4−2 深町パイセンはいつもウザい②
深町はこの集落を横切る川沿いまでテンポよく走り続けた。昔は三十分のランニングなんて余裕のよっちゃんよ、といったものだった。三十を過ぎるとさすがに厳しい。のろのろ歩きながら、ペットボトルの水を飲む。湧き水である。
最近性欲が落ちた。深町は一日四回の自慰行為を日課にしていた。朝起きて、昼に、夕方に、夜寝る前に。へこたれることはなかったが、さすがに最近は硬さに欠ける気がする。全身の筋肉をつけると精力も向上すると、床屋においてある週刊誌で読み、走り込みとカンフーの真似事を始めたのだった。この集落で年をとっていくこと、独身であることに、深町は少しだけ怯えていた。深町は風俗嬢としか行為をしたことがない。しろうとの女は深町をいつだって軽くあしらう。深町はしろうとの女と恋をしたかった。そんなことを大真面目にいってしまったら、聞いたものはバカにするだろうことはわかっていた。運命的に出会い、激しい恋に落ち、相手と幸福に過ごす。それは深町が最も求めていることだった。漫画しか読まない、エロくない活字を読むと眠くなる。そんな深町は、恋愛ドラマが大好きだった。いい女と憎まれ口を叩きながらも距離を縮めていくさまに憧れた。ただ問題なのはふたつ。このあたりに女優みたいな女はいないこと、そして自分がそんな美しい女に見合うほどの容姿をもっていないことだった。
深町は通信販売で買ったDVDにあったカンフーのポーズを真似た。もしこの姿を誰かが見たら、「ああ、深町んとこの坊主はおんな日照りでついに気が触れちまったか」などといわれてしまうであろう。しかし深町は真剣だった。もしかして、いつか、恋をする機会が訪れるかもしれない。せめて、体だけでも。
遠くから男女二人が歩いてくる。深町は舌打ちした。けったくそ悪いカップルだ。どっちもしゃれた格好をしているし、男が高そうなボストンバッグ(もっと近づけばわかるだろう、ルイ・ヴィトンか?)を持っている。女はサングラスをしている。芸能人にでもなったつもりかこの野郎。なにしにこんなところにやってきた。たまにトーキョーからやってくる、土地の運用だ再開発だとプレゼンする輩か。もしそうだったら、あともう少しで技をマスターするから実験台にしてやるか。
女が立ち止まり、大きく背伸びをしてからいった。とても声が通る。
「変わんないねー」
そういってサングラスを女が外した。派手な身なりだった。整形してるんじゃねえだろうな。
「ずっとバスの中でいってましたよ」
男がいった。
「変わんなさ過ぎて死にたくなったわ。生き急ぐんだろうね、いなかって。同級生みんなガキこさえてるしさ、そんですぐ孫だよ。あげくにガキからすりゃうれしくもねえおもちゃ与えて大喜びだよ。ああ……いい空気って、吸えば吸うほど気が狂いそう」
「どんだけキャラ変わったんだよ、あんた」
「キャラ?」
「昔はいいお姉さんだったのに」
「いまもいい『綺麗な』お姉さんよ」
女には見覚えがある。深町は二人に近づいた。
「幸三に会いにいくんですか」
「ここにくる意味はもう、幸三しかないでしょ」
「そうなんだ」
「あんたこそ、やな感じよ。ただの田舎者のくせして、東京で働いてるからってなんかすかして。ムカつく」
「やめてくださいよ、からむの」
この女が誰か、深町はわかった。
「川村んとこの千絵じゃねーか!」
深町は驚いた。十年以上ぶりの再会だ。
「はい」
女……川村千絵、幸三の姉であり、タレントのChieは片眉をあげた。
「久しぶり。やべー」
深町は興奮した。あのChieが! そして同級生であり、なにからなにまで知っている、川村千絵だ。
「誰? やべーってどういう意味」
「怖いんじゃないですか」
男が鼻で笑った。不愉快だ。Chieのマネージャーかなにかか。そんなやつよりも、俺の方が、ずっとこいつを知っている!
「エグザイル的な意味でやべーだから、すげーってことだ」
深町はいった。
「あら」
千絵が馬鹿にしたような口調でいった。
「俺俺。深町。同級生の」
「ああ、はい、うん」
そうは返事をするものの、どうも深町のことをうまくできていないらしい。そんなことはおかまいなしに、深町は続ける。
「なにしにきたんだよお前、まさか、ドラマか、『相棒』か」
「うん、ごめん、『相棒』じゃないわ」
なるほど、では今日のために帰ってきたわけか。深町は納得した。
「村中でな、おめーがドラマ出てるって大騒ぎだったわ」
「……コーヒーを出すだけだったけど」
千絵の目つきが変わった。謎の優越感が湧き上がってきているのかもしれない。
「何回もみんなで巻き戻して見たわ。おかげで村のみんなお前の物真似できるぞ。『コーヒーお砂糖は?』って」
この村で、それを見つけたのは深町だった。ただでさえ恋愛ドラマなど、このあたりでは人気がない。だが深町は、ドラマのワンシーン、ほんの数秒の登場だった千絵を見つけた。主人公カップルの入った喫茶店のウエイトレス役。興奮した。同級生の、あの千絵が、テレビの向こうに存在している。深町にとってテレビは世界だった。しかし永遠にそちらへは行くことのできない架空の場所だ。深町にとって「行けない場所」こそが世の中だった。テレビの向こうもポグワーツもイタリアも、すべて意味として同じだった。「田島以外」ニヤリーイコール「ほんとうの世界」。
深町は村中に触れ回り、一時期大騒ぎになったものだった。深町はタレント名鑑を取り寄せ、川村千絵が「Chie」という名でタレント活動していることを発見した。幸三は知らなかった。なにせ、千絵はある日突然、「トーキョーに行く」と置き手紙を残して消えてしまったからだ。
「それ喜んじゃいけないことよね」
そういいながらも、千絵の口元は緩んでいる。
「え、なに、千絵さん、相棒でたんだ」
男がいった。
「出てないわよ」
「なんだおめえ、千絵のマネージャーじゃねえのか」
「いや、深町さん、僕は」
なんだか聞き覚えのあるスカした物言いの男……。
「森山さんとこの幸次くん」
「ああ……2号か」
思わず深町の口からでた言葉は、本人の前ではいってはいけない村の暗黙。
幸次が露骨に不機嫌な顔になる。
「通夜だからか」
深町は話を変えようとした。
「まあ、そんなとこで」
「誰の?」
千絵が訊ねる。
「田島秋幸」
深町は不思議だった。お前は田島の葬儀のために一度捨てた場所に戻ってきたんではないのか。
「ちょっと、なんでバス二時間一緒に乗ってたのに教えないのよ!」
千絵が幸次を怒鳴りつけた。
「訊かなかったから」
「あいつ、やっと死んでくれたんだ」
「おい、誰が聞いてるかわかんねえだろ」
たしかにここには三人しかしない。しかし、田島の話を外でしてはいけない。
「知らねえよ。幸三は!?」
「さっき田島の家の前、掃除してたぞ」
深町は素直に答えた。
「行くわ。荷物もってきて!」
そういうと千絵はバレンシアガとでかでか書かれているトートバッグを幸次に押し付け、田島のほうへと小走りで向かっていった。
深町と幸次、そして千絵の荷物らしいブランドバッグが残された。
「なんだー、あれ」
まあ通夜でまた会えるだろう。
「おい、お前ら通夜終わったら、ババアの店で飲むから、来いよ」
深町は幸次にいった。
「あー。懐かしいですね、ババアの店。駄菓子屋兼レストラン兼飲み屋兼カラオケボックス。幕の内弁当みたいな店でしたよね、あそこ」
やっぱりこいつはムカつく。三人のなかで、いちばん馬が合わない。
「なんかお前けったくそわりいな。地元批判か。そういうやつはな、地元に殺されるぞ」
「でも多分、行けないと思います」
幸次は深町の言葉になどなんのダメージも受けていないらしい。
「俺らは、三人で多分飲むんじゃないかな。今日は」
幸次はいった。なるほど。
三兄弟、久しぶりの勢揃いというわけか。
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