リスも杓子も灰かぶり

よすが 爽晴

クリック? ――クラック!

0頁:ハツカネズミはまだこない

 古今東西、世界は童話に溢れている。

 往古来今、この世は童話より奇なり。


 小学生の頃に演じた劇で、お姫様役の少女が呟いた言葉。私も本物のお姫様になりたい、なんて。

 言えなかった、言えるわけがなかった。


 俺が君の憧れる、お姫様だなんて。


 ***


 クリック、クラック!

 ――子どもの声で世界に響く言葉は、万国共通似ていると俺は思う。

 例えば東洋なら、紙芝居の時のお菓子を買って眺めるあれ。今では少なくなったその光景は、童話の世界じゃ有名な話だ。

「くそっ!」

 フクロウの鳴き声が響く中を走り抜けるのは、どこか浮世離れしたものがある。やはりここは、堂野木は異質な空間だ。

「異質でも、住み心地はいいんだよな……」

 そんな場に合わない事を考えながら地面を蹴り上げ汗を拭えば、微かに後ろから足音が聞こえてくるのを感じた。徐々に近づくその音に、俺は顔をしかめる。

「思っていた以上に、速いな」

 ここで俺が捕まっては本末転倒だ、それだけは避けたい。どこからともなくやってくるやり場のない腹立たしさと共に舌打ちを一回して、深呼吸。ほら見ろ、いつも俺ばかりが損な役回りだ。

 こんな時、少年漫画や戦記の主人公ならどうするのだろうか。少なくとも、俺みたいに背中を向けて走ったりはしない。知っているさ、俺は平凡な人間でしかないのだから。

「会長に聞いたら嘘つけって言われそうだけどな……」


 眼鏡をかけたあいつなら、きっとこう言うのだろう――お前は〈克服〉できていないだけだ、なんて。


「あぁもう、わかってる!」

 他の誰でもない俺自身に言い聞かせれば、そのまま道の角を曲がる。くねくねと入り組む街を走り抜け、追いつかれないよう必死に走った。月の光に照らされて右の手首にぶら下げたブレスレットの石が俺の瞳みたいに色を変えるのが見え、それがどうしてだか俺自身を嘲笑っているかのように感じてしまう。笑えよ、笑うなら一思いに馬鹿にしてくれ。

 俺だって、好きで走っているのではない。最初は簡単な話だったのだ。

 いつも通り部室で大富豪をしていた俺達の元に転がり込んできたのは、こんな鬼ごっこなどではなく簡単などこにでもある落し物探し。サッカー部がボールをなくしたとかで舞い込んだ依頼は、俺の『探し物』が見つかればと思い引き受けたまではよかったものの。箱を開ければびっくり仰天、俺達の目の前に現れたのはボールではなく〈キャスト〉だったというわけだ。

 本当に俺は、運がない。

「イタ……!」

「やばっ……!」

 どうやら、考え事をしている時間はなかったようだ。相当近くで聞こえた男性特有の低い声に周りを見ると、突然首元に生温い何かがかかったように感じ――

「ミツケタゾ!」

「っ!」

 瞬間、俺のみぞおちめがけて重い拳が振り下ろされる。避けきれないと思い受け身を取ってもそれはあまりにも重くて、為す術なく飛ばされ古ぼけた住宅の塀に打ち付けられた。

 スーパーマンでなければヒーローでもない。人並みの身体しか持っていない俺にはあまりにも強烈で、骨と肉が軋むのを自分の耳で感じる。

「痛っ……この馬鹿力が、調子乗んなよ……!」

 強い相手に勝てるなんて思う俺のが調子に乗っている、なんて口が裂けても言わないけどな。

 対して目の前にいるそいつは俺が立ち上がるのを見ると、楽しそうに口元を歪め首をゴキゴキと鳴らしていた。

 身長は俺の二倍くらい高く、肩幅だって驚くほど広い。そんないかにもな容姿をしたそいつは、一歩一歩確実にこちらへ近づきながらさっきのように拳に力を込めていて。

「コロス、コロス……!」

「どうしてこうも野蛮な奴が多いのかね……っと!」

 流れるように頭を下げれば、元いた位置の塀には大きな穴が一つ。危機一髪とはまさにこの事だ。

「あっぶね」

「コロス!」

「ちょ、キリがない!」

 どれだけ避けても振り下ろされる拳を必死でかわし、眉間にしわを寄せる。

 このままでは確実に殺されると、俺の中のオレが叫ぶ。うるさい、黙れ、そんなの言われなくてもわかっている。

「あぁ、もう!」

 すぅっと深呼吸をして、肺に息を溜める。キリがないなら、終わらせてやるよ。


『灰でも――かぶってろ!』


 紡いだ言葉は男に向かって弾け飛び、身体に絡みつくかのように溶け込み縛り付ける。その代わりと言わんばかりに俺の目の前にあったのは男の拳で、かなりギリギリなのが見てわかった。

「セーフ……」

 男が動けなくなったのを確認し冷や汗を拭いながらも立ち上がれば、今日何度目かわからない溜息を一つ。早く離れないと、すぐに動き出してしまう。

「本当に、人使いが荒い」

「人使いが荒いとは心外だな――灰村」

 どこからともなく響く澄んだ声には動じない、むしろやり場のない怒りが湧き出るくらいだ。

「あのさ……俺が死んだらどうするんだよ、会長」

「シンデレラは、これくらいじゃ死なないだろ?」

「その名前で呼ぶのはやめてくれ」

 顔をしかめながら睨んだ先には、不敵に笑う眼鏡の男と濡れた黒髪が良く似合う俺よりも少し大人びた少女。それから、一歩後ろにいる制服に紺色のマフラーを巻いた男だ。三人は俺と目が合うなり、まるでどこぞの貴族のようにゆったりとこちらへ歩いていた。

「お疲れなるるんー!」

「うわ、汗だく」

「早くしないと、時間になるぞ」

「わかってる……よっと」

 退くと同時に男は身体を軋ませ、ゆっくりとこちらを向く。ほら、やっぱり十二秒は無理があるよ。

 元と言えば、この眼鏡がいけないのだ。

 凶暴な〈キャスト〉だからこそ興味があるなんて酔狂な事を言って、その言葉がなければ俺は今頃布団の中だ。

「コロス、コロス!」

「……なぁ会長、こいつ殺意が増してないか?」

「当たり前だ、こいつの童話は虐殺ごっこだからな」

「ハードな〈キャスト〉だな、先に言え!」

 そんな童話の中でもトップクラスに殺意が高い話なんて、時間を止めるだけの俺が相手をするには無理がある。いや、無理しかない。

「これだから灰村は……まぁ予想範囲内だがな。行けるか、月乃」

「もちろん! 月乃の月はかぐや姫の月だよ!」

「おい待て、やっぱり俺は囮か」

 俺の声は知らぬ顔で二人は話を進め、彼女は一人男の前に仁王立ちをする。本当なら、ここで男がかっこよく守る場面だろう。

「なるるん、かっこつけようとか考えてないよね」

「そこまで命知らずではない」

 そう、彼女がやるなら俺は用済み。一歩下がって見せれば、彼女は楽しそうに微笑んでいた。

「かっくん、バックアップよろしくね!」

「はいよ、無理するなよ――『我が主人は鬼城と共に!』」

 かっくんと呼ばれたマフラーのそいつが叫べば、俺達の周りに薄緑色の壁らしきものが現れる。見た目こそ薄いそれは触れば煉瓦のように頑丈で、さながら城壁だ。

「コロ、コロス、コロス!」

 一方男はと言うと、こちらにいる俺達四人の姿を見つけるとすぐに鬼の形相でこちらへと近づいてくる。

「そうそう、おいで……この月乃さまがたくさん魅了してあげるから!」

 そこから先は、一瞬だ。 

 男が彼女めがけて拳を振り下ろすと同時に、彼女は地面に両手をつけとびっきりの笑顔を男に向けた。力を込めているのは目に見えてわかり、横で見ていた俺達三人は起きるであろう衝撃に備え両手で耳を塞いだ。


『私は月に、還らない!』


 強く、勇ましい叫びだった。

 勇ましすぎて眩しいそれは、あまりにも厳しいものだ。瞬いた突然の光は男を包み、到底生身の人間が耐えられないであろう熱さになる。壁のおかげで熱こそ届かないが、眩しさとその声量に耳と目がイカれてしまいそうだ。

「ちょ、月乃抑えろ!」

「聞こえない!」

「聞こえてるだろ馬鹿」

 どう考えても聞こえているであろう会話であるそれに顔をしかめていると、彼女はちらりとこちらへ視線を送りいたずらにウインクをしてきた。それで許されるとでも思っているのだろうか、いや許すけど。先輩には甘くなってしまう、後輩の悪いところだ。

「アガァ……!」

 そんな中で男が熱さに耐えられず断末魔のような叫び声を発し、力なく倒れるのがこちらからでもよく見えた。

 向こうが全面的に悪いのは事実だが、これにはさすがに同情するものがある。俺だってまともに浴びたら、悲鳴の一つや二つ叫ぶだろう。

「おーわり!」

「いや、やりすぎだろ」

 明るく言ってもやりすぎはやりすぎだ。

 呆れながら首を横に振り男を見れば、俺はしかしまぁ、と言葉を続けた。

「まさか落し物探しをしていて〈キャスト〉に会うとはな」

「そうだな、最近通りがかりに謎の怪力男に襲われる事件が多かったようだが、無関係だろうな」

「……会長」

 返ってきた俺が知らない詳細情報に、思わず眉をひそめる。そんな襲われる事件なんて、少なくとも俺は初耳だ。

 さてはこいつ、計算済みだったか?

「どうした、灰村」

「……ナンデモナイ」

 口は災いの元、言葉は不幸の元。

 静かに否定の言葉を紡げば、俺は今日も自分を呪い空を仰ぐ。

「うわ……もう暗いな」

「先輩も暗いですねー、主に心が!」

「ぽっと出てきて写真を撮るな」

 いつからかいたのかわからない赤いポンチョを身にまとった後輩は、俺の事をカメラに収めながら無邪気に笑っていた。

 何を考えているのかわからない眼鏡に、ネジの外れた黒髪少女。良心ではあるが癖のあるマフラー野郎に奇天烈赤づくめ後輩なんて、どこの三流童話だ。

「さて……このまま中断した大富豪の続きでもやるか」

「やったー、月乃頑張るよ!」

「あと一回な……」

「次は私も混ぜてください!」

「待て待て待て、これは警察を呼んで帰る流れだろ」

 明らかにこのまま学校へ戻ろうとする四人を引き止めるも、誰も彼も俺には振り向かない。そうだ、そうだったよ。こいつらに常識は通じないのだから。

「いやけど、こんな大男が伸びてたら街中パニックに」

「灰村」

「な、なに」

 声音が低くなったのを感じ恐る恐る顔を見れば、眼鏡の彼は馬鹿にするかのような笑みを浮かべながら口元を緩めていた。いや、これは馬鹿にしている顔だ。

「お前達〈キャスト〉に普通の警察が意味しないのは……わかりきっているだろ?」

「……はは、ぐうの音も出ないな」

 それ以上言う事はないと言わんばかりに俺から背を向けるそいつへ、心の中で中指を立てる。本当に、本当に本当にいけ好かない奴。

 けど、我慢だ。我慢して『探し物』を見つければいい話なのだ。

「我慢だ……〈アクター〉が見つかれば、それで終わりなんだ……」


 読み手の世界は、俺達〈キャスト〉にとって今日も息苦しい。

 息苦しくて、生き苦しいのだ。


 ***


 昔々あるところに、童話の住民〈キャスト〉がいた。

 それぞれ紡がれる世界の中で生きる彼らは、どんな終結を迎えようとその後に行く場所が決められていた。

 読み手という名の人間達が生きる、シナリオの存在しない世界に。

 筋書き通りに進まない読み手達の中

で、〈キャスト〉は静かに日常に溶け込む。拭いきれない、童話の中での記憶と〈トラウマ〉と呼ばれる異能を抱えて。


 そんな世界で、シンデレラと呼ばれる少年が一人。

 自分自身が宿すシンデレラとしての〈トラウマ〉の、本当の姿を知るために。彼は今日も、世界に問いかける。


 読み手の気持ちに触れるために。少年少女は今日も〈トラウマ〉と向き合う。

 童話の〈トラウマ〉は〈克服〉する事で己を理解し、本質を見る。

 その行く末はハッピーエンドか、それとも――

 

 

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