髑髏の塔 第3話
ガタッと稲妻が閃いて、黒雲が不気味に動くのを見せた。冷たい風が遠くから流れて来て、彼方で雷の咆哮が微かに聞こえてきた。それが次第に足を速めると、近くへ這い寄る気色をうかがわせた。いよいよ大地と天とが震えるほどのどよめきが、こちらへ迫って来た。――俄に辺りが騒がしくなった。骸骨は勢いよく骨の体を揺さぶって、原始的な民族楽器に似た骨と骨とを叩く、カチャカチャと言う音を作って、おどろおどろしい旋律を奏で始めた。建設現場の骸骨たちが一斉に体を鳴らすと、たちまち嵐が樹木の枝葉を滅茶苦茶にむしり取って行くほどの強烈なざわめきが起こった。それが暗闇の向こうの何者かを威嚇するようだった。
雷鳴はますます激しさを増して、刹那に真昼のように明るい街の景色を映し出すなり、たちまち雷の柱が天から地上を貫くほど四方八方が震え上がった。すぐにその景色は闇に追い立てられる格好で、深夜の暗幕に覆い隠された。それが大地の鼓動の如く繰り返される間に、忽然と巨大な黒い影が隣接する高層ビルの陰から出現した。あまりの大きさに、そのビルがまるで人家の生け垣くらいに見える。窮屈そうに背中を丸めて佇んでいたのが、大きな一つ目をぎょろりとさせた。頭には尖った一角のような物が見えた。が、それもまた岩山の頂くらいはあった。熱鉄に似た真っ赤な肌に、口が耳まで醜く裂け、不自然に突出した二本の牙が怒りを露わにしていた。人が睨まれたなら、その恐ろしさに一瞬で心臓が凍り付いて絶命してしまうだろう。頑強な肉体は、破壊と憎悪を象徴しているかのようだった。鬼だ! それも恐ろしい赤鬼だ! 途轍もなく巨大な奴が、高層ビルの谷間に姿を現したのだ。しかし、その大鬼はときどき眼球を回して周囲を確かめるだけで、巨体は岩のように動かなかった。
尚一層、建設現場は緊迫した空気が濃くなって、骸骨たちは同じ場所を行ったり来たり、大鬼の脅威に慌てふためき、大混乱を起こしていた。それがときどきビリビリと感電して飛び跳ねたり、ねじ回しに似てくるくると回転したりして不可解な行動を見せるうちに、いつの間にかその滑稽な姿を隠していた。建物の内部にも外の作業場にも、骸骨は完全に居なくなっていた。ただ暗澹とした闇の中に、何か得体の知れない塊が不気味な蠢きを見せ、それが虚像なのか、実像なのかはっきりしなかった。その間も、どこかで轟々と重機のエンジン音が低く唸っていた。が、それも雷神の恐ろしい怒号の前では、全くそよ風の囁きに等しかった。
すると、今度は建設中の高層ビルの足元から、これもまた恐ろしく巨大なものがドロドロと這い上がって来た。それは大鬼に匹敵するほどの大髑髏だった。苦悶にも満ちたその表情が、何千もの人の悲鳴のように映り、ぎしぎしに生えたむき出しの乱杭歯が、口内にあふれた無数の血まみれの人体をかみ殺し、歯牙と顎骨は返り血を浴びて焼き鉄くらいに赤々と濡れていた。今にもその肢体が引き千切られそうで惨たらしかった。その禍々しい顔は、無数の髑髏の集合体で、この世のあらゆる怨念を全身から放っていた。少しでもそれへ触れれば、たちまち恐ろしい憎悪に巻き込まれて、恨みの肥やしにされてしまうだろう。
大髑髏は奥歯をカチカチ鳴らして、不敵に笑った。すぐに大鬼を認めて、勢いよく飛び跳ねたのが、上手くいかない。鎖で繋がれ引っ張られるように、そのビルの側から少しも離れることができないのだ。何度も大鬼に食らい付こうと試みるのだが、そのたびに巨体が強烈な衝撃を受けて引き戻された。大髑髏は、カッと大きく口を開き、大鬼を威嚇した。その時、吐き出した息は毒々しい濃緑色で、全ての物を腐食させるほどの猛毒なガスだった。それが霧が立ち込める格好で、見る見る近隣の建物をのみ込んでいった。巻き込まれたビルは、その窓と言う窓から絶叫が響いて、たくさんの逃げ惑う人々の影であふれていた。が、それも一瞬でたちまち毒霧の中に紛れて見えなくなってしまった。
また、ぶはっと不敵な音を立てて、強烈な毒を大鬼に向けて吐き出した。ぶはっ、ぶはっ、ぶはっ! 勢いよく噴出されると、毒霧の塊がもやもやと蠢いて、その中に死に神の恐ろしい顔が浮かんで見えるのだ。そうして、手当たり次第に辺りの生命を奪っていった。いよいよ大髑髏の毒は、大鬼に襲い掛かろうとした。
その時、鬼が動いた。肩に担いだ大棍棒を振りかざした。ガタッと稲妻が閃いて、凄まじい怒号と共に大髑髏の後頭部が砕け陥没した。大髑髏は口を大きく開けて、断末魔の叫びを上げた。それは無数の亡者の悲鳴の如くビルの谷間に木霊した。まだ轟音が収まらないうちに、巨大な髑髏は絶命して崩れ落ち、再び冷たい地面の底へ、ドロドロと土煙を立てながら沈んで行った。
既に雷は過ぎ去って、どこか遠方でその微かな轟きが聞こえて来るばかりだった。やがて空が白んでくると、大鬼は高層ビルの陰に身を潜める格好で、いつの間にかその巨体を消していた。建設中の高層ビルは、何事も無かったかのように眩い日の光を浴びていた。町中どこもかしこも、全て輝いて見えた。
「お早うございます」
「はい、お早う。気を付けて行ってらっしゃい」
早朝の繁華街の交差点では、明るい声が飛び交った。誘導員のおじさんが、黄色い小旗を横断歩道の前に伸ばすと、大きなランドセルを背にした小学生が、きちんと一列に並んで集団登校をして行った。通勤ラッシュの車が、慌ただしい街の道路を押し合うように走ると、商店のシャッターがガラガラと音を立てて上がり、開店前の準備に大忙しな店主の姿も見えてきた。町全体が目を覚まし、活発に動きだすようだった。
道路工事現場の前には、交通警備員が指示棒を軽快に振って立っていた。そこへ砂利を満載した大型ダンプカーが近づくと、合図を送って停止させ、向こうの対向車線で待っていた車を次々に通した。それが終わると、警備員はダンプカーの運転手と軽く挨拶を交わし、進むように促した。大きな車体がゆっくりと道幅の狭い道路をすり抜けて行った。やがてダンプカーは街中を巡って、ビル建設現場にたどり着いた。橙色のウィンカーを点滅させ、向きを変えた。ピ、ピー、ピ、ピーと警告音を響かせ、大きなエンジン音と共に作業場へ入って来た。その荷台に積んだ砂利を下ろすときには、作業員が警笛を鳴らして安全確認を行った。
建設現場には、安全第一と記された白のヘルメットを被った数人の作業員が、真剣な面持ちで頭を集めていた。ときどきビルの上階を見上げ、その中の一人が設計図面のような物を広げて言った。
「落雷に遭ったのでしょう。大丈夫だったでしょうか?」
「じゃあ、先ずは事故が起こらないように、よく点検をやって下さい」
「分かりました」
午後までには、すっかりいつも通りの作業に戻っていた。その日は随分と暑かった。熱風と砂埃に曝され、汗だくになりながら作業員たちは懸命に働いた。昼休みになると、みんな日陰の風通しが良い所を選んで、そこにしゃがんで弁当を広げた。
「後藤さん、いつもの缶コーヒー無かったそうです。これとこっちどっちにします? こっちでいいですか? ――何ですか。それ手作り弁当ですか。へー、美味そうですね。そんなの作ってくれる人が居るんですか。はー、羨ましい。――オレはコンビニの弁当です」
若い作業員が、ニヤニヤして言った。
髑髏の塔 つばきとよたろう @tubaki10
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