『無題』
私は怒っている。
あの、ひとりのファンに。
こんなライブは二度としたくない。
あなたはもう、ここにはいない。
* * *
物心ついた私を最初に魅了したのは、テレビの向こうで眩しく輝くアイドルたちだった。
けれど、その道に進んで思い知った。私と同じく魅了された、私と違って「魅力的な」女の子たちがたくさんいることに。
歌を覚えるのが遅かった。ダンスはいつも足がもつれた。望みもしないのに背だけはよく伸びて、六年生になる頃には、もうふりふりの衣装は着られなかった。だんだん声も低くなって、可愛い歌がしんどくなった。それでも必死で往生際悪くしがみついて、どうにか卒業して、ひとりになって、ようやく見えた。
町で一番小さなハコすら埋められない、自分の実力。それが現実。分かっていた。それでも、その目で直に見るのは辛かった。ステージに立ちながら考える。同じ歌を聴くなら、あの子の方が上手だよ。このダンスは、あっちの子ならもっと軽やかだよ。お客さん、どうして私のところになんて来たの。来てくれたのに、こんな私でごめんなさい。本当に、本当にごめんなさい。そう思うと、勝手に涙が床を濡らした。そんなことをするから、せっかく来てくれた少ないお客さんたちも、みんな途中でいなくなってしまった。
ただ一人残っていたおじさんのために開いた握手会。でも、そのおじさんは握手をしてくれなかった。「ひどいもんだ」と言われた。何も言い返せなかった。
* * *
次のライブ。これが最後のライブ。そう決めた。お客さんは、前よりもっと少なかった。私が決めていなくても、これが最後のライブだった。
だから、誰に遠慮するでもなく、思い切り、自分のやりたいようにやった。あの子たちみたいに上手にできなくても、今までの私よりはずっと良かった。そう思えたから、これでおしまいにできる。
最後の握手会。三人残ってくれた。前より人数が増えた。私にしては、よくやった方だと思った。これですっきり終われると思った。けど、最後に並んでいたのは、あのおじさんだった。「前よりはマシだな。まだまだひどいもんだが」そんなことわかってる。わかっているから、人に言われると余計に腹が立つ。「私、今日でアイドル辞めます」言ってやった。けれど。「辞める奴が、なんでマシになるように練習したんだ」そう言って、私の手を掴んだ。乱暴な握手だった。乱暴な握手を、してくれた。
やってやる。髪をばっさりと切った。ふりふりのドレスはクローゼットの奥に仕舞った。私が憧れたアイドルになれないのなら、憧れたアイドルだって私にはなれない。可愛い歌が歌えない代わりに、私にしか歌えない歌がある。人より背が高いのなら、きっと人より遠くまで私を届けられる。やりたいことは、私の欲望。やれることは、ファンのために。
なんでもない路上から、何も持たない新しい私が始まった。何も持たない、そう思っていた。でも、違った。誰も立ち止まらない道端で歌う私を、最後まで一番前の特等席で見てくれた。「そっちのが、お前に向いてるよ」初めて褒めてくれたおじさんの言葉を、私は布団の中で、眠りに落ちるまで何度も何度も頭の中で繰り返した。そのぶっきらぼうな言葉が、私の一番欲しかった言葉だった。
同じ駅前で、毎日歌い続けた。おじさんが、毎日来てくれたから。毎日、新しい歌を歌った。おじさんに、昨日とは違う私を見せたかったから。おじさんと私は、戦っていた。いつか、心の底からすごいと言わせてやりたかった。けれど、いつしか私を見てくれるのはおじさんだけではなくなっていた。いつも同じ時間に帰ってくるスーツのお兄さん。買い物帰りに必ず一曲だけ聴いてくれるお婆さん。一度来てくれた数日後、お友達を連れてまた来てくれた女の子。ひとり、またひとりと、足を止めてくれる人が増えていった。私もおじさんだけでなく、みんなを見るようになった。「良かったよ」「ありがとう」「応援してるね」その声がひとつ増えるたびに、私は一歩ずつ先へ進めた。ある日、歌い終えると見覚えのある男性に声をかけられた。「もう一度、うちでやってみないか」最後のライブ会場の支配人だった。
* * *
幕の裏側でその時を待つ。向こう側から聞こえてくる声に勇気づけられて、私は踏み出した。もう一度、このステージで。あのとき涙を落とした床は、集まったたくさんの人たちに埋め尽くされて、もう見えなかった。ありがとう。私に居場所をくれたのはあなたたちだから。感謝の気持ちを込めて、一曲ずつ。
* * *
握手会。たくさんの、たくさんの人が並んでくれた。でも、私の気持ちは一対一。あなたにまた来てほしいから。その気持ちを教えてくれたのは、あのおじさんだった。満員になったフロアで、おじさんの姿が見えなかった。いつも最前にいてくれたおじさんの姿が見えなくて、正直、少し不安だった。だから、その「よう」の声を聴いた時は心の底から安心した。いつも通りの、握手会の最後のひとり。どうだ、こんなに見事なライブを成功させたぞ。そう言ってやりたいところだったけれど、ニコッと笑って「来てくれて、本当にありがとう」……本当はそう言うつもりだった。でも、握手をした瞬間に声を上げて泣いてしまった。おじさんは、私が泣き止むまで、その手をずっと優しく握っていてくれた。「やりゃあ、できるじゃないか」
それが、おじさんが来てくれた最後のライブだった。
* * *
それから三年間、私は走り続けた。そして今日、大きなツアーを終えて、やっと一息ついた。その時に、ふと思った。「おじさんは、今もどこかで見てくれているのかな」。あの頃のことを忘れないように、私はどんな大きな会場でも、ライブの後には必ず握手会をする。たとえ何千人並んでいても、必ず。今日だってそうだ。新しいファンがたくさん増えたけれど、昔からずっと変わらずにライブを見に来てくれる人達もいる。そんな中のひとりから、突然に聞かされた。随分前に、おじさんが亡くなっていたことを。
おじさんは、もともと大きな病気を抱えていたらしい。療養のために本格的に入院する前に、最後に昔馴染みのライブハウスで舞台を見たいと、あのお店にやってきた。ところが、そこで行われたのは最悪のライブ。私は、おじさんの人生最後の楽しみを奪ってしまったのだ。そのあまりに酷い内容におじさんは腹を立てて、こう思った。「こいつが一人前にならなきゃ、気分が悪いまま俺の人生が終わっちまう」。それから、おじさんは私の路上ライブを欠かさず見に来た。一度でもいい加減なパフォーマンスを見せやがったら、すぐに通うのをやめてやる、と言っていたそうだ。やっぱり、私とおじさんは戦っていたのだ。後から聞いた話だけれど、あそこに支配人を連れてきたのはおじさんだったのだそうだ。
おじさんが亡くなったのは、あのライブハウスで長い長い握手をしてから、ちょうど一週間後だったそうだ。結局、最後まで入院はしなかったらしい。お医者さんは、どうして入院もせずにこんなに長く生きられたのか分からないと、不思議がっていたという。
翌日、私はすぐに会場を抑えた。町で一番小さな、あのハコを。
お客さんは、ひとりだけ。今はここにいない、そのお客さんに向けた、最後のライブ。
私は怒っている。
あの、ひとりのファンに。
最初に私を見つけてくれた、あなたに。
こんなライブは二度としたくない。
いつまでも、いつまでも元気な姿を見せてほしかった。
あなたはもう、ここにはいない。
でも、私はあなたのことを、死んだって忘れてやらないから。
私を、アイドルにしてくれてありがとう。
-おしまい-
カツの話 権俵権助(ごんだわら ごんすけ) @GONDAWARA
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