2頁:夜の街では火気厳禁

「じゃあ、あんちゃん……俺のために死んでくれ」

「ちなみに聞くけど、見逃してはくれないかな?」

「あいにく、俺は狙った獲物を逃がさない主義でね」

 月が見つめる街の中。

 こんな夜なら、きっとプロポーズするにはうってつけだろう。いや、実際にされているのは死刑宣告だけどな。

「悪いけど……ごめんだな!」

 舌打ちしながらも、半歩下がれば回れ右。死ぬ気で走り出せば、トランクのそいつ改め童話殺しから離れる事で頭がいっぱいだった。

「あんちゃん追いかけっこ好きだねー」

「ってどわぁあ!?」

 さっきまで後ろにいたはずの童話殺しが、隣にいる。

 どうやってこの距離を移動したのかとかなぜ貧弱な〈トラウマ〉に執着するのか、聞きたい事は山ほどある。いやそりゃあるけど、それよりも勝るのは殺されるかもしれないという恐怖心だ。

「この、ストーカーが!」

「ぐへっ!」

 顔面を狙って、右ストレート。

 我ながら綺麗に決まったそれは童話殺しにもかなりのダメージだったようで、一瞬ではあるが身体が揺れ顔を押さえていた。

「悪いな、これでも中学時代はバスケ部だったから筋力や瞬発力には自信があるんだ」

 今は見ての通り、帰宅部だけどな。 

 なんてどうでもいい事を考えながらも肩の力を抜いたが、それも一瞬の事。童話殺しは体勢をすぐに立て直し、楽しそうに空中を飛び跳ねていた。

「痛いなぁ、今のは痛かったよ、痛くて熱烈な愛だったよ灰だらけ」

「素直に気持ち悪い」

「心外すぎるよ」

「気持ち悪い」

 もう一度言わせてくれ、気持ち悪い。

 半歩下がっておまけの気持ち悪いを吐き捨てれば、童話殺しは若干不服そうな顔をした後すごい勢いで俺に近づいて……って、待て待てさっきまでとは比べものにならないくらいに速いぞこれは。

「ねぇあんちゃん、どうして逃げるの?」

 お前が追いかけているからだろうと、俺は声を大にして叫びたい。どれだけ走っても後ろにつく童話殺しはさながらおばけの類で。正直どういう原理で飛んでいるのか知りたいとのがあるが、今は的外れな事を考える時間がない。

 そんな、童話殺しに殺されて一生を終わるなんて勘弁してほしいものだ。少なくとも俺は嫌だからな、おばけもどきに殺されるなんてさ。

「あんちゃん、俺どっちかってとトランク」

「冷静に訂正を入れるな」

 ごもっともの正論だよ、この野郎。

 入り組んだ道を曲がりに曲がって、なんとか振り切ろうとする。それでもなかなか距離が開かないもどかしさに顔をしかめると、他人事と言わんばかりに楽しそうな声が耳元で響いた。

「どうしたのさ、さっきみたいに〈トラウマ〉使えばいいじゃないか」

「簡単に言いやがって……!」

 舌打ちと共に声して方へ目をやっても、へらへらと飛びながら追いかけてくるだけ。

「簡単にって、簡単だから言っているんだよ」

「誰も彼もそうだとは……あっ」

 余計な事を言ってしまったような、そんな気がした。気がしたじゃない、絶対だ。

「へぇ、誰も彼も、ねぇ」

 対する童話殺しは、目ざとく俺の失敗に気づいたのだろう。意味深に呟いては俺をじっと見つめながら、ゆっくり両手を突き出し――

『俺はトルコの神様だ!』

「っ!」

 まるで龍のように、童話殺しの腕に炎の渦が巻き付くのが見えた。そいつは瞬く間に目の前まで伸び、熱風と共に俺を近くにあった住宅の塀に叩きつける。

「かはっ……!」

 ガツンと鈍い音と骨の軋む感覚。必死で取った受け身のおかげで折れてはいないだろうが、それでもかなりのダメージだ。

「ぐっ……いってぇ」

「なんで反撃してこないのさ、つまんない」

 童話殺しはそんな俺の様子を見て、わざとらしく口を膨らませていた。反撃できるならとっくの昔にやっているさ。

 そんな俺の反応で、どうやら童話殺しの疑問は核心に変わってしまったらしい。

 動けなくなった俺を上から下まで舐めるように見ると、ふぅん、と楽しそうな表情を浮かべていた。

「もしかして、あんちゃん」

 童話殺しの声音が変わる。それはもう狂ったように、勝ち誇ったような声に。

 これはさすがにやばいと、俺の中の本能が叫んでいる。冷たい汗が、背中をつぅ、と流れていくのを嫌なほどに感じた。

 何か新しいおもちゃでも手に入れたみたく笑う童話殺しはひどく不気味で、俺は蛇に睨まれたカエルといい勝負だ。本当に、比喩なんかじゃなくて。

「あんちゃん――一回〈トラウマ〉を使ったら、次に使えるまでタイムラグがあるんじゃない?」

「それは……!」

 やばい、バレた。とびっきりバレてはいけない弱点が。

「なんだ、正解?」

「……」

 あぁ正解だよ、ご名答だ。

 十二秒しか効力を持たないこの〈トラウマ〉は、次に使うまでに十二分も待たなければならない。三大作家もびっくりのとんだ欠陥品だ。

「可哀想なシンデレラ、これじゃガラスの靴も拾えない」

 元々シンデレラは作中でも靴を拾わないから、むしろ拾おうとするのはチャレンジャーではないのだろうか。いや、そんな事言うのが野暮な話だから口が裂けても言わないけどな。

「まぁそんなわけで、死んでくれ」

「いやだから、俺はシンデレラじゃっておぉ!?」

 俺の話が終わる前に放たれたのは、火薬臭い火花の嵐で。

 まるで操られるような動きを見せる火花は迷う事なく俺を狙い、目にも止まらぬ速さで飛んできていた。避けても避けてもキリがないそれは止まる事を知らない、まるで闘牛のようだ。嘘ついた、体力の限界が存在する闘牛のがまだ可愛げあるぞ。

「俺のために早く死んでよ、『俺はトルコの神様だ!』」

「ばっ、街名でその〈トラウマ〉は無理がある、あっつ!」

 手の甲に当たった火の粉はあまりにも熱くて、俺は思わず顔をこわばらせた。こんなのを全身に浴びたら、ひとたまりもない。

「俺の〈トラウマ〉はトランクを悪用した事でも燃やしてしまった事自体でもない、あの日お姫様の元へ行けず玉の輿に乗れなかった事だ!」

「いや、反省しろよ熱ッ!」

 とんでもな理由にも限度がある。

 確か空飛ぶトランクの結末は、見栄を張った商人の息子がトランクから花火を打ち上げ、その火の粉が燃え移った事によりお姫様の元へ行けなくなってしまった、といったものだったはずだ。

 なるほど、お姫様の元へ行けなかった悲しみがこの童話殺しの〈トラウマ〉になっているというわけか。

「……いや、自業自得すぎだろ!」

 一瞬冷静になったが、どの角度から見ても自業自得の童話でしかない。早い話が教訓ものの童話じゃないか。

「うるさい、灰だらけのあんちゃんみたいな平和ボケした〈トラウマ〉には、一生わからないだろうな!」

 瞬間、童話殺しの周りに展開された赤い花火が威力を増して俺を焼こうと言わんばかりに轟音を上げる。その轟音はあまりにも悲痛で、もはや悲鳴だ。

「……それ以上になんかこう、近所迷惑」

「あんちゃん高頻度でリアリストになるよね」

 悪かったなリアリストで、童話で生きてる人間ほど現実的な世界に憧れるんだよ。

 どうにかして打開策はないかと考えても、俺の弱点はバレている上に目の前の相手はいつでも攻撃できる状態。残念な話だが、打つ手はどう足掻いても見つからない。

「なんだ静かになっちゃった、つまんない」

「どうやってお前から逃げようかって考えてんだよ、馬鹿」

 明らかに俺のが不利なのはわかっているし、勝ち目がないのも承知の上。それでも俺は、こんな呪われた〈トラウマ〉のせいで死ぬなんて殺されても嫌なのだ。それなら、読み手の世界になんて生まれたくなかった。

「けどあんちゃん、もう動けないんじゃない?」

「寝言は寝て言え、逃げるくらいの体力はあるっての」

「あぁいや、そうじゃなくて」

「?」

 何が違うのかが、さっぱりわからない。

 突然声のトーンを落とし嘲笑うように俺を見る童話殺しは、それ以上何も言わずに目を細める。

『俺はトルコの、神様だ!』

「っ!?」

 瞬間、俺の周りに熱く赤い炎が湧き上がる。ぐるりと俺を囲うように現れたそれは足を一歩でも出せば燃え移ってきそうで、文字通り動けなくなってしまった。

「俺はあんちゃんの〈トラウマ〉よりも応用がきくんだよ」

「嫌味を言われたのはわかった」

 悪かったな、応用きかなくて。

 気丈に返したが現状が悪化している事に対し、顔をしかめる。

「やっと、大人しくなってくれた」

「……さすがに燃えたくはないからな」

 動く的は狙いにくいから、なんて言われると頭にくるがごもっともな話だ。どうにかしてこの炎から抜けなければ、俺は確実に死んでしまう。

「んん、もう少し遊んでくれるかと思ったけど……あんちゃんはつまらなかったよ」

「……つまらなかった?」

 燃え盛る炎の向こう側、何やら頬を膨らましながら呟かれた言葉はどう考えても俺の悪口だ。何に関してつまらないかは知らないが、俺にとってはつまらないもくそもない。

「あんちゃんそんなに逃げ回ってくれなかったから、おやつが消化できなかったよ」

「悪かったな、運動不足にさせてしまって」

 内容は予想以上に平和だったよ。

 童話殺しが俺に油断をしている間にどうにか炎から抜け出せないかと思ったが、残念ながら俺にはこの炎を消す力はない。止める力はあったとしても、そこまで万能ではないから。

「けど、遊んでもらったのは嬉しいな……お礼に殺す時はちゃんと綺麗に……ん?」

「……?」

 童話殺しの声音が明らかに変わったように感じ、俺は恐る恐る顔を上げる。月明かりに照らされ不気味なのは倍増しだが、驚いたと言わんばかりの顔である。

「……ふぅん」

 目を細めながら俺の手首へ視線を送る童話殺しはどこか寂しげで、心なしか焦りの表情が滲み出ていた。何が彼の態度を、そこまで変えているのだろうか。

「どうしようかな……俺、怒られるや」

「お前、さっきから何を……」

 どうしようとか、怒られるとか、何を言っているのかさっぱりだ。こいつは何に怯えているのか、俺には想像がつかない。

 しばらく俺が目を白黒させていると、今度はまぁいいや、なんて軽い言葉が返ってきて。

「俺はそんな忠誠心があるわけじゃないし……死んでてもきっと、問題はない」

「いや、俺的に問題が」

「ばいばいあんちゃん、今度はマシな童話になれる事を祈ってるよ」

「人の話を聞、熱っ!」

 話をまったく聞かない童話殺しは楽しそうに笑うと、俺を囲む火を強くさせる。

 あぁもう、俺死ぬじゃん。

 呆気なく殺されるのが嫌で、せめて死んでも目の前のこいつを忘れないように俺は力強く童話殺しを睨む。読み手に生まれ変わろうがまた童話の世界に戻ろうが、こいつの事を忘れないよう――


「ほぉ、こんな夜更けに騒がしいと思えば……僕は飛んでる奴が勝つと思うが、月乃はどう思う?」

「どう考えても飛んでる子でしょ、賭けにならない!」

「そうだな……確かに賭けにならない、ならばこの僕が少し助けてやろう」


響いたのは、明らかに俺を馬鹿にしたような会話と冷たく鳴らされた指の音で。

「なっ……!?」

「……え?」

 瞬間、まるで指の音が合図だったかのように俺を囲んでいた炎が消えていく。それはもう、魔法にかかったように。 

「……邪魔するのは、誰」

 童話殺しが見つめる先、さっきまでは誰もいなかったはずの道の真ん中に、二つの人影が。


「あぁ気にしないでくれ、僕達はただの観客……早い話が黒子だからな」

「そうそう、月乃が見ててあげる!」


 博識そうな眼鏡の男と濡れた黒髪が似合う少女はそんな会話を交わすと、俺と童話殺しに向けて貼り付けたような笑顔を浮かべていた。

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