41頁:ヘマはこいてねぇよ
隔離された世界は異質なもので、俺はそんな空間のコンクリートを強く蹴り上げ童話殺しのリーを一点に見据えていた。
「すぐに終わらせてやるよ」
「よく言うよ、逃げる事しかできなかったくせに……『俺はトルコの神様だ!』」
それは、あの夜の事であって今の話ではない。だってそうだろ、少なくとも今の俺は逃げるなんてしないのだから。
「トランク坊主は、寝てろ!」
「くっ……!」
右の拳に力を入れて、大きく振りかぶる。上手く入ったとは到底思えないけどなかなかの場所には当たったらしいそれは、吹っ飛ぶなんて漫画みたいな事はなかったにしてもふらついているのを見る限り、ダメージは大きいようだ。
「なんだあんちゃん、あの時に比べてかなりの変わりようだね。気になる人でもできたのか?」
「うるせぇこの発火野郎!」
そんなの、あの狂った研究会メンバーにいるわけないだろ。いや、いたらごめんだけどさ。
頭上をかすめる炎をギリギリで避けながら汗を拭い、溜息一つ。まるで遊具で遊んでいるかのような目の前のそいつは楽しそうに両手を突き出すと、口笛まで吹いて俺を煽ってきた。
『俺はトルコの、神様だ!』
「くそっ……!」
正直、あの手が厄介だ。
あいつの〈トラウマ〉は散々見たけど、手によって力や動きが変わる。あいつが手の動きに集中している限り、俺があいつを倒すのは不可能だろう。
「……なぁ、教えてくれよ」
だから、少しでも手を他に集中させなきゃ。思ったのはそんな、子ども騙しな事。
「何を知りたいんだ?」
嘘だろ、ダメ元なのに乗ってきたぞこいつ。
若干動揺こそしたけどこれはチャンスだ。そう思い目を細めると、俺はなるべく話が長くなるようゆっくりと言葉を続けた。
「どうして、あの夜俺を殺さなかったんだ。どうして……あの夜、俺を狙ったんだ」
「なんだ、そんな事?」
「あぁ、だめか?」
ずっと、ずっと思っていた。
ここまでの話を総合すると、あの時こいつは俺が〈アクター〉だって気づいていた事になる。なのに、それなのに俺を今まで放置してきた。それがどうしてもわからないんだ。
「そんなの、楽しいからだよ」
「……なんだって?」
返ってきたのは、あまりにも浮ついた言葉。楽しいって、これのどこが楽しいのだ。
「わからないのかあんちゃんは、自分が何者かわかっていない奴に希望を見せて絶望に突き落とす……それがたまらなく楽しいんだよ」
「そんな……」
あまりにも、身勝手な理由だった。
俺にはそれが理解できなくて、理解したくもなかった。
だからこそ、強く拳に力を込める。
「……さいってー!」
「ぐあっ!」
特別な事も〈トラウマ〉も使っていない、純粋な物理で殴ってやれば案外あっけなくリーは宙を舞う。あぁ、力加減間違えたかもしれない。まぁそれでもいいけどさ、これが俺の答えだよ。
「人は足掻いて自分のほしいものに手を伸ばすんだ……そんな、絶望に突き落とすのが楽しいなんて、間違っている!」
伸びきっているそいつに叫んで、肩を上下に動かす。疲れきった身体は悲鳴を上げているけど、まだあと二人いるんだ。ここでへばっていられない。
「しかし、鎖が邪魔だ……」
動くたびに冷たい音を立てて笑ってくる鎖はいくら暴れても外れる気配がなくて、眉間にしわが寄ってしまう。動けば動くほど擦れ痛みを生み出すそれは、本音を言えば不快でしかない。
「まずは、これを取らないと逃げるにも逃げられない……」
「よそ見しないでよ、あんちゃん!」
「っ!?」
横蹴りが飛んできたと思えばそのまま俺の顔面すれすれをかすめていき、風を切る音が耳に響く。こいつ、いつから意識戻っていたんだ。
「なんで避けるのさ」
「避けるわ馬鹿野郎」
顔面に受けたいなんて思わないからな。
さっさと終わらせようとまた拳に力を込め、身体全体に意識を集中させる。
「お前らの思う壷にはならないからだよ……『白い鳩は赤く飛べ!』」
瞬間、俺を取り巻くように絶望の色が染っていく。染まって、支配していた。
「そうだよあんちゃん、その〈トラウマ〉こそ俺達の求めていたもの……『俺はトルコの、神様だ!』」
絶望の色を炎が包み込み、世界を熱で支配していく。あぁだめ、このままでは押されてしまう。
「なら、俺だって……!」
向こうが増やすなら、俺だって増やすだけだ。
呼吸を整えて前を見据え、殺意と憎悪を込める――が。
「白い鳩は……あれ?」
まるでガス欠のように、突然全身から力が抜けていく。まじかよ、タイムラグがないだけで結局はこうなるのか。
「あれれ、エンジン切れ?」
やばい、しかも速攻バレている。
形勢逆転、明らかに不利になった現状でどうにかして距離を取ろうとするが、時すでに遅しとはまさにこの事。
「そんな逃げないでよ」
「っ!?」
鳩尾めがけて振り上げられた足は声にならない痛みを生み、一瞬だが気が遠くなる。
「実はねあんちゃん、〈アクター〉ってのはあんちゃん一人じゃないんだ……ただうちのリーダーが目をつけたのがあんちゃんなだけで、少し乱雑に扱っても俺には関係ないんだ……よっと!」
「ゲホッ……!」
執拗に鳩尾を狙われたまらず倒れ込むと、待ってましたと言わんばかりに俺の上にリーの足が乗る。
「なんだ、やっぱり弱いじゃん」
「ぐっ……!」
強く腹を踏みつけられて、耐えきれずに顔が歪んでしまう。痛く苦しく、内臓が飛び出るかと思うくらいだ。
「そろそろやめてあげなよ、リー」
「はーい」
腹を抱えてうずくまっていると、今まで黙っていた八王子ののんびりした声が聞こえる。
「じゃあ灰村、君の負けだね」
「俺は、まだ……!」
「強がりはいけないよ……安心して、君はこれから誰にも憎まれない、僕達のプリンスになるんだから」
俺の顔を優しくなでる仕草さえ悪寒が走り、目を逸らす。
「断るね……俺は、俺だ」
「まだ強がってる……まぁいいや、運ぶのは頼んだよ、ハーメルン」
どうやらここが、アジトってわけではないらしい。
俺に背を向け鼻歌交じりの八王子の横で、ハーメルンが本物のピエロのような表情で俺の事を観察してくる。
「じゃあシンデレラ、少し眠っていてくれよ」
「くそ……!」
あいつもこいつも、俺の意思なんか最初から尊重していなくて。聞こえてくるのは、民族的な笛の音。
勘弁してくれ。こんな奴らの仲間になるくらいなら、俺は死んだ方が――
「またヘマこいてるし……」
「あたた、なるるんそれは痛い!」
「ご安心を先輩、救護用具なら持っております!」
「ほら、早く帰らなきゃおれの責任になるだろ……」
「……え?」
そんな絶望的状況で唐突に聞こえたその声達は、もうこの日常の中で何度も聞いたもの。どこかからか湧き出る安心感に自然と頬が緩み、声した方を見る。
そこにいたのは、馬鹿でおっかない愛おしい奴らで。
「あぁ……うちのシンデレラが、ずいぶんと可愛がられているようだな?」
「……遅い、馬鹿野郎」
ほら、いつだってうちのヒーロー達は遅すぎるんだよ。
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