6−3 通夜のあと③
ババアの店では深町がくだを巻いていた。いつものことである。
この男は、甘いカクテルを飲みたがる。どこで覚えてくいるのか、しゃれたカクテルを注文し、ババアや咲子をよく困らせる。そして「なんだよ知らねえのかよ、都会じゃこれが流行ってんだよ」などと、『カクテルの作り方』の本を持ってきて要求をしたりする。いい迷惑だ。それっぽいやつを適当に作って出すと、深町は愛おしげに一口飲み、物思いに耽ったり、つまらんことを語る。正直気持ち悪い。
「帰って」
咲子が深町の耳を摘んだ。
「いいだろ、まだ明日にもなってないよ」
「十二時過ぎたら過ぎたで『今日になっちゃった〜』とかいうんでしょ。今日は朝から大変だったんだから、うちら眠いの」
「客商売だろ」
「本日休業だっていうのにおしかけたんじゃない」
「ふかまっちゃんさあ」
ババアがあくびを噛み殺しながらいった。
「なんだよ」
「もういい加減奥さん貰うとかさ、しなよ」
「なんだよいきなり」
「嫁さんに晩酌してもらえってこと」
おめーのさまになんねえ気取りに付き合ってやうのはもうこりごりだ。疲労しかない。
「いねえよ、そんなやつ。この村にさ、松嶋菜々子みてえのいねえじゃん」
「理想高すぎだろ」
「ていうか松嶋菜々子、古くないすか」
咲子もまたあくびをした。
みんな退屈していた。
「ちげーよ、毎年クリスマスのたんびにやってんだろ、ケーブルテレビで『やまとなでしこ』。あの頃の松嶋」
あれはとても良かった。深町は思う。堤真一に似てなくもない、と昔ソープ嬢にいわれたことがある。なので非常に親しみ深い。まあクリスマスを着地点にするなら『29歳のクリスマス』も捨てがたい。山口智子も松下由樹も大好きだ(あの頃の)。
「止まってんなー時間」
咲子はいった。それ、あたしが小学生の頃にやってたやつじゃん。
「あーいうの、いねえじゃん」
深町はなお話を続けようとしている。
「そりゃ松嶋来たらうちの村パニックだろうけどさ」
このあたりにくるのは、死にたがってるやつくらいだ。芸能人だってChie程度だ。
「東京いってりゃなー」
深町がため息をついた。
「あ、行く気あんだ、外」
ここから一歩も出ず、後輩を仕切っているのが生き甲斐の小さい男だと思っていた。
「あるよ! てかあったよ!」
「こいつ、金払えば誰だって受かる専門学校落ちたんだよ」
ババアがいった。
「いうな」
深町が睨みつけた。
「え、なにそれ」
深町の挙動が楽しくてたまらないらしく咲子が訊いた。
「名ばかりの試験受けりゃ零点でも受かる専門学校に、落ちたの」
ババアがいった。初めてトーキョーにいって、専門学校の試験に遅刻して、そのうえ名前を書かないで提出だなんて、どれだけ都会にビビってたんだか。あるいは、新生活を無意識のうちに拒絶したんだか。
「え、逆にすげえ」
咲子が深町の肩をばんばん叩く。
「逆ってなんだよ」
「逆にどういうこと。どうすりゃ落ちるの」
「だから逆ってなんだって」
深町は腹を立てているらしいが、咲子はまったく気にもとめない。
「逆は逆でしょ。そこ掘り下げんなよ。で、で?」
「まあ、あれだ。行けなかったんだよ」
「ほうほう。ほんで」
「ほんでもクソもねーよ。そんで、おしまい」
「つまんねー」
そういうところがダメなんだよあんた、と咲子は思った。
店のドアが開いた。燻んだ店に、突然の極彩色で、咲子の目はちかちかした。
「まだあいてる?」
といいながら、千絵はさっさと深町の隣に座った。
「いらっしゃい」
ババアはもうしばらく、店は閉められそうもないと覚悟した。
「どうぞどうぞ」
咲子がおしぼりを用意する。
「おい、さっきまで店閉めるっていってたろ」
深町が口をとがらせた。
「だって、今日のお通夜の主役だよ? それに有名人じゃん」
咲子は舌を出す。
「主役は秋幸さんだろ」
ババアが咎めた。
「わたしは『コーヒーお砂糖は?』だけの脇役よ」
そうはいったものの、千絵は含み笑いを浮かべている。
幸一郎、幸次、幸三の三人は、幸一郎がかつて使っていた勉強部屋に集まっていた。いまだにあのころのままなにもかもが残っている。本棚にある横山光輝の『三国志』、『ブラックジャック』に『火の鳥』はそのままだ。『こち亀』は高校の頃に出た巻で止まっていた。幸次が見回し、不思議な気持ちになった。この部屋にはよくきた。なにを話していたのか忘れたが、くだらない話ばかりしていた。
「もっと近くにこいよ」
幸次が幸三に向かっていった。幸三は居心地悪そうに、入口の襖の前で正座していた。
「いいよ俺は」
「ひさしぶりだな、三人で集まるのは」
幸次はいったが、緊張感ある間が起きた。
「集まりたくもなかったか」
幸次はいった。
ババアの店では調子に乗ってテキーラで乾杯した深町が、ぶっ倒れていた。千絵はテキーラを飲み続ける。ショットグラスが空になるたびに咲子が注いでいく。何杯めがもうわからないが、千絵はまったく酔っているようには見えない。
「でもスゴイですよね、秋幸さんて人、還暦になってからいきなり三人の女と子供作って」
咲子はいった。とにかく千絵と会話を試みたい。話題といったらやはり、これだろう。
「男ってのは、ほんっとーにしょーもないね」
ババアがいった。
「しょうもないにもほどがあるわよ」
千絵がまたぐいとテキーラを飲み干す。
「まあ、その後がひどかったね。孕ませてから、幸次ちゃんと幸三くんを完全に無視してた。……幸一郎さんのお母さんってのもさ、すごい若くて、二人の年の差四十くらいだったんだけどね」
ババアも調子に乗っているらしい。いつもならしない話だ。
「え、マジで」
咲子は驚いた。そもそも咲子がこのあたりにやってきたとき、すでに秋幸は寝たきりの権力者で、肉眼で見たことがなかった。
「ふらっとこの村にやってきてね。一体どこからきたのかさっぱりわからなかった」
「へえ」
「あんたみたいにね、たまにいるのよ。ここにいついちゃうやつ」
ババアの言葉に、咲子は黙る。
「金目当てだってさあ、夏秋さんとか散々いいふらしてたわ。あの人、分家で、本家の金たかるのが収入源だから。奥さん、それでも耐えて、子供できたと思ったら、亡くなっちゃって。しかも旦那がよそで同時多発テロ発覚。いろんなとこでぽこぽこ子供ができちゃってて」
ババアの話を、千絵はタバコをふかしながら流し聞きしているように見えた。
「いつの時代ですかそれ」
「二十世紀末」
「世紀末すげー。ノストラダムスすげえなおい」
「よく通夜があるってわかったな」
幸一郎は不思議だった。幸次に連絡をとらなくてはならないと焦った。幸次の父に訊いても、まったくわからなないといわれた。
「早紀から電話があった」
その返事は、幸一郎を愕然とさせた。
「へえ」
「知らなかったか」
「うん」
「お前ら、コミュニケーションまったくとってねえんだな」
言葉に刺され、息が詰まった。
「東京はどうだ」
幸一郎は話を変えた。
「まあつまんねえな。全体的に薄っぺらいし」
「長渕剛みたいなこというな、お前」
「年とったからだろ。自分が長渕みたいなこといっちまうことにびっくりだよ。気にしないでいると人って長渕になるのな、オザケンにはなんねーのな」
別にそれも悪かねーけど、と幸次はいい、畳に寝転んだ。
「いいな」
「なにがだよ」
「俺も東京いきたかったな」
「勝手にいけばよかっただろ」
大学進学を機に、幸次は東京へ出た。幸一郎も家を継ぐにしても一度はここから出ると思っていた。結局幸一郎は、一番近い国立大学に四年間、往復四時間かけて通った。
「でも東京って、あれだな。新婚旅行のときいったんだけど、想像してたより汚くて、臭くて、ビル高くて。コンビニばっかで。みんなエグザイル大好きで」
「なんでエグザイル」
「エグザイルの歌かかったトラックが渋谷でずっと走ってたから」
「それはちょうど、お前がきたとき宣伝してただけだ」
「そうか。そういうことか」
「マジでお前天然なの、かわっちゃいねーな」
幸一郎には、そういうところがある。なんでも目にしたものを受け入れてしまう。
「俺さ、一日中渋谷のタワレコいたわ。ディズニーランド行くはずだったのに。早紀、ぶーたれたけど」
「なんでタワレコ」
渋谷のタワレコで、手を繋いで歩いている鈍臭いカップルを想像して、幸次はおかしかった。まあ、かわいらしといえなくもない。
「ビルの下から上までさ、端から棚見てた。音楽っていっぱいあんだなあ、って。なんかそう思うとワクワクして。ずーっと視聴してた」
「しょーもねえ。天然エピソードかよ」
「でも、一枚も買わなかった、CD」
「金あんだろ」
こいつはそういうところがある。別に好きにすればいいのに、一人では決められない。必ず誰かに訊くのだ。「これ、どう思う?」と。まだ治っちゃいないのか。餓鬼のままだ。俺たちは来年三十になろうとしてるというのに。
「なんだか、怖くなった。一生かけてもこのビル中にある音楽全部聴けないんだな、って思ったら」
「死ぬまで聴いてりゃいいだろ」
もうその話に幸次は飽きていた。
「どんどん新しい歌ができて。なんか、そういうことが、怖くなった」
「わかんねえな」
「人間もさ、増えるだろ」
にんげん。
「なんだよいきなり」
「なんだか、子孫を遺すことだけのために自分は生きていて、で、遺せ、って俺に命令しているのはいったい誰なんだろう、って考えたら、なんかもう。あのさ、恥ずかしいけど、生きる意味ってなんなのかな、って。自分じゃないものが、決めているんじゃないかなって」
幸一郎は、そういうところがある。こいつはやけに哲学臭い、しょうもないことを問う。幸次は、十年前と同じように、返事をする。
「知るかよ」
二人のやりとりを、幸三は黙って聞いていた。
「んあっ」
突然カウンターに突っ伏していた深町が起き上がった。
「あ、面倒なのが起きた」
咲子が深町の頭をふたたびカウンターに押し付けようとした。
「いってえよ」
「ふかまっちゃん、早く帰んな」
ババアがいった。
「帰って寝たらさ、朝だろ、つまんねえ」
「普通だよ」
どいつもこいつも、時間が過ぎれば必ず朝がくると思っていやがる。みな知らないのだ。決して明けない夜があるということを。
「普通、つまんねえ」
「中坊みたい」
なんだかんだいって、咲子は深町の相手をしてやる。
「うっせ。男はな、みんな心のどっかに少年を隠しとるんじゃ」
「キモい」
「キモくてなんぼだ。それを愛でろ。そのキモさにおめーらは恋してんだよバーカ」
「わたしそういうの勘弁」
「なんか臭そう。童貞臭がする」
無視していた千絵まで参戦しだした。
「童貞じゃねーし」
しろうと童貞ではあるが。
「このキモさの火を飛び越えてこい!」
自分を奮い立たせるように大仰に深町はいい、腕を広げる。
「越えない越えない。千円貰っても無理」
咲子はいった。
「少年て、めんどくせー」
千絵も同意した。
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