宝石と嘘
陽月
宝石と嘘
「申し訳ございませんが、こちらはイミテーションでして」
「イミテーション?」
質屋の店主から告げられた聞き慣れない言葉に、
「平たく言いますと、偽物です」
「偽物ですか」
沙也香は、持ち込んだダイヤモンドの指輪に視線を落とした。どうしようという思いが、頭の中を占拠する。
「ですので、残念ですが、こちらでご融資することはできません」
店主の言葉で、目の前の現実に引き戻された。
「すみません。ありがとうございました」
指輪を受け取り、ハンドバッグに収めると、沙也香は質屋を後にした。
偽物を持ち込んで恥ずかしいなどという思いはなく、それよりも偽物だという現実をどうすべきかということが、問題だった。
すぐに家に帰ることはできず、目に入った公園のベンチに腰を下ろす。
改めて、指輪を取り出し、右手の指先で掴むと左右に軽くねじる。
「これが、偽物だったなんて」
思わず、呟いていた。続いて、大きく長い溜息をつく。
この指輪が、沙也香自身の物であったなら、残念ではあるが、諦めもついた。
けれども、今、沙也香の手にあるこれは、母の唯一の宝石だった。それも、父が母に贈ったものだ。
子どもの頃は、触るのも禁止されていた、母の宝物。特別な日だけ、母の左手で輝いていた指輪。
それを、孫のために、これでお金を都合しなさいと貸してくれたのに、偽物だった。
◇
「お母さん、その指輪キレイ。見せて」
いつのことだったか、沙也香がまだ幼かった頃、いつもは装飾品など身につけない母の手に輝く指輪を見つけて、母に見せてくれと
母は、その指から指輪を外すと、きれいでしょうと、沙也香の目の前で見せてくれた。
けれども、沙也香が自由に見ようと、指輪に手を伸ばせば、母は指輪を持った手を高く上げた。
「ダメよ。これは小さくても、すっごく高いんだから。落として、どこかに行ってしまったら、大変なの。だから、沙也香は見るだけで我慢してちょうだい」
母の真剣な顔に、沙也香はうなずいた。
改めて、母が指輪を沙也香の目の前で見せてくれる。
「1カラットのダイヤモンドよ」
1カラットというのが、どういうモノなのか、幼い沙也香にはわからなかったが、母の態度から、とても高い大切な物だということだけはわかった。
「お父さんがね、お母さんに結婚してくださいってプロポーズした時にくれたのよ。結婚指輪も無しで、お父さんがお母さんにプレゼントしてくれたのって、この指輪くらいなのよ」
何もプレゼントをくれない父への文句のようでもあった、その言葉を発した母の表情は、幸せそうだった。
普段は小さな沙也香が触れないように、ケースに入れられて、タンスの一番上の引き出しにしまわれていた。
中学生の頃、友達に見せようと勝手に持ち出したのがバレて、とても怒られた。
そんな、母の宝物の指輪だった。
◇
「決めた」
沙也香はそう声に出して、決意を確定させた。
指輪をきちんと仕舞って、母の待つ家へと歩を進める。
ただいまと、玄関の扉を閉めると、母が迎えに出てきた。開けっ放しの扉から、父がリビングでテレビを見ている様子がうかがえる。
「おかえり、どうだった?」
やはり、自分の宝物がどのように評価されたのかが気になるのだろう、母は開口一番にそう尋ねてきた。
「ごめんなさい、盗まれちゃって」
沙也香は深く頭を下げた。
「盗まれたって?」
「その、質屋のカウンターに出したときに、後ろからスッと取られちゃって。お母さんの大切な指輪を、
「そう」
短く言った母の声は、とても悲しそうだった。
「防犯カメラの映像を見せてもらったんだけど、犯人はお店に入るときから、私の夫みたいな感じでついてきてて、お店の人も夫婦だと思ってたみたいで」
「起きてしまったことは、仕方ないね。けど、もう戻ってこないんだね」
母に言われて、沙也香はようやくそのことに気がついた。偽物だったことを隠したい一心で、気付いていなかった。
質に入れたのなら、借りた金を返せば、指輪は戻ってくる。
けれども、盗まれてしまったのなら、戻ってくる可能性は低い。犯人が捕まっても、物が残っているとは限らない。
「防犯カメラにはバッチリ写っていたし、きっと犯人はすぐに捕まって戻ってくるよ」
本当は、今すぐにでも返すことができる。
「でも、それじゃあ、健太はどうするんだい?」
「大丈夫、どうにかする。あの子の親は私達なんだし」
沙也香に当てなど無かったが、はっきりとそう答えた。
◇
両親の家を後にし、自宅へ向かう沙也香を、呼び止める者がいた。
「沙也香、ちょっと待ちなさい」
沙也香が振り向いた先にいた父の手には、茶色い封筒が握られていた。
その封筒を沙也香に差し出し、慌てて追いかけてきたのだろう、息も切れ切れに父が言葉を紡ぐ。
「ここに30万あるから、健太に使ってあげなさい」
封筒を受け取り、中を確認すれば、きちんと数えてはいないが、確かに一万円札がたくさん入っている。
「ちょっと、お父さん、どうしたのこれ?」
「父さんのへそくりだ。それで、母さんに指輪を返してやってくれないか」
沙也香は驚いた。父に嘘がバレている。
「私に言われても、盗まれた物はどうしようも……」
とっさに、嘘を重ねた。
「誰があんな偽物を盗むものか」
「偽物だって知ってたの?」
父の言葉に、思わず尋ね返し、しまったと持っていた封筒で顔を隠す。
「誰が買ったと思ってるんだ。俺だぞ」
「母さんをだましてたの?」
つい、責める口調になった。偽物だとわかっていれば、どうしようかと悩む必要も無く、大切な指輪を盗まれたと母を悲しませる必要も無かった。
「うちが厳しいのは、お前だってわかっているだろ」
責められ、父も強い口調で返す。けれども、それがまずいことも気付いており、一呼吸入れて、ゆっくりと語り始めた。
「まあ、父さんの稼ぎが悪いのがいけないんだな。こんな時に、孫のためにと出してやれる貯金すらない。母さんにだって、苦労をかけたと思っている。だからそれは、定年の時には本物のプレゼントしようと貯めていた、父さんのへそくりだ」
「そんな、ずっと貯めてきたお金をいいの?」
こうなるまで、ずっと隠してきたお金なのにと。
「お前が健太の母親であることは事実だ。それと同じで、俺が健太の祖父であり、お前の父であることも事実だ。家族が困っているときなんだから、な。それに、返してくれるんだろう?」
「もちろん。それじゃあ、ありがたく使わせていただきます」
数日後、沙也香は無事に指輪が戻ってきたと母に連絡をし、改めて指輪でお金を借りてもよい許可を得た。
◇
3ヶ月後、沙也香は母の指輪と、父から借りた30万円を持って、再び両親の家を訪れた。
休日だったが、父は出かけており、家にいたのは母だけだった。
まずは、母に指輪を返す。
「ありがとうございました。おかげで、助かりました」
「どういたしまして。変に気を遣わせちゃったね」
指輪を受け取った母から、意外な言葉が返ってきた。
「えっ、助けてもらったのは私の方だよ」
「この指輪、偽物だったんでしょう。それを、本物だということにしてくれた」
そう言いながら、母は指輪をはめていた。
沙也香は、母が本当のことを知っていたのかと思うと、気が抜けた。
「なんだあ、知ってたの?」
「やっぱり、偽物だったのね」
どういうことなのかと訝しむ表情の沙也香に、母が解説をする。
「あなたが、指輪を盗まれたって帰った後、お父さんの様子がおかしかったのよ。それに、都合よく指輪が戻ってきたって連絡が来るし、それをお父さんに話したらソワソワしていたのがおさまるし。どういうことなのかなって、考えてみて、偽物だったのかなって。それで、ちょっとカマかけたの」
「それにしてもあの人、よくそんなお金があったもんね」
もはや母に嘘は通用しないと沙也香は判断し、正直に打ち明けた。
「これ、お父さんから借りた30万」
そう言って、お金の入った封筒を母に差し出したが、母は受け取りを拒否した。
「それは、沙也香がお父さんにこっそり返してあげて」
「いい、この指輪は本物。お母さんの大切なダイヤの指輪。ね」
母は頬笑んで、顔の隣に左手の甲をかざして、沙也香に見せる。
指輪が、美しく輝いていた。
宝石と嘘 陽月 @luceri
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