37−2 センソーは女の顔をしていない②

「もういやだもういやだ、殺してくれよゴギョウくん……」

 吉宗は口のなかを切ったんだろう。血を漏らしながら哀願した。ゴギョウの顔に、ダラダラと吉宗の赤い唾液が垂れてくる。殺してくれよなどといいながら、跨り、殴っているのは吉宗のほうだった。

 ぼくはね、ブンガクをしたかったんだ、ブンガクとはすべてなんだよ、カガクでありケイザイであり、すべてが含まれているもっと美しいものなんだ。ミヤザワケンジだっていってたろう、ハルトシュラで。シはバンブツにつながるんだ、巨大なマンダラとなり僕らのこのくだらない、とるにたらないジンセイに光を与えてくれるんだ。一人のサッカが成し遂げるものではないんだ。いや、ジンルイすべてが考え、到達すべきエイチなんだ。それを人はブンガク、そしてキボウっていうんだ。

 ゴギョウには、その吉宗の訴えを聞いている余裕などなかった。殴られるたびに頭がとろける。なんとか抵抗しようしていた。このまま目を瞑ってしまったら、そのまま意識を失うのではないかと思った。だから、見続けた。ぼとぼとと、吉宗の汗や唾液、そして涙(!)を頰に受けながら。

 ああ、このままこの男に殺されるんだ、観念しそうになっていた。

「どうせ、ぼくらはブンガクなんてできないんだよ。ブンガクのほうが僕らを拒絶したんだ。どうせなにをやったところで、僕らの前に道なんてひらかれていないんだよ。うまいことやったやつだけが、できるものなんだ。そいつらはこずるくて、ニンゲンカンケーに長けていて、アイソワライがうまくて、ナカマにショーを与えあって、偉そうにしているんだよ。どうせぼくらにはそんなものないんだよ、ないんだよ」

 本当だろうか? それはただの、お前の主観じゃないのか。ブンガクとは。そんな、ただの僻みで捻じ曲げた、ただの。

 そのときゴギョウが思い出したのは、ホトの小説だった。小説に出てくる、ゴギというパーティーをまとめているリーダーがいる。そいつは、小心者で、だからこそ皆をまとめ、パーティーの安全を守っている。いいやつだ。あれは、俺をモデルに絶対してるよな。あいつにはそう見えたのか。それとも俺にああなって欲しかったんだろうか。もしあれが、俺をモデルにしてるなら、モデル料払ってもらわなくちゃなんないな。そう考えたら、ゴギョウの口元がゆるんだ。

「なに笑ってるんだい、ゴギョウくん」

 吉宗が止まった。奇妙な生き物でも見ているみたいな顔をしている。

「どうせどうせ、って、うるせえ」

 ゴギョウはいった。

 吉宗はさっきまでの泣き顔から一変した。目には冷たさしかない。

「きみはなにもわかっちゃいないんだ」

「ショーほしがってんなら、さっさとてめえがショーセツ書け」

「なにもわかっちゃいない、なにもわかっちゃいない」

 吉宗は思い切りゴギョウの顔面に拳を叩きつけた。ゴギョウは前歯が折れたのがわかった。そんなこと、もう関係ない。俺は、こいつを。右手に固い感触があった。ああ、これだ。俺がもしショーセツも、ブンガクも、手に入れることができなくても、あいつなら。

 握りしめ、そして、吉宗の腹に叩きつけた。衝撃に怯んだところで、アイフォンを握った右手を、何度も何度も吉宗に打ちつけた。死ね、などとは思わなかった。ただ、この男をなんとかしなくては、俺は、俺のブンガクを、目指せない。そう思った。吉宗が動かなくなった。まだ息はある。

「ころしてくれないの……」

 小さく声がした。

「あんたは、その、ひねた、いじけたブンガクを這いつくばってし続けてろ」

 ホト、ホト、と声がした。ゴギョウは声のほうに向かっていく。

 吉宗は、目を閉じた。闇に包まれた。ああ、なんて懐かしいんだろう。自分は死ねない。死ねない。うまく死ねないなら、せめて、死んだように生きていこう、と思った。それこそが、ジンセーへの、そして吉宗を拒み続けたブンガクへの、抵抗であり復讐に思えた。

「あんた、ほんとうになーんにもできないんだね」

 声がした。

「つまらない男」

 衝撃。そして、吉宗の意識は途絶えた。一瞬、曼荼羅を見た。つまり、吉宗は、曼荼羅のなかにはいなかったということだ。


 セリが泣いていた。ホトが倒れていた。ナズナと業平が死んでいる。なんだこれは。

「ホト」

 ゴギョウが呼びかける。セリがゴギョウに気づく。

「ねえ、どうしたらいいの……」

 セリがいった。俺は、リーダーだ。このパーティーの。

「ゴギョウくん……」

 ホトが、途切れがちに、いった。

「ああ」

「お願いがあります。一生のお願いです……」

「なんだよ」

「僕のかわりに、『てんくそ』を書いてください」

「なにいってんだよ」

 お前が書かなくちゃ、意味がないだろう。

「読んでくれてるひとのためにも、どうか、てんくそを、お願いします……。森村さんに連絡してください。あのとき打ち合わせしたのはあれはにせものだったっていってください。ゴギョウくんがほんものだったって、してください……」

 森村の名刺はゴギョウの胸ポケットにあった。そして、血塗られたアイフォンが、ゴギョウの手にはあった。

「てんくそは、僕の生きた証なんです。お願いします。お願いします……」

 ホトの言葉はどんどん小さくなり、そして、なにもいわなくなった。

 ホト! ホト! セリが叫ぶ。しかし、ホトはもう動かない。

「愁嘆場のところ悪いけど」

 なにかがゴギョウの横に放られた。

「うちの旦那を半殺しにしたのは、ゴギョウくん? ねえ、やるならさあ、ちゃんと息の根止めてやってよ。めんどくさいんだから」

 放られたものをよく見てみると、それは、洋美の首だった。

「そのボールでサッカーしようか」

 女子プロサッカー選手、なりたかったのよあたし……。

 美智代がいった。


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