クリスマス・ソーメン・ナイト
八百十三
クリスマス・ソーメン・ナイト
「……ウッソだろおい」
12月24日、日曜日、夜6時。シンク下の食糧庫を覗き込んだ俺は、思わずそう言葉を漏らした。
ガランとした食糧庫の中身、そうめんの乾麺が一袋。以上。
俺はその場でうずくまって頭を抱えた。
米はない、レトルトパックのご飯もパンもパスタもない、頼れる実家も安い牛丼屋も近所にない。あるのはそうめんのみ。
いくら金策にすら苦心する苦学生だからと言ったって、何が悲しくてクリスマス・イブの夜にそうめんなんぞ食わなくてはならないんだ。
そっと食糧庫の扉を閉じ、エアコンもない六畳一間の和室の畳に、ごろりと寝転がる。古い吊り下げ式の蛍光灯をぼんやり眺めながら、俺はぽつりと呟いた。
「腹減ったなー……」
俺は
駅前のコンビニで、平日は夜中に、日曜は朝から昼にかけてバイトをしている。彼女は無し(先月別れた)。
好きな食べ物、卵。嫌いな食べ物、明太子。
そんな、何処にでもいるような、究極的にフツメンな男が、今こうして飢えている俺だ。
しかし本当に真剣にどうしよう、今日の夕飯。
こんな冬の寒い日に冷たいそうめんなんて食べたくないし、温かいそうめんというのもなんだか収まりが悪い。
冷蔵庫を見たら卵の買い置きはあったが、卵とそうめんでどんな料理が作れるのか、全く思いつかない。
レシピサイトを見たところで、俺の家には包丁とまな板、フライパンと鍋がそれぞれ一つずつ。コンロだって一口の電気コンロしかない。
駅前にはスーパーやコンビニ、ファーストフード店やファミレスがあるとはいえ、ぶっちゃけ外は寒いからあんまり出歩きたくないし、そもそもバイトの給料日前で手元に金がない。
蓄えはない、とまでは言わないが、家賃とネットのプロバイダ料、スマホの料金が払えなくなるのは避けたいので、なるべくなら手を付けたくない。
詰んだ。
正確には、家の中でどうにかこうにか、という条件内において、詰んだ。
「あー、もー」
俺は畳の上に放り投げてあったスマホを手に取った。おもむろに青い鳥アイコンのSNSを立ち上げる。
こうなったらネット上から知恵を借りるしかない。のそりと起き上がってほぼ空っぽの食糧庫の写真をパシャリ。それを投稿に添付して、こう綴った。
『クリスマス・イブの夜、俺の家にはそうめんと卵しかない。金もない。彼女もいない。絶望なう』
ぽちりと送信。すぐさま俺の惨状がインターネットに放流される。
侘しさ100%の写真は人の目に留まりやすいのだろう、次々と俺宛てにリプライが飛ばされてくる。リツイートやいいねも結構な頻度で飛んできた。
俺の身の回りの友人たちや、顔も見たことは無いが親しい人たちや、そもそも親しくも何ともない外野が、口々に言うことには。
『ドンマイ!(泣』『オワタwwwwワロスwwww』『強く生きろ(肩ぽむ)』『働け』等々。
まぁ、どれもこれも毒にも薬にもなりやしない。SNSってなんだかんだ言ってそういうもんだが。
それなりに交流のあるフォロワーからの『ほれ(鶏の丸焼きの写真付き)』というリプライには、ちょっとだけイラっとした。ちょっとだけ。
そうこうする間にもどんどん拡散されていく俺の投稿。
くそっ、どいつもこいつも無責任に俺の惨状を広めていきやがって。空腹に耐える俺の身にもなってみろっていうんだ。
憤懣やるかたないといった面持ちでスマホの画面をオフにしようとしたその時、フォロワーの一人から飛んできたリプライに目が留まった。
『つ【そうめんオムレツ】
レシピ:
・そうめん一束を半分に折って硬めに茹でる
・油を引いたフライパンで炒める
・卵二個を溶いて流し入れて塩胡椒
・軽くかき混ぜて両面焼く
・包丁で切る
・完成!』
驚いた。
ちょっと愚痴るつもりだった投稿に、建設的なレシピが届いた。しかもだいぶ簡単と来ている。これなら料理が苦手な俺にも作れそうだ。
返信の投稿者を確認すると、そこまで親しいわけでもないが相互フォローになっているフォロワーだ。
普段からよく自炊した(とはとても思えないクオリティの)料理の写真や、めっちゃ美味しそうな外食の写真をアップしている人だ。
この人が出来るというなら、多分本当に出来るんだろう。やってみる価値はある。
「よし、やってみるか、そうめんオムレツ」
俺はぐいと、寝そべっていた体を起こした。
まずは鍋に水を入れる。我が家の電気コンロは貧弱なので、沸騰するまでに時間がかかるが、沸騰してしまえばこちらのものだ。
水面まで気泡がぶくぶくと昇ってきたところで、半分に折ったそうめんを投入する。硬めにとのことなので、袋に書かれた茹で時間より1分くらい短ければいいだろう。
菜箸でそうめんをかき混ぜながら待つことしばし。綺麗に茹で上がったそうめんを一気にざるにあけた。
普段ならここで水に晒してしまうのだが、今日はしない。ぐっとこらえた。
茹でるのに使った鍋はシンクの中、そうめんを入れたざるの下に置いて、フライパンを取り出し電気コンロの上へ。
薄くサラダ油を垂らし、加熱しながら広げていく。その間に冷蔵庫の中から卵を取り出し、二つ取り出して茶碗に割り入れた。
ある程度広がったところでざるからそうめんを投入。水が跳ねてぱちぱちと音を立てる。なんだか気分も上がってきた。
そうめんに程よく油が絡んだあたりで、茶碗の卵を溶いて一気にフライパンに回し入れる。そうめんの白に、卵の黄色が覆いかぶさってフライパンが明るさを増した。
おっと忘れてはいけない、塩胡椒。100円均一で買った小さなミル入りの塩胡椒を、がりがりと回して卵に味付け。ほどほどに卵の表面に黒胡椒の黒がかかったところで、さっと卵とそうめんを混ぜ合わせた。
後は焼けるまで待つのみ。普通のオムレツを作る用のフライ返しが家にあって助かった。程よく表面が焼けたところでひっくり返し、もう片面を焼く。
そして焼き上がったオムレツをまな板の上に移動させて、包丁を入れる。一人だからまぁ、6等分でいいかな。
皿に盛りつけて、フォーク……は無いから箸を添えて。
「よっしゃー、完成!」
今日のディナー、そうめんオムレツの完成だ。
とてもクリスマスらしい食事ではない。それは俺にも分かる。痛いほど分かる。俺だってローストチキンとか食いたいし。
だが今の俺にはこれが精一杯だ。
時計を見るともう7時前、既にお腹はぺこぺこだ。
6等分に切り分けたオムレツの一切れを箸でつまみ上げて、ふと。
「あっそうだ、写真写真」
畳の上に放ったままのスマホを手に取った。出来上がったオムレツをカメラのフレームに収めて、パシャリ。
後はオムレツを食するのみだ。オムレツは熱いうちが一番美味しい。冷めてしまう前に、もう一度箸でオムレツをつまむ。
普段に作るオムレツよりも平べったく、サイズの大きなそれを、ゆっくりと口に運び、一口分を噛み切り、咀嚼する。二度三度。
無言のまま噛んで噛んで、ごくっと飲み込んだ。そして一言。
「うんめぇぇぇーーーっ」
美味い。めっちゃ美味い。茹でたそうめんと卵を混ぜ合わせて塩胡椒して焼いただけのものだというのに、殊更に美味い。
淡白なそうめんに濃厚な卵と程よい塩味、パンチの効いた黒胡椒が見事にマッチして、料理として成立している。
続けざまに箸でつまんだままのオムレツの残りを口に含む。雑に咀嚼して飲み込むと、やはり美味い。
あまりの美味しさに箸は止まることを知らず、気付けばものの5分で、オムレツは全て俺の胃の中へ。後には空っぽの皿だけが残された。
最初は量が少ないかなと思ったのだが、食べてみると意外と腹が膨れる。そして体もほんのり暖かい。
折角のクリスマス・イブ、コンビニにケーキでも買いに行こうか。今なら外出も苦ではない。そう思って立ち上がり、スマホを手に取ったところで。
「おっと、忘れるところだった。お礼言わなきゃな」
俺はその場でスマホの画面をオンにした。青い鳥のSNSを立ち上げる。
あの後も何通もの返信が俺宛てに届いていたし、リツイートといいねはどちらも三桁に達していた。ちょっとした有名人気分だが、今はその辺はどうでもいい。
俺自身の投稿からレシピを送ってくれたフォロワーの発言を探し出して、「返信」ボタンを押す。
先程撮影した写真を添付して、お返しの文章を書き込んだ。
『@○○さん レシピまでありがとうございます!作ってみたらめちゃ簡単で、しかもめちゃウマでした!!助かりました!!』
「送信……と。さーてコンビニ行くかー」
お礼の投稿を送信した俺は、外出用のジャケットを羽織った。外は既に真っ暗で寒いことだろう。マフラーや手袋も必要だろうか。
そんなことを考えつつ家のドアに手をかける俺、だったが。
ふとポケットをまさぐり、スマホを再び取り出す。起動させたままのSNSアプリ、ちょちょっと操作し、電源をオフしてポケットへ。
そうして俺は部屋の電気を消して、白い息を吐きながら駅前のコンビニに向かうのだった。
同時刻、某青い鳥のSNS。
一件の投稿がタイムライン上に投稿された。
円形のオムレツの乗った皿と、一膳の箸。そんなシンプルな写真が添付されたごくごく短い投稿。
人の目に触れたり、触れなかったりしてタイムラインを流れていったその投稿には、一言こう書かれていた。
『メリークリスマス!!』
クリスマス・ソーメン・ナイト 八百十三 @HarutoK
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます