カーテンコール「のけものどもが、ゆめのあと」
エピローグ?−1 遠くでなら泣ける①
ホトケノザさんの人気作『てんくそ!』が昨年最終巻を迎えました。先月出版された初の一般文芸作品『若者はみな悲しい』はかなりショッキングな内容ですね。
「そうですね。『てんくそ!』は僕のライフワークだったんです。この作品を書き終えたら、もう筆をとることはない、というくらいに心血をそそぎました。ですが、もう一つ、どうしても書きたいと思っていた作品があります。それがこの作品です」
ネットでも驚きの声があがっています。この作中に、『てんくそ!』も登場していますし、また作者交代劇のシーンがあったり、自殺の名所でのシェアハウスなど、一風変わった内容でした。作品全体が、あまりにダークな雰囲気なものだから……。
「そうかもしれません。どうしても書いておかなくてはならない作品でした」
話は荒唐無稽ですね。そしてホトケノザ先生にしては随分荒っぽい。
「実際の自分の経験が反映されているからではないでしょうか。もちろん僕はこんな異常なシチュエーションに身を置いたことなんてないのですが(笑)。フィクションとノンフィクションの往来みたいなことを『てんくそ!』を書きながら、学んでいったといいますか。うまくいえませんね。提出されたテキストだけが、すべてだと僕は思っていますので、読んでくださったみなさんが思い思いに……
深町は病院の待合所で誰かの置き忘れた週刊誌を手持ち沙汰にめくっていた。右手だけで雑誌を扱わねばならず、苦心した。土曜日の昼だ。こんなに病人がいるものなのか、と深町は思った。子供が前に立ち、不思議そうに眺めていた。深町は笑顔を向けた。子供は驚いて逃げていった。そんなに俺の顔、いけてないのかなあ、と雑誌を閉じて右手で頭を掻く。
咲子が暗い顔をして深町のもとにやってきた。
「どうだった」
「べつに、いつもとかわんないよ」
そういって咲子は深町の左隣に座った。咲子はいつも、深町の左にいようとする。深町はそのことについて、なにもいわないでいる。
咲子はさっきの有様を思い出した。いつきても、千絵は変わらない。
千絵はベッドの上でセリフの練習をしていた。
「ミルクティーおかわりは?」
相手をしているのは西脇だ。
何度も何度も、ダメだダメだといいながら、繰り返す。
「ダメよ、こんなんじゃ、監督にとめられる! スタッフさんたちに迷惑かけちゃう!」
千絵は駄々っ子のように暴れ、西脇が抑える。
「そんなことないよ、もう一度やってみよう。何度だってやろう。きっと見つかるよ。完璧ないいかたが」
「時間がないのよ……、わたしには、明日にはカメラの前に立たなくてはならないのに」
「大丈夫だよ、千絵ならきっとできる!」
千絵は嗚咽した。咲子は見ていることしかできなかった。持ってきた花束を強く握っていなければ、ここにいられなかった。
ミルクティーおかわりは? ミルクティーおかわりは? ミルクティーおかわりは?
稽古は何度も続いた。千絵は疲れたらしくベッドに身体を沈めた。
「どうもありがとうございます」
西脇が咲子に声をかけた。
「これ」
握ってなくてはいられなかったというのに、咲子は今度はさっさと花束を渡してしまいたくなった。千絵の頰には決して消えることのない大きな傷が残っている。咲子はそれを見るたび、泣きそうになる。しかしなにが涙腺を緩めるのか、わからなかった。千絵のことをかわいそうだと思う。そして、よるべない志村の背中を思い出す。
あれから、五年が経とうとしていた。なのに、千絵と西村は、あのときから止まったままだった。「千絵はね、年をとることをやめてしまったんです」
西脇はくたびれた顔をしている。いつも面会にいくたび、同じことをいう。
「僕はそれでいいと思うんです。千絵が、セリフの練習をし続けている。完璧にはきっと永遠にいえないでしょう。でもいいんです。もし彼女が納得のいくセリフをいえたとき」
破滅することになってしまうんだから。
「今日どうするの?」
咲子は深町に訊く。二人は病院を、逃げるように、出た。
「そうだな、映画でも観るか」
「映画ばっかだね、うちら」
「じゃなんか代案は?」
「ない」
「じゃ、いいだろ」
「マーベルやってる?」
「自分で探せよ」
もう決して通されることのない袖を咲子はつかんでいる。歩くとき、いつもそうするように。二人は週末、街にでる。誰もが深町に注目する。そして目を逸らした。もう、二人は気にしていない。咲子はときどき、夢想する。むくむくと、深町の左手が生え出すのだ。そうなったらどうしよう。深町の左手を、きちんと握ることができるだろうか? 垂れた袖はつかみやすい。だから、生えなくてもかまわない。なのに、想像してしまう。
新宿ピカデリーの前で、咲子たちは着物の女とすれ違う。女は数歩歩いてから振り返り、咲子たちの後ろ姿をしばらく眺めた。
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