32頁:気のせいだって思っておくさ
そんな会長との真面目な話から、だいたい一週間。
文化祭の準備も佳境に入る中、俺はクラスと研究会両方の準備に参加をしていた。
「おい、そこの黒いビニール誰か取ってくれ」
「灰村くん、次こっちお願いできる?」
「あぁ香嶋、ちょっと待ってくれ」
いつもは変哲もない勉強机が並ぶ二年八組は、ここ最近帰りの時間になるとこうして机だけが後ろに下げられじゅうぶんな作業スペースが用意されていた。
「あとは、このダンボールに貼って……」
俺だってクラスの事を何もやらないのは申し訳なくて、こうして研究会が始まるまでの時間はクラスの手伝いをしている。教室いっぱいに広げられたダンボールとビニール、少し蛍光色に近い塗料達は教室のいたるところに置かれ色とりどりな世界を作り出していた。
「よし……香嶋、何やればいいんだ」
「ちょっと、このベニヤ板を動かしてほしいの」
腰に力を入れて持ち上げると、そのままふらつきながらもベニヤ板を壁の方へ運ぶ。俺だって一応男だからできない事はないけど、その重さはかなりあり腕にビリビリと響いていた。
「重っ……!」
大見得張ってやるなんて言うものじゃない、自分の身の丈にあった仕事が一番だ。そんな事を考えながらも香嶋が見ている手前なかなか降ろせず、そのままなんとか踏ん張ってはいたけど。
コツンッ
「うわ……!?」
下を見ていなくて、何かに足をひっかけたように感じる。いや、感じるじゃなくてひっかけたよ。
普通ならそのまま姿勢を立て直すだろうけど、残念ながら今の俺は両手が塞がっている上にバランスがすこぶる悪い。
だからこそこの状態はあまりに今の俺にはかなりやばく、ふらりと片足から力が抜けたかと思うとそのまま斜めに身体が傾き。
「あっ……!」
このままじゃ、ベニヤ板の下敷きになる。受身をとったところで無傷では済まないってわかっているけど、それでもやらないよりはマシだろうと目を瞑りながら衝撃に備えていた、が――
「……あれ?」
くると思っていた痛みはいつになっても襲ってこなくて、どうしたのかと俺は目を瞑ったまま首を傾げる。
それでも明らかに聞こえてくる教室のざわめきは、俺に何かあったのを証明しているかのようで。おそるおそる目を開ければ、そこにあったのはベニヤ板なんかではなく。
「大丈夫か、灰村」
「は、八王子……?」
片手でベニヤ板を押さえる八王子の顔が、鼻と鼻がくっついてしまいそうな位置にあった。
「生徒会に今回の書類を提出しに行ってたからわからないけど、これはいったいどういう状況だ?」
「その、バランス崩して……」
「灰村くん大丈夫!?」
そんなぎこちない会話が交わされる間に入った香嶋の声で現実に戻り、俺はようやく八王子以外にも目線を移す。
散乱したバケツとそこから飛び出た塗料達、ベニヤ板は八王子が壁に持たれけさせていたけど、それでもこのまま倒れていたら確実に俺は押しつぶされていただろう。
「危なっ……」
「怪我はないか?」
「あぁ、おかげさまで」
本当は足をひっかけた時の反動でくるぶしが痛いけど、そこで素直に痛いなんて言ったら男が廃る。だから俺は表情に出さず、形だけの笑顔を作った、けど。
「嘘つくな、この馬鹿カメレオン」
「ぐぇ!?」
それはすぐに、後ろからの力で崩される事になる。
突然首根っこを掴まれたかと思えば顔をしかめるくらいの力が俺を襲い、そのまま後ろへ引っ張られる。あぁこれ、誰かわかる。
「何やってんだよ、この馬鹿」
「……やっぱりな」
これだけ何回も引っ張られれば、鈍感な俺だってわかる。掴まれたままの首根っこを払うと、後ろは見ずに溜息を一つ。
「痛い、海里」
「うるさい、ドジ」
いかにも不機嫌ですって言いたげな顔を貼り付けた、海里が俺の事をじっと見下ろしていた。そんな、怒らなくてもいいだろ。
舌打ちの一回でもやってやろうかと顔をしかめたけど、前にいる八王子の様子を見てなかった事にする。忘れていたよ。八王子の奴、人をおちょくって遊ぶのが好きだった。
「どうも、成をわざわざ守ってもらってよ」
「あぁ長日部、なんでそんな意味深な言い方をするんだ?」
「八王子、そこはボイルドに包んで」
「気が動転している灰村くん、多分そこはマイルドよ」
売り言葉に買い言葉。明らかな一触即発の現状に肩を落としていると、人気者ね、なんて笑いながら香嶋に肩を叩かれる。こんな人気者、俺の方から願い下げだ。
そんな事言ってもきっとこいつらは聞いてくれないだろうし、諦めてあくびを一つ。
意識を若干トリップさせていると、けどさ、なんて八王子の挑発的な枕詞が聞こえてくる。
「あれだけ仲が悪かった長日部が、いまさら灰村に媚びを売っても意味ないよ」
「ちょ、八王子!」
何かと思えばこいつ、海里に喧嘩売ってやがる!
今でこそ丸くなっているけど、こいつは元々幼稚園の時に喧嘩っ早いで有名だったんだ。あからさまな挑発は、こいつにとっては果たし状と同じじゃ。
「こいつに何かあると、うちのくず会長がうるさくてね」
「そうですね」
ぐうの音も出ないよ。
出ないけどよかった、どうやらこいつもあの頃よりは大人になっているらしい。
「会長ばかりに原因を押し付けるなんて、いけない部員だね」
「あとで殴っていいか」
「だめ」
訂正、やっぱり血の気は多いよな。
俺が女ならさながら修羅場だなと思いつつ溜息混じりに笑っていると、けどよ、なんて他人事みたいな声が聞こえてくる。
「しかし誰だよ、こんな危ない場所に塗料缶なんて置いたのは……!」
「塗料、缶……?」
ふらりと横からきた鏡也の言葉に首を傾げる。周りを見て視線の中に入ってきたのは、赤や黄色の塗料缶で。それらはどうしてだか、俺が通ろうとした道順に規則正しく並べられていた。
まるで、俺を最初からこけさせるためのように。
「なに、これ……」
「迷惑だよな……待ってろなる」
めんどくさそうだけど、ベニヤ板の置き場所を確保しようと塗料缶を両手に取る鏡也を、俺はただひらすらに眺めるだけで。
「っ……」
うずまくような胸騒ぎと、目の前に広がる塗料缶達の異様な光景。
なんだかそれが、ひどく不気味だった。
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