____

____.____

 こつん、こつん、と靴音が鳴り響く。


「ついに――このときがやってきましたね」


 と、厳かな声が告げる。


「長い長い時間が掛かりました。でも――」


 と、しばし溜めを作ってから、声は続けた。


「――お待たせしました! 真のヒロイン! 貴方の女神様の登じょ」


「ヒロインはアレクサンドリアです」


「まさかの仕打ち!? でも、そこも素敵!」


「はいはい」


 と適当に相づちを打ちながら、俺は周囲を見回す。


 視界の果てまで続く材質不明の白い床。

 視界の果てまで続く正体不明の白い空。

 光源が見当たらないが、何故かある光。


 取り立てて描写するものが特にない、何というか手抜き感溢れる雑な空間。


「転生の間へようこそ」


 と女神様が俺に告げる。


「ええと……」


 俺はとりあえずどこからツッコミを入れるべきか考え、手に金属バットが握られていることを確認してから、相手に尋ねてみる。


「え……俺、死んだんですか?」


「いえいえ。ただ――こう、ちょっと首をきゅっ、としましたよね?」


「されましたね」


「それで貴方をちょっと仮死状態にしたところで、一時的にこっちに引っ張り込ませてもらいました。お話したくて」


「何してくれてるんですか」


「てへ」


「たぶん許されませんよそれ」


「だって! あの美少女が勝手にバットくんを異世界に送り込んだせいで、私と二人きりの甘い時間が華麗にスキップされたんですよ!? くやしいじゃないですか! 私もっとバットくんとお話したいです!」


「死ぬ前にちゃんと戻して下さいね……」


 俺は諦めた。何たって相手は神だ。

 それに――


「――聞きたいこともいろいろありますし」


「え、何です何ですバットくん!? もしかして、女神様のことが知りたいんですか!? 仕方ありませんねそれじゃあまずはスリーサイズを」


「それはとりあえず置いておいてですね……ええと、まず、何なんですかあの世界」


「ああ、あの世界ですか? あれは緊急用の転移シェルターですね」


「転移しぇるたー?」


「何かの外的要因で世界の一つが滅びそうなときなんかにですね、可能な限り、住民をあの異世界に転移させて保護するんです」


「ええと、つまり……」


「あの美少女が貴方の元居た世界に現れた時点で、私は貴方の世界の住人と、その近傍異世界の住人をあの世界へと退避させる緊急措置を行いました」


「何でそんなことを」


「それはもちろん、戦場になることがわかっている世界に、無力な住民を置いたままにするほど鬼畜ではないですよ。助けられるなら普通に助けます――助けられないときはすっぱり諦めますし、必要な犠牲なら躊躇はしませんが」


「……意外と神様らしいとこあるんですね」


「誉められた! もっと誉めて下さい! もっともっと!」


「ええっと、つまり」


 と、俺は女神様に言う。


「俺の家族は、本物なんですか」


「そうですよ。バットくん」


 そうか、と俺は思う。

 妹も、父も母も、それから押鼠や板鍵も。

 ちゃんと本物で――死なずに済んだのか。


「女神様」


「はい。何です?」


 俺は頭を下げて言う。


「……ありがとうございます」


「おおおうっ!? バットくんが! バットくんがデレてくれましたよ!? やった! やりましたよ! でも、なんかちょっと物足りない気がする不思議!」


「もう駄目ですね貴方は」


「私を駄目にした責任……ちゃんと取ってくれますね?」


「どう考えてもそれは俺の責任ではないので却下です」


「責任を軽やかに受け流す姿も素敵!」


「はいはい……でも、そんなことして大混乱になったりはしないんですか? というか、それなら俺の部屋があったのはどうしてです?」


「それはまあ、記憶改竄されてますから」


「ちょっと待て」


「お、落ち着いて下さいバットさん……そんな酷いことをしているわけじゃなくてですね、あの世界では特殊なスキル群が常時発動していて、避難した住民の記憶から世界を構成して、そこから生じる矛盾による違和感を記憶改竄で良い感じにフォローするんです……ほら、貴方の部屋がちゃんとあったり、白い塔が生えてたり、メガネちゃんの元いた世界の人と出会ったりしたのは、そのせいです」


「ああ、やっぱ違うんですね……俺の暮らしてた世界と、あいつの暮らしてた世界って。俺の世界は滅亡してましたけれど、メガネの世界はやっぱ無事なんですか?」


「異世界間砲撃の余波で消し飛びました」


「すみません……さらっとえげつない情報を出すの止めてくれませんか……?」


「住民の方は無事なのでセーフです」


「絶対セーフじゃないと思いますけど……ええとその、メガネのことなんですけど」


「はいはい何ですか? あの娘とキスしたときの感触でもお教えしますか?」


「いやそれは知ってるんで」


 と俺は言い、


「あれですよね。メガネの奴と前の世界で会えたのって、女神様の取り計らいなんですよね?」


「あー、ばれちゃいましたか?」


「まあ……さすがに偶然ってことは無いだろうな、とは思ってましたけれど」


「でも安心して下さい! 会えるかどうかまでは賭けみたいなもんでしたから! 君とあの娘の運命の赤い糸は本物! でも真のヒロインは私です! 正妻の座は渡しませんよ!」


「ヒロインはアレクサンドリアですって」


「ふざけんなと言わせてもらいますね! ……でもそんな貴方も素敵!」


「はいはい……まあ、あいつの気持ちを考えると、良かった、とは言えませんけれど……でも、それでも、ゾンビであれ何であれ、メガネの奴と会えたのは女神様のおかげです。そこのところは、感謝してます」


「わあ! また感謝されましたよ! すごい! 一体どこまで行くんでしょう!? もしやこのままちょっとアレなことを!? きゃん、でも私、まだ心の準備が――」


 と身をくねらせる女神様を無視して。

 俺は、少し躊躇ってから告げる。


「それで、その」


「よーし! 女神様覚悟を決めましたよ! さあ来て下さい! どーん、と来て!」


「違いますって……いや、勘違いだと思うんですけれど」


「はい」


「メガネの奴が死んだのって」


 俺は言う。

 なるだけ冗談めかして。


「女神様の差し金じゃないですよね?」


 それに女神様が答える。

 笑顔のままで。


「そうだと言ったらどうするんです?」


 全スキルを解放した。


 目の前の女神へと飛びかかってその首筋を左手で掴みそのまま押し倒し白い床へと背中から叩き付けて馬乗りになって大量のスキルとありったけの殺意を込め右手に持った金属バットを振り上げて相手の顔に叩き込むべく見下ろし――


 笑顔。


 ――振り下ろした金属バットの先がその笑顔のほんのすぐ隣へと叩き込まれ轟音と衝撃が何もない白い空間に響き渡って荒れ狂う。


「やん、大胆」


 顔の真横に金属バットが突き立った状態で。

 けれども眉一つ動かさずに、女神様は言う。

 笑顔のままで。

 俺はその女神様の笑顔を見下ろして告げる。


「――殺すぞ」


「あは」


 と、女神様は楽しげな声を漏らす。


「怒った顔も、素敵ですよ――前に送り出したときには、今にも壊れそうな戦闘マシーンみたいになっていたくせに、今じゃちょっと強いだけの普通の男の子ですね」


 ぎりぎりぎり、と。

 左手が相手の細い首をへし折ろうとしているのを、歯を食いしばって堪える。


「良かった。メガネちゃんのおかげですね」


「どういう意味だ」


「そういう意味ですよ?」


「つまり」


 声の震えを自覚しながら、俺は言う。


「だからメガネの奴を殺して、ゾンビにしたってことですか――俺と、一緒にいさせるために?」


「正確には、あの美少女を倒すため、です」


 と、女神様は言う。


「たった一人で孤独に戦い続けることは、誰にもできませんから」


「…………」


 俺は。

 震える右手で。

 金属バットを再び振り上げる。


「無理ですよ。バットくん」


 女神様が言う。


「貴方には私を殺せません」


「スキルか何かで転生者を縛っているから――それとも貴方が神だから、ですか?」


「違います違います。そんなもんに頼ったってですね、結局、どうにかこうにかされて、あっさり殺されちゃうもんです」


「じゃあ、何です」


「長い付き合いだから、ですよ」


 す、と。

 片手を上げ、俺の頬に掌を当てて告げる。


「結局は、そういうのが最強の盾です」


「……そりゃまた、随分と雑な守りですね」


「まあ、それでも死ぬときは死にますね――でもそれならそれで、仲良しな人に殺されるなら、幾らか諦めも付くってものです」


 くすくす、と女神様は言う。


「それで、どうですか? バットくん?」


「……無理ですね」


 金属バットを、振り下ろさずに。

 女神様の首を掴んだ手を離して。

 女神様が頬に触れる手から逃れ。

 それから、俺は女神様に尋ねる。


「その、メガネの奴は、このこと……」


「もちろん気づいてますよ」


「……あの馬鹿」


「でも、それでもあの娘は貴方に会いたかったんでしょうね――もう結婚してあげたらどうですか?」


「貴方までそんなことを言い出しますか」


「私は男女問わずのハーレム許容派ですので――しかしまあ、私のそんな画策もいろいろと無駄になってしまった感がありますが」


 よっこらせ、と立ち上がって。

 さて、と女神様が俺に尋ねる。


「ねえ、バットくん。聞きたいことは他にもあるんじゃないですか?」


「まあ、幾つか」


「例えば」


「この世界って、現実じゃないんですか?」


 と俺は言う。


「つまりは、今の異世界も、これまで旅してきた異世界も、それから俺が元々住んでた世界も、全部含めて」


 女神様は笑ったまま。

 では、と俺に言った。


「長いお話をしましょうか――バットくん」


      □□□


 白いテーブルと白い椅子が用意された。

 手動で。ずるずる、と。

 ちょっと待ってて下さい、と女神様が言ってすたすた歩いて白い世界の中に姿を消し、再び白い世界の中から現れたときに、うんうん、と言いながら一生懸命引っぱってきた。

 仕方がないので手伝った。


「重かった……」


「そこは何かこう、指を一つ鳴らしてとか、そういうのできなかったんですか」


「神様だって万能じゃあないのです」


 と言って椅子に座り、両手を組んで顎を乗せ、同じく向かいの椅子に座った俺にちょっと上目遣いの視線を送りつつ「さて」と女神様は告げる。


「この世界が現実じゃない、でしたか」


「ええ……」


「貴方の予想を、聞かせてもらっても?」


「予想というか、メガネの奴のアレで『視てる』以上、もうそうとしか思えないんですけれど。NPCとかいう単語が見えましたし」


「ほうほう」


「ですから、そのいわゆる仮想現実とかそういうので、つまり異世界転生と見せかけて、実はVRMMOというオチだったのかと」


「ふんふん」


「それでたぶんプレイヤーは――貴方」


「…………」


 女神様は、そっと目を伏せた。

 意味ありげに俺から視線を逸らし、意味もなく髪に指を絡めたりして、それから意を決したように俺に向き直って、告げる。


「ぶっぶー。ほぼ外れですー」


 がたっ、と。

 俺は椅子を蹴倒して立ち上がる。


「ひぅあっ!?」


 あっさり怖がって悲鳴を上げる女神。


「そ、そんな怖い顔しないで下さい!? た、ただちょっと場を和ませようとしただけですよ! とりあえず座ってリラックス――そう、リラックスですよバットくん!」


「いいからシリアス維持して下さい」


「ひいっ!? でもそんなところも素敵!」


 てめーさっき平然としてただろうがふざけんな、という言葉が喉元まで出かかったが、何とか押さえ込む。それを言ったらたぶん相手の思う壺なのだと思う。

 単に怖がっている演技をしているだけなのか、それとも、さっきは怖いのをめっちゃ我慢してシリアスを維持していただけなのか、少し判断に困る。普通に考えれば前者だと思う。きっと前者だ。前者であって欲しい。

 まあ考えても仕方がない。

 とりあえず椅子に座る。

 リラックス――そう、リラックスだ。

 そして、話を先へと進める。


「ええと……じゃあ現実じゃないってのは、俺のただの痛い妄想だったわけですね」


「あ、現実じゃないのは当たりです」


 がたあんっ、と。

 俺は椅子をぶっ飛ばしながら立ち上がった。


「そこ一番重要なとこなんですけど」


「ま……まあまあ落ち着いて下さいバットくん。ほら座って座って! そう……おすわりですよバットくん!」


「あ?」


「ひぃ睨まれたっ!? でも素敵っ!」


「……」


 黙った。

 俺は吹っ飛んでいった椅子を拾いに行く。

 拾って、戻ってきた。

 座った。

 もう面倒くさかった。


「で……つまりはアレですか。俺たちは所詮は0と1でできてるデータの塊で現実世界のスイッチ一つできっぱり削除される運命にある哀れな存在とかそういうオチですかそうですか本当にありがとうございました次回作にご期待下さいってわけですか」


「そ、そんな投げやりにならないで下さいバットくん――ほら、アメを上げますから元気出して下さい」


 そう言って女神様はアメ玉を差し出してくる。アメを包んでいる白い袋には「めがみあめ」「女神謹製」「元気入り」と書かれている。


「…………」


 いまいち得体が知れない感じだったので、よっぽど捨てようかと思ったが、何だかもうどうでもいい感じだったので口に放り込む。特にどうということもなく普通に甘い――意外と悪くない感じだった。


「単刀直入に言いますと」


 と、アメ玉を頬張っている俺に、女神様は切り出した。


「現実は行方不明です」


「…………行方不明?」


 ちょっと意味がわからない。何だ、それは。


「伝承に拠ると」


 と女神様は言う。


「かつて、現実世界の旧人類は、世界を創造する科学技術を発明したとのことです」


「発明したって……」


「発達した科学は――」


「成る程」


 ドヤ顔で死ぬほど有名な言葉を引用しようとした女神様を遮りつつ、「それで」と俺は言う。


「つまりは、それが異世界だと」


「はい。現実世界をオリジナルの世界として、そこから拡張された世界を異世界と呼んだ――とされています。伝承に拠ると」


「曖昧な……」


「まあ、私の先代の先代の先代の先代のそのまた先代の神様の時代よりさらにもっと昔とか、そういう遠い昔の話ですからね。要は神様に細々と伝わってる神話です」


「スケールのでかいような小さいような話ですね……」


「そんなわけですから、異世界はオリジナルである現実世界とは違うってだけで、ちゃんと一個の世界として存在しているわけです。貴方たちも0と1のデータとして存在しているわけではありません。ちゃんと肉体も魂も心も□□□も■■■もあります。NPCというのは、ぶっちゃけ現実生まれでないというだけの呼称ですから」


「メガネのアレは」


「あれは意訳みたいなもんです」


 意訳て。


「ええと、それじゃあ、その……さっき言ってた、現実が行方不明ってのは?」


「実はですね、わからないんです」


「は?」


「自己発展機能が暴走した結果、勝手に拡大し勝手に増え過ぎた異世界の中に埋もれてしまって、オリジナルであった現実世界がどれだったのか、実はもうわからないんです――私たちは、現実を見失って久しい」


「……冗談ですよね?」


「まじです――浮かれて騒いで異世界でほっつき歩いている内に、ふと『あれ? 現実ってどこだっけ?』と気づいたのだと伝わっています」


「んなアホな」


「だって異世界ですからね。そんな風にして帰れなくなっても、まるで全然おかしくないです。行きはよいよい、帰りは――ですよ」


「現実世界からのメッセージとか、そういうの無いんですか?」


「まあ、現実世界を主張する世界もあるにはあります――私の把握しているだけでも星の数ほど、ですけれど」


「うわあ」


「まあ、もう滅茶苦茶ですね。この手の状況下において、もっとも有効とされる、古より伝わる言葉がありますよ」


「何ですか?」


「――貴方が現実だと思う世界が現実です」


「うわあ」


「そもそも、現実世界はもうとっくに滅亡したのだ、という説もありますし――あるいは、現実世界の旧人類と今現在の人間とは、実ははもう随分とかけ離れた存在になっていて、旧人類は深淵方向の異世界群に潜んでいるような、異形の怪物たちのような何かだったのでは、という説もあります」


 ですから、と女神様が告げる。


「はっきり言って、今となってはあるかどうかわからない現実世界のことなんてすっぱり忘れて、異世界で生きていくのがむしろ現実的ですし、現に大半の神はそういう方針にシフトしています。私もそうです」


「……そういうもんですか」


「そういうもんです――でも、やっぱり、原初の存在に対しては妙な憧れを抱くものなのでしょうね。現実世界を目指す人間や神々は後を絶ちません――ほら、彼女もそうでしたよ」


「彼女?」


「魔王。メイドの」


「……ああ」


「彼女が居座っていた魔王城ですが、あれはちょっとした現実世界の遺産でして。そんなわけで、そこを管理していた先代魔王がちょっと胡散臭かったので監視をお願いしていたんですが――何かあったんでしょうね、たぶん――先代魔王を殺して魔王の地位を奪い取るなり『私は現実を目指します』と宣戦布告されちゃいまして」


「……」


「そしてですね。バットくん」


 そこで、僅かに女神様は首を傾けてみせる。

 こちらの表情を窺うように。


「あの美少女も、そういった夢から生まれた存在なんですよ」


「……それは、どういう?」


「あるとき、どこかの異世界で、とある神様がこう思ったんですね――『そうだ! 異世界を全て滅ぼせば現実世界を取り戻せるに違いない! 我って天才!』と」


「その言い方だと、どう好意的に聞いても馬鹿にしか聞こえないんですけど……」


「まあ、たぶん馬鹿だったんでしょうね」


 と、あっさり女神様は言う。


「……問題は、よりにもよってその神様が頭が可哀想な癖にそれなりの実力者で、その無駄に強大な力のありったけを注ぎ込んで『我の考えた最強の異世界皆殺しバグ兵器』を作り上げてしまった、ということです」


「つまり、それが」


「ええ。あの美少女です」


「……何で美少女?」


「趣味じゃないですか?」


「なかなかやりますねその神」


「ともあれ、そのようにしてあの美少女は生まれました。全ての異世界を滅ぼし尽くせ、との命を受けて――当然の結果として、自らの生まれた世界を滅ぼし、自らの生みの親である神を殺しながら」


「…………」


「そしてそれからずっと、歩く異世界間災害として、自身を邪魔する神々を八つ裂きにしながら、数多の異世界を滅ぼし続けている――いえ、いました」


「……いました?」


「あの美少女はもう、異世界を滅ぼすのを止めています。貴方の世界を最後に」


「何で」


「たぶん折れたんでしょう。心が」


 その言葉は。

 俺に対し、意外な程に強烈な衝撃を与えた。

 この世界は現実じゃないことよりもずっと。


「あの美少女は、一人ぼっちですから」


 先程の、女神様の言葉を俺は思い出す――たった一人で孤独に戦い続けることは、誰にもできない。


「異世界群の海はあまりに多く広大です。私たち神々ですら、その全容をまるで把握できていない――そして今、こうしている間にも、新しい異世界は新たに生まれ続けています」


 そりゃもう良い世界も悪い世界もぽんぽんとです、と女神様は言う。


「あの美少女は確かに最強で、異世界を容易に滅ぼせる力を持っていますし、私を八つ裂きにすることだってできるんでしょうけれど――でも、所詮はその程度です。全ての異世界を滅ぼし尽くすには、まるで全然足りていない」


 力も。

 心も。

 全然まるで足りていない、と女神様は言う。


「前回貴方と戦ったときから、あの美少女は、修復したあの赤い塔の上で膝を抱えてじっとしたままです。おそらく、敵が来たら動くのでしょうけれど――その敵ですら、今ではもう、貴方だけです」


 はっきり言って、と女神様は告げる。


「あれはもう、何の脅威でもありません」


「…………」


「一人ぼっちの、ただの寂しい女の子です」


「…………」


「ですから、バットくん――いえ、刈蛾正くん。貴方にあの美少女と戦ってもらう必要は、もう全然無くなっているんです。もう美少女は放置して、今の世界に残って貴方の家族の皆さんと幸せに暮らしてもらって全然OKです。メガネちゃんとイチャイチャしましょう。復讐なんて空しいだけです。過去は忘れて未来に生きるのです――さあ!」


「そりゃ、無理でしょう」


「………どうしてです?」


 本当にわかっていないのか、それとも、わかっていない振りをしているのか。

 きょとん、とした顔で。

 女神様が聞いてくるのに――俺は答える。


「だって俺、刈蛾正じゃないでしょう?」


「…………」


「メガネの奴のアレなんですけど――前回、視界共有して美少女の情報を『視た』ときに、能力使ってる途中でちょっと無理矢理俺の方を向かせてみたんです」


 何となく、違和感は感じていたのだ。

 メガネの奴は、能力で「視た」俺の情報をどうも隠している感じだったから。

 その理由は、簡単にわかった。

 瞬間的に頭の中に流れてきた情報。

 そこに書かれていた――俺の名前。



■□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□……



      【アクセス開始】


――......名前:対detun0tun0tun0tunreブレイブ・ユニット999号[識別コード:antidetun0tun0tun0tunrebrave999][ERROR!(存在しない情報です)/状態:無制限転生]種族:ブレイブ・ユニット/......――


      【アクセス終了】



□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□■……



「999号って。ちょっと酷くないですか」


「しょうがないですよ。そういう命名方式なんですから」


「で、何なんです。俺?」


「兵器です」


 兵器。

 なるほど。それで、道具か。

 ずっと前に例の魔王が言われたことを思い出す――比喩じゃなかったわけだ。


「設定された対象を破壊するまで、何度でも転生して、幾つでもチートを手に入れられて、どこまでもどこまでも強くなって、そして最後には必ず対象を破壊する――そういった兵器ですね」


「要するに、魔王を倒すまで復活する勇者みたいなもんですか」


「そうです。神様が異世界に遣わす勇者様」


「じゃあ」


 と俺は聞く。


「本物の刈蛾正は」


「お亡くなりになりました。転生できずに」


 なので、と女神様は続ける。


「人格だとか記憶だとかを、貴方の擬似人格の原型として使わせてもらいました。ちょっとばかり、あの美少女への復讐心を付与した上で」


「復讐心?」


「はい。それはまあ、相手と戦ってもらわないと始まりませんから」


「じゃあ――」


 と、俺は尋ねる。


「――俺がこうして美少女と戦ってるのも」


「もちろん、そのせいですよ」


 女神様が言う。


「だからもう、いいんですよ。貴方はよくやってくれました。あの美少女が無力化されている以上、もう貴方の戦いは終わり。どこかの異世界で幸せに暮らしてもいいんです」


「……兵器なのに?」


「兵器にだって幸せになる権利はあります」


「良いこと言いますね」


「神様ですから」


 と女神様は胸を張り、それから言った。


「貴方の異世界転生は、ここで終わりです」


 ぱちぱちぱち、と。

 女神様は微笑みながら、手を叩いてみせて。

 ぱあんぱあん、と。

 どこからか聞こえるのは、クラッカーの音。

 ぷあぷあぷあ、と。

 エンディングにファンファーレが鳴り響く。

 ずらずらずら、と。

 白い世界に流れていくのはスタッフロール。

 そして彼らは、と。

 俺たちのその後を語るナレーションが入り。

 どおおおおん、と。

 その一番最後に、堂々たる【完】の文字が。


「いや、終わりませんよ」


 席を立って、金属バットをフルスイング。

 宙にある【完】の字をかっ飛ばす――星になって白い世界に消える【完】の文字。

 正直、本当にかっ飛ばせるとは思っていなかったのでびっくりした。


「こんなんじゃ、終われません」


「……ちょっとふざけ過ぎましたか?」


「いや、そういうんじゃなくて」


 ぶっちゃけ、それもあったが。

 でもそれだけではなくて――


「『待ってろ』って、言っちゃったので」


 あの美少女に告げた言葉を、思い出す。


「しかも、よりにもよって『すぐに来るから』って言っちゃったんですよ――遅すぎて待ちくたびれてるに違いないです。もう絶対怒ってます」


「貴方の、あの美少女への執着は」


 と、女神様が少しだけ固い声で言う。


「私によって植え付けられた復讐心が原因です――そのせいで、貴方の考えは多少なりとも歪んでいるんです。あるいはもしかして、メガネちゃんに対して奇妙なまでに貴方が萌えないのは、その歪みが原因なのかも――」


「そんなわけないでしょう。復讐心なんてあろうと無かろうと、メガネの奴にはいまいち萌えないです」


「『ふざけんな』と言われますよ。誰かに」


 女神様の表情から、笑みが消えた。

 呆れ顔で――何かもう心底呆れた顔をして。

 溜め息。


「困りましたね」


 女神様が言う。


「ここまで言って止められないと、あとは貴方を殺すしかないんですけれど――」


 そう言って、女神様は、また笑う。

 でも、先程までとは随分と違う、なんだか少し困ったような気弱な笑みで。


「――でも、長い付き合いですからね」


「さすが女神様の誇る最強の盾ですね」


「それにまあ、私としても、いつ爆発するかわからない爆弾を抱えておくのは不安でしたしね――貴方がそれで良ければ、まあ、それはそれで」


「……つまりは全部、貴方の掌の上ですか」


「そんなわけないじゃないですか。神様を一体何だと思ってるんですか、まったく」


 と、頬を膨らませてみせる女神様。


「――ただ、ちょっとくらい自分の思い通りにならなくても、打算的に、臨機応変に、『最初からわかってましたよ』風な対応ができるだけです。これ、神様の必須スキルです。テストに出ます」


「あれですか――メガネの奴とどっこいどっこいな感じですか」


「私はメガネちゃんほど優しくはないですけれどね――私、あの娘のこと好きですよ。あの娘は私のこと嫌いでしょうけれど」


「…………」


 そう言えば、メガネの奴と女神様が話をしたときってどんな感じだったんだろう、と俺はちょっと考え、想像しただけで胃が痛くなりそうなのでやめた。


「それじゃあ――話は、もうこれで終わりですかね」


「そうですね。あ、でも、その前にですね」


 ちょっとこっち来て下さい、と言われ、ほいほい、と女神様に近づく俺。


 そのままキスされた。


 ころん、と。

 口の中で、もうほとんど溶けかけた飴玉が転がって、今更にその存在を思い出す。

 めがみあめ。女神謹製。元気入り。

 舌の上に広がる甘い味。


「――甘い味がしますね」


 唇を離してそう告げる女神様に、俺は聞く。


「……何かスキルを?」


「いいえ。今回はチート無しです――これはただの、女神の祝福ということで」


「そりゃあ……どうも」


「……というか、まだ気づいていなかったんですか?」


「何をです?」


「スキルの付与に、キスをする必要なんてないんです――私、誰彼構わずキスをしてるわけじゃないんです」


「え」


 と、絶句する俺。


「キス魔じゃなかったんですか」


「違います!」


 と、顔を真っ赤にして否定する女神様。


「私はただ単に、好みの相手に出会ったら即キスするだけです! 男女問わず!」


「キス魔じゃないですか」


「酷い! ――でもそんなところも素敵!」


「はいはい」


「ねえ。バットくん」


「何です?」


「貴方について、嘘を吐いていました」


「実は兵器じゃなかったとか?」


「いえ。貴方は正真正銘、ただの兵器です」


「泣いていいですか?」


「まあ聞いて下さい――兵器なので、当然、私は量産したわけです。貴方と同じ、あの美少女を倒すために何度でも蘇る勇者様を」


「まあ……999号ですしね」


「でも、未だに稼働して、あの美少女と戦い続けているのは貴方だけです」


「それはつまり――それだけ、俺の復讐心が強いってことですか?」


「そんなわけないでしょう」


 と、あっさり女神様は言う。


「だって、他の勇者は二回や三回の転生で――多くても十回以内ですね――その復讐心をへし折られて、狂うなりそのまま消えるなりどこかの異世界で静かに暮らすことを選ぶなりして、次の転生を拒否しているんですから」


「えっと……じゃあ、俺は何です?」


「ですから、貴方の彼女への執着は、復讐心なんかじゃないです。そんなに強くて激しいものではなくて――もっとささやかで、ちっぽけな感情」


 それは何なのか、と視線で問う俺に――けれども、女神様は笑ったまま答えず。

 とん、と。

 女神様はいつものように俺の肩を押す。

 すっ、と。

 いつものように、身体が落下する感覚。


『では行くがいい! 異世界の勇者よ!』


 と、女神様の厳かな声。


『その力で美少女を救いちゃま……っ!』


 ああ。

 最後の最後の最後の最後で。

 また噛みやがったあの女神。


 やっぱり駄神だな、とちょっと笑って。

 そして俺は。

 あの美少女と戦うために、目を覚ます。

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