18頁:お菓子の家の答え合わせ
「童話の内容を考えれば、すぐにわかる話だったんだ」
俺の言葉を聞くために、ハツカネズミ研究会の部屋はいつもに増してうんと静かだ。
「内容と言うと……お前ら〈キャスト〉の〈トラウマ〉か」
「そういう事」
立ち上がり手を伸ばした先は、壁一面に並べられた童話達。その中でも俺が手を伸ばしたのは、古ぼけた表紙に男女の兄妹が大きく描かれたものだ。
「それは……」
「あぁ、ヘンゼルとグレーテル」
森に捨てられた二人が、協力して悪い魔女をこらしめる話。目の前にいる香嶋の〈トラウマ〉であり、原点の童話。
「童話の内容と〈トラウマ〉と、三人の発言。ちぐはぐでわけがわからなかった発言達は、確実に穴があるんだ」
「穴って、なるるん勿体ぶらないで!」
しびれを切らした月乃が頬をふくらませながら、俺の耳元で騒ぎ出した。あぁもううるさい、ちゃんと説明するから。
右手で人差し指をたて一を表現すると、俺は月乃をなだめるように自分の中で一番優しい笑顔を作った。
「真っ先に候補から外れたのは木坂だ。何もおかしい事を言っていないし、あいつからはそれらしい発言がなかった」
どちらかと言うとあいつが言葉を投げていたのは、香嶋ではなく俺に対してだ。そこに関しては疑問が残ったけど、九組だし今度聞きに行こう。
「じゃあ、呂中先輩か是木くん?」
「そういう事」
二人とも一見ちぐはぐな事を発言していたが、それでも確かにおかしい発言をした奴が一人いる。〈トラウマ〉や体質なんかじゃ誤魔化しきれない、そんな内容を。
「なぁ、そうだろ」
部屋の戸がゆっくりと開く、そんな音が聞こえる。もちろんそれは、気のせいじゃない。
「是木歩、いや――ヘンゼル」
「……いつ俺が、ヘンゼルって。ヘンゼルのが兄ってのは、先輩だって知っていますよね」
「別に、そんなの気にしてない」
だってそこは、二人が違う境遇で生まれた時点で関係ないってわかっていたから。
一方扉の前に立ち俺達を見据える是木はひどく冷静で、悲しささえある。
「確証を持ったのはさっきだよ。お前言っただろ……先輩は何もわかっていないって」
確かに二人も意味深な言葉は言っていたが、木坂は前述の通り俺に対してだし呂中先輩はおそらく俺に対してだろう。けど是木は違う、あの先輩は俺ではなく香嶋を指していたんだ。
「それに是木、俺は一度も女の下駄箱なんて言っていないぞ」
「けど先輩、それなら呂中先輩だって」
「あの人はヘンゼルじゃない、ロバだ」
「ロ、バ?」
きょとんと首を傾げる月乃がなんだか面白くて、思わず吹き出す。
「ヘンゼルだったら、作中で老人の表現はない。けど一つだけ、該当する作品がある。耳が良くて、年老いていて、音楽が好きなロバの出る作品がな」
「あー!」
どうやら月乃ではなく真紅が気づいたようだ。
「王様の耳はロバの耳!」
「違う」
その作品のどこに音楽が関わるんだ。
「なるほど……ブレーメンの音楽隊か」
「そういう事」
会長のが大正解、ブレーメンの音楽隊だ。
年老いたロバが仲間と一緒に、ブレーメンを目指す童話。結局ブレーメンにたどり着く事はなかったが、あの先輩はこの事を言いたかったのだろう。
「まぁ、〈キャスト〉はおいそれと自分の〈トラウマ〉の話をしないからな」
この研究会が異常なんだよ、ここが。
「じゃあなんで、ヘンゼルはどうして」
「是木はきっと、俺と同じ後天性の〈キャスト〉だからだ」
混乱する香嶋をなだめるように呟きながら是木を見れば、あいつも下へ目線を落としていて。なんだ、やっぱり図星か。
「正解だよ先輩、俺が〈キャスト〉だっめわかったのは、一ヶ月前だ」
「じゃあ、わかった時に私に言ってくれれば」
「だからわかってないんだよ、グレーテルは!」
是木の悲痛な叫びは、部屋を支配するように反響する。
「なぁ、グレーテル。なんで俺が言わなかったか、探すなって手紙を出したか、想像できるか?」
「なん、で」
「俺の〈トラウマ〉が、お前を拒否してるんだ」
「っ……」
「教えてやるよ、俺の〈トラウマ〉を」
息を切らしながら呟いて、今にも泣きそうな声を堪えて。その姿は、俺の知っているあの強気な是木ではない。
「俺の〈トラウマ〉は拭いきれない、あの檻の中での記憶……『俺は家畜じゃない』!」
瞬間、俺達の目の前が黒く汚い世界で支配される。
禍々しく重い視界は、俺達の身体にのしかかり絡みつく。
「なるるん、かいちょー、すずりん!」
「これって……!」
「……なるほど、幻術か」
幻術、なんて物騒な言葉は脳内で反響する。そうだな、ぴったりの言葉だ。この状況じゃどう足掻いても現実ではないって想像できるが、それがあまりにも浮世離れしすぎている。
「……わかったか、これが、俺の〈トラウマ〉」
是木が肩から力を抜くと、俺達を支配していた重さも軽くなる。どうやら、是木の精神状態で幻術は変わるようだ。
「是木、お前……」
震える手は恐怖を物語っていて、恐怖心が嫌というくらいにわかる。
「家畜の匂いと、冷たいコンクリートの床。あの時の記憶が、今も俺の中から消えてくれないんだ」
あまりにも悲痛で残酷なそれは、聞いているだけで悲しくなる。綺麗事に書かれていた童話は、中を見ればこんなもの。それは俺達、〈キャスト〉の宿命だ。
是木の場合は特にだろう。
ある日まで普通に読み手として生きていたはずの自分の記憶に、突然現れた自分のものではない自分の記憶。俺はその自分が何者かわからなくなる恐怖を、知っている。
「あの時の記憶が、あのお菓子の家での出来事が俺にとっての〈トラウマ〉で、そんな世界で加護を受けた妹に対する恐怖……先輩、あなたにその気持ちがわかりますか?」
「……似たものなら、わかるよ」
俺だって怖かった、突然世界が知らないものに変わるのが。突然自分が、別人だってわかるのが。
「……香嶋っ」
長年探していた兄の本音を知って、この妹は何を思うのだろうか。悲しむだろうか、嘆くだろうか、それとも――
「なんだ、そんな事だったのね」
「おいおい、おい!」
なんて、あっけらかんとした言葉が戻ってきた。今のはだめ、絶対に喧嘩売ってる!
「グレーテル、お前……」
「そうなるよね……!」
明らかに殺気を放つ是木に同情しつつも二人を見比べてると、そんな見ないで、なんてのんびりした香嶋の声が響く。
「喧嘩を売ったつもりはないわ……けど、わかった事があるの」
まるで気遣いなんてない振る舞いをすると、香嶋はズカズカと是木の方へ近づきその手を取る。ビクリ、とその肩が揺れるのが目に見えてわかり、堪らずやめてやれなんて思ってしまう。
「やだ、やめろっ」
「私を見て、お兄ちゃん!」
「っ……」
香嶋の貫くような言葉に、その場の誰もが固まる。
「私が〈トラウマ〉? そんなの、わかってる」
一つ一つ、噛み締めるように、踏みしめるように。
「けどね、私はただ謝りたかったの……あなたにそれだけの〈トラウマ〉を植え付けて、もっと早くあの魔女を殺さなくてごめんなさいって、お菓子の家に入ってごめんなさいって」
「っ……」
確かに、その通りだ。
あの時神様の加護を待たずにグレーテルが行動へ起こしていれば、ましてやお菓子の家に入らなければ、この二人は童話にはならなかった。
「今更謝られても、俺は」
「ヘンゼル、あなたまだ〈克服〉してないでしょ?」
「それは……」
「いいよ、隠さなくて、そのために私の〈トラウマ〉があるの」
そのために。
なんて言われた言葉に首を傾げていると、くるりと首より上だけ動かしながら香嶋はこちらを見てくる。
「ごめんね灰村くん……あなたにはちょっときついかも」
「えっ」
何その、死刑宣告みたいなの。
俺の困惑は知らぬ顔。香嶋はふわりといつも通り笑うと、一拍息を整えて言葉を紡ぐ。
「ちゃんと聞いてねヘンゼル……ううん、歩!」
凛と響くその声は、まるで世界を支配する神様のようで。これこそきっと、あの時の神様からもらった加護なのだろう。
『落とした記憶は――砂糖菓子!』
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