第一章〈6〉広瀬 怜


ひろ れい




五月七日




 五月の陽気と青空。すがすがしい朝でした。


 スカートがなびくといいな、肩の上で髪がはずむといいな。そんなことを思って踏み出せる一歩が私にとってのさいな幸せです。少なくとも、そういう気分でいられる間はどこまでも歩いていける気がするものです。


 ──幸せは、セーラー服を着たういういしい私自身の姿を想起させます。




 風が吹いていました。


 柔らかくて、温かい、くすぐるようなじやさを秘めてもいますが、学校へ続く坂道の手前でやんでしまいました。さながら嵐の前の静けさです。折しも、女子生徒が二人、私を追い抜いていきます。


 ──せつ、この坂道が過去と今とをつなけ橋であることを思い出します。




 音が聞こえました。


 低い風の音。私はとつにスカートのすそを押さえます。


 顔を上げると、〝へびいき〟が前を歩いていた女子生徒のスカートをめくっていくのが見えました。絶対領域はおかされ、脚線美をふちるニーハイソックスがあらわになります。さらけ出されたパンツはしまがらではなくチェック柄です。


 ──ふと、言葉がのうをよぎります。『君は自分の時計でいいんだ』と。




 見とれるほど白くまばゆい太ももでした。記憶に焼き付けるより早いか、女子生徒は後ろ手でスカートを押さえ素早く振り向きます。ここは『ななきた高校』の校門へ続くこうばいですから、女子生徒のにらみはよりあつ的に私をおそう結果となりました。


「見た?」


 とてもれいでした。私をねめつけるまなしはぞうというよりけいかいしん剥くしに近く、それでいて細かにせんさくするようでもありました。いずれにせよ、たんせいな顔立ちに不相応な表情であったことは確かです。


 美少女の隣を歩いていたお友達(とおぼしき女子生徒)が腰に手を当て、ぐいとあごを突き出しました。


「見たの?」


「見てません、何にも見てません」


 私は目の焦点が定まらないまま、しかしハッキリと言いました。


「本当に?」


 なぜでしょう、お友達の方がよほどご立腹のようです。


「すみません……見ました」


 私はつい白状してしまいます。虚勢を張り通せるほど甘い相手ではありませんでした。


「見たそうです」お友達が美少女に耳打ちします。「殺しますか?」


 はっきりそう聞こえました。


 冗談かと思いきや二人そろってじっと私を見てきます。


「すみません、すみません! 柄なんて覚えてませんし、しまがらだったら良かったのにとかそんなことじんも考えてません!」


 私としたことが、うっかり口を滑らせてしまいました。


 恐る恐る見上げると、そこにあったのはキョトンとした顔で見つめ合う二人の姿でした。


「パンツ? ああ、パンツのこと?」


 何をかんちがいしたのか、美少女は「なあんだ」とばかり笑い飛ばしました。


 スカートの中にチェック柄パンツより見られたくないものでもあるのでしょうか?


 学校へ向かって再び歩き出します。


「あんたさ、もしかして……」


 言いかけて、美少女は思い直したようにかぶりを振りました。


「なんでもないっ」


「あの……」


「カワイイね、あんた」


 ひようけでした。「坂を転げ落ちてもらおうか」、そんなことを言われるんじゃないかとおくしていたからです。


「何年生?」


「……二年です」私はわずかに上ずった声で答えます。


「モテるでしょ?」


「いえ、そんな……」


「童顔だしさ」


「よく言われます……」


 背も小さい私はこのとしになっても中学生に見られがちです。


 そしてどうやら、相手に敵意はなさそうでした。お友達はに落ちない様子でぎようしてきますが、何も言ってはきません。


「わたしはまるえん。三年生。あんた名前は?」


ひろれいです」


 私は答えながら、『まる』という名前にどこか覚えがある気がしてなりませんでした。さて誰だったでしょう?


「こっちはあらまき


 あらさんが小さくお辞儀をしたので私もそれにならいます。なかなかどうしてりちな方のようです。


 私より頭二つ大きくベリーショートのせいかより小顔に見えます。髪の毛はトリートメントをおこたっているのか、越冬で乾燥し枝毛が目立っていました。切れ長のクールアイが私を見るたびどうが高鳴ります。


 これは恋心? いいえ、ビビってるだけです。


まきは友達だよ、同じクラスなんだ」


 まるさんが声を弾ませます。その時、私はある物に気付きました。


「それ……どうしたんですか?」


 私はまるさんの手元を指差します。しかし、またもあらさんににらまれてしまいました。余計なせんさくはするな、ということでしょうか。けれど誰だって気になるはずです。


〝ラインカー〟を押して歩いていたら、誰だって。


「わたしにピッタリでしょ?」


 猛犬のようなあらさんをなだめた後、まるさんは笑顔で答えます。


「わたしを支えてくれる、頼もしいパートナーなんだっ」


 グラウンドに白線を引く二輪式のオーソドックスなラインカーです。自己主張するように真っ赤なボディを輝かせています。


えんさんを支えるのはあたしの役目です」


 対抗心を示すようにあらさんが胸を張ります。


「〝えん〟でいいってば」


「呼び捨てには出来ません。もし言ってしまったら……舌をります」


 すごかくと忠誠心です。本当にお友達でしょうか? 先輩と後輩の関係にも見えますが、まるさんが『同じクラス』と明言した以上それはありえません。


まるさんは……えっと……スポーツが得意そうですね」


 これはラインカー=グラウンド=スポーツを連想した安直なおくそくに過ぎません。


 本当はもっと突っ込んだ質問をしたかったのですが、あらさんにみつかれそうなので遠慮しておきます。


「わたしは元陸上部だよ。走りたかびやってたんだ」


「元……ですか?」


えんさんは今年の〝はくじやひめ〟で、あたしはそのマネージャー」


 あっ! あらさんの言葉で思い出しました。


 まるえん……ななからたった一人選ばれる今年の〝はくじやひめ〟その人に違いありません。七月に開催される七重市最大のイベント〝はくじやさい〟の花形的存在というわけです。対象者は七重市に戸籍を置く十五から二十歳の女性に限られ、毎年千以上の応募があると聞きます。


 私はその頂点に君臨するお姫様の生パンツを拝見したということになります。あらさんが怒るのもうなずけます。むしろ生かされてることが不思議なくらいです。


「最初ははくじやひめなんて興味なかったんだけど、ほら、はくじやさいで踊るじゃん? 豊作を祈る儀式でさ、『はくじやまい』っていうのかな、とにかくあれをやりたくて」


 確かにりよく的な舞ではあります。お祭りを盛り上げる盛大な演目のため、テレビクルーが毎年欠かさず生中継するほどです。


「大勢の人前で踊りを披露するなんて、想像しただけで脚がすくんじゃいます」


 坂を踏みしめる私の両脚はすっかりこわっていました。


「まあ言うほど大したもんじゃないよ、姫なんて」


 まるさんは〝はくじやひめ〟という立場でもおごらず、鼻に掛けることもしませんでした。


 元よりサバサバした性格らしく、美女にお約束の高慢さやナルシシズムとも無縁のようです。そうでなければ、私はとっくに坂を転げ落ちているかカバン持ちのどちらかだったでしょう。


「同じ女としてあたしはえんさんを尊敬しています。えんさんはすごい人……いえ、すごい姫です!」


 まあ言いたいことは分かります。


「たかが書類審査と面接だよ? 歌って踊れるアイドルの方がよっぽどすごいじゃん」


まるさんには何か光るものがあったんじゃないですか?」


 フォローするとあらさんがじよううなずきます。この人は何だか見ていて飽きません。


「そんなのないよ、普通の女子高生だって」


「でも、こういうことは客観的に見ないと分からないものですし……」


 私はそう言ってあらさんへ視線を流します。彼女はハッとして考え始めました。


えんさんには……ド根性があります。それにカッコイイ!」


 まるさんが笑いだしました。当たらずといえども遠からず、といったところでしょうか。


れいのことも教えてよ」


 名前で呼ばれたのがうれしくて歩調がはずみます。と言っても、人に語れるようなものなど持ち合わせていないのですが。


「私は本が好きで、小学生の頃はよく木陰に座って風がページをめくってくれるのを待つ変わった子供でした。そのせいか友達は少なかったんです」


 気にすることないよ。まるさんがめいろうな声で言いました。


「わたしも陸上部では煙たがられてたよ。協調性がないとか、先輩にたてくなとか。言いたいこと言ってるだけなのにさ」


 気付くと校門前でした。いつもは苦でしかない登り坂も今日ばかりはあっという間です。〝へびいき〟が幸運を運んできてくれたおかげでしょう。


れい、次の休日、暇?」まるさんがやや低いトーンでたずねます。


「……はい、じゆくが休みなので」


「わたしたちと出かけない? ちょっと付き合ってほしいんだ」


 私のえない第六感が『何かおかしいぞ』と首をもたげました。


 もちろん、それがうれしいおさそいだったことは間違いありません。しかし、出会って数分の私を休日のお出かけなんかに誘うでしょうか?


 極めつけはあらさんのじんじようではないリアクションっぷり。少し前を歩いていた彼女は首をほとんど百八十度ねじってこちらをにらみます。あせりともろうばいともとれる反応です。


「構いませんよ……」


 あらさんの目がこれ以上は無理というほど見開かれますが、


「面白そうですし」


 私は歯切れ良く言い切りました。


えんさんどうして……」


まきは、黙ってて」


 ぴしゃりと返すまるさんの面相は真剣でした。その横顔にはあいしゆうがちらつき、見ていると鳥肌が立ちます。これがはくじやひめの成せるわざでしょうか。心を取って食われ、思うままに支配されてしまいそうです。


「連絡先教えてくれる? 後でくわしい日時知らせるから」


「一体どこへ出かけるんですか?」


「病院」

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