男か女か分からない

池田蕉陽

第1話 転校生


 小学六年生。卒業間近だというのに、俺のクラスに転校生がやってきた。


日向ひゅうが 日向ひなたです。よろしくお願いします」


 転校生は教卓の前で自己紹介をする。その後ろの黒板には、『日向 日向』と白いチョークで書かれていた。


 苗字と名前の漢字が一緒な事に、俺は珍しく思っていた。いや、もはやそれはどうでもよかった。俺は別の意味で、その転校生に釘付けになっていた。日向 日向が、男か女か分からなかったからだ。


 日向の容姿や特徴を説明するとこうだ。まず、風貌は男とも女とも捉えられる童顔だった。髪色は茶髪で、男にしては少し長く、女にしては少し短いという微妙な感じだった。さらに声質の特徴を挙げると、男でも女でも発せれそうな高さだった。名前は『ひなた』で、これは女に多い傾向があるが、男でも稀にいる。


 そこらはまだいいとしよう。これだけの特徴なら、俺の目に訝しさは宿っていない。問題は首から下だった。


 かなり筋肉質で、胸筋の逞しさは、白いタンクトップの上からでも窺えた。さらに乳首が透けていて、裾からはプロレスラーのような腕が伸びている。おまけに脇から黒いもじゃもじゃが、だらしなくこんにちはしている。


 今の段階では日向が男だと判別できる。しかし、そうならない外見の特徴が他にあるのだ。


 強靭な身体で窮屈そうに背負っているのは、黒いランドセルではなく、赤いランドセルなのだ。頑丈な肩幅から脇にかけて赤いラインが伸びており、かなりきつそうである。


 そして、日向が男だと断定できない真の理由は下半身にあった。まだ赤いランドセルなら赤色が好きな男だと、無理があるが言えなくはない。だが、下半身はそうはいかなかった。


 日向が穿いているのはスカートなのだ。それも膝上が露出されてあるミニスカートで、おまけに赤いチェック柄だ。


 白いタンクトップに赤いミニスカート、このギャップの差は一体なんなのだ。


 それで女かと思いきや、スカートの裾からは腕と同じくらいの太さである脚が二本伸びていて、その表面には、すね毛がジャングル状態になっている。


 プラス、赤い上靴なので、もう完全に性別が分からないのだ。


 スカートを穿いているので、女である要素は強そうだが、乳首を透けさせている女がこの世に存在するのだろうか。するかもしれないが、それはまた別の世界、大人の世界だけではないのか。


 しかもその上は、わんぱく少年が着るような白いタンクトップなのだ。白いタンクトップで乳首が透けている女がいるのか。逆に、赤いランドセルで赤いミニスカートを穿く男がいるのか。そもそもこいつは同じ小学六年生なのか。俺はそれすらも疑わしくなってきた。


 一体どっちなんだよ。


「えーじゃあ、加賀くんの隣に座ってもらおうかな」中年の女の先生が、俺の右隣の空いている席を指差す。隣は今日、たまたま体調不良で欠席している男子生徒だった。


「お、おい。あいつどっちや?」俺は気になって仕方がないので、左隣の友人の西岡に小声で訊いた。


「わかんねーよ」西岡も小声で、やや戸惑いながらそう答える。


 どうやら西岡も日向の性別が分からないでいるらしい。いや、西岡と俺だけではないだろう。先生を除いて、ここにいる全員が日向の性別が分からないのではないか。


 俺と西岡のそれだけの会話が終わると、右の席に日向がスカートの裾を正しながら上品に座った。今ので少し、女子ポイントが加算された。


「加賀くん。悪いんだけど休み時間に、日向く……さ……日向に学校案内してもらえる?」


 嘘だろと思った。先生も日向の性別を把握していないのだ。そんなこと有り得るのか? どうやってここに転入してきたのだ。さすがに先生なら、資料か何かで日向の性別は既に知っているのだと思っていた。でもさっき、くん付けか、さん付けかで迷っていた様子を見ると、先生も知らなさそうだった。


 それにしても、先生がそんな露骨な台詞を吐いても大丈夫なのだろうか。俺は横目で日向の顔を窺うと、特に怪訝そうにしている風には見えなかった。もしかしたら、ああいう風に言われるのは慣れっこなのかもしれない。だとすれば、最初から自分で性別を明かして欲しいものだ、と思った。


 俺は「わかりました」と承諾する。


「よろしく。加賀くん」日向は微笑みながら、ショタボかロリボか分かりにくい声と関西の訛りで言った。


 はにかんだ笑顔が素敵だなと思ったが、すぐに首から下に目が行き、俺の心は複雑になった。




 休み時間になり、俺は日向に校内を案内することになった。


「加賀くんの下の名前ってなんなん?」隣を歩く日向が興味津々ときいてくる。


みつる」と俺は答える。


「かっこええな!」日向は割れた胸筋の前で両手を組み、目を輝かせた。


「そ、そうか? 結構どこにでもおんで」


「そんなことないで! 自分聞いたことないもん!」


 俺はこの際、日向との会話からこいつの性別を明らかにすることに決めていた。直接訊いてしまうのは、さすがに無礼だと思った。もしそうして、結果が女だったら更に失礼極まりないものになってしまう。それくらいのデリカシーは一応わきまえているつもりだ。


 とは言っても、そう簡単には上手くいかない。現に今、日向の一人称が『自分』だと分かった。そんな人間、俺は初めてみた。もし日向自身が、性別が外見で判断付きにくいのを自覚しているのなら、一人称は、はっきり『俺』か『私』で通して欲しい。そう思った。


「まあ、ありがとう。そんなことより、日向の趣味ってなに?」


 俺は趣味の話に変える。日向を呼び捨てにするのは、先生と同じ理由だ。


「自分の趣味は陶芸かな」


「陶芸?」俺にとって聞き慣れない単語で、思わずそう聞き返してしまう。


「そう陶芸。陶芸めっちゃええで? あの滑らかな触り心地といい、出来上がった時の達成感といい……ああ、話してたらやりたくなってきたわ。今度一緒にやろや」


「お、おお」


 趣味の内容から男女どっちかを知ろうとした。しかし、駄目だった。陶芸なんて男も女もあまりにしない。歳を食ったジジババが好むものだった。


 俺は直接訊いてしまいたい衝動に駆られるが、何とか堪える。


 そんな困惑する中、日向の性別が明らかになりそうな言葉が、こいつの口から出てきた。


「自分、ちょっとトイレ行ってくるわ」


 おお! と一瞬、内心で興奮してしまう。このまま一向に分からいのかと思っていたが、いとも簡単に分かる方法があったではないかとなる。


 丁度、少し歩いた先にトイレがあったので、俺はそこに案内する。そこは男子トイレと女子トイレが隣接していて、俺は日向がどっちに足を踏み入れるのかを凝視した。


 日向が一歩入った先は、女子トイレだった。その瞬間、俺の中に広がっていてモヤモヤが魔法のように消滅した。


 そうか、女やったか。スカート穿いてるからさすがに女やんな。白いタンクトップで、脇毛とすね毛が凄くて、筋肉ムキムキな女もそりゃあいるよな。乳首が透けているのは、気にしないことにしよう。


 俺が一人で何度も頷いていると、やがて中から水が流れる音がし、それから日向が手を洗って女子トイレから出てきた。


「お待たせ」日向はそう言いながら、ハンカチで濡れた手を拭く。俺は日向のハンカチのデザインを見た。白い生地に、渋い字で『漢』とだけ書かれている。俺は頭を振り、見なかったことにする。


「じゃあ次は図書室案内するわ」


 再び校内紹介が続く。今は先程と違い、純粋な気持ちで喋ったりすることができた。しかしそれは、ほんの一時だけだった。


「あー彼女欲しいわ」


「え?」


 あまりにも唐突で、そして日向の矛盾な言動に、思わずそんな間抜けな声が漏れた。


 俺は聞き間違いだと思い、もう一回耳を傾ける。


「い、今なんて?」


「だから彼女が欲しいって。加賀くんも彼女欲しいやろ?」


「お、おお……」


 どういう事だ? 彼女が欲しい? 何を訳の分からないことを言っているのだ。


「もう自分ら小六やん? この年なってきたら思春期にも入ってきて、異性とか本格的に気になり始める頃やんか」


「そ、そうやな……」


「加賀くんは好きな女子とかおらんの?」


「今はおらんかな」


「えー嘘やん。絶対おるやろ? 好きじゃなくても気になる子くらいはおるんちゃん?」


「ま、まあ」


「ほれみい。自分もな? ここに転入する前の学校で好きな女子おったんよ。しかも両想いやってん。でもオトンの仕事の都合で引越しせなあかんくなってな? まあ、それでも会おう思えば会える距離なんやけどな」


「そ、そうか。それは残念やったな」


「ほんまにショックやわ。てか自分、まだその女子のこと好きやねん。今もずっと意識してんねん。思春期やからその女子のエロい妄想とかもしちゃうねん」


 おいおい待ってくれ。こいつ女じゃないのか? いや、そんなはずはない。さっき日向が女子トイレに入るのを目の当たりにしたじゃないか。でもさっきからこいつの発言、まるで男だ。彼女が欲しいやらエロやら、女が言うはずのないことをベラベラと口にしている。


 俺はそこで、一つの推測が立った。日向はレズなのではないか? そうとしか考えられない。そうじゃなかったら、こいつは異性のトイレに入った、ただの変態野郎になる。


 俺はそれとなく訊いてみることにする。


「日向さんって同性愛について、どう思う?」


 すると日向は「日向さん?」と首を傾げた。


「どうしたん?」俺がそう訊くと、日向は「なんで、さん付けなん?」と訝しそうにする。


「何でって……」


 俺はそこで思い出した。そう言えば、さっきまでは性別が不明だったので日向を呼び捨てにしていた。日向を女子だと分かった俺が急にさん付けしたので、彼女は不思議そうにしていたのだ。俺はそう解釈した。


「まあ、なんでもいいけど。それより同性愛についてやったな」


 日向は俺のさん付けに気にすることをやめたらしく、質問に向き直る。


「ああ。同性愛はやっぱり賛成なんか?」


「は? アホなん? 全然賛成ちゃうわ。ありえへんわ」


「へ?」


「なにが へ? やねん。無理に決まっとるやろ。なんで同性の子を好きになれるねん。こんなん言うたら同性愛者に殴られるやろうけど、正直キモイわ。絶対無理」


 日向が同性愛者を目の前にして絶対言ってはいけない事を口にするが、俺はそれすらも気にしないくらいに意味が分からないでいた。


 は? どういうことやねん。


 俺はてっきり、日向が賛同するのかと思っていた。しかし日向は眉をしかめて、何度も首を横に振り、否定するばかりだった。


 俺はそれが、日向の冗談としか考えられなかった。もしそれが冗談でなければ、やはりこいつは変態ということになる。


「もしかして加賀くん、ホモなん?」日向が訝しげに訊いてくる。


「いや、まさか」


「そやんな、ビックリしたわ。そんなん聞くからホモやと思ったわ。加賀くんがホモやったら、自分めっちゃ最低なこと言ってたな」


 ははは、と俺はぎこちない笑いを零す。


 俺はまた分からなくなってしまった。日向の表情といい、言い方といい、さっきの発言が冗談でないのでは? と俺は疑い始めていた。


 でもさっき、日向は女子トイレに入った。それは紛れもない事実だ。その真実は、日向が女子と認識するための材料にあまりにも適しすぎている。言葉より行動の方が真実味が湧いてくるものだ。ならばやはり日向は女で、さっきのはジョークということになる。


 うん、やっぱり女だよな。


 自分に納得させるように、俺は心の中でそう唱え続けた。そうしないと混乱しそうだった。


「あ、やばい……」突然、日向がそう口にした。


 どうしたのかと日向を見てみると、彼女の顔が引きつっていた。


「どうしたん? 腹でも痛いんか?」


「いや……そうちゃうねん……あーなんで今やねん。最悪や、今日あれしてないで……」


 前半は俺に言っているようだったが、後半は独り言のようだった。独り言の内容は、俺にとってなんのことか分からなかった。


「なにが今やねん。どうしたんや」


「もうそんなん自分の口から言わせんといてや」


 どうしたことか、日向の頬が赤く染っている。一瞬可愛いと思ってしまうが、すぐに首から下の筋肉に目を奪われ、その感情は消え去ってしまう。


「いや、なんのことか全然わからんねんけど」俺がそう言うと、日向は周りをキョロキョロし、誰もいないことを確認してから小声で言った。


「生理や生理。察しろやボケ。なんで自分がこんな恥ずかしい思いせなあかんねん」


 ああ、となった。同時に自分のアホさに、俺まで顔が熱くなる。小六ともなれば、それに悩まさられる女子もちらほらと出てくる。俺は以前に、クラスの女子がひそひそ話をしているのが偶然耳に入ってきたので知っていた。


 俺は恥ずかしさながらも、安堵もしていた。日向が女だと完全に分かったからだ。さすがに生理が来る男なんていないだろう。いればそいつは化け物だ。


 そうか、やっぱり日向は女やったんやな。そりゃあそうやな。さっきのはジョークで、本当はレズなんやな。


 俺はやっと納得することが出来た。


「ごめん。もういっぺんトイレ行ってくるわ」


「おう」


 俺は清々しい気持ちで、彼女の凄まじい背筋を見送った。


あんなムキムキだけど、ちゃんと女なんや。


 うんうん、と俺がまた一人で勝手に頷いていると、目の前で信じられない事が起きた。俺は目を疑い、その光景を信じたくなかった。


 日向が男子トイレに入って行ったのだ。

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