4−1 深町パイセンはいつもウザい①
早朝、ほうきで田島家門前を掃いている男がいる。奉公人の幸三だ。
家の誰よりも早く起床し、朝六時には家のまわりを掃除するのが習慣になっている。この家はとてつもなく広い。ひとまわりほうきをかけるだけでもかなりの大仕事だ。昔は何十人もの使用人がいた。だがもうここには幸一郎夫婦と幸三しか住んでいない。
幸三はこの家に女中として働いていた美和の息子だ。姉の千絵が「タレントになる」といって飛びだしていった。十年前のことだ。そのあとすぐに、美和が死んでしまった。あまりにもあっけなかった。近くにある滝へ向かう山道で、美和は倒れていた。発見したのは当時滝の管理人をしていた白州という男だった。幸三はどこへいくこともできず、田島家に残って働いている。
その頃から、代々仕えていたものたちが、死んだり、田島の集落を去っていった。
昨日まで、幸三の主な仕事の一つに、寝たきりとなっていた当主の秋幸の世話があった。だがもう仕事はおしまいだった。
田島秋幸は、寝たきりになってから、来客の面会を拒んだ。息子の幸一郎や、その妻である早紀にも会いたがらなかった。自分の姿を誰にも見せたくなかったのだろう。幸三は思う。自分が小さかった頃には、すでに秋幸は初老の域だったが、精気あふれ、この集落の主として君臨していた。あまり会話をしたこともない。幸三は美和に「恐れ多い」と、秋幸を敬うようしつけられた。同学年の幸一郎とも、家にいるときはまるで時代劇によくある「若様のお遊び相手」として接した。
幸三は満足していた。このままこの家で働き続けることだけが望みであった。幸一郎のそばにいれば安心だった。幸三自身が抱えている問題は多々あった。それは足元から忍び寄り、ときおり胸のあたりに達する。だが、かならず去る。目の前に起こる苦難をやりすごすことこそが重要だ。解決などしなくてもいい。ただただ逃げ続ける。痛みや他者から。そして自分からも。
下手くそな歌が遠くからやってくる。朝から騒がしく、自分の存在をあたりに知らしめようとしている。派手なシャツを身につけている、サングラスにパナバ帽といった出で立ちの大柄な男がやってきた。田島夏秋だった。田島の家の遠縁にあたるその男は、軍資金がなくなるとふらりとやってくる。そして金をせびる。間もなく還暦を迎えるらしいが、いつまでたっても幼稚極まりない男だった。
「おう」
夏秋が右手をあげ、調子よく幸三に声をかけた。
「おはようございます」
「偉いな、朝っぱらから。三ちゃんいないと、この家、ゴミ屋敷だもんな」
そういって道に唾を吐き捨てた。
「そんなことはないですよ」
この男とは関わり合いになりたくない。以前、秋幸の寝室に侵入し、主人が寝ているというのにタンスをあけて金目のものを探していた。目撃してしまい硬直している幸三に「なんか文句あんのか」と凄んだ。
「いくらガキができないからってさ、早紀ちゃんもなんかずーっと携帯でぴこぴこゲームやってんじゃん」
夏秋は血の繋がりのない田島のものをあからさまに邪険に扱う。早紀のことは、「血も繋がっていないくせにうちの金を奪おうとしている」などと影ではいっている。
「はあ」
「親父が遺してくれた金さ、ゲームに使われてるとか、耐えられねえわ」
「はあ」
としかいえない。それに対して同調以外のコメントをしようものなら殴られかねない。
「はあ」
夏秋が幸三に顔を寄せ、おうむ返しした。
「お前の、はあ、はさ、なんかアレだな。朝からテンション下げてくれるわー」
そんなことをいわれても、なにもいえない。
「なんだよ、こういう流れになったらさ、はあ、っていえよ」
無茶振りだ。
「すみません」
今日からしばらく、夏秋は家に泊まり込むことになっている。暗澹たる気持ちだ。ただでさえ秋幸の死によって、この家はしっちゃかめっちゃかで陰気だというのに。
「張り合いねえな。幸一郎もだぜ。さんざん盛り上がってさ、屋台だして神輿乗って、祭りみたく結婚したってのに、嫁があんなんじゃな」
たしかに、反論はできない。早紀は日がな一日ゲームをしてばかりいる。
「おい」
夏秋が顎で遠くを示した。先にはタバコの吸い殻があった。
「ゴミあんぞ」
「あ」
「お前目ん玉ねえのか、おい。掃除もできねえようなでくのぼうはクビにするぞてめえ」
まるで当主気取りだ。そう、この男は、この家を乗っ取ろうとしている。
「住まわせてもらってんだから、しっかり働けや」
幸三の頰を軽く叩き、夏秋は門を入っていった。
「ふざけんじゃねーよ……」
幸三は小さく呟く。
「ああそうそう、俺が着れそうな夏用の喪服だしとけよ」
そういいながら夏秋は急ぎ足で戻ってくると、ティッシュで鼻をかんで、地面に捨てた。
「ゴミ」
夏秋は去っていった。
ため息しかでない。
そして突然、悪寒が走った。いる。やっぱり、いる。幸三は後ろを振り向いた。誰もいない。でも、確実に、誰かがいる。誰かはわかっていた。そしてぶつぶつと声が聞こえる。うまく聞き取ることはできない。だが、誰かが、なにかを、しゃべっている、ことはわかる。
「なんなんですか……。なんでここにいるんですか……。もういないでしょ。なんでここにいるんすか。なにぶつつしゃべってるんすか……」
それは見えない。でも、感じる。うろうろしている。視線がある。とても馴染み深い。そう、でもかんがえたくない。
「なにいってんだ、おめー」
声がした。深町先輩が、いつのまにかそばにいて、ペットボトルの水を飲んでいる。
「あ、先輩おはやーっす」
深町先輩は、幸三の二つ年上である。もうあまりいない、このへんの若い衆をまとめている、と自分では思っているらしいが、ただの仕切り屋で、なににでも顔をつっこんでくる男だった。最近腹に肉がついてきたというので、ランニングをしている。いつだって形から入りたがる深町は、ドン・キホーテでイケてる(?)ランニングウエアとシューズ、そしてスポーツサングラスをしていた。
「朝から偉いな」
「そんなことは……」
「まあ、使用人は当たり前か」
深町の特徴として、悪気がなく、一言多い。幸三は黙った。
「今日は何時からだっけ」
「六時からです」
「そうか。まあ、時間作って顔出すわ」
そうはいっているが、この人は暇人である。家が経営している金物屋の店先でぼんやりしているくらいしか、やることがない男だ。店の営業時間以外をいかに充実させるか、営業時間内をどうクリエイティブに過ごすかをいつも考えている、らしい。
「ありがとうございます」
「お父さん、残念だったな」
「父じゃないことになってるんで」
「ああ、そっか。ごめん」
「いえ」
いわんでいいことをいい、返答を困らせる男だが、憎めない。
「気を落とすなよ」
「はい」
「そうだ、お前、あれだ。いまさ、週一でさ、夜にみんなで集まってカンフーの稽古やることになったから」
「カンフーすか」
また突拍子もないことを始めようとしているらしい。三十を過ぎているというのに、仲間たちと集まりバカ騒ぎばかりしている。
「みんな運動不足だし、まあいつ敵がおそってくるかわかんねえから」
「敵」
「こんなとこ、死にたがってるやつしかこねえけどさ。でもま、そのくらいのモチベーションでな、やってねえとな。俺らやばいべ。テレビ以外に世の中と接点なさ過ぎて」
テレビだって、国営放送とあとひとつしかない。いちおうケーブルテレビもあるが、通販とアニメとドラマの再放送ばかりだ。そんなものしか、「世の中」のない場所。
「そっすね」
「みんなで車で遠乗りして、ソープめぐりすっか、って話でてっけど、だりいしな。やったあとに車転がすのとか。俺思うけどさ、精子ってあれガソリンなんじゃねえかな。精子溜まってるとわりかし動けるじゃん。まあいいか。しゃーねーから、カンフー、な。鉄拳チンミ。ダイエットにも筋トレにも護身術にもなるし」
「はい」
もちろん幸三は参加するつもりはない。
「じゃ、ま、気が向いたら、水曜に夜神社にみんなで集まってっから」
そういって深町は軽快にランニングをして去っていった。
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