6−2 通夜のあと②

 シャッター音が響く。

「ぶれちゃったんだけど〜」

 デジカメを構えていた女が、不満げな声を漏らした。

「なんだてめえ」

「志村ちゃん、やめなよ」

 咲子が立ち上がった。ババアからすれば意外だった。咲子と志村が知り合いだなんて思いもしないことだった。志村がここにいたことすら気づかなかった。人前に出るなんて珍しい。志村は村にある唯一のコンビニの一人娘だった。時折だるそうに店先に立っている。声をかけたところでたいした返事もしやしない。店に顔を出したくないのだ。このあたりの若者たち全員にバカにされていると思い込んでいる。いや、実際にいまだバカにされている。

「動画も撮りたいんですけど〜。さっきのとこからもう一度やってくんない〜」

 語尾を伸ばす、だるい口ぶり。誰もが愉快な気持ちになれない。のっぺりとした顔立ちに不釣り合いな髪型をしている。派手に巻かれている。誰もが気づいたろう。千絵と同じ髪型をしていた。

「あんた……志村か」

 千絵が気づいたらしい。はっ! と鼻で笑う。こんなやつに罵られるだなんて、ありえない。

「なんかよく見ると肌汚い〜。トーキョーの水ってここよりも〜、あれだからか〜。毒とかやっぱあんのかな〜」

「はあ? 教室のすみっこで黙ってリリアン編んでるだけだった女がでしゃばってんじゃねえぞ」

 千絵が凄んだ。これで一発だ。昔みたくカエルのように飛び跳ねちまえ。そしてまた笑われちまえ。

「お尻にあったでっかいほくろ〜、取ったのお〜?」

 しかし志村は怯えもせずにほくそ笑んだ。まるで、こちらは生け捕る側だといわんばかりだ。

「あんだと」

「みんな知ってるじゃん〜。あんたが逃げる前に〜、裸の写真が出回ったことあったよね〜。誰に撮られたんだかしらないけどお〜。てかいまさら何しにきたあ〜? 男に体でも売りにでもきた〜?」

 自分の言葉が面白くてたまらない、途中からへへへ、と笑いをはさみながらしゃべっていた。まるでしゃっくりを止めようと苦心するかのように、小刻みに身体を揺らしている。

「あんだとてめ……」

 志村に掴みかかろうとしたとき、後ろから夏秋が押さえつけた。

「おい、暴れんな。どれどれ早く出せよ。あれか、とんだヤリマンだな、お前」

 夏秋は露骨に千絵の胸を野蛮につかみ、片方の腕で尻を揉む。

「姉さん」

 夏秋と姉を離そうと幸三があいだにはいった。千絵が、はなせ、とか、うぜえ、と騒ぎ立てる。

「これこれ〜」

 そのさまをしっかり撮影したあとで、志村はデジカメの画面を千絵に見せた。千絵の目が倍に見開かれた。

「ちょっと見せて」

 そういって、幸次がやってきて、志村からカメラをとりあげた。

「きったね〜尻ぃ〜」

 ふふふ、いんらんのくせに〜、またになんでもはさみたがるのうなしの〜、いんらんのくせに〜、ぶつぶつと志村がいう。狂っている。いや、興奮しているのだ。

「あ、消しちゃった」

 そういって幸次は志村にカメラを投げつけた。ぶえ、といって志村が蹲る。

「ぢょっどぉ……なにすんのよぉ!」

 この世の終わりでも告げられたみたいな声を志村があげた。

「すまんすまん。使い慣れてなくて」

「いいわよお……パソコンにバックアップしてあるんだから〜」

 負け惜しみだった。えげつないほどに悲痛さが滲んでおり、哀れだった。

「消せよ」

 幸次はいった。幸次の顔を見て、幸一郎と幸三は思った。ああ、ときどきあらわれる、もう一人の幸次が顔を出した、と。

「え」

 志村は怯えている。完全に負けだ。

「今すぐ帰って消してこい。五秒以内に消せ」

「なによ〜あんた、なんの権限が〜あって」

「部外者は失せろ」

「部外者はあんたもだろ〜。あんたはただの……」

「やめな」

 ババアがこれ以上いわせるのを止めた。

 なんだよてめえら〜、みんなあいつのこといんらんくそびっちだっておもっているくせにぃ、どいつもこいつもうそつきばっかでぇ〜。聞き取れない独り言をいいながら、志村が出て行く。咲子があとを追った。

「咲子!」

 ババアが呼んでも、戻ってはこなかった。

「幸次」

 幸一郎がいった。

「親父らしいじゃない、こういうの」

 幸次の顔は元に戻っていた。

「なにいってんだおめー」

 夏秋が下品に顔を歪ませる。

「叔父さん、いいから」

 幸一郎が止めた。

「親父が死んだからって、そうやすやすと新しくなんてならねえよな。人間は、いなくなったやつの後始末を続けているだけなんだから」

 幸次がいった。

「なんで帰ってきた」

「わざわざ新しいことするよりか、奴隷になってるほうが楽だしな。なあ千絵さん」

「なによ」

 千絵はやつれた顔をしている。一瞬で年をとってしまったみたいだった。震えながらタバコに火をつける。

「金の話はさ、親父が骨になってからしようぜ。あの金の亡者が生き返ってきたらやだろ。話は骨壺に閉じ込めてからだ」

「だから、おめえらを息子だって秋幸は」

 夏秋はまた主張を始めようとした。

「俺らは予備バッテリーだからな」

 幸次がいった。

「なんじゃそら」

「みんないってたもんなあ。幸一郎がガキを作れなかった時用の精子タンク」

「自分でいってやがる」

「あいつも俺と幸三のことをそう思ってた」

 幸次は千絵の吸っていたタバコを取り、一服した。棺桶のほうを見やる。遺影の不機嫌そうな表情が、返答をしているように思われた。幸次はそのままタバコを線香立てに突き立てた。

『田島秋幸 享年八十九歳』

 ババアはその無礼を見ながら、思った。これはまずいことになった。このままでは終わらない。タバコから立ち上る煙がまっすぐ天井まで向かっていった。ババアにはタバコのなかに、無数の顔が見えた。ババア以外は気づいていない。「犬」が主人を探し始めている。「犬の王」が戻ってくるまでに、なんとかしなくては。

「六十過ぎてからガキを一気に三匹こさえて、たいしたジジイだった」

「あとで、ゆっくり話そう」

 幸一郎はいった。

「一人抜けてるぞ」

 幸次が幸三を見た。

「もちろん、幸三もだ」

 幸一郎もまた幸三を見た。

「俺は」

 幸三が口ごもる。

「あんたもだよ。しっかりしな」

 新しいタバコに、千絵は火をつけた。


 田島家前に、一人の男が時計を見ていた。午後十時となった瞬間、男は喋り出した。「皆さんこんばんは。いかがお過ごしですか。今日は趣向を変えて、この村の支配者、田島秋幸のお通夜の会場前からお送りします。番組始まって以来の野外ロケってやつです。不謹慎ながらテンションあがりますね〜。訃報をいち早くお伝えしたのも、この前田ラジオでしたがね、この村のセンテンススプリング的ポジションであるとこのジャーナリズムの使命として、この会場前で隠れてレポートしたいと思います。皆さんお帰りになったんですかね。静かです。静かすぎてね、なんだかもう面白いことのひとつもいわなきゃいけない雰囲気です。あ、一人出てきました。お! これは! まさか!」

 玄関から千絵がでてきた。唾を吐き、それから前田の前を通り過ぎた。

「タレントのChieさんです。我が村出身で、唯一の有名人ですね」

 前田の声は少し震えていた。

「なによあんた」

 千絵は前田を見やり、いった。

「わ、わたくしこの村でFMパーソナリティをやっております、DJ前田です。わわ、緊張しちゃいます」

「ふーん。そうなんですか」

 なんだこいつ。いや待てよ、いままさか。

「放送中?」

「はい」

 千絵はいきなり笑顔になった。

「本日はお通夜のためにわざわざトーキョーからいらっしゃったんですか」

「まーね……いや、はい」

「いかがでしたか、会場の様子は」

「普通かな」

「普通ですか」

 ああ、正解じゃなかった。

「通夜の普通とかよくわかんないけど、まあ、普通かな。ていうか、これ、本当に流れてるんですか?」

「はい、周波数は……」

「あ、そういうのいいです。Chieです。どうぞよろしく」

 そういって千絵は前田に微笑む。

「千絵さん、最近はどのような活動を……」

 前田がキョドッているのが面白かった。

「そうですねえ。最近はいろいろ、舞台やったり、トークイベントとか……東京なんですけどね。阿佐ヶ谷とかで」

「そうですかあ。活躍をこちらではなかなかね、拝見できないんでね。何年か前にドラマ出られてたのが、最後で」

「インスタやってるんで、チェックしていただけたら。月一でユーストもしてるんで」

「そうですね」

 こいつ、リアクション薄すぎねえか。話弾ませねえなあ、ほんとにラジオやってんのか?

「これからも、応援よろしくお願いします。久しぶりに故郷に帰ったら、なんだか懐かしくって。じゃ、このへんで、すみません」

「いえいえ。お止めして失礼しました」

 そういって千絵は前田から離れた。立ち止まり、千絵は前田に訊ねた。

「あの、ババアの店、ってどっちでしたっけ」

「ああ、この道ずーっといったらね、ありますから」

「ありがとうございます。じゃあ、また」

 また……次がある? 前田の胸が高鳴る。

「もしよかったら、名刺です……ぜひラジオに出演してください」

 そういって前田はくしゃくしゃになっている名刺を千絵に渡した。

「考えときます」

 千絵は名刺を見ながら、いった。

「今日の放送を聴いている皆さんはお得でしたね〜。とんだサプライズですね〜。女優の千絵さんでした。ババアの店に行くみたいですから、ファンの皆さんはチェックしてくださいね」

 千絵の後ろ姿が、とても可憐に前田の目には映った。

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