37–1 センソーは女の顔をしていない①
やった!
俺はついに撃った! ざまあみろだ!
火薬の匂いが鼻についた。業平は車が草原に到着してから、猟銃を携えたまま身を隠していた。いまが撃つときだった。自分に許可をくだした。自分の生活と人生をおびやかそうとしているやつを殺す。そうだ。猟銃を扱うための研修を受けたときも、銃をトーキョーで買ったときも、いつだって業平のなかにはある欲望があった。
人を撃ってみたい。
この小心者の男が抱える偏執的な願いがいま果たされた。
遠くから洋美たちを撃とうと構えていたが、やつらどいつもこいつも接近戦のフルコンタクトだ。撃ちにくい。畜生、と思っていたところで、向ってくるものがいた。セリだ。逃げたと思ったらのこのことやってきやがった。ちょうどいい。引き金をひくとき、顔から汗が噴き出した。落ち着け、俺。いまが、そのときなんだ。いましかない。こんなチャンス、ない。
肩のあたりを撃ち抜いた。業平は獲物に向かって走った。至近距離で、ずどん。これでおしまいだ。長年の夢を叶えたというのにあっけない。なるほど、こんなこと、たいしたことでもなかったのか。まもなく人間の命を、銃で奪うかと思うと、興奮した。勃起していた。
セリは仰向けになり、傷を負った肩を掴んでいた。その手にはべっとりと血がついている。頰にも血が数滴かかっていた。その姿を見下ろしながら、業平は、口中に唾が溜った。そして、猟銃を地面に置き、セリに覆いかぶさった。
セリはなにがおきたのかわからなかった。いきなり誰かが羽交い締めにされ、スウェットパンツをおろそうとしている。いやだ、いやだ、いやだ。強い力で押さえつけられた。セリは、あのときのことを思い出した。逃げたい、逃げたい。助けて。
「いいからおとなしくやらせろよ。身体売ってたくせに。どうせ死ぬんだから、いいだろ」
セリは、突然冷静になった。肩の痛みよりも、その言葉が、彼女を痛めつけた。そして、なにかに気づいた。
抵抗をいきなりやめたセリを、業平は訝しんだ。セリは業平を睨みつけていた。しかし、動かない。覚悟を決めたってわけか。その蔑みの目に、業平はより興奮した。さっさと済ませよう。中出ししてもオーケーだ。業平は自分の履いているパンツを下ろそうとベルトに手をかけた。こんなときに限って、慌てているせいか手こずった。ベルトを引き抜き、パンツを下ろしたそのとき、
「ふざけんなよ!」
声がした。振り向くと、日本刀を掲げた、ナズナがいた。逃げることができず、業平は思い切り肩を斬りつけられた。
「わたしは、お前たち男を、絶対にゆるさない」
「デブ、てめえ……」
業平は呻いた。
「許さない、わたしは、あんたたちを絶対に許さない……」
ナズナが業平を再び斬りつける。下ろしたズボンのせいで、業平は立ち上がることができず、のたうち回るだけだった。
「セリちゃん、大丈夫?」
ナズナがいった。
「うん……」
セリは、ナズナの表情があまりにも醒めていることに、怯えた。
「セリちゃんのかわりに、わたしがこいつを殺すから」
そういって、ナズナが業平に近づいていった。
ぱん、と音がした。そして、ナズナが仰向けに倒れた。
「ふざけんな……」
業平の声がした。伸ばした手には、銃があった。小銃をこの男は胸元に隠していたのだ。
「ニートのデブが、イキってんじゃねえよ」
ナズナに向かって業平は唾を吐く。そして、銃をセリに向けた。セリは、手元にあった猟銃を手にとった。そして、わからないまま、構えた。
「おろせそんなもん」
荒い息を吐きながら業平がいった。
「使い方わかんねえだろ、どうせ」
確かにそのとおりだ。引き金を引けば撃てるのだろうか。
「悪かったよ。もうしねえよ。俺は紳士じゃなかったよ。そこは謝る」
だから、さっさと殺してやるよ、といった瞬間、業平の頭になにかが当たり、銃は天に向けて撃たれた。誰かが業平に飛びかかり、何度もごつごつと硬いものを打ちつける音があたりに響いた。
ホトだった。
「あんた、なんでここに……」
ホトが立ちあがった。手に持っていた石を落とした。
「殺しちゃった……、もう僕、小説家になんてなれないよね……」
月明かりを背にして、顔がうまく見えない。でも、泣いているのがわかった。鼻をすする音。そして、嗚咽。セリを置いていけなかった。背中で叫び声を聞いた。自分のこだわりよりも、助けなくては、と思った。
「……大丈夫よ……見たのはわたしだけだから。誰にもいわないから。ホト、あんたは、なんにだってなれる。絶対に」
自分の言葉が、これまで人生で垂れ流してきた言葉のなかで、一番力強く、優しい響きとなっている、とセリは思った。
「あんたは、なりたいものになる資格がある」
誰だって、資格はある。いや、そんな資格など、必要ない。わたしたちは、なりたいように、なれる。道さえ踏み外さなければ。違う。踏み外したとて、きちんと、元にもどることができたなら。なんにだってなっていい。
セリもまた、涙を流していた。喉が渇いている。水分がもったいない。なのに、流れてしまう。ポケットのなかにある、切り抜きを思った。わたしは、あれがなくたって、生きていける。なりたいものに、なれる。
「うん……」
ホトは泥だらけの手で、鼻を擦った。
ぱん。
ホトが倒れた。業平はまだ生きていた。そして、ホトに向って弾を。
セリは叫んだ。そしてナズナの傍らにあった日本刀を手にして、業平を刺し続けた。何度も何度も、死んだというのに、刺し続けた。
「セリちゃん」
ホトの声でセリは正気に戻った。
「病院、医者……救急車……」
セリは取り乱し、ホトを揺すった。
「さむい、さむい……」
胸から流れる血は熱いのに、なんでこんなに寒いんだ?
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