5頁:今度なんてお腹いっぱい

 冷たい風が頬を撫でる堂野木の片隅に響いた叫びは、童話殺しを真っ直ぐに貫き動きを封じていた。それはもう、指一本動かないほどに。

「十二分、経ってた……」

「ほぉ……運はいいようだな」

「どこがだよ」

 童話殺しに目をつけられた時点で、運は確実に悪い。少なくとも俺はそう思うけどな。

「えっと……なぁ、さっきのって」

「悠長に話してる時間はないんじゃないか? 十二秒なんてあっという間だ」

 それくらい、俺自身痛いほど知っているさ。

 それでも聞きたい事があり顔を向けると、今度はどこからかゴトリ、と鈍い音が聞こえる。

「あたたた……そんな、攻撃型なんて聞いてないよ」

「っ!」

 音の主はもちろん、童話殺し。

「まだ動く力があるとはな」

「メガネ……本当に、灰だらけに何やったんだよ」

 途切れ途切れに投げられた言葉が俺の聞きたかった事とまるっきり同じで、俺は思わず首を縦に振っていた。そうだ、俺の〈トラウマ〉は本来相手の動きを止め〈トラウマ〉を解除するだけの力なのだ。それ以上でもそれ以下でもないはずなのに、さっきの童話殺しは確実にダメージを受けていた。

 こんな事、今まで一度もなかった。

「簡単な話に決まってるだろ、少し力を分けただけだ」

 対する本人の意見を聞いたが、何を言っているのかさっぱりである。

 力を分ける〈トラウマ〉なんて、少なくとも生まれてこの方聞いた事がない話だから。

「知らなくてもいい事だ……さて、童話殺しくん。次はこちらの質問に答えてもらおうか」

 温度が下がったように思えるほど冷たい声が、周りを支配する。

 それはまるで独裁的な王様のようで、俺に向けられたものではないとわかっているがその恐ろしさから、ピクリとも動く事ができなかった。

「なんだよ、質問って……」

「君の言う〈アクター〉とは、何を指すのだ?」

 ひどく、核心についていると思った。

 俺だって気になる、どうしてこれまでに何人もの〈キャスト〉が殺されたのか。そして殺される理由という〈アクター〉とは、何か。

「……メガネ、知りたがりは時に罪だよ」

「知りたがり……?」

 童話殺しから返ってきた言葉に嫌な予感がし、冷や汗が流れる。

 二人の姿に隠れた奴の右手。それは確かに、不気味な光をまとっていて。

「……おい、そいつまだ〈トラウマ〉使う力が残ってる!」

「遅いね、『俺はトルコの神様だ!』」

 瞬間、コンクリートで固められた地面に向かって炎が咆哮する。あまりにも強い火力のそれは人類の英知の結晶を粉砕し、周り一帯に砂埃を撒き散らしていた。

「さすがに三人相手は俺も分が悪いからね……今日のとこは見逃してあげる」

 なんて、わざとらしい言葉が聞こえ上を見れば、いつの間にか童話殺しは塀のてっぺんでこちらを睨みつけながら立っていた。

「敵前逃亡なんて、卑怯とは思わないのかい?」

「なんとでも言いな……また会いにくるよ、それまで全員殺されずにいてくれよ?」

「いや、もうおなかいっぱいです……」

「なるるん、そこは真面目に答えなくてもいいんだよ」

 乗りたくないお誘いはキッパリ断りなさいって、読み手の家に生まれて教えられたから仕方ないだろ。

「じゃあね灰だらけのあんちゃん――今度は本気の力、見せてよね」

「は……?」

 何を言っているのかわからず顔をしかめていると、その瞬間を狙ったように童話殺しは塀を蹴り上げ俺達から見て反対の方へ落ちて行く。

「あ、待て……!」

「追いかけても無駄だ、どうやら逃げ足だけは速いようだからな」

 冷たく放たれた言葉の通り童話殺しの気配はどこにもなくて、俺は安堵感に肩を落としながら溜息をついた。

「その……さっきは助かった」

「あぁ、例には及ばないさ。大事がなくてよかったよ」

 返ってきたのはどこか優しくやわらかいもので、自然と身体から力が抜けていくのがわかる。

「よかった、けど……」

 じゃあねなんて、また俺を狙うと宣言しているようだ。それがどうしても心のどこかに引っかかっていて、恐怖心とやらがふつふつと湧き上がる。

「もし、『今度』があったら……本当に殺される」

「それまでに、強くなればいい話じゃないのか」

「……お前何言ってんの」

 突飛した発言に中指を立ててやっても動じないその表情が、なんだかムカつく。

「そんな簡単に強くなれるなら、俺は最初から」

「一人でなんて、無理な話だ」

 矢継ぎ早に投げられた言葉は俺の心を的確に貫いていて、どこか心が痛い。一人じゃ無理なんて、どうすればいいのだ。

 こっちは〈キャスト〉だと知ってから十数年、他の〈キャスト〉と関わらないように生活をしてきたのだぞ。

「一人しか……わからないんだよ」

 わからない。何も、わからないんだ。

 シンデレラとしての記憶がないのに自分の〈トラウマ〉がシンデレラであるのかも、〈克服〉ってやつもわからない。俺の知識は、それこそ読み手が授業で習う程度の内容しかないのだ。

「……なるほど、なかなか込み入った事情でもあるみたいだな」

「そんな、大層な話じゃない」

 興味を示されても困ると思い首を横に振ったが、時すでに遅し。

「いや、この年齢で〈キャスト〉の知識がないなんて珍しい。増してや有名なシンデレラだ、実に興味深い!」

「お前よく人に喧嘩売ったりしてない?」

 ナチュラルに悪口を言われたのはわかった、悪かったな何も知らない脳みそ空っぽでよ。

「それに、僕の力であそこまで化けた〈トラウマ〉もなかなかない……うん、僕は君の〈トラウマ〉が気に入ったぞ!」

「は、いやちょ、何言って」

 強引に肩を掴まれ前後に振られたら、脳みそがシェイクになってしまいそうだ。やめろやめろ、頭痛くなってきたぞ!

「ほらかいちょー、なるるん困ってるよ」

「お、あぁすまない……童話相手だと興奮してしまうタチでな」

「至極面倒なタチだな」

 そんなタチならやめちまえ。

「まぁいいさ……どの道君には聞きたい事がある。もちろん、教えたい事もね」

 そんな含みのある言い方をした会長は、興奮を隠しきれないのか鼻息が心なしか荒い。こんなのの相手をするなんて、彼女も苦労をしているなと感じた。

「ほらかいちょー、鼻息が荒いよ、過呼吸になっちゃう」

「んん、そういう問題ではないと思うな」

 だめだ、二人揃ってネジが外れているぞ。

「そうだね……過呼吸は遠慮したいし夜ももう遅い。今日のところはお暇しよう」

「さんせー! 『私は月に、還らない!』」

「こ、ここで〈トラウマ〉!?」

 突然周りが明るくなったと思えばそれは明らかに彼女の〈トラウマ〉で、あまりの眩しさに俺は思わず手のひらで目を覆った。 

「あぁ言い忘れていたよ、猫は大切にね」

「は……いや、猫って、今日の猫か?」

「それじゃあ近いうちに会おう、灰だらけのエラ」

「またねなるるん、おやすみなさい!」

「いや、聞けって……!」

 そんなまるで友人のような挨拶を投げられればその光は徐々に薄くなり、俺の目でも周りが見えるようくらいまで回復した、が。

「……いな、い」

 残されたのは、俺一人。

 俺と、過酷な戦況だったのを物語る瓦礫のみだった。


 

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