知っている八王子とはまるで別人だった。正直、まだ俺の心はこの現状を信じていない。
「……なんで、どうして」
「本当に、灰村は知りたがりでお人好しだ」
優しく笑うその表情は教室のものと一緒で、それも二度と完全に一緒には見えないのだろうと本能がそう叫んでいた。
「なぁ灰村……僕達、もっと違う出会い方をしていたら、友達になれたかな」
「え……」
突拍子もない、そう思った。
「もし僕も灰村も読み手で、〈アクター〉も知らなかったら……なんてさ」
「そんなの……俺達は〈キャスト〉だから、わかんねぇよ」
「……そうだな」
もしかしたら、例えばとかなんて、そんな言葉は俺達には使えない。だって〈キャスト〉は、どんな事があっても世界に縛られ本の中通りにしか立つ事ができないから。
「……いや、違うな」
俺達は、きっと読み手のようにだって生きられる。それは、今までの俺自身が証明しているから。
「多分、思うだけじゃだめなんだ。思ってるだけじゃ、始まらないから」
「……もっと早く、僕は君に会いたかった」
柔らかく微笑む八王子はどこか寂しげで、ふと自然に俺の口が開いた。
「……なぁ、八王子。まだ間に合うから、今からでもこんな事やめて」
「やめて、どうするんだよ」
「っ……」
悲痛な、悲しいくらいに泣きそうなその表情に、言葉が詰まる。
「僕にはこの世界しかない……童話を恨む事しか、あの憎たらしい王子を憎む事しかできない。それが、僕みたいな脇役の生き方」
そこまで呟くと、八王子は俺の目を見据えけどな灰村、と語りかけてくる。
「それでも僕だって、シンデレラを探していただけの僕だって少しは日の目を見たい……明るい場所を歩きたい」
一拍、不自然で異様な間が空いて。
「だから僕は、君がほしい――『我らが王の、仰せのままに!』」
「ちょ、おい!」
突然投げられた言葉を避けると、四角い何かが俺の頬を掠め壁にめり込んでいた。
「どう灰村、僕達だけでどこか遠くの世界に行こうよ……僕と君なら、なんでもできるはずさ」
「それは断るって、おぉ!?」
間髪入れずに飛んできたそいつを避けるのに必死で、額を嫌な汗が流れていった。さっきから何が飛んできているのかと近づいて見ると、それは半透明な四角い物体で。八王子が部屋を囲んでいた〈トラウマ〉と、まったく同じだ。
「この〈トラウマ〉、応用が利くんだよ……こうやって飛び具にもできるってわけ、便利だろ?」
「いや、それは俺に聞くべき事では、あっぶな!?」
俺からしたら、迷惑でしかない。
次々に飛んでくる〈トラウマ〉は止まる事を知らなくて、俺の服と肌を切り裂いていく。
「痛っ……!」
「成!」
「あぁ長日部、君は黙っていてくれ……『我らが王の仰せのままに』」
瞬間、俺と八王子を包むように四角い世界が浮かび上がる。どうやら中からも外からも見えるらしいそれは、いくら叩いてもビクともしない。
「なるるん!」
「先輩!」
「くそっ、成!」
「さぁ灰村、邪魔はいなくなったよ」
手遅れだと、確信した。
こいつはもう手遅れなほどに狂っていて、その目には俺しか映っていない。
「さぁ行くよ、『我らが王の仰せのままに!』」
「白い鳩は……ってやっぱりだめか!」
どれだけ力を込めても湧き上がらない〈トラウマ〉はどうにもならなくて、小さく舌打ちを投げた。
「〈アクター〉の〈トラウマ〉は反転しか理由がエネルギーになる……君の場合は絶望だろうけど、君自身には絶望が少なすぎる」
まるで俺の思考を読んだように笑うと、こちらに手をかざして軽く後ろへとステップを踏んでいた。
「選んでよ灰村……僕に負けて仲間になるか、自分の意思で仲間になるか」
「断るって選択肢はないのか、よ!」
避けても、避けても戦況は変わらない。
いつもなら研究会の誰かがそばで助けてくれていたけど、今は文字通り一人だ。自分で、打開しなきゃ。
「けど、これはきつい……!」
今の俺には抵抗する力がない。このままじゃ、今の俺は負けて仲間になる道を歩いている。
「ほら、僕と遊んでよ灰村」
「やだって、言ってんだろ!」
聞く耳を持たない八王子をなんとか説得したいけど、当の本人はなんだい、と世間話をするように笑っていた。
「聞けよ八王子、そんな、お前はこんな生き方しかできないって言うけど、〈キャスト〉じゃなくても〈トラウマ〉はそれぞれある……みんな一緒なんだよ!」
「それは絵空事だよ……可哀想な灰村、まだ夢の中なんだね。早く目覚めさせてあげないと」
だめだ、まったく聞いてない。
どれだけ訴えても言葉達は届かなくて、むしろ悪化の一途を辿っている。
どうする、どうする――
「灰村、聞け」
ふと、会長の声が耳に響く。
「……外野は黙ってろって」
「聞け」
「っ……」
俺は待っていても八王子は待ってはくれないから身体を動かしながら耳を傾けると、会長はそれでいいなんて他人事を言いながら喋り続けてきた。
「お前は〈アクター〉である前にシンデレラだ……その意味が、わかるか?」
「意味……?」
こいつは、一体何を。
「じゃあ言い方を変えよう……灰村は、お前は元々なんだった」
「俺はなんだったって……そりゃ」
元々俺はただのシンデレラだと思っていて、それで〈克服〉していなくて。
「……あれ?」
俺、今なんて。
「もう一つヒントをやろう……誰が、お前の〈トラウマ〉を決めつけた?」
「待て、それって……!」
「お喋りは終わったかな、『我らが王の仰せのままに!』」
頭を下げて〈トラウマ〉を避けながら、俺は一つの答えを出す。うんん、違う。答えはきっと、わかっていたんだ。
「そうか……そんな事、誰も決めつけてない!」
「やっとわかったか」
会長に誘導されたのは癪だけど、それでもやれるなら俺はやる。何度でも言ってやる、わからないはもう嫌なんだ。
「俺を、見ろ!」
「へぇ、本気出した?」
拳を強く握り振り下ろしたそれは、ひらりとかわされ笑われてしまう。けど、それでいい。
だって俺は元々海里みたいに喧嘩っ早いわけではないし、月乃や真紅みたいに強い力があるわけでもない。ましてや、美国先生や会長のように守る力もない。それでいい、この不格好な拳は俺なりの決意だ。
「うわぁあ!」
「っと!」
拳こそ当たらなかったけど、それでも八王子のバランスを崩すにはじゅうぶんで。
驚いた顔でふらついた八王子を、俺は見逃さなかった。
「会長!」
「わかっている」
この〈トラウマ〉越しに効果があるかはわからないが、一か八か。
童話の驚異であろうと、世界の恐怖の対象であろうといい。
「俺はおれだ……俺は、灰村成だ!」
乾いたスナップの音は、しっかりと俺の耳にも聞こえてくる。
「行け、グリムの傑作――アシェンプテル」
もう、俺は一人で悩まなくていいんだ。
『灰でも――かぶってろ!』
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