第一章〈5〉天野 翔
五月八日
翌日、僕は校門へ続く登り坂で
立ちはだかるこの坂の前で、重さ二十キロのママチャリは圧倒的に無力だった。
「俺が不登校になった理由は二つだ。恋と、この坂」
「あと十ヶ月の
僕は気休めにもならない言葉を掛けてやる。分からんぞ、
「更に太って、坂を登れなくなったらまた留年するかもしれない」
「〝ダイエット〟すればいいじゃないか」
「〝デブ〟の次に
〝ブタ〟はいいのか。
「何事も
「俺が本気を出せば五十キロくらい簡単に
「見ものだね」
「
「心配ご無用。受験勉強ならもう始めてる。それに……」
僕は自信たっぷり笑いかけた。
「勉強は女装してる方が
「もはや中毒だな……あっ……」
「白か。今日のラッキーカラーにしよう」
「分かったの? 〝蛇の息〟が吹くって?」
「匂いで分かるよ。強ければ強いほど早く感じ取れる」
「どんな匂い?」
「言葉で表現するのは難しい。
ここ
この風はとにかく
登校するなり、僕らは
職員室の奥は
ここへ足を踏み入れるのは初めてだった。
革張りの一人用ソファーが四つ、ガラステーブルを
非常にお
「ごきげんいかが? そんな所に立ってないで、お掛けになって」
次いでティーカップが置かれ、陶器のシャレたティーポットで紅茶を注ぐ。湯気の向こうにワッフルの乗った皿が並べられていく。
「素敵だと思わない? 紅茶の香りが漂うだけで
紅茶とワッフルをたいらげた
「おかわり」
「あなたには紅茶の作法より、まずは日本人としての礼儀を手ほどきする必要がありそうですね、
「このおもてなしが先生なりの流儀だってことは分かってるよ」
「でも俺たちがここに呼ばれたのは、お辞儀の角度や紅茶の
緊張でカラカラの
当然だが、僕は
「昨夜のアレは何です?」
先生の声は意外にも穏やかだった。
「アレ、というと?」
「テレビ番組、出てたでしょう。あの後何本も電話が掛かってきて職員が対応に追われました」
「内容は?」
「『お願いだ、女装で出演した男子生徒の名前を教えてくれ!』」
腕を組み、
「『生徒をけしかけ悪人
元劇団員に違いないと思った。舞台でオーバーアクションする
「今回の
靴を脱いで
「犯人を
ショックの余り頭が真っ白になった。
「女装で出歩くことを禁止します。どうせご両親にも秘密でやってるんでしょう? 次は停学、その次は退学です」
「頭古いなあ」
「……何ですって?」
「
「紅茶でトリップしながら清く正しい人間がどんなものか説いてみろよ。そんなもんで世界が平和になると思ってるならあんたは本当の幸せ者だ。それどころか、石頭で器量は小さいくせに態度とおっぱいばかりでかいエセ教師だよ。そんな
そして……泣き始めた。食いしばった歯の
僕は
「……
「やだね」
「ひどい……あんまりだわ! 私の何が分かるのよ! あんたみたいな
「
「望むところだ」
足を踏み鳴らして去っていく彼女の後ろ姿に向かって
折しも、パーティションの
「派手にやったな」
誰かと思えば校長の
事実、野球部が打ち上げた特大のホームランボールが窓ガラスを割っても彼は生徒を
しかし……今度ばかりはいくらあの校長でも怒り心頭だろう。教師を
「女の涙をラーメンの隠し味にしたら絶対に
校長は出し抜けにそんなことを言って、
近くで見る校長は思っていたより若かった。五十代前半くらいだろう。
「校長はどっちの味方なんだい?」
校長を「校長」と呼ぶのは
「どっちの肩を持つ気もないがね。もっか平等とはそういうものだ」
校長は
「あのエセ教師と俺たちを同じものさしで測られるのは心外だよ。悪いのは
「
「俺を買いかぶり過ぎてるんじゃないの?」
「いいや」
校長は後頭部をツルっと
「私は誰も
校長の視線が僕を
「
「昔……ですか?」
「彼女は七重北の生徒だった。容姿
若かりし
「
停学を食らって帰る気満々の
「
今のままでいいんだ。そう思うと気が楽になった。
遠くでボレロが聞こえる。
気分が
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます