2−1 シラスハウス①

 別にいま、セリは雑誌を読みたいわけではない。ここで暮らし始める寸前、駅前のツタヤでこの『キャンキャン』を買った。もう三年以上前になる。

 世の中に未練なんかなかったはずだった。なのに、買った。あれは夏の終わりだった。雑誌では秋服コーデを紹介していた。しばらく立ち読みし続けていたら、レジにいた店員がじっとセリのことを見ていた。店に客はセリしかいなかった。不安と同時に、腹が立った。セリは手にしていた雑誌をレジまで持っていった。店員は何食わぬ顔で値段をいい、セリは千円を出した。もらったおつりを、募金箱に入れた。

 もう次の秋には流行ってはいないだろうな、と思う。次はなにがくるのだろうか。でももう別にセリには関係のないことだった。なのに、勝手に考えている。

 今日は家にはセリとホトしかいなかった。そして、二人はリビングでテーブル越しにいるのだけれど、いっさい会話をしていない。

 そもそも、ホトはいつだってつながらないスマホになにかを打ち込んでいる。ホトがここに入居してから、しばらくして、急にやりだした。スマホはよく家にくる業平なりひらという男が新型アイフォンを自慢しにやってきて、置いていったものだった。そもそもこんな、電波のつながらないクソ田舎で、新型もないだろう、とセリは思う。今年のトレンドを頭の片隅で想像する自分を棚上げにして。

 セリはここから車で一時間ほどかかるドンキで買ったスウェット上下を着ている。センスのかけらもないサーモンピンクのスウェットは、身につけているだけで、生きる気力を奪う。でもしかたがない。セリがここにやってきたときに着ていたスナイダルは、洋美さんに奪われた。

 ホトはかわいくもないクマが描かれているTシャツと短パン姿だ。洋美さんのセンスが悪いのか、ドンキに置かれているものでは仕方がないのかわからないけれど、この家に住んでいるメンバーは全員、洋美さんセレクトを着せられている。ホトは気にしないらしい。

 雑誌で洒落た格好をしている女、何百ぺんもみた、女の気色の悪い作り笑い。その作り笑いが、セリと世界をぎりぎり繋ぎ止めている。

 夕方だった。みんなが帰ってきたら、ごはんだ。暇すぎる。

「雑誌ってさ、卒業しどき迷わない?」

 セリが話しかけても、ホトは返事もせず熱中している。こいつは頭がおかしいんじゃないかとセリは疑っている。

「高校の頃からキャンキャン読んでんだけど、なんかモデルとかどんどん変わっていっちゃって、わたしばっかおいてけぼりっていうか」

 無視して話しているうちに、イライラしてくる。

「おい」

 セリはホトに向かってすごんだ。ホトはその姿を見もしない。

「おいっつーの」

 雑誌を丸め、ふりかざすポーズをとってみた。ホトはまったく気にもしない。

「まじで暇すぎる。しかもこいつしかいねーとか」

「じゃ外出ろ」

 ホトがぼそっと呟く。

「ファッション雑誌ってさ、『小学一年生』みたく何歳までですよってきちんと定義してほしくない?」

 返事がない。返事をしないという返事。世界でいちばんつまらない返事。

 雑誌をホトに、セリは投げつけた。

「いってえ!」

「急所は外した」

 適当なことをいった。

「嘘だろ、殺す気かよお前」

「そんくらいじゃ死なねえよ。死ねなかっただろ。怪我すっかもしんないけど」

「させんなよなにいってんだ」

「でさ、どう思う?」

「なんだよ」

「わたしキャンキャン世代?」

 自分でもあほなことをいっているなあ、とセリは思った。別に聞きたくもなかった。そしてホトは顔をしかめた。セリは勢いよく立ち上がった。椅子が倒れた。

「世代世代。お前はキャンキャン世代!」

「どんな世代か定義しろ!」

「はあ?」

「キャンキャン世代ってなんだよ、おめーはわかってんだな? そうだな?」

「えええ。えーと、キャンキャン世代は……」

「おう」

「ギャル」

 やっぱりこいつはだめだ。アホでセンスもない、ただのネクラ野郎だ。当たり前だ。ここにいる連中にろくなやつなんていない。このあたりの連中も、クズばっかりだ。どいつもこいつも、終わってる。

「ばかだこいつ。まじでばかだ。しったかしてるよ」

「……じゃあ読んでるおめーがいってみろよ」

 ホトに言い返されて、困った。

「知らねえよ」

 吐き捨てるように、いった。だからといって、セリも正解の答えなんて知る由もない。わたしが好もしく思う人物の返答が、きっと正解なんだろう。つまり、質問する相手がそもそも間違っている。

「あ?」

「だから、わかんなくなっちゃってんの、読みすぎて。そもそも自分がどんなもん着たらいいのかわかんないくらいに、混乱しちゃってんの」

「いつもそんな格好してて服がどうとかいってんじゃねえよ」

 つまんない格好はおたがいさまじゃねえか、とセリは憤慨する。誰もわたしに、適切な言葉を投げかけやしない。

「フィットしないの。なにもかもが」

「いいじゃんスウェットで村歩いとけよ」

 そういわれ、セリは舌打ちした。

「こんのガキ……」

 いまならこいつを殺してもばれやしない。誰も見ていない。しかし、この家には刃物はない。思い切りこいつを殴ってやりたい。セリよりも細い、ガリガリの不健康なガキ。こいつなら押さえつけても歯向かわれやしないのではないだろうか。いつだってムカつくやつの殺し方をセリは考える。

 チャイムの音がした。

 奇妙だ。

 このへんに住んでいる連中はチャイムなんて押さない、ずかずかと入ってくる。ここに住んでいる連中に対する気遣いなどない。田舎の野蛮さだと最初は思ったけれど、ただたんに、わたしたちのことを人間として認識していないのかもしれない。

 ただの、死に損ない。それが自分たちだ。

 

 わかっている。なのにたまに、ひどく悪意ある視線に晒されているような気になる。自意識過剰なのはわかっている。

「業平かな」

 ホトがセリに訊ねた。知るかよ。

「出なよ」

 セリはいった。

「お前が出ろよ」

 スマホに視線を戻して、ホトがいった。

「誰かわかんないし、出たくない」

「はあ?」

「これやばいでしょ。このだらしないかんじ。ドンキ感」

「ドンキ感てなんだよ」

 再びチャイムの音がした。

「せめてスウェット買うにしてもドンキじゃなくて無印とかで買ってればよかったのに」

「関係ねえだろ」

「あるわ」

「無印なんてこのあたりにねえよ。お前の格好なんてみんな見慣れてるんだよ。自意識過剰……」

 チャイムの音がまた鳴り、ああ、くそ、といいながらホトがリビングから出ていった。

 スウェットをつまみながら、セリは歯ぎしりする。無理よ。わたし、これしか着るものないんだもん。こんな姿人に見られたくないんだよ。誰にも見られたくないと思って逃げ出したくせに、なにやってんだろう。セリは頭を掻き毟る。

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