100周目

100周目.プロローグ。最強で美少女なあの娘との。

 これは記憶だ。

 俺の中に残っていて――蘇った記憶。

 女神様が拾い上げて埋め込んだ記憶。

 俺にとっての、たぶん始まりの記憶。

 刈蛾正の記憶。



『お兄ちゃん』


 窓を閉め切った暗い部屋の中で。

 そんな声を掛けられた。

 扉の向こう側。

 妹の声。


『お兄ちゃん。開けてよ』


 もちろん、刈蛾正は扉を開けなかった。

 なんたって刈蛾正は引きこもりだった。

 そう簡単に扉を開けたりはしないのだ。


『ねえ――なんかよくわかんないけど、やばいんだって。何か来てるんだって。怪獣みたいなの』


 それはたぶん、あの美少女のこと(あるいは美少女を倒すために送り込まれた怪獣に転生した転生者)だったわけだけれど、もちろん、そんなことはそのときの刈蛾正は知らなかった。


 何かって何だよ、とか何とか言い返した。

 怪獣とか馬鹿言ってんなよ、とも言った。


『そんなのわかんないよ!』


 と扉を蹴っ飛ばし、


『馬鹿じゃないもん!』


 と続けて叫ぶ妹の声は泣き声混じりで、その声を真正面から聞くのが苦痛だったのと、ドアを蹴破られる可能性を考慮して、刈蛾正は背中で扉を塞いで耳を塞いだ。

 何の意味もなかった。


『お父さんもお母さんもなんか帰ってこないんだもん! 携帯も通じなくなってるんだもん! どうしたらいいかわかんないよ!』


 声は耳を塞ぐ手のひらをぶち抜いてきた。

 泣き叫ぶ妹の声は、容赦なく耳に届いた。

 もう、支離滅裂になっていた。

 ほとんどわけのわからないことを叫んで、それから疲れたように、妹が扉の向こうにずるずると背中を預けて座り込む気配がした。


『お兄ちゃん――』


 それから――ぽつん、と。

 妹は、こう、つぶやいた。


『――助けてよう』


 小さなその呟きだった。

 しかし、刈蛾正の耳にそれは届いた。


 それは極めて限定的な魔法の言葉だった。

 刈蛾正を動かすための――絶対的な呪文。

 その呪文を一つで――ただほんの一言で。

 引きこもりであることを刈蛾正は忘れた。


 おいおい刈蛾正、と俺は思う。

 その記憶の本当の持ち主に対し、思う。

 お前さ――どれだけやばい奴なんだよ、と。


 ボサボサの髪も、よれよれの服も、引きこもる前から貼りっぱなしのツンデレキャラのポスターも、暗く空気の淀んだ部屋も――そして、ずっと引きこもっていた部屋から出ることの恐怖も。


 その瞬間、刈蛾正の意識から消えていた。


 刈蛾正は立ち上がろうとして、

 バランスを崩してすっ転んで、

 強かに頭と背中を打ち付けて、

 痛みを感じるより先に立って、

 扉が、とにかくも邪魔なので、

 掴みかかって開けようとして、

 がちゃ、と鍵が掛かっていて、

 扉を蹴って開けようとし失敗、

 鍵を開けようとしたところで、


 そのときはまだ小学生だった妹が隠していた「金属バット犯の妹」と油性ペンで殴り書きされた赤いランドセルのことが、


 ぱっ、と、


 刈蛾正の脳裏をよぎった。


 続けて、


 出場停止処分のせいで最後の大会に出れなかったのに「お前は悪くないよ」と言ってくれた野球部の三年生の先輩ことが、

 前の席の奴の親御さんが怒鳴り込んできたときに割って入ってくれて、代わりになじられていた担任でもない教師のことが、

 十年勤めていたパートを辞めることになった母のことが、

 何も言わないが少し痩せた父のことが、


 ぱっ、ぱっ、ぱっ、と脳裏をよぎった。


 刈蛾正の手が止まる。

 刈蛾正の意識が、引きこもりだった事実を思い出す――自分がどうして引きこもっていなければならないのか、その理由を思い出す。

 自分が、間違った人間であるということを。

 そのせいで、どれだけ周囲を傷つけるかを。


 俺は行けないよ、と刈蛾正は言う。

 お前だけで行けよ、と妹に告げる。


 鍵を回そうとしていた手は、もう動かない。

 そう。

 刈蛾正は魔法の言葉に抗った。

 抗ってしまった。


『……お兄ちゃんの、嘘つき』


 妹の声。

 今にも消えてなくなってしまいそうな。

 そんな、弱々しい声。


『この、引きこもり野郎。それなら、もういいもん。全然、ぜんっぜん一人で大丈夫だもん……お兄ちゃんは、そのまま、そこで死ね――死んじゃえ』


 妹の声がそう喚いて。

 それから。

 わあん、わあん、と。

 泣き声。

 扉の前から立ち去る気配があって――その瞬間に、泣き声の中から、ぽつん、と漏れて聞こえた言葉。


『……お兄ちゃんなんか、大嫌い』


 刈蛾正は動かない。

 どこかに、ひどく痛みを感じていたけれど。

 それでも動けない。


 そしてそのまま、何時間もそうやってから。

 刈蛾正はようやく動き始めた。

 でも、まだどこかが痛かった。

 痛くて痛くて仕方がなかった。


 仕方がないのでゲームでもすることにした。


 まだ小学生の頃に、妹と一緒に夢中でやっていたゲーム機。今はもう結婚して子どももいる従兄弟が大学進学を期に「大学デビューすっから」と言って、大量のゲームソフトと一緒にくれた。

 古いゲーム機だ。

 三色ケーブルの端子をテレビに繋げる。起動すると、今にも壊れるんじゃねえか、という音がする。起動がやたら遅い。やがて流れ出したOPムービーは、ちょっと信じられないくらいチープだ。ネットに繋がっているわけでもないのに、ちょくちょく「ロード中です」とかの表示が出て止まる。

 古いセーブデータが残っていた。

 それはクリア済みのデータで、それを選ぶといわゆる「強くてニューゲーム」ができるゲームだった。躊躇なく「強くてニューゲーム」を初めたところ、どうも何周かしたデータだったらしく、レベルが最初から99とかだった。超強かった。ゲームの主人公は序盤の敵を素手で蹴散らし、最初のボスを木の棒の一撃で倒し、今の主人公では到底太刀打ちできないと言われる強大な力を持った中ボスを店で買った一番安い剣で一刀両断した。


 イベント戦だった。

 中ボスが復活した。

 もう一度倒す。

 また復活した。

 もう一度。

 また復活。

 倒す。

 復活。


 もちろん、ここは「逃げる」コマンドを選ぶしかないのだ、ということはわかっていた。わかってはいたのだが、それをするとめっちゃ可愛いサブキャラの女の子が犠牲となって死ぬのだ。そういうストーリーなのだ。せっかく周回プレイできるんだから助けられたってよさそうなもんだが、古いゲームだからか、単に大人の事情だからか、その辺の融通が利かないゲームなのだった。

 だから、ひたすら中ボスを倒し続けた。

 何度も何度も何度も。

 もう助けられない女の子を助けられるまで。

 何度でも。


 後悔していることには、もう気づいていた。

 妹を助けるべきだったと。

 何もかも無視して、扉を開けて、嫌がられながら妹の頭をなでてやって、もう大丈夫だ、と何の根拠もないのに言って、お兄ちゃんがいるからな、とただの引きこもりの癖に胸を張って、それからお前のセーラー服超可愛いぞと世辞の一つでも言ってやるべきだった。

 たぶん、呆れられただろう。

 皮肉の一つも、返ってきただろう。

 でもきっと、妹はそれから笑ったはずだ。

 ひとりぼっちには、ならなかったはずだ。

 その後、女神様のおかげで助けられたらしいが――でも、そんなことは刈蛾正にとって何の言い訳にも救いにもならない。

 あのとき、あの瞬間。

 泣きついてきた妹を助けられなかったこと。

 それが痛みの正体だ。

 もう、どうにもならないこと。

 だからその代わりとでも言うように、ゲームの中の、中ボスに殺される運命にある女の子を助けたくて、刈蛾正は中ボスを倒し続けていた。


 もうずっと時間が経ったはずなのに。

 痛みはまだ消えてくれなかった。

 もう何度も倒してやったというのに。

 中ボスの奴はまだ倒れなかった。


 そんなときだった。


 刈蛾正は美少女に轢かれた。部屋の中で。

 その美少女は刈蛾正の好きなツンデレキャラのポスターが貼られた壁を、容赦なくぶち抜きつつ吹っ飛んできて、強制的にその引きこもり生活を終了させ、そのついでに人生もさくっと終了させた。そのついでに、もう何度目かになる復活を遂げた中ボスを、レベル99の主人公たちと、死ぬ運命にあった女の子ごと、ゲーム機本体と一緒に粉砕した。


 半壊して光が差す部屋の中で。

 死にかけている刈蛾正の前で。


 美少女はすっくと立ち上がった。


 妹も着ていたはずのセーラー服に身を包み。

 妹もしていたはずの今にも泣きそうな顔で。


 刈蛾正の前に現れた。


 たぶん。

 その瞬間の記憶から、俺は生まれたのだ。

 だからきっと――俺は今、こうしている。


      ■■■


 意識の奴に「待たせたな。行くぞ」と手を差し伸べてやると『おうともさ!』と意識の奴は笑って俺の手を握り返し、ぐい、と俺を引っ張り上げる。


 目を覚ます。


 早朝。

 大方の準備は、前日の内に済ませていた。

 布団を畳んで、身だしなみを整え、金属バットを携えて、靴を履いて靴紐をぐいと締めて――後ろは、もう見ない。

 玄関を開けて、外に出る。


「よっす」


 メガネの奴がすでに待っていた。

 何かの意地なのか、ブレザー姿。

 本人曰くロマンの赤いマフラー。

 ふっへっへっ、と笑って告げる。


「おい、おせーぞ。バット」


「お前早過ぎだろ。メガネ」


 いや、本当に早過ぎだった。

 どう考えても始発の電車が走る前だ――たぶん、近くのホテルにでも泊まったのだろうけれど、俺が昨日駅まで送っていったのは何だったんだ、とちょっと思う。

 一体、何やってんだこいつ。


「そりゃおめー、昨晩は興奮して眠れやしなかったから早く来たに決まってんだろ」


「遠足かよ」


「あ、ちょっとアレな意味じゃねーからな」


「黙ってろ」


 と言い捨てて、俺は玄関先に置かれているアレクサンドリアへと近づき、ベルのところでドッキングしている天使さんに話し掛ける。


「どうですか?」


「万全です! すぐに行けますよー!」


「よし――行くぞ。メガネ」


「あいあいさー」


 アレクサンドリアに二人で乗り込む。

 正直、走らせるでもなく玄関先でメガネと一緒に二人乗りをしているのはだいぶ間抜けな絵面だったが、まあ仕方ない。


「それじゃあ、私は先に向こうへ行ってアレクサンドリアを誘導しますので――もう何度目かって話ですが、ご武運を祈ってますよ。バットさん」


「えっと――あの、天使さん」


「はい?」


「天使さんって――その、俺のこと、どれくらい知ってるんですか?」


「もう付き合いが長いですからね。だいたいのことは知ってると思いますよ。元引きこもりなこととか、ツンデレな女の子が好きなこととか、メガネさんに萌えないこととか」


「そういうんじゃなくて、俺がその――何なのかって話なんですけれど」


「貴方が、別に何者であろうと」


 と、天使さんが八重歯を見せて言う。


「私は、貴方のナビゲーターですよ」


「……そうですね」


 と俺はうなずき、そして言う。


「俺も頼りにしてますよ、天使さん――例え、貴方の中身が何であろうと」


「中の人なんていませんよ?」


 と、天使さんはそう主張して姿を消すが、その一瞬、服の裾から見えていた眼球的なものを俺は見逃さなかった。いやまあ、別にいいけれども。

 じゃあ行くか――と、俺はアレクサンドリアに合図を送ろうとする。

 と、そこで。


「ふっへっへっへっ」


 と、メガネの奴が何やら笑いながら後ろからいきなり抱きついてきて、俺はちょっと焦る。いや、だって、そりゃまあいろいろ当たるし、おまけにアレクサンドリアの上だ。「ちょっとおっ! 私の上でいちゃいちゃしないでよねっ!」的な感じでアレクサンドリアがフレームを捩っている。でも誤解だ。


「おい。どうした?」


「てめーあれだろ。女神に会ってきたろ?」


「……さすがに察しがいいな」


「あれだよあれ――あの女の匂いがする」


「お前はいつからヤンデレになった……」


「ふっへっへっへっ」


「……現実じゃないらしいな。この世界」


「らしーな」


「俺、割とショックだったんだけど」


「私も私も」


「そうは見えねえんだけれど」


「しょーがねーだろ。現実じゃなかろうが、生きてる以上は、どーにかこーにか生きてくしかねーんだから――まあ私は死んでるんだけどな! ゾンビだけどな!」


「でもなあ……」


「馬っ鹿てめーそんなことより今背中に当たってる感触の方を楽しめよー。そしてもーいい加減私に萌えろ萌えろ萌え狂うのだー」


「離れろ。お前にはいまいち萌えない」


「知ってる」


 ふっへっへっへっ、とメガネは笑って。

 でも、離れなかった。

 ぎゅうぎゅう、と俺を強く抱き締める。

 一瞬、引き剥がそうとして――止めた。


「……なあ、メガネ」


「おーよ」


「たぶん『視て』知ってるんだろうけれど――俺、なんか刈蛾正じゃなくて、その記憶持ってるだけの兵器らしくてさ」


「ふーん」


「で、お前が死んだのも俺のせいらしくて」


「うん」


「でも、それなのに女神様、殺せなくてさ」


「……うん」


「しかもあの美少女ともう戦わなくてもいいって言われたのに、もう一度戦うって、女神様に無理言ってきてさ」


「そんで?」


「――ごめんな」


「…………」


 背後で、一瞬の沈黙。その直後。


「どおりゃあっ!」


 至近距離で頭突きされた。後頭部に。


「痛えっ!?」


 と俺は悲鳴を上げ、


「ぎゃ-すっ! 思ったよりこいつ後頭部堅えっ! 額めっちゃ痛い! 超痛い!」


 とメガネが背後で絶叫した。

 至近距離なので超うるさい。


「バットてめー何してくれやがんだ!」


「こっちの台詞なんだが……」


「うるせえやかましいお前のせいだ! これから楽しい美少女戦が待ってるってのに、うっじうじうっじうじ、としやがって! そんな奴に育てた覚えはねーぞ!」


「お前に育てられた覚えはねえよ……」


「うるせー馬鹿てめーこんにゃろ! いいか! 順を追って解説してやる! 耳の穴かっぽじってよく聞けよく聞け! まずあんたが兵器だってことについて!」


「お、おう……」


「私最初から知ってたから大丈夫! 以上! じゃあ、次――」


「おいお前それで済ますなふざけんな」


「次! 私が死んだ件について! あれは私もちょいとミスった! 後は全部あの女神が悪い! はい以上! ほいじゃ次! バット、てめーじゃあの女神殺すのは無理無理無理無理絶対無理! ほい以上!」


「おい――おいメガネてめえ」


「うるせー後がつかえてんだよ! んで最後な! 戦わなくても良いのに美少女と戦うって――そんなん当ったりめーだろうが!」


 ぐいぐいぐい、と。 

 俺の背中に額を押しつけ、メガネが怒鳴る。


「何のために前の世界でいろいろ準備したんだ! 私だって頑張ったんだ! フォルトちゃんとかにも手伝ってもらって、ちょー頑張ったんだかんな! 『やっぱいいや』じゃねーよふざけんな! ふざけんなあっ!」


「メガネ……お前なあ……」


「なんだおら文句あっか!?」


「文句しかねえよ」


 と俺は苦笑して、それから言い直す。


「ごめんな――よろしく頼む」


「おーよ任された」


 ふっへっへっへっ、とメガネは背中で笑う。


「ま、あんたがただの兵器だってんなら、私だってただのゾンビだ。似たようなもんだからへーきへーき」


「だいぶ違うと思うが」


「細けーこたーいーんだって。何なら、あのテンプレ天使だって中身入りだし」


「まともなのはアレクサンドリアだけだな」


「いや、そいつが一番まともじゃねえから」


 メガネは「うっし。しゅーりょー」と言って、俺の背中から身を離す。何だか懐かしい感じだな、と思っていると唐突に首に何かを巻き付けられた。

 ロープか何かかと、思わず身構えたが、別にそういう物騒なものではなくて、例のロマンがどうたらという赤いマフラーだった。


「てめーにくれてやる。餞別だ」


「いや、別に要らねえんだけれど……」


「いいから巻いとけ巻いとけ。マフラーさえ巻いときゃ、もれなくそいつはヒーローだ。即座に正義の味方になれっから」


「誰かに怒られろ」


 正義の味方を何だと思ってんだこいつ、と俺はメガネの奴を睨み付ける。


「……だいたい、俺はそんな柄じゃねえよ。正しいとこなんざこれっぽっちもない。むしろ、何もかも間違いだらけでだな」


「大丈夫大丈夫。別にいーんだよそんで」


「あ?」


「正義の味方なんざ、正しくなくてもいーんだよ。正義になれなくてもおっけー」


「何だそりゃ」


「正義の味方の神様がそう言ってた」


「誰だよ……」


「いーからいーから。行こーぜ、バット」


「まったく」


 と俺はちょっと肩をすくめ、無理矢理巻かれた赤いマフラーに触れつつ、告げる。


「じゃ、行くか」


 その一声に、ひひーん、とアレクサンドリアはベルをかき鳴らし、車体を高く持ち上げてそれに応える、

 ひゃっほう、と歓声を上げ、メガネが叫ぶ。


「――最終決戦だ!」


      □□□


 また空中に放り出された。

 もういい加減改善して欲しかった。


「みぎゃああああああああああああっ!?」


 落下は初体験らしいメガネが悲鳴を上げている中、天使さんがぱたぱたぱたと飛んできてアレクサンドリアにドッキング。


「後は頼みます!」


 と、悲鳴を上げているメガネのことを任せ「任されました!」という言葉を背後に聞いて、俺はアレクサンドリアの背中から、ひょい、と宙に身を踊らせる。

 落下する。

 見上げる中、アレクサンドリアはまず車体に無数の羽を生やして風を掴んだ。

 その次に、その羽の中心部にあった車体が糸が解けるように分解し、変質し、無機物から有機物になって、ひどく華奢で白くて美しい人間の腕を形作り――ただし、腕だけたくさん。

 羽の中心部、白い腕が複雑に絡み合った、奇怪なオブジェのような集合体が出現。

 ぺたん、と。

 その上に座るのは天使さん。

 どうやらこの腕の塊は、アレクサンドリアの新形態らしい。いつの間にこんな新形態を、と俺はちょっと驚き――まあ最終決戦だしな、と納得する。

 しゅぱ、と。

 新たな姿となったアレクサンドリアは複数の腕をするすると宙に伸ばして、ばたばたと手足を振り回して落下していくメガネの身体を、ぱしっ、とキャッチ。ついでに、こっちの世界に来たせいかころりと落ちかけたメガネの生首を、ひょい、とはめ直しつつ――近くのビルの上へと着地させる。

 それから褒めて褒めて、とでも言うかのようにゆらゆらと腕を揺らす。

 さすがアレクサンドリアだった。

 超可愛い。

 メガネの奴は「ぎゃああああああ腕の化け物ぉっ! なんかめっちゃグロいっ!」とか何とか言って騒がしいがそんなことはないと思う。

 それから俺も着地する。

 どかん、じゃ済まないくらいに盛大に音を立てての着地だが、大量の落下耐性のおかげで問題ない――あの美少女には確実に気づかれただろうが、別に構いやしない。不意打ちなんて通用するような相手じゃないし、こっちは遅れに遅れているのだ。

 ひょい、とビルの合間を跳んで駆けて、メガネの奴と合流する。

 全スキルはすでに解放済み。

 当然、全力。

 天使さんの誘導のおかげか、赤い塔は、今の俺にとってみればほんのすぐ側――目で見える位置にある。

 が、何か妙だった。

 何だ、と思っているとメガネが言う。


「なんか、でかくなってね?」


 その通りだった。

 赤い塔が見た目はそのままに、なんか、でかくなっていた。


「666メートルになってんな」


 と『視た』のかそれとも別の方法で調べたのだか、メガネが言う。その数値を聞いて、もしかして白い塔に対抗しているのだろうか、と俺はちょっと思う。


 その赤い塔のてっぺんで。

 美少女が――待っていた。


 すっく、と立ち上がる姿は仁王立ちで。

 ばさり、と黒髪を宙になびかせながら。

 ずずい、と張られた胸は、ぺったんこ。


 一言で言うと、美少女。

 あるいは、セーラー服の美少女。

 もしくは、めっちゃツンデレっぽい美少女。


 滅んだ世界の赤い塔の上。

 ぽつん、と。

 たった一人でそこにいる。


 例の何だか今にも泣きそうな顔のまま。

 その瞳が俺を捉えて、見下ろしている。


 前回くっ付けた魔法によるマーカーを俺は確認する。正直、解除されているのでは、と思っていたがそのままだった。

 つまりはあれか。

 やれるもんなら、やってみろ、ってことか。

 まったく、と俺は思う。

 いいぜやってやるよ、と俺は笑う。

 金属バットを握り締めて、俺は構える。


「よお――」


 今となっては、もう。

 ほんのすぐ側にいる、美少女に告げる。


「――待たせたな」


 返事はなかった。

 でもその代わりに――美少女が構えた。


 ぺったんこな胸で踊る、赤いスカーフ。

 さらりと綺麗な黒髪が揺れて宙を泳ぐ。

 赤い塔を学校指摘的な靴で踏み鳴らし。

 ふわり、と翻るスカートはただし鉄壁。


 美少女が。

 赤い塔のてっぺんで、俺を待っている。


「――行くぞ」


 俺がそう告げる。それと共に。

 さーてとそんじゃー、とメガネの声。


「じゃじゃーん! 秘密兵器の登場だ!」


 と、いつの間にやら俺から離れた場所に立っているメガネの奴が取り出したのは、ちょうど野球ボールくらいの大きさの、一つのボール。

 もちろん、ただのボールではない。

 真っ黒で、幾何学的な模様が描かれ、金属光沢を放っているそれは、最高品質の魔法弾なのであって、その中には現在目一杯に大量の魔法が込められている――前の世界でメガネと一緒にいろんな人に協力してもらいながら作っていた、秘密兵器。

 もちろん完成していた。


「ぴっちゃー振りかぶってぇ――」


 メガネの奴はどこからともなく野球帽を取り出して被ると、何だかちょっと不安になるやたらと大仰な投球フォームを取って――


「うおりゃあっ!」


 投げた――直後につぶやく。


「――あ、やっべごめん」


 大暴投だった。


「おいこらてめええええええっ!?」


 思わず絶叫しながら、俺は意味不明な方向へと飛んでいったボールを追って、ビルの上から上へと跳んで走ってボールを追いかける。ふわふわ、と頼りない飛び方をしたボールは風に煽られながら、ふらふら、と変な軌道を宙に描く。そして落ちていく。俺はそれでも必死で金属バットをフルスイングする。


 少しだけ遠い。

 間に合わない。


 そう思った直後、ボールが、ぶるり、と身を震わせ、気合いか何かを思わせる動きでちょっと浮き上がった。そのまま、フルスイングした金属バットの真芯へと吸い込まれるように飛んできて――


 ふと、そこで俺はふと思う。

 そう言えば、こいつをこんな風に正しく使ってやれたのは初めてだよな、と。


 かきん、と。


 心なしか、ちょっと嬉しげな快音が響く。

 ボールが飛んでいく。

 赤い塔の上の、美少女へと向かって。

 マーカーを追ってまっすぐ――ではなく、曲がって、浮いて、沈んで、揺れて、フェイントでちょっとバックしてみたりして、分裂して、消えて、現れて、消えて、また現れると見せかけて未来に跳んだりもしつつ――それでも、美少女目掛けてかっ飛んでいく。

 そして、俺はそのボールを追って――


「――走れっ! バット!」


 と、メガネの奴の声が聞こえた。。

 宙から伸びてきたアレクサンドリアの手に回収され、転げ落ちそうになる首を押さえながら、どこからともなく取り出したメガホンで俺に向かって叫んでいる。

 天使さんも「思いっきり行っちゃってください! バットさんっ!」と言っている。ひひーん、とどこから出しているのかわからないがアレクサンドリアの声援。

 何だか、本当の野球の試合みたいだった。

 けれど、金属バットは放り捨てずに。

 俺は走る。

 首に巻いたマフラーをたなびかせて。

 赤い塔の上で待つ――美少女へと向かって。

 全力で突っ走る。


 一足先に美少女へと辿り着いたボールが周囲に展開されている防壁を瞬時に打ち砕いて突っ込んだところで、美少女の掲げた片手がそれを受け止め、その衝撃で駆け上がるための最初の一歩を踏み出そうとした俺の目の前で赤い塔が「ぎゃーす!?」と言わんばかりに軋んで悲鳴を上げ――残り666メートル。


 美少女の手の中で、しかしボールは「まだまだこんなもんじゃ終わらねえぜ!」と言わんばかりに突き進もうとし、その勢いを受け止めるべく美少女は足下を踏み締め、赤い塔が「やめろぉっ!?」と言わんばかりに身を捩った拍子に構造体の一部が弾け飛んで、赤い塔を駆け上がる俺の真横を通って背後に消えていき――残り333メートル。


 ボールに込められた大量の魔法やらスキルやらが美少女目掛けて発動する。それに対抗して美少女の有する魔法やスキルも発動。魔法と魔法が互いに互いを出し抜かんと貫通し合い無力化し合い打ち消し合って、その脇ではスキルとスキルが「俺の方が強い」「いや俺の方がチートだもんね」と食い破り合っている中、その余波で割と重要そうな諸々の箇所がへし折れた赤い塔が「あかん」と諦めムードを漂わせる中、俺は赤い塔のてっぺん目指して駆け抜ける――最後の100メートル。


 一瞬をさらに切り刻んだ時間の中。


 向かう先にいる美少女と、その手の中で力を失いつつあるボールを俺は見る。すでに美少女の意識は足下からやってくる俺に対して向けられていて、空いているもう片方の手が、突っ込んでくる俺を迎え撃つべく構えられていた。


 このままだと、いつも通り俺の負けだ。


 だから俺は叫ぶ。


「リア充――」


 音なんてとうに置き去りにした速度の中。

 意味なんてないのは、わかっていたけど。

 でもやっぱ言うべきだと思って俺は叫ぶ。


「――爆発しろぉっ!」


 もう本当に本当の、ほんのすぐ側の距離で。

 ボールに込められた最後の魔法が発動した。

 リア爆魔法少女の――俺の弟子の、十八番。


 ぞろり、と。

 美少女の有する、全ての魔法とスキルが脅威を感じてその目を覚ます気配。

 ごぞり、と。

 即座に、一切の油断も容赦もなく束になって迎撃し、無力化しようと立ち塞がる。


 そしてその直後。

 その膨大な魔法とスキルの大群を。

 紙くずみたいにまとめて引き裂き。

 魔法が発動する。


 ――美少女が、コケた。


 驚いたのか、美少女が目を見開く。

 完璧に崩れた姿勢で、けれどもそれでも俺を迎撃しようとしていて、でも今は。

 俺の方が――ほんの少しだけ早い。


 赤い塔のてっぺんで、交錯した。


 その衝撃が、赤い塔に致命傷を与えたらしく「駄目だこりゃ」と言わんばかりに各部が断末魔の悲鳴を上げ始める中で。


 ばたん、と。

 どてっ腹をいつも通りな感じでぶち抜かれ、俺は崩壊し始めた赤い塔の上にぶっ倒れる。倒れたときに、首に巻いていたマフラーがどっかに飛んでいってしまったことに気づく。割とどうでもいいことではあったが。

 どうやら即死ではないようだったが、まあ、時間の問題という感じだった。意識の奴が、いつどうやって去っていくべきかと思案している気配をちょっと感じる。

 それでも、何とか顔を上げた。


 ほんのすぐ側に、美少女は立っていた。


 何というか、その、ほぼ無傷で。

 ほぼ、というのは胸元のスカーフが根本からちぎれ飛んでいるから。つまりは、それが今回の戦果ということになる。

 これだけ苦労して、たったそれだけ。

 おいおい、と俺は呆れる。

 けれども、と俺は思う。


「おい――」


 それでも、と俺は美少女に笑ってみせる。


「――届いたぞ」


 それは正直、単なる負け惜しみで、単なる強がりでしかなかったのだが――でも。


「なんで」


 意外なことに、言葉が返ってきた。


「なんで、私と戦うの?」


 美少女の言葉。

 思っていたよりもずっと小さくて、ずっと弱々しげな感じの声だった。

 しゅるり、と。

 美少女は、ちぎれたスカーフをほどいて襟元から外すと、そのままぱっと手放した。ちぎれたスカーフは赤い塔のてっぺんに吹いている強風に拾われて、あっという間にどこか遠くへと消えていった。


「――私に、勝てるわけないのに」


「…………」


 俺はちょっと考える。

 もちろん、理由は自分の中では明確だったが、それをいざ言葉にしようとすると途端に曖昧になりそうだった。

 仕方がないので、俺は告げる。


「中ボス」


「え?」


「お前が俺の部屋に突っ込んできたとき、ゲームしててさ。あと少しで、中ボス倒せたんだ。でも、お前のせいで倒せなかった。だから、その――それが理由」


「ば」


 と、一瞬、美少女が絶句して。

 それから、思いっきり叫んだ。


「馬っ鹿じゃないのあんた!?」


 あ、これ選択肢間違えた奴だ、と俺は思う。

 ちょっと後悔したけれど、後の祭りだった。


「そんな理由!? よりにもよって、そんな理由!? もう少し何かこう、もう少しマシな理由があるべきなんじゃないの!?」


「ええと……あとは、その、部屋に飾ってたツンデレ美少女キャラのポスターぶち破られたこととかも……」


「自分の世界を滅ぼされたことは!? そのために私に復讐するとか、嘘でもいいから、そういう真面目な理由は言えないの!? ねえどうなの!?」


 があんがあん、と美少女は叫びながら地団駄を踏み、もうすでに限界ぎりぎりな赤い塔が「やめて死体蹴りやめて」とぎしぎし軋む。スカートの裾が翻って割と際どい感じだが、でもやっぱり鉄壁だった。


「だいたいそもそも! 何だって今回戻ってきちゃったの!? わざわざ貴方の世界の住民の避難先のシェルター見つけて、そっちに送り込んでやったのに! あんたの彼女さんだって、ちゃんと一緒にして送ってあげたじゃない! それなのに何で戻ってくるの!?」


「彼女?」


「ほらあの、えっとその……おっきい人」


 何がおっきいのか美少女は明言しなかったが、まあたぶんメガネのことだろうな、と俺は察して説明する。


「いや、あいつ友達」


「ふざけんな」


 ちょっとどころではなく本気で美少女は睨んできて、俺は震え上がって黙り込む。


「ああ、もう」


 と、心底呆れた様子で美少女は空を仰ぐ。


「馬鹿みたい」


 ため息を一つ吐いて。

 それから。


「――ほんと、馬っ鹿みたい」


 くすくす、と。

 呆れたように、でも何だかひどく楽しげに。

 美少女が笑う。


 ああそうかそうか、とその瞬間に俺は思う。

 そうそれだよそれ、とその笑顔を見て思う。


 でも意識の奴はすでにスタンバイしていた。

 ついでに赤い塔も「もう無理」と崩れ出す。

 なんて言うかもうそういう雰囲気じゃない。

 仕方がないので、俺は美少女にこう告げる。


「おい美少女」


「何?」


「転生者なめんな――次はもっとふざけたチートを手に入れて、お前を倒してやる」


「そ」


 と。

 崩れていく赤い塔の上で。

 死にかけの俺を、美少女は見下ろす。


 その右手が不意に動いて、ふわりと飛んできた何かを掴む――赤いマフラー。

 次の瞬間、たぶん何かのスキルが発動。

 美少女の手の中で、マフラーはばらばらに解け、赤い糸になって、それから編み直される――瞬きする間に、赤いスカーフに形を変えていた。

 しゅるり、と。

 新しいスカーフを美少女は胸元で結び直す。


 すっく、と立った姿は仁王立ちで。

 ばさり、と黒髪を宙になびかせて。

 ずずい、と張る胸はぺったんこで。

 ただし、スカートはやはり鉄壁な。


 最強で。

 美少女で。

 思っていたよりも、普通の女の子な。

 そんな――彼女は。

 片目を指で押さえ、舌を出して――つまりは、あっかんべーをして俺に告げる。


「やってみろ。チートやろー」


 直後。

 赤い塔が、とうとう崩壊を始める。

 それと同時に、意識の奴が待ってましたと言わんばかりに現れて「僕たちの戦いはこれからだ!」とか何とかアレなことを言い出して颯爽と去っていく。

 でも、まあ確かに。

 その通りだ、とその背中を見送りつつ思う。


 つまるところ。

 俺と彼女の戦いはまだ全然これからで。

 そんな長い長い戦いについてのお話は。

 たぶんきっと。


 今この瞬間――始まったばかりなのだ。

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何度異世界転生しても最強で美少女なあの娘が倒せない件について 高橋てるひと @teruhitosyosetu

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