一章 俺はトランクが飛ぶ事自体トラウマだ

1頁:心当たりなら割とある

 補足をするならそもそもの大前提として、俺はシンデレラではない。


 ***


「聞いたか、弓矢町の工場で爆発があったらしいぞ」

「おれの家、警察の人が来た」

「怖いよな、また童話殺しか?」

「読み手でよかったー」

 至る場所で飛び交う言葉の波に不快感を感じつつ、背伸びを一つ。夕方になってもなおまだ覚醒をしていない脳内は、すでに夕飯の事しか考えられていないお粗末なもので。本当に、今日も堂野木市は平和だ。

「他人事みたいな顔してるけど、弓矢町ってお前の住んでる方だろ、なる

「え、お、おぉ」

 そんな中突然話の中心に持っていかれては、言葉に悩んでしまう。自前の白銅色をした髪を弄りながら言葉を選んでいると、お前まさか知らないの、なんて馬鹿にしたような声が聞こえる。

「ほら、最近話題の童話殺し」

「馬鹿、さすがに情報に疎い灰村でもそれは知ってるだろ」

「当たり前だ、俺の事馬鹿にしてるだろ?」

「そいつが出たんだよ、弓矢町に」

「へぇ……」

 確かに昨日はパトカーがうるさかったなとは思いつつも、溜息一つ。そんな物騒な奴が身近に出るなんて、世界は辛辣で優しくないものだ。

「そもそも〈キャスト〉が読み手の世界で生きるなんて、最初から無理な話なんだ」 

「灰村も気をつけろよ」

「いや、俺読み手だから」

「髪の色とか目の色だけ見てると完璧に童話でいそうだけどな」

「普通はいないって、水色がかった灰色の髪なんて」

「うるさいぞ」

 読み手の世界に落とされた住民達、通称〈キャスト〉は拭い消えない記憶を具現化した異能〈トラウマ〉をうちに宿しながらも、その正体を隠して読み手の世界で生活をしている。

 そんな話の中でも俺の脳裏によぎったのは、ある一言。

「――童話殺し」

 ここ一年日本各地で起こる童話殺しは、早い話が〈キャスト〉のみを狙った猟奇殺人事件だ。

 殺害方法こそそれぞれ違うらしいが、特徴としては殺害された〈キャスト〉の童話に沿っており、現場には決まってメッセージカードが残されておりそこに童話内での罪が書かれているようで。正直、気味が悪い。

「けど童話殺しって、一昨日……」

「そうそう、一昨日は東北かどっかで現れたよな」

「先週は九州じゃなかったか?」

「瞬間移動できる〈キャスト〉だったりして」

「そんな、まさか」

 そう、その問題の童話殺しは短時間に各地で犯行を行っている。しかも、まるで日本中の〈キャスト〉を根こそぎ殺さんと言わんばかりの勢いでだ。

「……正直、どうでもいいけど」

「本音が出てるぞ灰村ー」

「お前は違くても、見た目がそうなんだよ」

「はいはい、わかった……じゃあ、俺こっちだから」

 強制的に話を切り十字路でみんなと逆へ身体を向ければ、じゃあななんて軽い言葉が返ってくる。

「お、今日は右が赤色だったぞ」

「ラッキー、後でガチャ引くか」

「俺の目は運試しじゃないぞ」

 全員いい加減にしろよ。

 反射で色が変わる目で家路に着く奴らを睨めば、言葉に出す代わりに覚えてろよ、と念を送る。もちろん思っただけだが。

「ううん、けど童話殺しは何が目的なんだ……?」

 一人になったのを確認すれば思考を童話殺しに戻して、首を捻る。

 気づいた時には当たり前のように騒がれていた童話殺しは、何もかもが謎に包まれている。

 童話殺しが〈キャスト〉にどう恨みがあるのかはもちろんの事、童話殺しの行動に対する真意はいまだに闇の中だ。警察も童話課とかいうのが捜査しているらしいが、正直な話ヒントがなさすぎる。

「けどそりゃ、突然前の世界での事で殺されるなんて……たまったもんじゃないな」

 いつ襲われるかも、狙われているかもわからない。どんな〈キャスト〉でも、それはきっと他人事ではないだろう。

「にゃーん」

「……ん、お前野良猫か?」

 まぁ、ここまで他人事で話してはいるが――


『灰でもかぶってろ』


 俺、灰村成はいむらなるも、立派に〈トラウマ〉を持つ〈キャスト〉の一人だ。

 ……嘘ついた、立派かどうかはノーコメントでいかせてくれ。

 小さく紡いだ言葉が弾けたと共に世界は固まり、猫はぬいぐるみのように目を丸くしてこちらを見ている。優しく撫でてみれば猫は最初こそ警戒していたものの、すぐに落ち着いたのか喉をゴロゴロと鳴らしていた。

「嘘をつくのは心苦しいけど……仕方ないし、俺のせいじゃない」

 そもそもとして、〈キャスト〉は聞かれてもやたらに正体は明かさない。だってそうだろ、バラしたところで今まで通り接してもえる自信はないし白い目で見られるのがオチ。世間を騒がす犯罪者にも狙われる可能性がある。

 あぁ、そうだよ。正直な話、俺だって童話殺しには遭遇したくないものだ。

「……俺みたいな貧弱な〈トラウマ〉は、狙われなさそうだけどな」

 遭遇したくない以前の問題だ。会ってしまえば抵抗すらままにならないくせに、名前だけ聞けば大概の読み手がわかってしまう〈トラウマ〉が、俺は好きじゃない。

「俺だって、好きでこんな〈トラウマ〉を持ったわけじゃない――灰をかぶるのはうんざりだ」

 灰だらけの童話、シンデレラ。

 おそらく世界でもっとも有名で、もっとも様々なストーリーが存在する物語。現代ではシンデレラストーリーなどの言葉があるほど名が知られる作品は、〈トラウマ〉になると途端に貧弱なものとなってしまう。

 十二時に魔法が溶けてしまうみたく、十二秒だけ対象の〈トラウマ〉を無効化し行動を停止させる異能。

 一見万能に見えるこの異能は、欠点だらけの〈トラウマ〉だ。

「シャー!」

「うわ、ちょ、爪たてるなイダダダ!」

 例えばこれ、十二秒しか効果が持たない事。

 どんなに頑張ってもきっちり十二秒しか効かないのは、正直拍子抜けなものがある。それならもう少し実用性のある力が欲しかったよ、俺はさ。

「それにさ……」

 小さく呟き見上げた空は、相変わらず殴りたいくらいに鮮やかなもので。ぽっかり空いた心の穴は案外大きくて、俺は視線を落としながら自虐的に笑った。


「魔法になんて、最初からかかっていないのに」


 シンデレラなんて可愛らしいものではない。だって俺は、シンデレラではないのだから。魔法使いはいないしカボチャの馬車も乗っていない。ガラスの靴だって、履いていない。シンデレラの〈キャスト〉が男なんて、まさしく三流喜劇だ。

「……俺は」

 俺は、何者なのだろうか。

 何者で、どこへ行けばいいのだろうか。

 考えれば考えるほどわからない答えはどこにも落ちていなくて、道なんかは用意されているわけがない。

 こんな時他の〈キャスト〉なら、どうするのだろう。ただでさえ〈トラウマ〉に劣等感を持ち明かさずにいたのだ。本来の〈キャスト〉としての姿を、俺は知らない。

「俺はどこに行っても、邪魔者灰だらけだからな」

 ふわりと力なく呟いた言葉は、星空に支配されつつある世界に溶けて消えてしまう。

 それがなんだか無性に悲しくて、俺はそっと左の手首を撫でる。

 無機質な革の感触と冷たい石の飾りが、今日はどうしてだか心地よくも感じた。


 ***


 ……なんて、それらしい事を考えていた数十分前の俺を、今は心の底から恨んでいる。

 眉間にしわを寄せて歩く、薄暗い帰り道。静かなのだけが取柄の街で、俺一人の足音は不気味なくらいに響いていた。

「あんちゃん、どこ行くの」

 嘘ついた、一人ではない。

「ねぇねぇ、あんちゃん」

「……」

 聞こえないふりに見えないふり、触らぬ不審者に祟りなし。

 そう頭の中で念仏のごとく唱え目を合わさないように歩いても、そいつは俺の後ろにぴったりとくっついていた。どこからどう見ても一般的な青年だが、一つ違う事と言えば浮いている事だろうか。空気がじゃないぞ、物理的にだぞ。もちろん空気も浮いているけどな。

「……くそっ」

 素直に帰ればよかったのだ。真っ直ぐ帰れば、絡まれたりはしなかっただろう。

 消しゴムが残り少ない命なのを思い出した俺は、あの後途中にある文具屋へ寄り時間を潰していた。ぐるりと店内を見た後で外へ出れば路地裏から叫び声が聞こえ、何事かと思い覗き込めば倒れた初老の男とこいつがセットでいて。一目散に逃げてきたが、こいつが釣れてしまったというわけだ。正直倒れていた人は心配だが、俺だって変な奴には絡まれたくない。

「……肩は動いてたし、生きてるよな」

「ねぇあんちゃん、あんちゃんってば聞いてよ」

 控えめに言って暑苦しいからやめてほしいものだ。そもそも、俺はお前の兄ちゃんじゃない。

「ねぇあんちゃん、わざと無視してんだろ」

「……っ」

 気づかれても気づかないふり。

 少しだけ歩く速度を上げて振り切ろうとしたがそうもいかず、二人三脚かと思ってしまうくらい息ぴったりで俺の横にぴったりとついている。

「ねぇあんちゃん、いい加減にしてよ」

「それはこっちのセリフだ」

 思わず口を聞いてしまうと、そいつはこれでもかと言わんばかりに口の端を吊り上げ、不気味な笑みを浮かべていた。

「やっと、喋ってくれた」

 そんな声が、地の底から聞こえる。もちろん比喩だけど、それほどまでに恐ろしいものだったのだ。

「さっきからなんだよ……!」

「何って、あんちゃんと同じ〈キャスト〉さ――灰だらけのシンデレラ」

「なっ……!」

 どうして、俺の事を。

 投げかけようとした言葉はすんでのところで止まる事になる。それはもちろん、心当たりがあるからだよ。

「さっきの、猫……!」

「あんな街中で使うなんて、ずいぶん不用心な〈キャスト〉もいるんだね」

 猫を触ろうとして使用した〈トラウマ〉を、こいつに見られていたようだ。油断していた、それはもう馬鹿なくらいにさ。

「おかげで探すのが省けたし、感謝してるよあんちゃんには」

 店から出てこないからおじさんが遊んでくれてたんだ、なんて付け足された言葉がどこか浮いていて、恐ろしさすら感じてしまう。

「お前……何者だ」

 振り絞って出したその言葉を待ってましたと言わんばかりにそいつは目を細め、ケラケラと張り裂けんばかりの声笑っていた。こいつ、本当は童話じゃなくてホラーの類じゃないのか。


「改めまして、灰だらけのシンデレラ。俺はそうだな……空飛ぶトランクの息子、とでも言っておこうか」


「ホラーじゃなかった」

「あんちゃん何言ってるの」

 やめろ、俺に冷たい視線を送るのはやめてくれ心が痛くなるだろ。

 そもそも、トランクが空を飛ぶわけが――

「待てよ、トランクが空を飛ぶって……アンデルセンか!」

 聞いた事くらいはある。

 空飛ぶトランク。かの有名なアンデルセン作品にある、童話の一つだ。

 お金持ちの商人の息子が空飛ぶ不思議なトランクでトルコのお姫様の元へ行き、自分はトルコの神様だとか嘘をついて結婚の約束をするという物語。

 その結末は確か、見栄を張った息子がトランクで花火を飛ばし、その火の粉がトランクにかかり燃えた事でお姫様の元へ行けずお姫様もそれを待ち続けた……というのだっただろうか。

「なるほど、空を飛ぶ道具を燃やしてしまったから自分で飛んでるってわけか」

「ご名答、博識だねあんちゃん。じゃあこれは知ってるかな――童話殺し」

「っ!」

 そんな、知らないわけがない。

 そもそもさっきまでタイムリーに考えていたばかりじゃないか、こいつ透視能力もついているのではないか?

「……やばい」

 自ら童話殺しと名乗る〈キャスト〉と、明らかに三流能力しか持たないシンデレラの〈キャスト〉。この二つが並んでしまえば、起こる事は目に見えていて。

「さぁあんちゃん、ネタばらしも終わった事だし大人しく殺されておくれよ」

「ほら見ろ、こうなるに決まってる……!」

 殺されてくれと言われて、死ぬ奴がどこにいるのだろうか。いないだろ普通、それが常識だ。あいにく俺に自殺願望はないからな。

「あぁもう……!」

 殺られる前に、止めてやる。

 大きく吸った酸素を肺いっぱいに溜め込んで、一拍止める。やってやろうじゃん、空を飛んでるだけの奴が相手なら俺だって倒せるはずだから。

『灰でも、かぶってろ!』

 世界を恨んで弾けた言葉は、童話殺しに向かって一直線に貫く。そいつは最初こそ目を丸くして固まっていたが、徐々に身体が地面に――

「……あれ?」

 地面に、着かない。

「間抜けな顔してどうしたのさ、あんちゃん」

「嘘、だろ」

 ありえない。だって俺の〈トラウマ〉は相手の〈トラウマ〉を解除して時を止めるもので、もちろん言葉なんか喋れるはずがなくて。

「なんだあんちゃん……弱いと思ったらまだ〈克服〉してないじゃん」

「なんで、どうして……!」

 そんな平気な顔で、喋れるのだ。

「俺は空飛ぶトランク……トルコの神様だぞ?」

 なんて言いながら見せてきたのは、さっきまではなかったはずの、タイトル通り大きなトランクで。なるほど、これに弾かれたってわけだ。

「いや、けど……」

 そんなトランク程度で、〈トラウマ〉を弾く事ができるのだろうか。そもそもそのトランクは、どこから出したのだ?

「別に不思議な事じゃないさ、俺は〈克服〉してるからな」

「……告白?」

「あんちゃん、空耳が過ぎるよ」

 俺が首を傾げて見せれば、トランクのそいつはまたケラケラと笑い鼻と鼻がくっつくのではと思うほどに顔を近づけてきた。意味はわからなくても馬鹿にされたのは、さすがにわかるぞ。

「まぁいいや、〈克服〉すら知らない童話は殺しやすいし……っと!」

「ちょ、おい!」

 さすがに俺の中の第六感が騒ぎ出したのがわかり後ろへ下がると、俺がさっきまでいたところには大きなトランクが鈍い音をたてて転がっていた。間一髪とはまさにこの事、もしあれで殴られていたらと思うとゾッとするものがある。

「いいねあんちゃん、その反応。殺しがいがあるよ」

 一方童話殺しは嬉しそうに笑うと、月をバックにしながら余裕そうな表紙を浮かべていた。あぁもう、恨めしいくらいに綺麗な月だよ。

「じゃあ、あんちゃん……俺のために死んでくれよ」

「っ……」

 

 絶体絶命なんて、生ぬるい言葉じゃない。

 あぁ……神様グリム様、ペロー様にバジーレ様。俺は、何かあなた達の機嫌を損ねる事をしましたでしょうか?

 

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