4頁:スナップ一つで変わるもの

「かぐや、姫……」

「うん、月乃はかぐや姫、忘れられなくて忘れちゃう呪いのお話」

 自分自身が生み出した月明かりの中に佇む彼女は、悲しげに笑いながら言葉を落としふにゃりと年相応な笑顔を浮かべていた。それは本来なら純粋な可愛らしさを感じるものだろうが、残念ながらこの状況ではさながら悪魔だ。

「なんだ、かぐや姫か、かぐや姫……じゃあ灰だらけと同じようにしてあげる、『俺はトルコの、神様だ!』」

 瞬間、俺を攻撃していた火花達は突然向きを変え、彼女の頭上から焼き殺さんとばかりに降り注いでいた。

「おい危なっ」

 あれだけの量をかぶっては、いくら強力な〈トラウマ〉を持つ彼女でも無傷では済まないはずだ。なんとかして彼女の前に出ようと身体を起こした――瞬間。

「まぁ焦るな灰村」

「うお!?」

 突然後ろから強い力で腕を捕まれ、俺はふらつきながらもなんとか体勢を持ち直す。何事かと視線を送れば、そこには会長が余裕そうな顔で俺の事を見下ろしていて。

 さっきまで遠目で見ていたためわからなかったが、よく見ればこの会長と名乗る男は俺よりも頭一つ分身長が高い。

 髪は日本人とは思えないくらいに鮮やかな金髪で、知的な眼鏡の奥から除くのは鮮やかな青い瞳にはどこか既視感を覚える。それに、この制服。

「堂野木高校の、制服……?」

 こいつは、俺と同じ制服に袖を通していたのだ。

「なんだ、今頃気づいたのか」

 まさかと思い前を見れば、童話殺しと交戦中の月乃と名乗った彼女も同じ堂野木の制服を身にまとっていて。こんな目立ちそうな二人組なら校内で見かけててもおかしくないが、残念ながら俺の記憶には残っていないようだ。

「待てよ……宮澤?」

 記憶にはもちろんない。

 だがその名前に、俺は首を捻った。どこかで聞いた事があるよな、懐かしいよな悲しいような。

「なぁ、灰村」 

 俺の思考を遮るようにかけられた声にもう一度視線を後ろへ向けると、会長と名乗るそいつはどこか寂しそうな目で彼女の事を見つめていた。その表情は作り物ではなく、ただ悲しさばかりが伝わり心を締め付ける。

「かぐや姫……竹取物語の結末は、知っているか?」

「そりゃもちろん……」

 藪から棒に何を言い出すのかと思った。

 日本人ならだいたい知ってるであろうかぐや姫は、最古の昔話と言われているはずだ。

 竹の中から生まれたかぐや姫は、美しい女性に育ち周りの男性を虜にする。それぞれ結婚するための無理難題な条件を出されながらも、一人の帝がそれを達成し晴れて結婚する運びとなるはずだった。

 けれどもそれで終わってしまっては、問屋が卸さない。いや、西洋ならそれで卸すけどな。

 かぐや姫はその後結婚することなく、故郷である月に帰る事となる。月に帰るのを阻止しようとした人間達はかぐや姫を部屋に閉じ込めたが、かぐや姫は結果として羽衣を身にまとい月に帰ってしまう。というのが、一般的な竹取物語だ。

「……待てよ」

 そこでふと、違和感を覚える。

 かぐや姫は羽衣により未練なく月に帰ったはずだ。それなら彼女は強力な〈トラウマ〉を持たないが、彼女は明らかに攻撃型の強力な〈トラウマ〉を使っている。それが俺の中で、何かが違うと叫んでいる。

「もしかして……」

「そうだ、灰村が思っているのが月乃の〈トラウマ〉だ」

 だから心配ないなんて根拠のない言葉を添えられたが、それすらも今では納得してしまう。

「心を許した者と一緒になれなかった悲しみが……彼女の〈トラウマ〉」

「どうやら灰村は、〈克服〉していなくとも理解は早いようだな」

 馬鹿にされたのはわかったぞ。

 諸説はあるが、物語で彼女は自分の意思で帰ったように見える。日本の通説であるそれが、本当は違ったとしたら。それなら童話殺しが苦しんだのも、俺の怪我を治したのとつじつまが合う。

「……あぁ」

 思い出したよ、竹取物語についてさ。

 迎えがきた時、かぐや姫は羽衣を羽織る瞬間に涙を流している。それが、彼女の〈トラウマ〉という事か。一度定着した人々の記憶は、変えることが難しい。それは彼女の〈トラウマ〉である記憶だって例外ではなくて。

 ……これでは、ロミオも驚きの悲劇じゃないか。

「そうだよ灰村……彼女は日本に、愛されすぎたのだ」

『私は月に、還らない!』

 さっきまでとは比べられないくらいの声量は街の中に響き渡り、砂埃がこれでもかと言うくらいに巻き起こる。前がよく見えなくて、吸い込んだ空気で身体は不快感に支配された。

「おわった、のか……」

「まだだ」

 鋭く発せられた会長の声に遮られ前を見れば、視界が晴れていくのがわかる。童話殺しは、月乃と名乗る彼女はどうなったと身体を乗り出し目を凝らすと、立っている影はさっきまでと変わらず二つに見えて。

「痛い、熱くて激しいよかぐや姫……まぁいいや、君も後で殺してあげる」

「気持ち悪い、月乃そういうのはちょっと」

 俺とまったく同じ反応だった。

 男の俺ならまだしも天下のかぐや姫まで同じになると、この童話殺しがどのようにお姫様の心を射止めたのか本気で気になるところだ。いや、トルコの神様だなんて名乗っているのだから、何かしらの手があってあれだけの展開ができたに違いない。

 そこに関しては、本人のみぞが知るストーリーだ。

「じゃあもっと強烈なのあげる、『私は月に、還らない!』」 

「後でって言ったのになぁ……『俺は、トルコの神様だ!』」

 双方の〈トラウマ〉は夜の街に反響し、眩しすぎるくらいの明るさと赤い火花が周りを支配する。

 童話殺しの炎を光が消し飛ばし、その光をトランクでガードする。時間が経てば経つほど戦況はエスカレートする一方で、ここが街中だと言われても信じられないだろう。実際、俺だってこれが夢なのではと思っているくらいだ。

「……けど」

 何かが、おかしい。

 確かにエスカレートはしているが、二人は疲れるどころか傷一つつかないのだ。まるで、どちらかが力を抑えているように見えてしまう。

「何が、どうして……」

「灰村?」

 考えれば考えるほど、わからない。 

 かぐや姫の彼女は話を聞くに力加減ができないのだろうから、童話殺しがやっているのはすぐにわかる。ただあいつが力を抑えたところで、何になるのだろうか。今抑えては不利になってしまうし、彼女相手ではメリットが何もない。

「……ん?」

 彼女、相手では。

 彼女が相手でなければ、どうなるのだろうか。そりゃもちろん例えばの話だけど、そう思ってしまう。実際は彼女以外に相手がいない。いるとすれば俺とこの会長で――

「まて、よ……」

「おい灰村、さっきから何をブツブツと」

「ちが、あいつ、彼女と戦っているんじゃない!」

 そうだ、あいつは俺に言った。

 狙った獲物は、逃がさないって。


「あいつの、童話殺しの目的は……俺だ!」


「そうさ、俺の目的は最初からこっちだよ、灰だらけ!」

「やば、なるるん!」

 彼女の目の前で突然方向を変えた火花達は、迷う事なく俺を殺そうとこちらへ向かってくる。避けようにも避けきれない火花の束は今の俺には絶望的で、どう足掻いても死ぬしか道が見えない。

「さっきから疑問なのだが、〈トラウマ〉があるならそれで反撃すればいいのではないか?」

 こんな状況でも投げられた言葉は明らかに俺の地雷で、眉間にしわを寄せながらも地面を思いっきり蹴り上げる。できていたら、とっくの昔にやっているさ。

「そうやって簡単に……俺のは一回使ったら、十二分待たないと次が使えないんだよ!」

「なんとも、こう……」

「今絶対弱いって思っただろ」

 その通りだよ、まったく。大当たりのご明察だ。

 代わる代わる飛んでくる火花を避けつつも舌打ち一つ。どうする、このままでは俺だけじゃなくこの二人も殺されてしまう。

「〈克服〉できていない〈トラウマ〉ほど壊しやすいものはない……俺は本当にツイている!」

「なんだ灰村、〈克服〉していなかったのか」

「だか、なんだよ告白って!」

「なるるん、それは全然違う意味だよ」

 火花は俺に殺意しか向けていないし外野はうるさい。悪かったな、〈キャスト〉のくせに〈キャスト〉の常識を知らない奴で!

「よそ見しないでよ、灰だらけ」

「っ!」

 油断した一瞬を狙われたのか、気づけば童話殺しは俺との距離を詰め右手をこちらへ突き出していた。これはピンチだ、この距離で〈トラウマ〉を使われては、どう考えても命の保証がない。

「ど、どうして、こんな事をするんだ!」

 苦し紛れに出た言葉は、どう聞いても命乞いで。かっこ悪いのは承知だけど、俺だって死にたくない気持ちがある。まぁ、こいつがそれを聞いてくれたらの話だけどな。

「どうしてって、面白い事を聞くよな」

 聞いてくれたよ、優しいな。

 俺としてはありがたい限りだが、その含みのある言い方に若干の違和感を覚えた。

「そうだな……灰だらけは、〈アクター〉ってのも知らないのだろうね」

「……?」

 突然飛び出した単語があまりに聞き覚えのないもので、どう反応すればいいかわからず首をかしげる。

「あく、たー?」

 片言な発音でオウム返しすれば、あっていたみたいでそうそう、と楽しそうに頷かれる。

「俺達の目的はただ一つ……〈アクター〉を集める事。それ以外は、必要な犠牲なんだよ」

「なに、言ってんだよ……」

 集めるとか、犠牲とか。

 理解してくれない俺の脳みそはやっぱりお粗末だが、それ以前に話が浮世離れしているのだ。そんな、簡単に人を殺してしまうような犠牲、あってたまるか。

「意味ないよね……今から死ぬような〈キャスト〉にそんな事教えても、さ!」

「痛っ!?」

「なるるん!」

 突然脇腹に衝撃がきたと思えば俺の身体は宙に浮いていて、そのまま近くに立っていた電信柱に叩きつけられる。無機質な冷たいコンクリートの冷たさと叩きつけられた痛みから生まれる熱さで、頭がどうにかなってしまいそうだ。

「どうしよかいちょー、なるるんぴんちじゃん!」

「そうだな……」

 そこの他人事、絶対考えているフリだけだろ。

 行き場のない怒りは増すばかりで、残った力で思いっきり二人を睨んでやる。

「何か、何か方法は……」

 どれだけ思考をフル回転させても打開する答えは出てこなくて、思いつくのは絶望感ばかり。非力な〈トラウマ〉しかない俺と炎を操る〈トラウマ〉なんて、最初から答えはわかっていたじゃないか。

 握った拳も考えているうちに弱々しくなって、俺の脳みそが結論を出したようだ。

 これは、負けるって。

「……あぁ」

 もう少し、もう少しでいいから生きていたかった。だって、俺はこのまま読み手に溶け込んでいたかったのだから。童話なんて関係ない、一人の人間として。


「わかった、お前が『何か』は知らないが助けてやろう……効果がなくても恨むなよ」


「え……?」

 今度こそ死んだと覚悟した瞬間に聞こえたのは、会長と名乗ったあいつの楽しそうな声。釣られてそちらを見れば声の通り、うんん、声なんかの何倍も楽しそうに笑い鼻で笑っていたのだ。

「ほら、受け取れ!」

 それは最初と同じ指を鳴らす音で、何を受け取ればいいのかわからずにいるとほらやれよ、なんて上から目線の声が返ってくる。

「何をやれば……ん?」

 その時だ、俺の中が熱くなったように感じたのは。

 ぞわりと身体の中で何かがうごめいて、熱くなる。底から湧き上がる力は強くて、これなら俺でも。

「どうにか、できそう……!」

「くっ……メガネ、何やったわけ!」

「僕がやったのは、ただのスナップだよ」

 俺の様子の変化に気づいたのだろうか。童話殺しは途端に慌てて両手をこちらへ突き出していた。

「何やったか知らないけど、どうせ時間が止まるだけ……ばいばい灰だらけ、『俺はトルコの神様だ!』」

 目の前で燃え上がる炎と、月乃と名乗る彼女の慌てる顔が同時に見える。

 俺だって、死にたくない。スーパーマンでなければ最強の力を持っているわけでもないが、俺だって生きるのを望む権利はあるはずだ。

 だから、叫べ。

 

『灰でも――かぶってろ!』


 感情を奮わせて、心に喝を入れて。 

 何が童話だ、何がフィクションだ。俺は紙の中の存在じゃない、俺は――

「俺は、一人の人間だ!」


 瞬間、空が割れたように、泣いたように震え上がった。

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