16頁:刑事ごっこは楽じゃない
まず最初は、陸上部。
問題のそいつは筋トレ中だったようで、艶やかな紺色の髪をかき上げ驚いた顔で俺を見ていた。
「あれ、お前確か八組の……」
「灰村成だ。木坂だよな、ちょっといいか」
どうやら向こうは、俺の事を知っていたらしい。それがなんだか不思議で顔をしかめると、俺がお前の事を知ってる理由か、と逆に質問されてしまった。
「そりゃ知ってるよ、お前授業でブレスレットを外すか外さないかで体育科の鬼頭と喧嘩になったんだろ。男子の間じゃ有名な話だ」
「何やってるのよ、灰村くん」
「先輩それは……」
「全部事実なのでノーコメントでお願いします」
弁解するとすれば、あれは俺が悪いのではなくあの体育科教師が手首に物をつけるなって騒いだのが悪い。なんでだよ、他の奴らだってミサンガやリストバンドしてたじゃないか。
「で、そんな有名人がなんで俺に?」
「有名人かは置いといて、昨日の五時過ぎからの木坂の行動を聞きたくてな」
「事情聴取みたいじゃん、いいよ」
実際当たっているから何も言わないが、お調子者みたいな振る舞いがどうも俺には合わない。前まではそういう奴とも普通に話せていたのにどうして……あぁ、童話殺しがそんな奴だったからだ。
「昨日の五時過ぎなら、自主練の休憩で購買に行ってたかな。飲み物がきれてさ」
「やるほどな……」
「なになに、俺疑われてる感じ?」
まったくもってその通りだよ、正直胡散臭い。
「いや、大した事じゃない。下駄箱で落し物があったんだけど、どうやらうちのクラスの香嶋のと取り違えたみたいでな。それで探してるんだ」
「そりゃ……運動靴のまま校舎へ入るわけにはいかないからな」
ぐうの音も出ない正論に、半笑いしかできない。その通りだ、運動靴なんかで校舎に入っては先生に叱られてしまう。
「そうだよな、ありがとう」
「参考になったかわからないけど、どういたしまして」
八組は体育の授業も違い交流と言うほどのものがないからどういう奴かと思ったが、案外気さくな奴だ。いや、けどやっぱり童話殺しを思い出してしまうから長くは一緒に入れないと思うけど。
「ところでさ、灰村」
次はどちらへ話を聞きに行こうかと考えていると、突然木坂に肩を引き寄せられる。何事かと思いそちらを見ると、木坂は緑色の瞳を楽しそうに目を細めていて……あ、これめんどくさいやつ。
「灰村ってうちのエースと仲良しこよしなんだろ、実際どうなの」
「……その話はよしてくれ」
出たよ、海里との事。
入学した時には既にこの関係だった俺と海里は、同級生達の中じゃ顔の知れたコンビだ。だから俺と海里の間に何があったかってのは、どうも気になるとかで。
「別に、よくある仲違いだ」
「具体的には?」
「根掘り葉掘り聞くな」
「おぉ、これが噂に聞く赤い目。本当にお前の目って、そのブレスレットみたいに色が変わるんだな」
どうやらこいつ、俺の目の色とブレスレットの事も知っているらしい。誰だ口が軽いのは。
「いいだろもう、大会前に悪かったな」
これ以上聞かれては墓穴を掘りそうな気がして背中を向けると、茶化すように笑う木坂の声が聞こえる。
「けどよー灰村」
その声はひどく他人事で、どうでもよさそうで。
「せっかく綺麗なものを持っているんだ、大切にした方がいいぞ」
含みのある言い方で紡がれたそれが何を指すのか、俺にはわからなかった。
***
二人目は、吹奏楽部。
彼は一人部室で姿勢を正し、深い赤茶色の瞳で正面を見据えながら腹式呼吸をしていた。
「あの……呂中先輩」
「ん、なんだ今は合奏じゃ……誰だお前」
「すみません突然、えっと……」
「ハツカネズミ研究会の赤嶺真紅です、少々お話をお聞きしたく」
あれだけとち狂っていても、さすがは新聞部なだけある。真紅は名乗り方に悩んでいた俺の横からすかさずフォローに入ると、自然な笑顔で彼の懐にするりと忍び込んでいた。
「ハツカネズミ……あぁ、宮澤と姫岡のとこの子か。こんなじいさんにどんな用かな」
あまりにもナチュラルにタメ口をきいたから忘れていたが、そういえばあの二人は俺より一つ歳上の先輩だ。そうだよ、最初からそう言えばよかった。
「不躾で申し訳ないのですが、先輩昨日は早退されたとの事で」
「そうだよ、体調が優れなくてね。それがどうした?」
事情を前置きしなかったせいか、完全に怪しまれている。俺だって呂中先輩の立場ならそりゃ怪しむけどさ。
「そんなに気にしないでください。私の持ち物と取り違えた生徒がいるみたいで、その人を探しているんです」
「君は二年八組の香嶋くんか……いや、疑っていない。何事かと思っただけだ」
話の流れが明らかに知り合いのようで顔をしかめると、察したように近づいてきて小声で話しかけてきた。
「私図書委員でね、彼は図書委員長なの」
「……なるほどな」
道理でクラスと名前を知っていたというわけか。
「じゃあ下駄箱は……」
「えぇ、多分図書室に行く途中だったのでしょうね」
堂野木の図書室は、二年の下駄箱前を通った先にある。つまり何が言いたいかって、これは憶測ではあるが海里が見たのは下駄箱の前を通った呂中先輩の事だろう。
「何を取り違えたかはわからないが、俺は昨日図書室の戸締りを確認して真っ直ぐ家に帰ったよ。二年の下駄箱には行っていない」
間髪入れずに入った言葉に最初こそ納得したが、ふと引っかかるものがあり眉間にしわを寄せる。今の会話、絶対おかしい。
「……俺は下駄箱なんて、あなたにまだ言っていませんけど」
「さっき言っていただろ、じゃあ下駄箱はって」
「っ……」
確かに言ったが、先輩には到底聞こえない声だったはず。それが俺の中で悶々と不信感に変わり、警戒心を高める。
「そんな怖い顔をするな、灰村くん」
気づかれたのだろうか。呂中先輩は困ったように笑うと、両手を栗色をした頭上に持っていき耳のような動作をしながら首を斜めに傾げた。
「俺は音楽がずいぶん昔から好きでね、こんな老体でも耳はいいんだよ」
***
三人目は、件のあいつ。
「……胃が痛い」
「まだ体育館にすら入ってないわよ、灰村くん」
「れっつごーです、先輩」
わけがわからない後押しを後ろからされ、肩を落とす。
「お前らそんな簡単に言うけど、辞めた部活に顔を出す俺の身にもなれよな……」
怪我とかで辞めたわけじゃない俺にとって、古巣に戻るのは言葉にしがたい複雑なものがある。だってそうだろ、何を言われるかわからないしこっちもどんな顔をすればいいかわからない。
「……そういえば」
そんな事を考えていると、ふと思い立ったように香嶋が言葉を投げつけてくる。それはもう、プロ野球選手並の豪速球を。
「なんで灰村くんは、バスケ部を辞めたの?」
「それ、私も気になります。聞く話によると先輩は身長こそ平均以下でも優れたスモールフォワードだったとか」
「いらない事まで調べるな」
誰だよ、そんな事言った奴は。
「で、どうなんです先輩」
「別に……大した理由じゃない。疲れただけだ」
中学時代から続けてきたバスケが、疲れてしまったのだ。パス回しも、ロールターンも、シュートをするのも。ただそれだけで、それ以上の理由はない。
「いいだろ俺の話は……ほら、行くぞ」
強引に話を切り上げて、体育館にの扉に手をかける。重く鈍い動きのそれは俺の心と同じで、質量が増したように感じる。
「……よし」
気合を入れて、一息。
力強く開けた先からはバッシュが板に擦れる音が響いていて――
「……失礼しま」
「灰村!?」
「なんだ成、ようやく戻ってくる気に!」
「灰村先輩、俺のシュート見てください!」
「あぁもううるさい!」
同時に、あまりにも耳を突き刺す声が浴びせられる。やめろやめろ、だから疲れるんだよここは!
「……なんだ灰村くん、モテモテじゃない」
「もっと険悪なムードかと思っていました」
「そこも静かに」
あらぬ誤解を受けたのはわかったぞ、こんなモテモテは嫌だ。
さてこの状況をどうしようかと考えていると、奥から聞こえてきたのはボールを打ち付ける音と甲高い足音で。
「おいお前ら、練習中に何を……なんだ、成じゃないか。今日はどうした」
「まさぁ……!」
その声が救いのように聞え、俺の口から自然と間抜けな声が漏れ出る。
「えっと……」
「二年二組の
そして正真正銘の、読み手。
まさは俺のそんな様子を見ると、不思議そうな顔をしながらもボールを置きこちらへ近づいてきた。
「成が自分からくるなんて、珍しいよな」
「まぁな……」
そりゃ、今だってできるならきたくなかった。
「なぁまさ、今日って是木いるか?」
「なんでまた是木を……あいつならそこ」
まさの視線の先。
体育館の奥にある増設用のゴールの前でフリースローの練習をするそいつは、俺が近づくとめんどくさそうに溜息をつきながらも俺を空色の瞳で見つめてきた。焦げ茶色の髪からは汗が伝っていて、きちんと練習しているのが見てわかる。
「よっ、是木」
「……なんすか、灰村元先輩」
「元って、お前は相変わらず痛いとこを突っついてくるな」
悪い奴ではないんだがな、なんて思いながらも是木からボールを奪い勢いをつけてボールをぶん投げる。ボールはゆっくりだが子を描き、吸い込まれるようにゴールのカゴへ入っていった。
「……元でも腕は落ちてませんね」
「その口の利き方、まさにはするなよ」
あいつは上下関係、結構気にするから。
戻ってきたボールを拾い上げドリブル、手に吸い付くように戻ってくるボールを見つめながら溜息をつくと、同じように是木からも溜息が聞こえてきた。
「俺に用っすか」
「お前、昨日はどうして二年の下駄箱にいたんだ」
「は? 藪から棒に何を。俺は下駄箱なんて行ってないっすよ」
「ふぅん」
無愛想で絡み辛い奴だけど、聞かれた事以外には答えない。そこに関しては、気楽に話せると思う。
「じゃあ昨日は、どうして練習中にいなくなったんだ」
「今更っしょ」
「さいですか」
そんなドヤ顔で言ってほしくない正論だった、わかっているなら練習しろ。
「けどどうしてまたそんな、下駄箱なんか」
「いや、ちょっと人探しをしててな」
「それなら見当違いだ、俺は探される筋合いないっすから。それに俺、昨日はツレと約束があったんで」
「お前今遊ぶために帰ったって暴露したぞ」
反論されてしまい次は何を聞こうかと思いながらドリブルをしていると、俺ではなく是木の方から唐突に深めの溜息が聞こえてくる。
「なんで下駄箱なんか知らないけど、俺は女の下駄箱を見る趣味はないですよ」
どうやら彼のプライドを傷つけたようだ。
明らかに嫌な顔をした是木からこれ以上聞いても気分を害するだけだと判断した俺は、肩をするめながらもボールをもう一度ゴールへ投げた。こいつの言う通り、腕は落ちていないようでよかったよ。
「そうか、悪かったな」
「……先輩」
背を向けてボールを後ろへ投げると、皮膚に叩きつけられるような革の音と是木の声が聞こえる。今度は何かと振り返ると、そいつは俺が投げたボールを抱き悲しそうに笑いこちらを見ていた。
「先輩は何もわかってない。先輩は、無垢すぎる」
そんな言葉は彼にはひどく似合わなくて、何を言いたいのかは想像もできなかった。
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