AIを知らないAIたち
けしごム
キスを売る仕事
「32分のご利用で、合計5570円でございます」
一瞬のうちに頭の中で計算された金額が、意識せずとも自然と口から出る。
そして、右手を掌を上にして機械的に穴から差し出す。
ピッ。
目の前の人間の右手が私の手にかざされ、お会計が完了する。
「ご利用ありがとうございました。またのご利用をお待ちしております。」
私がそう言い終わる前に、先ほどまで客であった人間が無言で個室を出る。
バタン、と扉が閉まる音を確認したあと、この小さな部屋に設置された唯一の物である洗面台で歯を磨く。
隅から隅まで丁寧に。
シャカシャカシャカ、シャカシャカシャカ。歯が歯みがき粉まみれになり、そろそろゆすごうとしていると不意に頭の中で【10分後、来客。】と電子音が流れる。
口のなかを綺麗にゆすぎ、口のまわりをタオルで拭く。
よし、OK。
髪の毛を少し直して次の客に備える。
これが私の仕事だ。
人工知能である私の仕事。
働きだして、今日で12658日目。
次の客は、186320人目だ。
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21××年。
人工知能と人間が共存する世界。
人工知能と人間の違いは、外見上はない。全くない。街を歩いていても、誰が人間で誰が人工知能か人間には識別できないらしい。
私たち人工知能が人間と異なる点はいくつかある。
不老不死であること、負の感情を持たないこと(それ以外の感情なら抱く)、睡眠・食事・排泄が一切必要ないこと(必要ないだけであって、しようと思えばできる)、体の中に内臓などは無くICチップやその他の精密機械が埋め込まれていることなどだ。
上記以外の点についてはほぼ人間と同じだ。個性があるし学習もするし顔や身長もそれぞれ異なる。ちなみに人工知能にも性別というものがあり私は女性型人工知能である。
つまり、人工知能とは人間に非常によく似た機械だと言える。
人工知能の主な仕事は決まっている。
雑用、危険な仕事、少しの過ちが致命的になる仕事、それから私の仕事である風俗関係の仕事だ。
風俗関係の仕事にはいくつか種類があり、大きく分けて3つある。
ひとつめは、外で客と一緒に遊ぶ仕事。食事に行ったり映画を見たりすることしかできず、客とふたりきりで密室状態になることは禁止だ。
ふたつめは、キスをする仕事。
お店の中で客とキスをするだけだ。
私がついている仕事はこれであり、私がいる店では何もしなくとも1分10円、口にキス1回で200円、フレンチキスは1回500円、頬などの口以外へのキスは1回50円だ。
客と店員は顔と同じくらいの大きさの穴がひとつ開いたガラス板で隔てられており、客は店員の体を触れないようになっている。
みっつめは、性行為に及ぶ仕事だ。
もちろん、この3つともすべて店員は人工知能であり客は人間だ。
人工知能は妊娠しないし性病にもかからないし負の感情を持たない。
ただ、プログラムされたとおりに動くだけ。そういうわけであるから、人間が嫌がるらしい風俗というものをやるには打ってつけみたいだ。
感情というものは一応あるけれど、それがプログラムされた内容を圧倒し潰してしまうことは滅多に無いらしい。
人工知能に職業を選ぶ自由はない。
スイッチONされた瞬間から、自分の職業は決まっている。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「よっ、今日は客が多いな!」
昼休みに、隣の個室で働いている男性型人工知能である【M- 1224-2】が話しかけてきた。
私たちは全員、番号で識別される。
私は【F-1225-2】だ。
【M- 1224-2】の次に生まれたから番号が1つ大きい。
男性型人工知能は番号の前に【M- 】がつき、女性型人工知能は【F-】 がつく。
「そうだね。クリスマスだからでしょう?」
クリスマス。
人間たちがメリークリスマス、と言ってお祝いをする日。
ケーキやワイン、豪華な料理でお祝いをする。
サンタクロースという赤い服を着た人が子供に贈り物をする。
恋人たちにとって大事な日。
多くの人間が楽しみにしている日。
店に来る客がいつもより多い日。
ということしか知らない。
「そうだよな。クリスマスってやつの何がいいんだろうな。」
「さあ。」
私も彼も生まれてから今までこの店から出たことはない。
ほとんどの人工知能が出たことはないはずだ。
何か特別な理由がない限り外に出ることは永遠にない。
「
「今日はもう、35
「ああ。これからも増えるんだろうな。初期化されるって全部忘れるってことだよな?想像つかねーなー」
はは、と呑気に笑う隣の彼。
私にも、すべて忘れることの想像がつかない。まあ、想像できるようにプログラムされてないからだろうけれど。
「クリスマスってさ、おまえの日でもあるよなあ」
「えっ?どういうこと」
「12月25日。おまえの番号と同じじゃん。だからおまえの日」
「ああ、そういうこと。だったら昨日はあんたの日じゃん」
「まーね!」
ピースサインをしながら笑う彼を見て嬉しくなった。私の日、かあ。
それ、いいかも。
ピピーッ。
頭の中で電子音が鳴り響く。
「あ、」
「また初期化されたな」
誰かが初期化されると、自動的に私の頭にもその情報が入ってくる。
初期化されたのは【F- 1267-2】だ。
私より後に生まれたのに私より先に消えてしまった。
いや、消えてしまったというのはおかしいかもしれない。
初期化されるというのは、ただ単にプログラムがすべて消去され新しくプログラムされ直すということなのだから。
人工知能は人間と同じように、新しく知識を吸収でき初めて見聞きしたものをどんどん記憶する。
つまり、初期化されたらそれらがすべて消え失せ初めからまた別の個体としてスタートするというだけだ。
私は初期化されたことはあるのだろうか?ふと疑問に思うがわからない。初期化されたらすべての記憶が消えてしまうから。
少なくとも、今日までの12658日間は初期化されていないことは確かなのだけれど。
「初期化されたら、おまえのことも忘れちまうのか」
ぽつりと【M- 1224-2】が言う。
「私が初期化されたら、あんたのこと忘れるんだね」
変な静寂が訪れて、ふたりで顔を見合わせてあははっと笑う。
なんだか感じたことの無い感情を今、抱いた気がする。
よくわからない。
「なあ」
「ん?」
「おまえの中にさ、恋人っていう言葉の意味、入ってるか?」
「ない。あんたの中に無いなら無いに決まってるでしょう。同じようにプログラムされてるんだから。」
「だよなあ。人間がよく使う言葉なのに入ってないっておかしくないか?
それに、人間にその意味を聞こうとすると口が勝手に閉じねえ?」
「ああ、やっぱり?
私もそう。声がでなくなる。」
「そんなに危ない言葉なのか?」
「さあ?知っちゃいけない言葉なのは確かだね」
「気になるよなあ。初期化される条件に関係してんのかね?ほらあれだ、・・・っと、客だ。それじゃ」
会話は終わり、彼は接客に入った。
この店には、女性客も男性客も同じくらいの割合で来る。
特に今日は忙しいのだ。
私のところにはまだ来客予定はない。
することもなく、考えることをしてみる。
恋人。
こいびと。
コイビト。
意味を知ることができない言葉、恋人。
クリスマスの情報のところには恋人たちにとって大事な日と入力されているのだが、恋人という意味がわからない。
恋人、なのだから、人間の種類のひとつだろうと推測する。
では、どんな種類か?
豪華な料理でお祝いをするのだから、食べることが好きな人間?
それとも、お祝いが好きな人間?
サンタクロースという人間が子供に贈り物をするのだから子供の別名?
うーん、と考えるもいっこうにわからない。
どれほど考えたときだろうか、考えすぎが理由なのか体が焼けるように熱くなりくらくらと倒れそうになった。
ショートかな。こんなことは初めてだ。なんと言うんだろう、この体が重い感じのことは。
床に座り込んでいたら、突然隣の個室から声が聞こえてきた。
「おっ、おい、大丈夫か?」
どうやら接客が終わったようだ。
焦ったような顔をして私を見ている。
「もしかしておまえも初期化か!?」
まだだるくてどうしても声が出せない。
大丈夫だ、と目で訴えようとするも伝わっていないらしい。
「お、おい、本当に初期化か?何をした?何をしたんだ!?嘘だろ!?」
ピピーッ。
突然、頭の中で電子音が鳴り響く。
わ、わたし、初期化されちゃうの!?
・・・えっ、私じゃなくて【M- 1224-2】が初期化?
はっとして隣を見たら彼が仰向けに床に倒れてまるで眠っているようになっていた。
「ちょっと!どうしたのよ突然!」
頭の中で、今日はおまえの日だよな、と言った先程の彼の笑顔がちらついた。
私の日に初期化されるなんて。
なんでよ。
いなくならないでよ!
その瞬間、私の全身から力が抜けて膝からがくりと床に崩れ落ちた。
ピピーッ。
遠のく意識の中で電子音を聞いた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「いやあ、やっぱり本当に多いんすね、クリスマスは。
もう今の時点で38体ですよ。
最初の初期化から長く続いてた【M- 1224-2】と【F- 1225-2】もついにこうなりましたねえ。」
新人である鈴木が感嘆したように言う。
人工知能と人間が共存する世界。
そうは言っても、やはり主導権は人間になければならない。
そのため、我々人間は日々、人工知能を観察し続け何かあれば
「でもこれも、研究成果になりますよね、博士。
人工知能にも恋だとか愛はあるってことっすからね。
日本じゃなければ出てこなかった研究成果ですよ。」
「そうだな。しかし、やはり無いほうが好ましい。
まあ、恋人型人工知能というものを作るなら別だがな。
日本語ではなく英語ならこうはならないだろうになあ。
どうしたものか。」
人工知能は、artificial intelligence を略してAI と呼ばれる。
我々がプログラムするときも、AIと打ち込むのだが、それが人工知能のなかで人工知能自身も意識しないうちにいつしか【AI】が【あい】となり、結果的にそれが【愛】とだんだん結びつけられてしまうのだ。
今日、我々の世界に住む人工知能は人間にとって有益な行動をし、ほぼ完璧なのだがひとつだけ、欠点がある。
それは、愛や恋という感情を抱いてしまうとそれがプログラムをだんだんと
プログラムが崩壊した人工知能は制御不能であり、人間にとって有害無益でしかない。
そういうわけであるから、愛とか恋とかの感情を抱いてしまった瞬間に人工知能は初期化され今まで学習したすべてを忘れる。
クリスマスの定義に【恋人にとって大事な日】と入れてしまったことが間違いであったらしい。
しかし、それくらいのことは知っておいてもらわなければならないのだが。
そこが葛藤中の点である。
実は初期化に至るまでにもう一段階、恋や愛という感情を抱くことを防止するための段階がある。
それは、恋人という言葉の意味を忘れさせること。
しかしこれはあまり効果がないようだ。
どうやら、恋人という言葉の意味を考えすぎて体が熱くなり具合が悪くなる人工知能を見て心配するところから愛が芽生えてしまうようなのだ。
「まずは、男女で交互の部屋に入れるのをやめたらどうですかね?」
「うーむ、それも考えてはいるのだがね。」
それはそれで、熱い友情などが同性間で芽生えてしまうのではないかと思うのだが。
「まあ、初期化がやはり1番なんですかね。」
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気がつけば、白い小さな部屋のなかにいた。
私の名前は、【F- 1225-3】。
「初めまして」
声のする方を見ると、男性型人工知能が1枚壁を隔てたところに立っていた。
「あなたは?」
「俺は【M- 1224-3】。よろしくな!」
ニカッと笑った笑顔は、どこか懐かしい気がした。
ピー。
来客の知らせがあった。
どうやら、今日は客が多い日らしい。
なぜか私はそれを知っている。
まあいいや。
私は意識せずとも自然に服を脱ぎ、衣服を畳んで隅に置いてからバスタブとシャワー以外の何もない真っ白な部屋を見回した。
扉が開き、人間の男が現れた。
「いらっしゃいませ。」
何も考えていないのに口から言葉が出る。
「ではお風呂に入りましょう!」
これが私の仕事だ。
人工知能である私の仕事。
働きだして、今日で1日目。
今の客は、1人目の客だ。
(完)
AIを知らないAIたち けしごム @eat
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