A.D.2018 日本


 カーテンが揺れ、柔らかな光が教室に差し込んでいた。朝のホームルーム前の喧騒の中、男子生徒たちが先週発売されたテレビゲームの話をしている。


「キングクルールの大砲やばいっしょ」「あれ当たってそっこー飛ばされるのマジ草だから」「お前らあそこでブッパとかまじないわ」


 メルは窓際の一番後ろの席に座り、ひとつ前の席の男子生徒を見ていた。

 彼は自分の席につくなり俯いていたが、タイミングを見計らうように言葉を発した。


「しずえの箒でハメ技あるよなー」


 どうやらゲームの話をしている男子集団に話しかけたようだが、話しかけられた方は、男子生徒を一瞥いちべつするなり静かになった。彼もその態度に耐えかねて、片手に持つスマホを操作しながら「あ、けどここのつなぎが弱いかー」とひとり言に切り替えた。


 人より声が大きいとか、ツッコミが寒いとか、ただそれだけの理由だった。ただそれだけの理由で、彼はクラスでの存在を失った。高校に入学して、ゴールデンウィークを明けるころには『空気が読めないやつ』というポジションを与えられた彼は、いないものとして扱われた。


 それでも彼は学校へ通うことをやめなかった。否、やめられなかった。周りの目、自尊心、そういったものだけが彼をギリギリのところで動かしていた。


 朝、ホームルーム五分前に登校し、クラスに復帰できたときのためにクラス事情に聞き耳をたてる。授業の合間にはトイレに立ち、昼休みは親が作ってくれた弁当を人知れず食べる。授業が終わればひたすらの直帰。家に帰れば、宿題、ゲーム、飯、風呂、ネット、睡眠。そして次の朝にはまた気を重くして登校の繰り返し。金曜日の夕方をサラリーマン以上に安堵している高校生。それが彼だった。


 昼休みを告げるチャイムが鳴り、彼はすぐさま弁当を手に持ちクラスから出て行った。メルはその背中を追った。しかし体育館裏まで尾けたものの途中で見失い、メルは肩を落とす。

「どこいったのかぁ」

 体育館裏の階段に座り込み、膝を抱える。メルが考えることは彼のことだった。



 君はこの世界が一番辛そうだよ。

 この平和な世界で、君はひとりぼっちだ。戦争もない、ドラゴンとの戦闘もない、電脳犯罪も起きない――のに、ひとつも笑っていない……。

 まるで、真綿で首を締められているみたいに苦しそう。



 男が生まれ変わるたび、メルはそばにいた。最初のうちは自覚も薄かったが、徐々に自分だけが前世の記憶を維持していることに気がついた。

 なぜだかメルにもわからない。

 そして次第にメルの中に使命感が芽生えていく。絶望の中、死にゆく男を救いたいと。その始まりが、戦時国の少尉に助けられたときか、盾使いにドラゴンから身を守られたときか、超未来の世界で自ら先輩の命を絶ったときかは覚えていない。何千、何万回もの輪廻を繰り返して、その度、男はメルを残した。

 ようやくだ。ようやく、平和な世界にやってきた。しかし、この平和な世界での男が、もっとも、瞳の輝きが失せていた。まるで半分死んでいるような目。


 メルは座って丸まったまま、胸の前で手を組み、祈るように歌った。それは歌い続けた、男のための歌だった。

 

 ――いつか、きみを救い出せますように。


 唐突に、声がした。

「さっきの歌声、メルさんの?」

 彼は体育館の死界から現れて、どこか申し訳なさそうな顔をする。そうだよ、とメルが応えると、すっごいうまいね、と彼は言って、すぐ申し訳なさそうにする。


「あ、ごめん。いっしょにいるところ見られたら、メルさんも同類と思われるよね」


 そんなことを言い残して彼は去っていった。待って、と彼の背中に向かってメルが叫ぶが無駄だった。

 私に、なにができるだろう。

 そんな自問がメルにはあった。戦争も魔法も超科学もない世界で何ができるだろう。私に出来ることはあるだろうか。考えに考え抜いて、メルは――ひとつの決心をした。



 翌日のことだ。

 昼休みを知らせるチャイムが鳴り、いつものように彼は席を立った。今日もひとりの場所を探すために。

 そのときだった。

 ガシッ、とメルは彼の腕を掴んだのだ。クラスの数人がそんな情景に唖然とするがメルは気にしていない。ど、どうしたの? 彼はたじろいでいる。そんな彼に向かってメルは言った。


「いっしょにご飯食べようよ」


 嫌だよ、と拒否されるがメルは引き下がらない。そんなメルとクラスの爪弾き者を見て、クラスはひそひそとささやき始める。耐えかねた彼は、「分かった、分かったから! 外で食べよう?」と譲歩した。

 すると、その言葉に対し、メルは不敵に笑うのであった。


「ここでいいよ」


 そう言って、メルは男の机を反転させ、自分の机にくっつける。そして、弁当を取り出し、「座ろう?」と彼を促した。

 彼は恐る恐る椅子に着く。

 クラスの視線が痛い。

「メルさんもいじめられてるの?」

 何かの罰ゲームと思ったのか、彼はそんなことを言う。メルは、違うよ、と笑う。


 彼にも友達がいる。メルがクラスに対して、そう言いたかったのだ。彼はひとりじゃない。彼はいる。そこにいる。そう、訴えたったのだ。


 彼は観念したのか弁当を開いた。

「ねえ」メルが言う。「友達になろうよ」

「いいことないよ」彼が言う。

「いいよ」メルは答える。

「メル、でいいよ」

 呼び捨てを求められ、え、あ、と狼狽ろうばいする彼を見ながら、メルは願う。



 ――いつも、きみのそばにいれますように。



 そばにいる、それだけで人は救える。

 そうメルは思う。きっと、そうなんだ。


 狼狽していた彼は、にやにやと笑うメルに「何笑ってんのさ」と言った。

 そして、メルの弁当を目にして、ぷっと笑った。

「メルの弁当箱、大きいな」

「そんなことないよ!」と、メルは顔が真っ赤にして怒る。怒るメル見て、彼は歯を見せてまた笑った。


 クラスメイトたちはふたりに飽きたのか、いつもの喧騒に戻っていた。

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きみを救う物語 志馬なにがし @shimananigashi

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