19頁:そんな事は知りたくなかった
あれから数日後。
ヘンゼルとグレーテル騒動も落ち着いた堂野木高校は、いつもに増して平和な時間が流れていた。
「灰村くん」
「ん?」
帰りのホームルームも終わりそれぞれが部活なり家路につく時間に、香嶋はふわりと笑いながら俺に話かけてきた。
「どうした」
「いや、あのね……」
気恥ずかしそうにこちらを見る香嶋は何も言わないが、俺はその様子を見て何を言いたいのか察した。
「……別に、お礼はいいぞ。俺だって言われるのは恥ずかしい」
「あら、灰村くんってテレパシーもできるの?」
「お前も顔に出てるからな」
童話は似た者同士。困り顔で笑ってやると、私は顔に出ないわ、なんて強がりが返ってきた。よく言うよ。
「それに俺、何もやってないし」
そう、俺は何もやっていない。目が眩み何も見えなくなったと思えば、俺の意識は十分ほど飛んでいたみたいだから。
「ごめんなさいね、〈トラウマ〉をあまり受けた事がない人があの中にいると、異常が出るらしいの」
「なるほど、だから『ワケあり』か」
ようやく納得が言ったよ。そりゃ、人探しには向いていない。
「じゃあ香嶋、お前の〈トラウマ〉って結局なんだったんだ」
「知りたい?」
そんなもったいぶっても、もう可愛いなんて思わないぞ。
「早く」
「つまらない灰村くん……いいわ、私の〈トラウマ〉はね、人の精神に干渉するの。あの時加護をくれた神様のようにね」
「え、じゃあ一種の洗脳」
「違うわよ、あぁでもしないと、きっと私の本音は届かなかったの」
なんだ、結局一緒じゃないか。是木も、香嶋も。幻術に精神干渉なんて〈トラウマ〉は、きっとあの極限状態から生み出されたものだろう。
自分が死にたくない恐怖と、相手が死んでしまうかもしれない恐怖。
形は違えど刻み込まれた記憶は、確かに二人の〈トラウマ〉になっていたんだ。
「……そうだ、あれから是木とはどうだ」
「別に、どうもないわ」
はぐらかすようにそっぽを向く香嶋は、どこか嬉しそうで。
何も変わらない日常の中で確かにナニかは変わっている。それが俺にはひどく新鮮で、自然と頬が緩む。
「どうも、ねぇ……」
「なによ」
「別に」
そう、あれから確実に変わった事が一つある。
「灰村先輩」
「ん?」
廊下から名前を呼ばれそちらを見れば、そこには明らかに喧嘩をした後の傷を作った是木がいて。
「錫は」
「お前、また」
「錫は、って聞いてんだ」
「…………香嶋、お迎え」
最近よく、是木が香嶋を迎えにくる姿を見るようになった。
「歩!」
俺の声を聞き目を輝かせながら笑う彼女は、まるでデートに行く少女のようで見ているこっちが恥ずかしくなる。
「ほら錫、帰るぞ」
「はいはい、けど歩、今は私がお姉ちゃんよ?」
「言ってろ」
そんなやり取りをしながら教室を後にする二人の姿は、本当に兄妹のようだ。まぁ、何も知らない一部クラスの男子からは連日悲鳴が上がっているけどな。そんなどうでもいい事を考えながら俺も帰り支度を始めていると、ふらりと是木が俺のとこへ戻ってきた。
「……先輩」
「なんだ是木、早く行かないと香嶋が」
「ありがとうございます」
「っ……」
俺の返事は待たずに立ち去る是木を、俺はただ呆然と見送る。投げられたのはその一言だけだったが、なんだか心が暖かくなるように思えた。
「……部活、サボりもほどほどにな」
「そうだな、お前もな」
「なるるんあーそぼ!」
「だから勝手にくるな」
にやりと笑いながら俺の背後に立つ二人を睨みながら鞄を手に取り、そのまま教室の外へと出る。こうやってお迎えがくる辺りは、香嶋の事を他人事では言えない。
「……あ、ちょっと寄り道していいか」
くるりと後ろを見て指差す先は、隣の二年九組。香嶋の騒動以来あいつの……木坂の含みのある言い方が、俺は気になって仕方がないのだ。
「九組……今回の事か」
「そうそう、やっぱりなんか引っかかるんだよな」
あの時の目も、言葉も、そのすべてが。
違和感として俺の心に絡まり、重く鉛のように質量を増している。
「だから、聞かなきゃ……」
――せっかく綺麗なものを持っているんだ、大切にした方がいいぞ。
木坂は俺に、何を言いたかったのだろうか。
そんな気持ちで九組の中を覗くと、去年同じクラスだった奴が俺に気づいたようで面白そうに近づいてきた。
「灰村じゃん、いきなりどうしたんだよ」
「悪い、木坂いるか?」
俺と木坂に接点があるのに驚いたのだろうか。そいつは一瞬目を丸くしながらもいいよ、と呟き教室の奥へと行ってしまった。
そして代わりに近づいてきたのは、冴えない顔をしたたれ目の奴で――
「……いや、誰?」
違う、俺だって記憶力が完璧とは言い難いが、それでもこんな顔ではなかった。髪色はこんな黒々としていない紺色に近いもので、身長だってもっと高くて。
「えっと、君は確か八組の……初めまして?」
「っ……」
そこには前日の木坂ではない、別人の木坂が存在していた。
「ほ、本当に木坂?」
「僕は木坂だけど」
一人称から違うぞ、あいつ確か俺って言っていた。
「一応聞くが、昨日って部活に行っていたか?」
「は?」
俺の言葉を聞くと、木坂らしきそいつは顔をしかめながら何を言っているんだ、なんて笑われて。
「僕、一昨日と昨日は風邪で休んでいたけど」
「……は?」
今度は俺が、顔をしかめてしまった。
そんなはずない、だって昨日のあいつは、確かに木坂って名乗っていたのだから。
「人違いか、勘違いだったんじゃないか?」
「いやけど、俺は確かに」
「ほら、もういいだろ灰村」
「ごめんねしょーねん!」
「うおお!?」
釈然としない中二人に首根っこを掴まれ引きずられると、そのままずるずると旧校舎手前まで運ばれてしまう。わけがわからない、なんで、どうして木坂は別人だったのだ。
「しかし灰村は、面白い空見をしたようだな」
「だかっ、あれは確かに木坂って!」
「だが明らかに違ったのだろう、それではお前が嘘をついているようにしか見えんな」
「っ……」
悔しいけど、その通りだ。
今の状況では、俺がうそつきオオカミになってしまう。
「……けど、あれはどうして」
「落ち着け、何も頭ごなしに否定しているわけじゃない。木坂に関しては生徒会でも調べよう」
なだめるように言われてしまうと、それ以上は反論できない。納得まではしていないが言葉は見つからず、俺は仕方なく首を縦に動かした。
「……わかった、俺が悪かったよ」
腑に落ちないまま二人の後ろを歩き、旧校舎に入る。そこはひどく静かで、まるで嵐の前触れのようだ。本音を言うと俺の中は絶賛大雨だけどな。
「で、今日は何やるんだ」
「今日はスゴロクだ」
「すーごろくー!」
「嘘だろ、せめて最新のボードゲームがよかった」
想像以上に古典的で反応に困る。
最近トランプばかりだったからいいかと自分に言い聞かせながら研究会へ向かうと、ふと目に止まったのは一つの人影で。
「……海里」
「……」
問題の幼馴染み、
「なんだよ海里、邪魔だからどけって。研究会に入れない」
「おい」
有無を言わさないような、深く低い声だった。右耳に付いた一つのピアスと左耳に付いた二つのピアスをいじりながら俺を見るその目は、いかにも機嫌が悪そうだ。
「なん、だよ」
「……」
俺の言葉を無視してこちらにくる海里は、十数年一緒にいた俺でも見た事のない恐ろしさがある。どうしようかとあたふたとしていると、海里は俺の目の前まで近づきそのまま通り抜け――
「……あれ?」
今俺、通りすがられた?
なんだったのかと思い動向を見ていると、海里はそのまま俺ではなく会長の前に立っていて。
「歯、食いしばれ」
「待て待て待て、待て!」
思いっきり殴ろうとしているよなその言葉は!
「待て海里、話せばわかる。お前だって大会近いんだし、そんな暴力沙汰起こしたらせっかくの出場権が」
「成は黙ってろ!」
廊下に響いた海里の怒号に鼓膜が破れてしまいそうだ。強くけたたましいその声に顔をしかめると、会長はそんな俺達の様子を見てくすくすと笑っていた。
「だめじゃないか長日部、ご主人様を怖がらせては」
「ご主人、様……?」
ご主人様って、誰の事だ。
頭の中を駆け巡る言葉達に挟まれながら話を聞いていると、突然海里に肩を引き寄せられ視界が変わる。なんだか気恥しいものがありやめろよ、と言ってみたが聞いてくれる様子はない。
まるで守られるように海里に隠された俺が上を向くと、眉間にしわを寄せた奴の顔がよく見える。こんな間近で喋るのを見るのは、いつぶりだろうか。
「なぁ、俺言ったよな。成は巻き込まないでくれって」
「え…………?」
そんな中で聞こえた一言は、俺の脳内に確実に引っかかる。
海里はなんて言った?
成は、巻き込まないでくれ?
「それって、どういう」
だって二人とも、お互いを知らないって。会長だって知らない素振りだったじゃないか。
「巻き込んだつもりはない、巻き込まれたのはそちらだ」
「嘘つけ、巻き込まれるように仕組んだんだろ」
否定する会長と、問い詰める海里。
事情がわかっていない俺はただその話を聞いて、内容を汲み取る事しかできなかった。
様子を伺うようにちらりと会長を見れば、ぴたりと目と目が合う。眼鏡の奥から覗くその視線に、俺は思わず海里の裾を握ってしまった。
「まぁ確かに興味はあったよ、長日部のご主人様がどんな奴かってね」
「なぁ会長、それってどういう」
あの時の、童話殺しに出会ったあの夜の事を会長は予想していたのだろうか。
誰をどう信じればいいかわからなくなり海里を見上げると、こいつはこいつで何やらブツブツと口の中で言葉を転がしていて。
「決めた」
何を。
「成を、ハツカネズミ研究会から辞めさせる」
「ふーん……は!?」
突然飛び出した素っ頓狂な海里の言葉に、思わず変な声が出てしまう。どうして俺が、お前の判断で辞めなきゃいけないんだ。いや、そもそもとして俺は居候だし。
「勝手に決めるのはよくない、本人の意志を聞かねばならんぞ」
「その本人が、〈キャスト〉と関係ない平和な日常を望んでんだよ」
まぁそれは確かにそうだな。
元々俺は、童話殺しに出会わなければ読み手として生きるつもりだった。これに関しては、海里の言う通りだ。
「……けど」
「成?」
だからと言って、こいつに俺の行く道を決められるのは嫌だ。だから俺は、その意味を込めてぐっと目の前の三人を睨みつけてやった。
「俺は、俺で決める」
「まるで拾ってきた仔犬だな」
「会長うるさい」
悪かったな、仔犬で。
威嚇で喉を奥から唸ってみたが会長は知らぬ顔、むしろ俺から興味をなくしたように次は海里の顔を見ている。
「しかしずいぶんと独裁的だな……そんなのだからご主人様に嫌われるんだぞ」
「なぁ会長、さっきから何をご主人様って」
「もしかしてなるるん、聞いてないの!?」
答えが飛んできたのは会長からではなく、月乃から。
「聞いてないって」
「成は知らなくていい」
「いや、俺は月乃に」
「知らなくていい」
突然饒舌になる海里に、違和感を覚える。そしてその違和感に、会長も気づいたようだ。
「なるほど、そんなに知りたいなら教えてやろう灰村」
「うるさい、教えなくていい」
こんなにも焦っている海里を見た事がなくて、反応に困る。けど、ここまできたら知りたい。無垢なのはもう嫌なんだ。
「ほら、灰村は知りたがっているようだぞ」
「聞くな成」
二つの異なる言葉に目が回りそうで混乱していると、すかさず会長の目がすっと細くなる。何もかも見透かすようなそいつからゆっくりと、言葉が紡がれる。
「そんな荒ぶるな、なぁ」
それは呪いのようで、俺と海里を絶望に追い込むものだった。
「長日部――いや、長靴をはいた猫」
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