第一章〈4〉天野 翔


 その提案を聞かされたのは興奮冷めやらぬ昼休みのことだった。


「〝シャーリー〟退たいをしよう」


 ふざけてるんだと思った。三つ目のパンを開封しながらさかは言う。


あまおとりになるんだ。名案だろ? 君のぼうをシャーリーが放っておくはずない」


「ちょっと待て。そのシャーリーって、あのシャーリーか?」


「あのシャーリーだ」


〝あのシャーリー〟とは電車内に出没する、ななきたこうの女子生徒しか標的にしないというおめでたい変質者のことだ。そして、その手口というのが……


「〝私、シャーリー〟」


 さかが僕のひとみつぶやく。


「まずそう名乗るらしい。そしてこうめくくる。〝あなたを愛してる〟。ストレートでいい言葉じゃないか」


「いや、気持ち悪いよ」


「〝愛してる〟のひとことを伝えるのにどれだけの人間が苦労してることか」


 その横顔にさからしからぬいちまつうれいが見えた気がした。自分もその苦労にさいなまれる一人であると言わんばかりの表情だった。


「けど、ささやくだけで罪になるのかな? 〝退治〟なんておおだと思うけど……」


「法で裁けるものだけが犯罪か? 罪に線引きなんてこつけいだ、よせよせ」


 生徒の間で、シャーリーの目的は『セーラー服』ではないかともっぱらのうわさだった。というのも、七重北の制服はとにかく〝可愛かわいい〟と評判なのだ。


 一部の男子は「ゴリラが着てもかんう」とたたえたし、僕もその通りだと思った。ネットオークションで取り引きされるのも納得のいつぴんというわけだ。


 チャコールカラーの制服は胸下まで届く白い大きなえりが特徴的で、胸元には金色の校章がしゆうされている。男どもはチェックのスカートが風でひるがえるのを心待ちにし、あざわらうように赤いスカーフがなびく。


 しかし、ななきたの女子にとって〝可愛かわいい〟セーラー服をまとえるえつは、シャーリーという不条理な重荷を背負うあいとイコールで結びついていたに違いない。


 そんなことをにもかけず、さかは僕にこう言ってみせた……面白そうだろ? と。


「面白そうだろ? 俺たちが捕まえるんだ。あまおとりになればきっとうまくいく」


 面白さを追求するために僕を利用するってわけか、さからしい。


「決行はいつ?」


「今日」


 さからしいよ。




 放課後、被害の出始める時間帯まで作戦を練り、僕だけセーラー服に着替えた後、りの駅へ移動した。駅前の広場ではローカル報道番組のテレビクルーがいつものじんけいで撮影を行っている。


「次のコーナーだ!」


 言いながらドタドタとけ出すさか。向かった先はスタッフがたむろする一角で、背の高いそうしんの男と何やら話し込んでいる。ネームプレートから番組ディレクターだと分かった。話は進み、男が僕の方をしきりにうかがい始めた。あごに手を当てうなずいている。


 少しってさかが戻ってきた。


「テレビに映るぞ!」


 訳が分からなかった。


 話を聞くと、どうやら次のコーナーが『七重市民のお立ち台』という二人以上で参加できる一般参加の部らしく、さかはそれに出演するための交渉を済ませてきたというのだ。


「マジでカワイイじゃん」ディレクターが僕を見てうれしそうに声を上げた。「本当に男の子?」


 僕が地声であいさつするとディレクターはのけ反って大笑いした。


「いいね! 最高だよ! 今日のMVPだ!」


 ディレクターが変なテンションのままCMが明け、僕らは『お立ち台』という名の簡易ステージに上った。僕はさかぜいにくに押し出されまいと踏ん張りながら、まばゆい照明の向こうにスタッフや見物人や帰宅途中のOLが歩く姿を見た。


 司会がルールを説明している。『お立ち台』は思ってること、伝えたいことを七重市民のお茶の間に叫び散らすための人気コーナーらしい。告白OK、宣伝OK、漫才OK、ストレス発散OK、下ネタNG。時間は一分。


 さかはまず僕のことを「俺の友達」と紹介し、ほがらかに肩を組んでみせた。僕はしやくし「こう見えて男です」と地声で白状する。この姿が七重市全域に届いていると思うと興奮した。スタッフ一同が目を見張るのが分かり、得意になった。


 緊張しなかったのは隣にさかがいるからだ。さかは堂々たる風格をくずさず、「今からシャーリー退たいするんだ。首洗って待ってろ」、そんなことを言って付け焼刃なファイティングポーズを決める。


 僕が女声で「リンゴよりナシが好きです」とかどうでもいいことを言ってる内に時間が迫り、さかがこう締めくくった。


「メリークリスマス!」




「最後のアレ、君の夢と関係あるわけ?」


 改札口のせまさにブーブーうるさいさかを無視し僕はたずねる。


「俺はサンタになりたいんだ」


 さかは真顔で答えた。


「うんと小さい頃はプレゼントに肉をくれるをサンタだと信じてたが、月日がってやっぱりそんな人はいないんだって確信した時なんだかさびしくなった。奇跡や幸福や夢物語なんてのはみんなそらごとで、現実にはありえない、確か十歳の時だ、さとった瞬間この世界が地味で退屈なものに見えたよ」


 ホームは帰宅途中の人々であふれている。僕らはしんがりに並んだ。


「この世はつまらないね、そんなことを叔父に言うと鼻で笑われた。お前の方がつまんねえ、退屈なら面白くしてみろ、そうも言われた。俺は自分に足りないものが何かを探し続けたよ。そうして去年の十二月、ついに答をみつけた」


「何?」


しゆうねんだよ」


 さかの声は力強かった。


「腹の底にあるもの、万事の動力源だ。勉強、スポーツ、恋愛、女装、シャーリー退治……あきらめない心が人を突き動かしていく。俺に足りなかったものは生きることへの執念だった。趣味も特技も夢もないただ食って寝るだけの俺自身を象徴するものがこのみにくい体だ。この世はつまらないと決めつけ達観していた俺はすべてに無関心だった」


「今のさかとは結びつかないね」


「もちろん。街であまに出会えたのは執念のたまものさ。面白いものが面白いものを呼ぶんだ。考え方一つで世界が変わる。この世にサンタはいない、だったら俺がサンタになってやる……〝あの子〟のためにも」


 誰のこと? 聞いたが反応はなかった。


 ちょうど電車がやって来て、人の流れが僕らを車内へ押し込んだ。つりかわつかまりながら、さかはもうしやべりたがらないだろうなと思った。昼休みに見せた、あのうれいの表情で窓の向こうをながめている。


 電車が動き出した。


ささやかれたら目で合図をくれ。俺が押しつぶしてやる」


 僕らは乗車口に近いところでつりかわつかまっている。席は埋まり、立っている乗客もかなり多い。ななきたのセーラー服もちらほらうかがえる。


 僕らの作戦は単純で、乗客密度の高い各駅を周るというもの。客が減る、降車する、上り(下り)列車へ乗り換え、客を補充する。これを繰り返す。最も利用客の多い『七重西にし』を起点に行ったり来たりするのだ。乗客が多ければシャーリーも動きやすくなる、と見立てての作戦だ。




 一時間ってもシャーリーは現れなかった。さかひざの痛みに屈して席に座り込み、ひたいから流れ出る汗を手の甲でぬぐった。おばあさんが乗り込むとすかさず席を譲り、「次で降りてジュースを飲もう」そう提案してきた。


「どうして留年したの?」


 自販機で買ったコーラをホームで飲みながら僕は聞いた。ずっと気になっていたことの一つだった。気まずい質問だったが、さかはすんなり答えてくれた。


「好きな子ができたんだ」


「……え?」


「二年の春だ。新入生の女の子にれてね、俺はどうしてもその子に近づきたかった。それで気付いた。留年すれば同じクラスになれるんじゃないかって。俺は春まで授業をサボり続けた」


 耳を疑った。〝さからしい〟を飛び越えてすじがね入りのおろか者だ。まるで晩飯の話でもするかのような口調だが本質は異常性にあふれている。恐怖すら感じる。


「それってもうストーカーじゃないの?」


 言うとさかは笑った。


「俺は恋におくびような人間でね。それでも結局話しかけられなかった」


「ということは、今僕らと同じ学年だよね? 何組? 同じクラス?」


「クラスは隣だ、一応」


「さっき言ってた〝あの子〟って……」


「俺がれた子さ。俺はな、〝あの子〟のためのサンタになりたいんだよ」


「どういう意味……?」


「いずれくわしく話すよ……その時が来ればね」




 またさかの見方が変わった。電車へ乗り込みながら、僕はこの男を今後どうあつかうべきか考えあぐねた。


 夢中になるのはいいことだ。それをしゆうねんと呼んで生き様にしたって構わない。でもやっぱり、さかは今まで出会ったどのタイプの人間とも違う。何しろ、普通の人間は恋する相手をおもって留年したりしない。そこへ至る勇気が足りない。


 乗り込んでから十数分後──突然だった。おしりの上を滑る手のきよどうを感じた。疲れが吹き飛び、つりかわが汗で湿る。はじめそれはゆっくり上下し、僕が抵抗しないと分かるや感触を楽しむように強弱を加えていった。


 これは断じてシャーリーの手口などではない。変質者どころか本物のかんだ。


 声が出ない。不安と恐怖がのどふさいでいる。間違いだったらどうしよう、反論されたらどうしよう、きようを持ってるかもしれない、さかうらみされるかもしれない。


 隣に立つさかを見上げる。目で合図を送るもさかの関心は窓の外だった。夜の街並みが恐怖に引きつった僕の顔を反射させている。


 視線を下ろすとお尻に伸びる何者かの腕が見えた。下半身をまさぐるまわしき手の主を目で辿たどる。太い腕、大きな体。額に汗を光らせ、鼻息が荒い……さかが僕を見てはにかんでいた。


「バレた?」


 生まれて初めて人をなぐった。

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