第一章〈7〉広瀬 怜


五月十二日




 よく晴れた休日の午後でした。


 私たちは約束の時間にななきた駅前へ集まり、徒歩で病院へと出発しました。バスならすぐに着くのですが、まるさんは断固歩く意思をくずしませんでした。その手には例のラインカーが握られています。


「意外とかわいい服着るんだね、あんた」


 まるさんは私の着てきたフリルのワンピースに関心を抱いたようでした。


「この中で一番女子力が高そうだし」


 なるほど、身なりに関しては私の方があかけているようです。まるさんは黒いロンTにビンテージジーンズ、あらさんに至っては学校のジャージです。


えんさんをお守りするのに、そんなヒラヒラの布切れをまとうわけにはいきません」


 そう言って道路側を歩くあらさん。休日の街中は交通量も多く車が次々と走り抜けていきます。


まるさんを何から守るんですか?」


 聞くと、あらさんは堂々と答えました。


「通りや暴走車両、アイス片手に前を見て歩かない小学生からあらゆる自然災害まで」


「ボディーガードですね」


まきは不死身だから」


いんせきだって受け止めますよ」


 なんと頼もしい。


「でも、あらさんはスタイルがいのでスカートも似合うと思いますよ」


 彼女の体はジャージ越しでも分かるほど細く引き締まっています。背が高く脚も長い。私が持ってるティーン雑誌のどのモデルにも引けをとりません。


「あたしは引き立て役なんです。はくじやひめであるえんさんより目立つわけにはいきません」


「それは女としてのプライドを捨てる口実にはならないよ」


 その言葉には、わたしのことはいいから女らしくしろ、というまるさんなりのメッセージが込められているようでした。


「男にこびを売るつもりはありません」


 あらさんがキッパリ言い放ちます。


「ただ、これが〝自分らしさ〟ってことなら、ジャージを着たあたしも悪くないなと思った次第です」


「そんな自分を認めてほしい、ってことですよね?」


 あらさんはこうていも否定もせず、まるさんの横顔をチラチラとうかがいました。当のまるさんはラインカーを押しながら空をあおぎ、日差しが気持ち良いね、なんて言いながらはんがいへ向かって歩を進めます。


「今日は……その……誰かのお見舞いにでも行くんですか?」


 休日の晴れた昼下がりになぜ病院へ行くのか、私はまだ理由を知りませんでした。本来、病院は休診のはずで、ゆえにお見舞い以外に理由が浮かびませんでした。


「言ってなかったっけ? パワーをもらいに行くんだよ」


 まるさんはロンT越しに力こぶを見せつけました。


「パワー……?」


「解釈なんて人それぞれだけどね、わたしにとっては活力なんだ。神社でお参りするみたいにさ、願掛けするんだよ。そういうの、分かるでしょ?」


「ええ、まあ……」


 どうやら病院に何かあるようですが、実体が見えてきません。


 まるさんはもう一度くわしく聞こうとする私を避けるようにして、ゲームセンターの出入り口に置かれたクレーンゲームの景品をながめ始めました。


まき、これ取ってよ」


「かわいい方ですか?」


「かわいくないやつ」


 あらさんの腕前は確かなようで、標的を一発で仕留めてしまいました。


 出てきたのはつがいになったかいじゆうのぬいぐるみで、黒いそれはどうやら雄のようですが、出っ歯でひんいた目が充血し、したたるヨダレでたいを汚す何ともあわれなしろものでした。


「これって女子の間で人気のぬいぐるみですよね、こんなシリーズありましたっけ?」


 まるさんがラインカーへくくけるのを見ながら私は尋ねました。


「春の新作『だらしない怪獣』シリーズだよ」


「今朝、父がちょうどこんな感じでした」


 私はあらさんの言葉を想像しないよう努めながら、「どうしてかわいい方にしなかったんですか?」と問いかけました。


「みんな持ってるじゃん」


 そのひとことまるさんがどういう人物なのか、少し見えた気がしました。


 再び歩き出しながら、まるさんはこう言い添えます。


「わたしはわたしだから」




 川沿いにあるななきた病院が見えてきました。


 リハビリセンターがへいせつされた大きな病院は全体がベージュ色で、周囲をハイマツやヒイラギのかんぼくおおっています。駐車場には車がほとんどとまっていません。


 休日の病院を訪れるのは初めてでした。


 まるさんは入り口にあるかさての脇にラインカーを置いた後、受付で何やら話し始めました。


 待合席に患者はおらず、見舞い客とおぼしき人たちが紙袋をげて私とあらさんのそばを通り過ぎていきます。


「行こっか」


 まるさんが笑顔で案内します。


 私たちは見舞い客に混じって廊下を進みました。廊下は窓が多くとても明るい造りになっていて、植木や花壇のある中庭を広く見渡すことができます。


 こっちこっち、とまるさんが中庭へ先導します。


 ドアを開けると五月の陽気が全身を包みました。太陽が芝や花々を照らし、風がこずえを揺らします。あらさんが「ジュースでも買ってきますね!」と楽しげにロビーへ取って返しました。


 花壇に囲まれてイチョウの木が植わっています。樹齢数十年ほどでしょうか、さほど大きくはありませんが、まとった青葉が五月の空にえてとてもれいです。


 根元に置かれたコンクリートの物干し台に旗が刺さっています。二メートルほどある白い大きな旗です。布地にはすみで大きく〝愛〟と書かれています。


「訳があってね、今日はこれを引き取りにきたんだ」


『パワーをもらいに行くんだよ』


 その言葉が意味するものを、この旗と、そしてまるさんの横顔から察することができました。


 彼女の決然たる表情にかすかな笑みがよぎります。それは、かつに話しかけることをちゆうちよするほどの緊張感をはらんでもいました。


「ジュース、買ってきましたよ」


 あらさんが人数分のパックジュースを持って戻ってきました。差し出されたそれを、まるさんは受け取ろうとしません。


「この旗、何なんですか?」


 あらさんにそっとたずねます。彼女はジュースを差し出しながら真顔で言いました。


「愛だよ、愛」


 恋愛じようじゆを願う新手のスポットでしょうか、分かりません。


「決めた!」


 突然でした。


 まるさんは何かを吹っ切ったような笑顔で身をひるがえし、あらさんの手からジュースをもぎ取ります。パックをにぎりつぶし一気に飲み干すや、物干し台から旗を引っこ抜き肩にかつぎました。


「悩むのは終わり! まき、決行するよ!」


「……やるんですか?」


「やる、決めた」


「あの……一体何を……?」


「ドロボウ」


 まどう私に向かって、まるさんは満面の笑みで答えました。誇らしささえ感じます。


「ドロボウ……ですか?」


 聞き間違いでしょうか。訳が分からず、笑顔のまるさんと無表情のあらさんを交互に見やります。


 しかし、もっと説明してほしいとせがむ私の意思とはうらはらに、まるさんは屋内へ向かって一人歩き出してしまいました。


「ドロボウ……ですか?」


 まるさんの後ろ姿を見つめたままのあらさんに向かって、私は恐々と繰り返しました。


「誤解しないで」


 あらさんがあわれむような目で私を見下ろします。


「私利私欲のためじゃない。えんさんはそういう人じゃない」


「分かってます……でも……」


「巣食う迷いやかつとうを打ち消すために、今日、えんさんはここへ来た。ここには〝愛〟があったから」


 ほんの少し、に落ちました。


『わたしはわたしだから』


 そう言葉にするまるさんの姿は勇ましく、同時にはかなくもありました。もろくずれてしまいそうな自分自身を必死に支えているようで、ゆえにそれが彼女の強さであると、私は勝手に思い込もうとしていた──。


 ロビーへ引き返すと、旗をかついだまるさんが余裕と自信にあふれた表情で立っていました。


「あんたたち、なんてツラしてんのよ」


「急にドロボウなんて言い出すから……」私が肩をすくめます。


 それもそっか、まるさんはそう言って微笑しました。


「情にうつたえるドロボウなんてつじつまが合わないよね、わたしはどっかのかいとうみたいにエゴと正義を履き違えたりしない」


「どういうことですか?」


 私がたずねると、まるさんはこう答えました。


「このやり方が〝わたしらしい〟ってことだよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

スカートのなかのひみつ。 宮入裕昂/電撃文庫・電撃の新文芸 @dengekibunko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ