3 ババアの店とトーキョー某所

「やべえ、何回観てもまじ元気出るわ」

 咲子が大声を出した。やけくそみたいに。朝から夕方おこなわれる通夜の準備をしており、休みたくてたまらないのだろう。

「十年以上前か。あんとき、客ドンびいてたよ」

 くわえタバコをしながらババアがいった。ババア、というのはあだ名で、見た目は三十すぎといったところか。

 ここはババアが経営しているなんでも屋の厨房である。このあたりに唯一あるカラオケスナックであり、子供たちのために駄菓子も売っている。このあたりを取り仕切っていた地主、田島秋幸の通夜が今日開かれる。酒と食事を頼まれていた。

「いったんすか、現場」

「いったよ。村中で、バス借りて、わざわざ」

 アルバイトの咲子がいった。なにかBGMがほしいと咲子がいい、馴染みの客であり、葬儀の喪主である田島幸一郎が高校時代に出場したのど自慢のDVDを半笑いで鑑賞していた。

 といっても幸一郎たちは『今夜はブギーバック』の冒頭ラップ部分を歌いきったところでカーンと鐘をならされてしまう。小沢健二担当の幸一郎はほとんど歌っていないに等しかった。鐘の音が起きてもしつこく歌おうとする幸一郎、そんなオザケンを取り押さえて袖まで連れていく、幸次と幸三。せっかく応援にいったものの、村の連中は笑っていいものなのか戸惑うばかりで、会場のざわつきもばっちり映像に残っている。

 ババアは雑に、タバコを灰皿へ押し付けた。

「時代の目撃者じゃないすか」

「手を休めないでよ。せっかく食べ物の注文、うちにきたんだから」

 自分は一休みしたくせに、ババアは咲子を咎めた。

「幸一郎さんって、お金持ちなのに、のど自慢予選出場が唯一の自慢とかって。わざわざDVDにまで焼いて、なじみの飲み屋に置いとくとか、ウケるんだけど」

「永久保存用のブルーレイと動画もあるよ。ネット使えたならユーチューブにあげてたね、確実に」

 まったくこのあたりの連中は田島の家に振り回されっぱなしだ。しかし、それも悪くない。支配されるということは、なにも考えなくてもいい、ということだ。いまどきこれほど愚かな終末世界ディストピアにいられるなんてのも一興だった。この集落と「外」の世界は、もちろんバスも通っているし、行き来することだってできる。しかし、ババアはここから出たくもなかった。新しい地獄への探究心など、もう自分にはない。ここが滅びるとするならば、自分はどうするだろうか。まあ、そうなったらそのときだ。また新しい安住の地を見つけるのは骨が折れるだろう。田島のあたらしい領主として、幸一郎は成し遂げることができるのだろうか。正直心もとない。

「あの子らが高校のとき、町のほうにのど自慢がくるって話を聞いたとき、怖かったよー。テンション上がりすぎてあいつら貧血起こしてた」

「ウケる」

「毎晩お経みたいのが聞こえてきてさあ。でも、田島のぼっちゃんのやることだからみんな文句いえなくってさあ」

 学校が終わると三人はこの店にやってきて、何度も何度も『今夜はブギーバック』を歌った。いい迷惑だった。だがいまとなってはとても懐かしい。

「この頃は仲良かったんですね」

「まあね」

 そう、たしかにあれは平穏な時間だった。平穏は、不穏の寸前に立ち上るギフトだった。

「でもなんでまたこの曲になったわけですか」

「あのときバンドやるとかいいだしたけど、三人とも不器用で楽器弾けないし」

「だっせえ」

「どいつもこいつもボーカルやりたいってダダこねて、アミダで決めたんだけどね。幸一郎さんが勝って、残りはラップ担当になったってわけ」

「どおりで。あのスチャダラはやけくそか」

「幸一郎さんが選曲したんだけど、もめたのよ。古いとかなんとか。幸次くんと幸三くんはさ、椎名林檎やりたいとかいってて」

「女いねえじゃん。男で林檎かよ」

「早紀ちゃんに、歌って欲しかったの。」

「え、幸一郎さんの奥さん?」

 咲子は失礼なくらいに素っ頓狂な声をあげた。咲子はいまの早紀しか知らない。

「そう。全員早紀ちゃんに惚れてたから。楽器できないくせに」

「そんなにモテたんだ、あの奥さん」

 いま咲子の頭のなかに浮かんでいる早紀は、さぞかし陰気な女としてあらわれているだろう。実際以上に。

「昔はさ、かわいかったんだって。それこそ、千絵なんかより全然」

 幸三の姉である千絵は、のど自慢からしばらくして、東京へ去っていった。


「ヌード?」

 中野坂上の雑居ビルの一室で、千絵は顔をしかめた。目の前にいるマネージャーの西脇は、顔を下に向けて唸っている。決意したように顔を上げ、作り笑いを浮かべた。額に汗が浮かんでいる。

「ま、そうだね。でもあれだ、テレビじゃないから、大丈夫だから」

 まるで名案だとでも思っているのだろうか。

「は? わけわかんねーんだけど」

「雑誌のさ、袋とじだから」

 最悪だ。

「袋とじ」

「そう、だから、買った人しか見ないし」

「見んじゃん」

 みんな見るじゃん、袋とじ。むしろ率先してのぞくじゃん、こう、無理矢理ひらいて、目え細めて。老いも若きも。ゆりかごから墓場まで。どいつもこいつも、エロいことしか考えていない。

「そんなことないよ」

「いちおういっとくと、脱ぐのをごねてるんじゃないですから」

「違うの?」

「ヌードくらいどうだっていいですよ。むしろありがたいですよ。わたしのヌード見たいとかいうやからがまだいるのが」

 数年前までは順調だった。スーパーのチラシから始まった千絵の芸能生活は、ゴールデンタイムのドラマ出演までなんとかたどり着いた。といっても数秒画面に映っただけだったけれど。犬小屋みたいに狭い劇場で、出演者は今世では絶対に有名になることなどなさそうな連中と芝居をしたり、くだらんイベントの司会助手をしながら、なんとか芸能の門口にたどり着いたと思った。あとは前を進むだけだ。そう思っていた。だが、結局続かなかった。

「他にあんでしょ。映画とか地上波で。百歩譲って二時間ドラマの温泉とか。船越英一郎の前ですっぽんぽんで踊り狂うとか。木の実ナナしかめっ面、みたいなさ。なんでそこ飛び越えて袋とじまでいっちゃうわけですか。あれですか、西脇さんは、マリオやるとき、いきなりワープして最後までいきたい派ですか」

「マリオはわかんないんだけど」

 なにをいってるんだ、という西脇の顔。見慣れたものだ。千絵はそんなことでは怯まない。

「わたしはね、どっちかってーと、ワープしないでやる派」

「そうなんだ」

「でも、超ダッシュで」

 西脇が黙った。

「ちゃらっちゃらちゃらちゃ〜♫ちゃっちゃっちゃ、ちゃらーらちゃらーらちゃらら〜」

 千絵がマリオの死んだときの音を嫌みたらしく真似ても、西脇はなにもいわない。このひとは、いいひとだ。自分を拾い上げてくれた。だが、

「もう十年よ。売り込み方、遅いでしょ」

「いやむしろいまから再出発っていうか」

「だからそれがおせーんだよ」

「いい間違えました。リ・スタート!」

「英語でごまかすな。人生リセット! リセット!」

「そっちも英語じゃん」

 タバコを吸いたくなった。この事務所は禁煙となっているが、知ったことか。だいたい、所属タレントは自分しかもういないし、マネージャーは西脇しかいない。社長は金策のためにいつだっていない。完全に、終わってる。

「無駄に裸になるんなら、せめて有意義寄りのとこでさせてくださいよ」

「いちおうもう一つあるんだよね」

 西脇が申し訳なさげな声でいった。察しがついた。ついにきた。

「なに。アフリカの裸族の村にホームステイさせてくれんの? こんなケース股間にぶら下げて」

「そういうの、もうないから」

「『花と蛇』か。帰りツタヤで借りなきゃ。杉本彩先生のほう」

「プロモーションビデオをね」

 ほらきた。

「……それアダルトビデオでしょ」

 絶対に出てたまるか。それはわたしのすることでは、ない。

「いや、違いますよ。いままでだって名だたる女優さんが出てるレーベルで……」

「それやって、第一線に戻ってきた名だたる女優さんいないじゃん」

「それは……わかんないよ」

「はあ?」

「千絵はそんな、裸になっておしまい、みたいなやつじゃないだろ」

「なにその熱血展開。情熱でうやむやにするとか、だからドルオタって……、三十路の途端に人生おしまいかよ」

「だからさ、もう一度」

「ねーよ!」

 千絵は怒鳴りつけた。ひっ、と西脇が悲鳴をあげる。千絵がこうなったらもう手がつけられないことを、西脇が一番よくわかっている。

「あのさ、オカズはさ、いいんですよ。わたしがそこらへんの男の夜のオカズ? になるぶんにはさ、腹くくりますよ。でもね、西脇さんだって、目の前にどん、と、ごはんですよ! ってオカズ出されるのと、ふっと出てきて、おお、オヤツのはずがひょんなことからオカズになるとはこりゃさいわい、みたいなほうが嬉しいでしょ。同じ女体でも。なんで西脇さんに男心レクチャーしなくちゃいけないんですか。わたしはあれですか、北方謙三ですか。ソープに行け、って軟弱な草食に講釈たれるわけですか。袋とじもビデオも、恥じらいようがないじゃないですか。同じ裸でも、パッケージってもんがあるでしょ!」

 千絵が一気にまくし立てたあと、西脇はほんとうにくだらないことをいってしまった。いつまでも、思い出しては、いわなければよかった悔やむことになる。

「でも最後にはあけたらどれもどうせ裸だし」

「もう、いいかな」

 千絵はため息をついた。

 タバコの箱を取りだしたが、タバコはもうなかった。くしゃと握りつぶし、至近距離の西脇に、思い切り千絵は投げつけた。

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